父の森⑨
かつての東京女子コインランドリークラブには、入会規定のほかにも、東京女子コインランドリークラブらしい一つのルールがありました。
それは創作上において「魔法」と「呪い」という言葉を使わないという、いつの間にか暗黙に決められたらしい約束事でした。もしもどうしてもその二つの言葉を使いたくなった場合には、まだ執筆中の作品を三人以上の会員に読んでもらって、その必要性を承諾してもらわなければならないのです。
ちなみに一つのお話しの中で、「魔法」と「呪い」を使っていいのは、竜や指輪がでてくるような大長編でないかぎり、概ね三回まででした。
私もそうですけど、東京女子コインランドリークラブの会員たちには、SF小説と一緒にファンタジー小説も書く作家が大勢いるので、「魔法」と「呪い」というファンタジー界隈に必要不可欠な二つのアイテムが禁じられるのは、とてもとても痛手ではあります。
会員の女性たちはみんな、ある時期をさかいに、創作上のスパルタな神様と取引して、特殊な契約書を交わしたわけです。現実的には創作上のマンネリを避けるためや、会員たちが描く作品の質の向上を目的として。
当然のようにランドリークラブの作家たちの作品からは、一時期、純文学者なみにその原稿から「魔法」と「呪い」の文字が激減したそうです。
二つの重要な言葉を使わないあと一つの変わった目的には、東京女子コインランドリークラブが昔から縁起を担ぐ傾向を持った組織だったという理由もあったようです。大リーグの選手たちがグラウンド上の白線を決してスパイクの突起で踏まないように、東京女子コインランドリークラブの会員たちには、「魔法」と「呪い」という尖った言葉で原稿用紙の枡を埋める行為を避ける傾向があったのです。
東京女子コインランドリークラブは、会員の作家たちが「魔法」という言葉を乱用することによって、上質のアルコールを安価な水で薄めるかのごとく、クラブによって代々保持されてきた良き物語としての求心力が弱まってしまうのを危惧しているようでした。と同時に、みだらに「呪い」という言葉を使って、良からぬ力がクラブに及ぶのを警戒してもいました。東京女子コインランドリークラブは、父の森を訪れるカップルたちが信心深いのに等しく、クラブそれ自体にも保守的な部分があったようです。
しかし驚きと名のつくものの執筆を生業にしている人間にとって、「魔法」や「呪い」の言葉を御法度にされてしまうのは、料理人が厨房から鍋やフライパンを取り上げられてしまうのと同等なわけです。
そこで困った会員たちは苦肉の策として、「魔法」や「呪い」にとって替わる言葉を考えだしました。鍋やフライパンに替わる道具を。
「贈りもの」なる言葉がそれに当たるのですが、その単語の便利なところは、「魔法」と「呪い」と、そのどちらにも使えるという点にありました。「魔法」も贈りものなら、「呪い」も贈りものになるのです。もっと具体性が欲しい場合には、ときに「魔法」が「いい贈りもの」になり、「呪い」が「悪い贈りもの」になったりもしました。
やがって困った状況が発生しました。しばらくは二つの単語をべつの一つの単語に置き換えて事なきを得ていたのですけど、今度は原稿の上が、倉持さんが例えるところの、「歳末シーズンを迎えた百貨店の御歳暮コーナーみたいに」贈りもので溢れかえるようになってしまったのです。
それはそうです。そもそも頻繁に登場するのを避けるために二つの単語を無理矢理一つに束ねたわけですから、それが倍々ゲームみたいに増大するのは、考えなくても目に見えていたのです。
結局のところ「贈りもの」は廃案となり、元どおりに「魔法」と「呪い」の言葉が、暗い洞窟の奥と深い井戸の底からそれぞれ復活を遂げたのですけど、それですべてが解決して拍手喝采というふうにはならないところが東京女子コインランドリークラブらしいところです。
私たち会員のみんなは、「魔法」と「呪い」の言葉を乱用する事態によって、良き物語の求心力が落ち、いつなんどき悪しき力が復活しないか、いまも神経を尖らせています。常に用心しています。ただ、「悪しき力」はすでにそこかしこに復活してしまったという説もあります。
私は東京女子コインランドリークラブの伝統に敬意を表して、日曜コンサートに参加してこの目で見てきた様子を、なるべく「魔法」と「呪い」の言葉を使わずに表現したいと思います。でもそれには二重の矛盾が折り重なっているのをあらかじめ感じないわけにはいきません。
あるいは「魔法」と「呪い」はもとは一つの言葉であったのかもしれません。なにかの原因によって、ある時期から二つの言葉に分裂してしまったのです。
そうすると、二つに別れた言葉を「贈りもの」によってふたたび一つにしようとしたランドリークラブの行為には、一つの道理があった可能性が存在します。いいえ、もしかしたら逆に一つの過ちがあったのかもしれません。
東京女子コインランドリークラブの会員や、コンサートに参加したギャラリーのカップルたちには悪いのですけど、そこは私に、魔法と呪いに満ちた世界そのもののように感じられたのです。いい贈りものと悪い贈りものとが、木の根のごとく一つに絡み合った。
東京女子コインランドリークラブが歌う逆回転コーラスもそれをさらに助長しているように感じました。言葉とメロディを逆さにする荒治療によって、まるで森の土の下で眠っている化けものどもに、歌うモールス信号を送っているかのような。
つづく