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父の森⑧

いまではもう来なくなりましたけど、どこでどう調べたのか、父が木になった日から、いろいろな人たちが私のスマホのアドレスにメールを送ってくるようになりました。

その中には励ましや慰めのメールが山ほどあり、怒りや差別的なメールが山ほどあり、人生相談や勧誘のメールも多少ありました。意外と多いのが「お金を貸してください」といった無心メールと、「僕と結婚してください」といった求婚メールでした。

父が木になってしまった娘と縁を結んでどうするつもりなのでしょう。赤ちゃんの盆栽でもこしらえるつもりなのでしょうか。

悪いつもりはないですけど、一切合切スールさせてもらうことにしました。ただただ世の中には、木になってしまった父を持つ娘に向かって、なにかしら一言申したい人たちがこんなにいるのかと思うばかりでした。それはまあ、いるでしょうけど。いて当たり前ですけど。


不思議なのは、父が木になることによって、それまで一人孤独なヨレヨレの作家Tシャツ的な学園生活を送っていた私に、じつに様々な人たちが接触するようになってきた日常の変化です。一日にして私は孤独な学生から、一人の人気者へと変身してしまったようなのです。時を同じくして、一日で冴えない初老の会社員から立派なトチノキへと変身してしまった父に等しく。


ある日には、『あなたの父親が一本の木になってしまったときに読むべき手引書』という長ったらしいタイトルが付いた書籍が、どこからか茶封筒に包まれて自宅のポストに投函された珍事もありました。

書店に並んでいる父の森関連本の一冊のようでした。タイトルが長いわりに厚さはそれほどないので、ペラペラ捲ってみましたけど、割と面白そうな本ではありました。冷やかし半分に書かれたユーモア本の種類でもなさそうです。

父親が木になってしまった若い女性のとるべき行動が、それぞれ15の章に別れて具体的に、そして簡潔に、書かれてあって、〈ある父親たちの災難〉が私たち家族を見舞った直後に読めたなら、さぞかし役に立っていたと思います。ただ、あいにくそのときの私にはそんな精神的な余裕はなかったので、ずっと本棚に積まれたままの状態でした。


『あなたの父親が一本の木になってしまったときに読むべき手引書』の第4章には、『残された母親について』といった内容が記されているのですけど、そこにはまず「なにも心配はいらない」という冒頭の文章が踊っています。まるで魔法の手引書みたいに、ひどく難しい物事がいとも簡単そうに。

ちなみに本書はそのタイトルとおりに、すべて娘目線による解釈がなされいます。もしかしたら妻目線で書かれた『あなたの夫が一本の木になってしまったときに読むべき手引書』が書かれてしかるべきなのかもしれません。でもいまのところそういうタイトルの手引書は存在しないようです。

あるいはそういった類いの手引書が娘には必要でも、妻たちには必要ないのかもしれません。そんな理由があるのかもしれません。


『あなたの父親が一本の木になってしまったときに読むべき手引書』はすべての章がその調子で、まるで神社で当てたおみくじみたいに簡潔に、そして前向きな文章で書かれています。それがまた一つの救いにもなっているようです。そして実際のところ、手引書にあるように、なにも心配はいらなかったのです。

それは最初に目撃した日曜コンサートの一コマからも予想できた近い将来の未来でした。その日私は、若返って二十歳の青年と化した五人の父親たちとともに、カラフルなワンピースをまとい、同じように二十歳のレディと化した五人の母親たちの姿も目撃したのです。緑色した光の中で抱き合う五組の若々しいカップルとして。

もしもそれが会員の母親たちではなく、私自身の母だったらどうなっていたでしょうか。そのとき私は大学二年生でした。二十歳の母があらわれたとしたら、彼女は私と同い歳の女性になってしまいます。それではまるで『バック・トゥ・ザ・フューチャー』です。たとえ近所にデロリアンに乗った科学者がいなくても、かなり現実性の高い『バック・トゥ・ザ・フューチャー』になり得ます。私には映画の中のマイケル・J・フォックスを演じる気は毛頭ありません。日曜コンサートそのものが、三鷹の植物園も、父の森でさえも、なにかやら急速に一つの悪い冗談のように見えてきました。

『あなたの父親が一本の木になってしまったときに読むべき手引書』には「なにも心配はいらない」と書かれてありました。たしかにそうかもしれません。たしかにそれは母にとっては一つの救済になり得るのかもしれません。それでも私はたまに思うことがあるんです。人が預言者になるとき、それはきっと悪い予言の方から高い確率で当たりはじめるのではないかしらんと。


つづく

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