父の森㉓
姉からのメール④
『世の中にはいろいろなタイプの朗読会が存在するとは思います。けれど夢の森の朗読会ほど風変わりな朗読会はきっと存在しないような気がします。なにしろその会はおかしな点がありすぎて、普通の朗読会の部分をあげる方がかえって難しいぐらなのです。
夢の森の朗読会は、〈ある父親たちの災難〉の登場によってはじまります。時子は〈ある父親たちの災難〉を知っていますか?仮に知らなくても、いずれ知ることになるかもしれません。それは私たちのお父さんに関係しているからです。
ただ私はその名前がどうしても好きになれないので、茶髪さんが言うところの夢の森にちなんで、ここでは夢男という呼び名で統一したいと思います。
夢男たちは森のそれぞれの木の中に住んでいます。夢の森には三十五本の夢の木があるので、夢男たちは全員で三十五人いる計算です。
彼らは一日に一人ずつ、『父の森』と題された一冊の本を手に、緑色した光に包まれながら木立ちに囲まれた芝生の上に姿をあらわします。ゲストである私に託されたのは、『父の森』を一日に一冊ずつ、彼らの前で朗読する役割です。彼らというのは夢男と、その日に森を訪れた少人数の恋人たち(彼らもまた朗読会がはじまると、芝生の周囲へと集まってきます)、それから少し離れて木陰にたたずむ茶髪さんです。茶髪さんはなぜか朗読会の最中は私たちとは距離を置いて、オブザーバー的な立ち位置をずっとキープしています。
夢男さんたちの特徴といえば、服装は保育園の運動会に参加した若き父親たちといった感じで、動きやすそうという以外にこれといった個性はありません。森の給仕の茶髪さんみたいにみんな若いですけど、とくにハンサムというわけでもありません。個人の意見でいえば、たぶん森の給仕にして管理人である茶髪さんの方がハンサムだと思います。木の妖精と呼ぶには、みなさんだいぶ無理がありそうでした。呼んでくれと誰から頼まれたわけではないですけど。
そてにしてもとくにハンサムでもない三十五人もの赤の他人である男性の、三十五冊の本を、三十五日もかけて朗読するのは、考えるとずいぶん骨の折れる作業です。よほどの物好きでなければ務まりません。
それもこれも、お父さんが「木になりたい」なんてわがままを言いだしたからです。木になりたがるような変人には、それに見合ったおかしな朗読会しか用意されていないのかもしれません。
夢の森の朗読会で例外的に楽しかった点は二つあります。茶髪さんのだしてくれた紅茶が美味しかったのと、テキストである『父の森』が、読んで楽しい小説だったという点の二つです。
ただ、初日の夢男さんからテキストを手渡された際に、「これはどなたが書いた本ですか?」と尋ねると、彼はしごく真面目そうに、「じつは私の娘が書いたんです」と恥ずかしげに言ったのです。
ぜいぶんおかしな話しです。その夢男さんはどう見ても私と同い歳ぐらいの青年にしか見えなかったからです。年端もいかない、おそらくはまだ小学校にもあがっていないような娘さんに、小説なんて書けるはずがありません。漢字すら書けるかどうかもあやしいところです。
それでも夢男さんがひどく誇らしげにそう話したので、私は彼の勢いにおされて、芝生の上で本の扉を開いたのでした。
中身を読んでみると、「なるほど」と、私にもようやく夢男さんが放った、「娘」という謎の単語の意味が呑み込めた次第でした。読み上げている間にも、若き夢男さんの心の波動がこちらに伝わってくるような感じさえしました。私は少しだけ彼が好きなりました。木になるという不可思議な未来を選んだ彼を。でもそれは異性に恋をするのとはちょっと違うと思います。人として好感を持ったのです。
肝心の本の内容についてですけど、ここでは一切秘密にしておきたいと思います。なぜなら、その物語は時子のこれからの人生にも関係してくるような感じがするからです。ネタバレ厳禁は、幼い姉妹の交換ノートと同様に、このメールでも御法度なのです』
つづく