帰ってきた帽子サラリーマン②
気象庁が実行している帽子サラリーマン計画(以下、帽子計画)は、じつのところ賛否両論だったりします。そしてその賛否両論は、おそらくはほぼ半永久的に賛否両論でありつづける運命にあるようなのです。
これまで夏の花火大会当日に唯一実施された第一回帽子計画は、大成功だったと評価されてはいるのですが、それは同時に賛否両論のはじまりでもありました。
そもそも帽子計画は、夏の風物詩である花火大会が、その季節にありがちな天候である夕立ちやゲリラ豪雨によって、運悪く中止になってしまうのを防ぐために立ち上げられました。「夕方から降りだしそうな雨を、日中のはやい時間帯に、人工的に短時間のうちに先に降らせるだけ降らせてしまおう」という計画です。
そのために多大な技術の集大成と、大がかりな予算の集中と、膨大なる人的な貢献が、必要となりました。第一回の帽子計画は、その三つの過剰さが上手に絡み合い、有機的に混ざり合い、一見したところ計画どおりに午後のはやい時間に雨が降って、夕方からは見事に晴れ渡った東京の夏空に、大小様々な花火の華々が、人々の歓喜の声たちと偽たこ焼き売りの口笛とともに咲き乱れたのでした。
雨は夕方前に上がり、花火大会の観客たちは喜び、商売だって大繁盛で、いたって何の問題もなさそうな第一回目の帽子計画でした。気がかりなんてこれっぽっちもなさそうでした。まさに真夏の夜の夢を下町風の絵にして描いたような一晩でした。
しかしどんなに物事が守備万端上手く運んでいても、あるいは上手く運んでいるからこそ、ほんの些細な部分にも糸のほずれを見つけるかのごとく、顕微鏡で覗いたように問題点を見つけだす奇特な人々というのは常に一定数いるものです。
そんな人々のアンテナに引っ掛かったのが、帽子計画の目的にもなっている一文でした。つまりそれは「夕方から降りだしそうな雨を」の部分です。普通の人々ならば、文面どおり「夏に夕立ちはつきものだから」と捉えてすぐに納得しそうなところを、奇特な人々は「もしもその夕立ちが降らなかったら?」と、逆の方向に考えたらしいのです。それから「降らないかもしれない雨のために、何故わざわざそんな時間とお金と労力をかけるのですか?」という疑問を導きだしたようなのです。
たとえ気象庁の帽子計画に疑問を抱く人たちがいたとしても、それは決して特異なものではなく、むしろもっともな考え方でしょう。
ただし、気象庁としても、なにも花火大会のためだけに帽子計画を考えだしたわけではありません。あくまでもその計画は、ここ数年特に変化の著しい異常気象の、その対策の一環として考案された一例なのです。
それでも帽子計画に一連の多大な予算や労力が必要になってくるのは事実です。そのためにスタッフは、計画の実施を四年に一度というふうに改めて決定しました。そして今年が、最初に実行された帽子計画から、数えてちょうど四度目の夏が訪れようとしている年にあたるのです。
帽子計画においてなによりも重要になってくるのはデータです。正確で詳細なデータの蓄積がなによりも大切になってきます。それによってコンピューターを使った様々なシミュレーションが可能になり、コストを抑えながらも、新たな疑問にたいして常に正しい解答が導きだされるというわけです。
第一回帽子計画には、およそ五万人にものぼる、東京に勤務する男性サラリーマンたちが参加したのだそうです。大変な人数ですけど、東京一帯にまとまった雨を降らせようとするからには、それぐらいの頭数は必要になってくるのかもしれません。その全員がボランティアで、期間は約五ヶ月間に及びました。
もしもその人件費を時給換算したなら、帽子計画そのものが成立しなかったかもしれません。けれども我が帽子サラリーマンたちは、誰一人文句をこぼすことなく、くる日もくる日も、雨の日も風の日も真夏日さえも、山高帽をかぶりつづけ、小さな雲をその中で育てあげたのです。見上げた心意気と言えるでしょう。東京の奇跡と呼んでもいいかもしれません。
気象庁は五万人分の帽子サラリーマンたちの詳細な個人ファイルをずっとデータとしてコンピューターに保存していて、第二回帽子計画の際にも当然のように彼らに帽子サラリーマンになってもらおうと考えていたようです。五万人もの人間を五ヶ月間も無料で拘束するわけですから、大変な作業です。見つけようにも、そう簡単に代わりは見つからないはずです。ある意味では帽子計画における数あるデータの中でも、五万人の個人ファイルは一番重要なデータであるかもしれません。
しかし、それほど大切なデータであるはずなのに、どういうわけか、その五万人分の記録は気象庁のコンピューターからいつの間にかきれいになくなっていたのです。まるで帽子サラリーマンたちの記憶と一緒に、雲とともに空の上へとのぼっていってしまったかのように、デジタルな文字の記録が、透明な雨の雫となって永久に失われてしまったようなのです。
つづく