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帰ってきた帽子サラリーマン①

「かつての君は、マーブルチョコレートめいた七色の山高帽をかぶった帽子サラリーマンだった。でも今はそうじゃない。

かつての君は夢見るサラリーマンであり、帽子のつば片手に、大勢でミュージカルナンバーを歌い踊りだしそうな稀有な存在だった。でも今はそうじゃない。

かつての君たちはみんなそうだった。誰も彼もが、帽子の下に隠しているのが、小さな雲だけではなさそうだった。でも今はそうじゃない。

かつて君は帽子サラリーマンだった。君の良き理解者であり相棒は、偽の関西弁をまくし立てる偽のたこ焼き売りの男たちだった。

今の君たちは、私たちの友人だ。さあ、忘却の帽子を脱いで灰色したレインコートを身にまとおう。それからみんなで生暖かい六月の雨を浴びながら、腕を組みつつ賑やかな街並みをパレードしようじゃないか」

(雲を司る者、またの名をレインマンより)


かつて帽子サラリーマンと呼ばれた一人の男性が、吊り革をにぎりつつ、午後の商談へと向かう地下鉄の車内で、ずいぶん大袈裟で場違いな名前が署名された広告の文面をぼんやりと見上げていました。

そこには真っ白でピカピカしたコート紙に、力強くシンプルな書体の黒文字の列が印刷されていました。

それはなにかしらの意見広告のようであり、どこかの誰かが、通勤途中の帽子サラリーマンにたいして、地下鉄車両の広告スペースを利用して奮起をうながすかのような、連帯の握手をするための右手をさしだしているかのような、どちらにしても大きなお世話ととられそうな約束ごとを読み上げているのでした。


B(それは帽子サラリーマンの総称です)は、その車内広告を目にした何番目(おそらくは数百番目)かの帽子サラリーマンでした。

彼はその他大勢の帽子サラリーマン同様に、その車内広告であるかのような、詩であるかのような、文章が、一目見たときからあまり好きにはなれませんでした。

というのも、キザな文体や、会って話したこともないはずなのに、その割には妙に馴れ馴れしい口調や、イカサマ師めいた大層なネーミングが、百歩譲ってたとえ悪意はなかったとして、Bが一つ気に入らなかったのは、そのレインマンと名乗る得体の知れない彼らが、かつて帽子サラリーマンであったB本人よりも、よほど帽子サラリーマンについて詳しそうな訳知りな態度のその一点にありました。

「そんなにかつてのボクが羨ましいのなら、ご自慢のレインコートを脱いで、君がその帽子サラリーマンとやらになってみればいいだけの話しなのではないかしらん。そして実際になってみて、そのときどんな気分がしたのか、ボクに教えてくれればいいんだよ。だって帽子サラリーマンなら今どきどこでだって募集してるんだから」というのが、その車内広告にたいするBの個人的な見解でした。


Bが地下鉄の車内でゴチた独り言は、満更自己弁護に終始しているだけではなさそうでした。

というのも、都心のビジネス街で電車を降りて外にでてみると、季節は梅雨どきの六月ではなくてまだ桜が咲く前の三月でしたけど、地下鉄の出入り口ではチラシを手にした、気象庁が雇ったらしき、(おそらくはなにも事情を把握していない)学生アルバイトが、「帽子サラリーマン募集してます、いかがですか?」とばかり、新商品のビールでも一口勧めるみたいに、駅を出入りするサラリーマンたちに向かって声をかけていたからです。仕事で忙しく、まったくその気はなさそうな、かつての帽子サラリーマンたちに。


Bは行く手をふさぐ学生アルバイトのチラシを、かつてのヤンチャ気味な帽子サラリーマンよろしくスマートにかわして表通りに躍りでたまではよかったのですが、そこでバッタリ、お友達であるイカサマ師たちのパレードに出くわしてしまったのでした。

ただ、それは最近ではよくある出来事でした。足元まで隠れそうな長い丈のグレー色したレインコートを身にまとった彼らレインマンたちは、まるでかつての帽子サラリーマンたちの行く場所をわざと狙っているかのように、都心のビジネス街ばかりを選び、頭数はその都度まちまちでしたけども、およそ三十人から五十人ほど、春になってから街の通りを徒党を組んで練り歩くようになったからです。


レインマンたちがビジネス街に姿をあらわしはじめたのは、ちょうど桜前線の便りが東京にとどく寸前の出来事でした。

それは奇しくも四年前に、東京で働くサラリーマンたちが、チャップリンめいた昔ながらの山高帽をかぶりはじめた季節と重なっていました。その年は帽子サラリーマンたちが、最終的には東京の街並みを色とりどりのカラフルな帽子の絵柄で染めあげた最初で最後の年でもありました。

レインマンたちはじつに四年の歳月を経て、帽子サラリーマンたちと入れ替わるようにして東京の街にあらわれたのです。


あらわれた季節は同じでしたけど、レインマンの街中の風評は帽子サラリーマンと比較しても芳しいものではありませんでした。正直に言って、かなり悪い方でした。

なによりよろしくなかったのは、彼らの良く言って個性的な、悪く言ったなら没個性的な、両極端な風貌にありました。

彼らはみんな一様にレインコートの灰色したフードを目深にかぶっていました。覗いているのは鼻と口だけで、その口元もいつでも無口に固く閉じられたままで、顔に表情というものが誰の目からも読みとれませんでした。カラフルでいつでもどこかしら陽気さがただよい、街ゆく人々から愛されていた帽子サラリーマンとはなにからなにまで対照的でした。


入れ替わるようにあらわれたはずなのに、レインマンが帽子サラリーマンの代わりになるとは、東京の人々は誰も思っていませんでしたし、またそれを望んでいる様子もありませんでした。

極めつけなのは、レインマンたちの頭上にありました。そこにはいつもパレードに付き合うかのように、やはり灰色した絨毯めいた雲が、ちょうど信号機ぐらいの高さに浮かんでいて、外は春の陽気で晴れているのにもかかわらず、いつでもそこだけしとしとと梅雨にも似た長雨が降っていたのです。


つづく

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