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父の森⑬

〈ある父親たちの災難〉をめぐる世間の誤解には、おもに二つの種類があるようです。

一つ目は外見上の誤解です。世間では父が木になるとき、オタマジャクシがカエルになるかのごとく、あるいはシンゴジラが第一形態から第二形態になるかのごとく、あたかもその形態が少しずつ少しずつ変化していくかのように考えられている節があります。耳の穴から葉っぱが生えてきたり、腕が枝になったり、足が根っこになったり、といったふうに。でもそういうことはありません。それは間違いです。


父が木になるとき、それはちょうど季節の変わり目を想像してもらえると分かりやすいかと思います。例えば冬から春へと季節が変わる二月の中旬あたりを。

春が近づいてくると、寒い日と暖かい日が入れ替わり立ち替わり、交互に日替わりでやってくる時期というのがないでしょうか。ようやく春が近づいてきたと思ったら、急に真冬にもどったり。そんな気温の上下が繰り返されるたびに徐々に寒い日よりも暖かい日の割合が増していって、ようやく春爛漫と呼べる季節が訪れるかのような。


父が木になるとき、それは冬と春が、夏と秋が、交互に繰り返される日々です。ある日の父は完全に人であり、またある日の父は完全に木なのです。そんな日々が何度か訪れ、やがて父は木になったきり、ついに二度と人にはもどらなくなってしまうときが訪れます。「お父さん?」と尋ねても、ウンともスンとも答えが返ってこなくなってしまうのです。聞こえてくるのは、枝と枝の隙間のかすかな葉音だけです。そのときにはもう父は完全に木と化してしまっているので言葉が返ってこなくて当然なのです。


こうも言えるかもしれません。父から木への変化は、アナログ的な変化ではなくて、デジタル的な変化なのだと。1か0で、その中間的な存在はあり得ないのだと。

そう考えると、植物園での父の木のスケジュールの変更が毎日可能であるのも、ある程度は理解してもらえるかもしれません。

ある程度という断りが入るのは、父の木への変化の過程にはより詳細な説明が必要になってくるためです。それが〈ある父親たちの災難〉をめぐる二つ目の世間の誤解にも通じるお話しになります。


あの冬の朝、アルバイトにでかける予定の時間を気にしながら、〈東京女子コインランドリークラブ〉という、随分おかしな、まるで謎の秘密結社もどきの組織名が印刷された二枚の長方形の名刺を、私はトランプのカードよろしく自宅の居間で交互に見比べていました。

そのうち一方の女性から、「もうお姉さんは戻ってきません」という言葉が聞こえてきました。私と一回りぐらい歳が離れていそうなその女性は、つづけて「お姉さんは恋をしています」と口にしました。

「この写真をごらんになってください」

そう言って、東京女子コインランドリークラブのリーダーを名乗るもう一方の女性が一枚の写真を卓に置きました。

「ちょっと栄子に似てないかしら?」

写真を見た母は、私に手渡しながら言います。栄子というのが私の姉の名前です。母は赤の他人の写真を見てそう言ったのです。

「三つ上の私の姉です」

里中さんという小柄なリーダーの女性は言いました。


それはコインランドリーの店前で撮った姉妹の写真のようでした。新装開店の際に撮ったものらしく、店前に開業祝いの花が置かれていて、献花には『祝開店・里中コインランドリー』と書かれた小さなカードが添えられていました。そこに小学生ぐらいの女の子が二人、並んで写っています。

それを見た私は、写真の意味を、里中さんが述べた説明以上の意味を、立ちどころに理解しました。写真を手にした母が、それほど似ているわけでもないのに、なぜ姉の名前を口にしたのかも。

私が写真を返すよりもはやく、今度は隣の広瀬と名乗る、リーダーより大分大柄な、でも年齢は近そうな、女性がふたたび口を開きます。

「こちらの写真もご覧になってください」

広瀬さんはそう言うと、真向かいの私に向かって、バッグから取りだした一枚の写真を直接手渡します。それを見た私は、すでに二枚目でもあるので、名探偵よろしく、写真が意味する内容を直ぐに読み取ります。それはやはり二人の幼い姉妹が、家の前で並んで写っている写真でした。

「私の隣りに写っているのは、四つ歳の離れた姉です。私たちはともに二人姉妹なのです」


〈ある父親たちの災難〉めぐる世間の二つ目の誤解は言葉上の、あるいは精神的な意味での誤解です。それは災難というよりは、むしろ父曰く、懺悔と呼ぶべきものなのです。

〈ある父親たちの懺悔〉と呼ぶべきそれは、シャッターが押されたのが時間も場所も異なっているはずの二枚の写真に、怖いほど同じように姉妹の影として写しだされています。

私たち東京女子コインランドリークラブの会員たちは、赤の他人であっても、皆んなが血を分けた姉妹同士です。私たちが共通して遠く思いだすのは、どこまでも幸福だった子供時代であり、いつも笑顔で私たちを見つめてくれた父と母の姿なのです。


つづく

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