父の森⑪
東京女子コインランドリークラブが言うところの、いい贈りものと悪い贈りものがこの世にあるとするなら、本当に「目にうつるすべてのことはメッセージ」であるとするなら、それは間違いなくいい贈りものであり、いいメッセージであるようでした。
ランドリークラブのコーラス隊と植物園に集まったカップルたちのギャラリーは、人工森に暮らす砂漠の民よろしく、父の木による小枝の雨が降り止むまでその場を一歩も動こうとしませんでした。とくにクスノキが降らす小枝の量は、バス停でトトロがジャンプして降らした夜の雫のごとしで、植物園のグラウンドの芝生はすぐに落ち葉で覆い隠された秋の公園か、カーテンを開けたら窓の外が一面雪景色に変わっていた冬の朝めいて、父の森からの贈りものによって埋め尽くされた恵みの泉と化していました。
父の森の通り雨が、ほどなくして止むと、大きなポリ袋サイズの布袋をそれぞれ二人一組で抱えたランドリークラブの会員たちがどこからともなくあらわれて、芝生の上の小枝を回収しはじめました。コーラス隊とギャラリーがみんなで手分けして布袋の中に拾った小枝を投げ込んでいきます。
「父の森のヘッドセットは、東京女子コインランドリークラブの会員が一つ一つ手造りします。それは私たち会員の大切なお勤めの一つなんです。作業は中野にある東京女子コインランドリークラブの事務所の二階でおこなわれます」
「木の枝のヘッドセットでいったいなにができるのでしょうか?」
「信号を受信するんです。ユーザーはヘッドセットを頭にのせることによって、父の森から送られてくる信号を受けとります。植物園を訪れたギャラリーと同じように、日曜コンサートを脳内で仮想現実として体験できる仕組みなんです」
「もしかしたら父の森から送られてくる信号も緑色なんですか?」
私は倉持さんに尋ねてみました。でもその質問は場違いで後悔した次第です。やはり「それも父の森ジョークですよね?」ぐらいに留めておけば良かったのです。
どちらにしても私の不必要な質問に、倉持さんが答える機会は幸か不幸か一旦は失われました。ちょうどコインランドリークラブのコーラス隊の群れから離れた会員の一人が、こちらの方に向かって歩いてくる姿が私たちの視界に入ったからです。
その女性は広瀬さんでした。お父さんがクスノキの広瀬さんでした。その日曜日の主役の一人である広瀬さんでした。じつは私は彼女に会うのはそれが二回目でした。以前に、東京女子コインランドリークラブを発足したリーダーの女性と二人で、彼女が実家を訪ねてきた一件があったのです。
「いらっしゃい」
広瀬さんは来る途中から優しそうな笑顔でこちらに挨拶してきました。対照的に予定外の来客に、私は戸惑い気味にペコリと頭を垂れるのが精一杯でした。広瀬さんは私を緊張させるのに十分なバックグラウンドをすでに持っていました。そのときのやり取りの記憶がまだリアルに私の脳裏に焼き付いていたのです。
それを知っていたのでしょうか、横の倉持さんが素早く助け舟をだしてくれました。
「睦さんは、ご家族に日曜コンサートの模様をお見せするために、今日参加されたんです」
「そう。ぜひお母さんによろしくお伝えください。私たちは全員、お父さんが父の森にいらっしゃる日を心待ちにしていますと」
そう言い残して、広瀬さんはお辞儀をして小枝拾いにもどっていきました。
念のために書いておくと、親友である倉持さんを除いては、私がこれまでに東京女子コインランドリークラブ内で相談を持ちかけた回数は、クラブのリーダーと副リーダーの一人である広瀬さんの二人が断トツです。ただまだ未入会だった当時の私には、日曜日の去りゆく広瀬さんの背中が、「どうです?私たちが注意してたとおりになったでしょ?」と、まるで勝ち誇っているかのように見えてしまったのです。それもこれも嫉妬心のなせる業でしょうか。
なにか物事に大きな変化が訪れようとするときには、その前兆らしき現象が目の前にあらわれるとよく言われます。俗に言う「虫の知らせ」というやつです。昆虫や小動物が普段は見られない集団行動をはじめたり、飼っていた猫が突然姿を消していなくなったり。青空に変な形をした白い雲がポッカリ浮かんでいたり。
じつは〈ある父親たちの災難〉が私の父の身に降りかかったときにも、私たち家族には一つの決定的な前兆があらわれていたのです。ただ母も私も、それが〈ある父親たちの災難〉の前兆であるとは気が付かなかっただけなのです。
姉が家をでていったのは、父の身に、あるいは我が家に、〈ある父親たちの災難〉が降りかかる数カ月も前の出来事でした。それまで人生の中で一日の無断外泊すらしたためしのなかった姉が、私たち家族になんの相談もなしに勤めていた会社を突然辞めて、「しばらく友人の家に泊めてもらう」とだけ言い残し、キャリーケース一つだけを転がして、姿を消してしまったのです。しかも意外だったのは、父だけにはなにかしらの事情を前もって説明していたようで、父は父で独断で姉の逃避行を許していたきらいがあったのです。
東京女子コインランドリークラブのリーダーと副リーダーの二人が、昭和の時代から杉並区の住宅地にある、古い民家の我が家を訪れたのは、大学が冬休みに入ったばかりの、年が変わる前の平日の朝でした。
それはまさに睦家はじまって以来の激動の一日がはじまろうとしていた朝だったのですが、母と私はまだ〈ある父親たちの災難〉などつゆも知らず、当然のように父もまだ健在で、仕事にでかけたばかりの時間帯でした。その日、アルバイトの予定があった私は、一人ベッドの微睡の中にいたと思います。
グレーとベージュのコートを羽織った、中年と呼ぶにはまだはやい二人の女性が、歳末の国勢調査員みたいに玄関のベルを鳴らしました。運命の歯車を動かしはじめるゴングを。二人は母に居間へととおされて、そこでコートを脱ぎ、二階の自室で寝ていた私が下に呼ばれました。
自己紹介もそこそこに、脚の短い木製のテーブルを囲んで、それぞれ座布団に正座して向き合うと、姉の友人の紹介で中野区からやってきたという二人の女性は、まず広瀬さんからしごく落ち着いた物腰で、しかし単刀直入に言いました。
「失礼ですが、お姉さんはもうご自宅にはもどらないと思います」
しばらく前からそんな悪い予感の胸騒ぎがしていた私は黙って聞いてましたけど、母の方はまったく寝耳に水で、「それは、いったいどういうことなんでしょうか」と、上擦った調子で聞き返します。二人の女性は視線を交えて合図すると、やはり広瀬さんがふたたび口を開きます。
「よく聞いてください。お姉さんは恋をしています。それも一生に一度の激烈な恋です。ですからもうこちらには帰ってこないんです」
つづく