表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
163/188

父の森⑯

姉からのメール①

『恋をしました。生まれてはじめての恋です。でもなにから話したらいいでしょう。じつの姉のあからさまな告白から物語をはじめるには、いささか事情が込み入っているようです。それでもこのメールが時子のもとに届く頃には、たぶんいろいろな事情が分かりはじめているとは思います。私にもあなたにも、そしてお父さんにも。


長いメールになるでしょう。長い長いメールになります。私たち家族について、ほとんど三人分の。

思いつくままに書くのがいいのかもしれません。書く行為によって、私たち家族が置かれている状況がハッキリ分かってくると思うから。昔、まだ子供だった頃に、よく本や映画の感想文をノートに二人で書いて交換しあったみたいに。

そう、このメールは、あのノートの代わりになるのかもしれませんね。お姉ちゃんは思います。十年ぶりに、二人の交換ノートがスマホになって復活したんです。ただ大きく違うのは、物語の主人公がどこそこの誰々さんではなくて、私たち家族であるという展開になっているとこです。そして恋に落ちたと告白するのが、じつの姉であるところです。


まずはお父さんの話しからはじめるのがいいかと思います。最初に自分で恋の告白をしておきながらなんなのですが、これはお父さんの物語なんです。

でも、つくづく不思議に思います。私たちに共通する趣味である物語の主人公が、私たちの知っているお父さんだなんて。そうは思わない?地味で、年寄りで、甲斐性なし(怒らないでね、お父さん)の男性が、十年ぶりに形を変えて復活をとげた交換ノートに書かれる、その物語の主人公になるなんて。


でも考えたら、ある意味では当然なのかもしれません。だって、私たちをよく図書館に連れていってくれたのも、たまに映画館に連れていってくれたのも、私たち姉妹に物語を運んできてくれたのは、いつでもお父さんだったような覚えがあるからです。

ときどきお姉ちゃんは思いだします。お父さんの唯一の趣味は、私たちに物語を運んでくる細々とした思案と行為ではなかったのかしらんて。そういえば、まだ幼かった私たちに、映画鑑賞の帰り道、交換ノートを書くように薦めたのもお父さんでしたね?


「ある意味で」なんて、時子みたいな文体で書いてしまいました。ノートを交換しあってたせいで、大人になってからも、お互いに使う文体が似てしまっているのですね。姉妹で好きな食べ物や好きな洋服が共通してるのは世間によくある話しでしょうけど、使う文体が似てるのは、きっと珍しいかもしれません。

ついつい昔話が長くなってしまいました。つづけます。


お父さんから緊急のメールが届いたのは、だいぶ前、たぶん半年ほど前だったと思います。東京の桜がそろそろ散りはじめていたので、まず間違いないと思います。最近、月日の流れに鈍感なんです。ごめんなさいね。

そのメールには、お父さんが仕事の出張先で具合が悪くなって、銀座のホテルにいるから迎えにきてほしいと書かれてありました。

考えようによっては、かなり不思議な内容のメールです。下町の工場で働いているお父さんが、銀座に出張なんてこれまで聞いた経験ないですし、第一具合が悪いなら、ホテルではなくて病院に運ばれているはずです。その日は平日のまだお昼前の時間だったんです。

それでも私は会社に断って、タクシーをつかまえてすぐに銀座に向かいました。タクシーに乗るなんて何年ぶりでしょう。


じつはその数日前から、また不思議な夢を見るようになっていたんです。今となっては、それは子供の頃によく夜中にうなされた正夢に似たやつであったのが分かるのですけど、ただ同じ正夢でも、それは世の中に悪影響を与えるような種類のものではなくて、ごくごく家族的な、平和的な内容のものです。その夢にでてくるのは、お父さんとお姉ちゃんの二人きりなのです。おまけに場所は我が家の居間なのです。

そこでお父さんと私は、食卓の机に向かい合って座っています。ポカポカとした午後の昼下がりです。お父さんがおもむろに口を開きます。

「お父さんね、近々、木になろうと考えてるんだ」

お父さんは、「近々、お墓を買おうと思ってるんだ」と話すみたいに、ごくごく当たり前の近い将来の予定のようにトンデモない話題を提供します。

でも、お姉ちゃんはお姉ちゃんで、それをごく自然にうけとめます。私は夢の中で言葉を発しません。完全な聞き役に徹しています。肯定するでもなく、否定するでもなく、お父さんの発言に耳を傾けつづけています。お父さんは夢の中でトンデモ話しをつづけます。

「お父さんが木になるには、栄子の協力が必要なんだ。栄子の協力がないとお父さん、木になれないんだよ。だからぜひ力になっておくれ。これは私のためであるのと同時に栄子自身のためでもあるんだ」


先に書いてしまいますけど、届いたメールは嘘でした。嘘というのは、お父さんが具合が悪い云々のところです。メールを送ってきたのはお父さん本人に間違いありませんでした。

ただ銀座のホテルに着いたとき、その部屋にお父さんの姿はありませんでした。ノックのあとに部屋のドアを開けて私を招き入れたのは、二人の美しい女性たちだったんです。

二人の名は、それぞれ里中さんと広瀬さんといいました。銀座のホテルに相応しい美しくスタイリッシュな女性たちでした。二人とも五十年代のアメリカのヴォーグ誌のページを飾ったモデルさんたちみたいなファッションをしていました。

きっと時子はその二人の苗字に聞き覚えがあるかと思います。すでにその二人は我が家を訪問済みのはずです。お二人は私がホテルの部屋で出会った女性たちの妹さんたちにあたるのだそうです』


姉からのメールはまだつづきますけど、ここで私も三つ上の姉を見倣って一つ告白をしたいと思います。私は子供の頃から、物書きになるのは私ではなくて姉の方ではないかしらんと、ずっと思いつづけていました。その気持ちはいまだに少し残っています。本当に人の嫉妬心ほど複雑で気の長い構造を持った感情はないのかもしれません。


つづく

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ