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父の森⑦

それでもやっぱり父の森は存在するのだと思います。なんだかコペルニクスの有名な「それでもやっぱり地球は回ってる」みたいですけど。やっぱり。

それではどうして倉持さんは私に「父の森なんて存在しない」なんて言ったのでしょう。もうだいぶ以前の話しになりますけど、もしかしたらそのとき倉持さんは私にこう言いたかったのかもしれません。「父の森は、本当は父の森の外に存在するんだよ」って。「外にあるんだよ」って。「だから、あなたはそんなに落ち込んだりしないでいいんだよ」って。駅のホームのベンチで一人肩を落としている私に向かって。そそくさとその場を立ち去った私のあとをわざわざ追いかけてきて。

彼女は「走ればまだ間に合うかなと思って」と言いました。物事の中心だと私たちが信じて疑わないもの、私たちを掴んで離さないもの、じつはそれは物事の中心でもなんでもないだよ、と教えてくれました。


父親たちは淡い緑色した光に包まれてでてきます。ソーダ水に浮かんだ氷みたいに。それぞれの自分たちの樹木の中から忽然と。

でもちょっと変なのです。いいえ、おかしいのは最初から分かっています。最初から分かりすぎるぐらいに分かっています。倉持さんとはじめて見た日曜コンサートの朝、彼女は私に忠告しました。驚きと嫉妬の外にある、さらなる驚きと嫉妬について。本来なら木になった父を持つ私に、あらたな驚きの地平など存在しないはずなのです。それが日曜日のほんのひとときの短い間に、私は二つの感情によって見事に征服されてしまったのです。


五人の父親たちが淡い光の中に立っていました。五人のワンピース姿の母親たちと向かい合って。彼らが五人の東京女子コインランドリークラブの会員の父親であるのを私が知っていたのは、もちろんそれなりの情報を前もって得ていたからです。

日曜日の朝に私は、三鷹の森の反対側にある森へと、父の木たちに会いにやってきたのです。そこには蔦にからまれた、まだ真新しいスタジアムの建物がイチョウ並木の中に建っていて、大勢の老若男女の恋人たちが、朝から芝生の円形のグラウンドを囲んでいました。彼らの顔に浮かんでいるのは笑顔ばかりです。いったい彼らの心を上へ上へと持ち上げていこうとするものの正体はなんなのでしょう。ああ、短い文章の中に、私は何度植物たちの名を目に指にしたのでしょう。


予感は最初からありました。それはその日が日曜日であることから、父と母の祝日の曜日であることから、特別ななにかがはじまっていました。

スタジアムに飛来した巨大UFOめいた一本の大きな樹冠のクスノキを中心にして、大小五本の樹木たちが芝生のグラウンドの真ん中に茂っていました。白いYシャツの女性がそれを指して〈父の森〉と呼びました。三十人ほどもいるでしょうか、横に並んだ服装も年齢もバラバラの女性たちが、素っ頓狂なオルガン奏者の演奏に合わせて、トンチンカンな歌を、見事なハーモニーで歌っていました。その見事にトンチンカンで素晴らしい歌唱を、五本の木に向かって歌い聴かせている姿が、さらなら異常性を醸しだしていました。女性たちの音楽は私たちの脳ミソを麻痺させて眠りにつかせるのと同時に、五人の父親たちの耳元にささやきかけて永い眠りから起こすかのようでした。

その様子は日曜日の歩行者天国の道端で、奇術師が怪しい縦笛のメロディーでもって壺の中のヘビを誘いだしているのにも似た構図がありました。やがてめったに風が吹かないはずのスタジアムの空間で、木という木の枝葉がユサユサと音を立てて揺れはじめました。


父の森で私がはじめて見たコインランドリークラブの五人の父たちは、誰も私の父とは似ていませんでした。私と血が繋がっているわけではないので当然ですけど、もちろんそういう意味で言っているのではありません。彼らはおそらく世界中のどんな種類の父親たちとも似ていなかったのです。彼らは五人が五人とも、まるで二十歳の若者たちのように見えるのです。着ている服装や髪型までがどこか二十歳の若者風なのです。二十歳の若者が二十歳以上の子供を持つのは理屈上不可能です。

私は動画撮影も忘れて、持ったスマホもそっちのけに、隣の倉持さんの顔を見やります。「これはいったいどういう状況なのですか?」と問いたげに。それでも当の倉持さんは「睦さん、拡大、拡大。ここは拡大撮影するところです」と、まるでこちらの真意の在処は忘れて、動画撮影の指導に熱をあげている様子です。


二十歳の五人の父たちは、私の戸惑いなど気にもせず、ゆるやかな芝生の勾配をおりてゆき、ランドリークラブのコーラス隊の横を素通りして、いよいよ母親たちのもとへと歩み寄ります。「待っててくれてありがとう、帰ってきたよ」といった感じで両手を広げて。二人の奇跡の再会まであと一歩といったところです。

帰ってくるのはいいとして、二十歳の若者になって戻ってくるなんて、リアリティ無視もいいところです。まるで荒唐無稽なおとぎ話です。

「これはいったいどういうことなんですか?」

気分を害した子供みたいに倉持さんに問いかけると、ようやく彼女は口を開いてくれました。どうやらこちらの驚き加減の度合いによって説明の仕方が変わるようなのです。

「父の木になった私たちの父は年齢を持たないんです。二十歳のときもあればもう少し年上の場合もあります。概ね若い年齢である場合が多いようです」

私が倉持さんの説明を黙って聞いていたのは、彼女の言い分に納得したからではありません。ほとんど思考停止状態にあったからです。

倉持さんによると、そのときの私の驚きようは上中下のうちの上で、あえて詳しい説明は省いたようです。

「まるでSFみたいな荒唐無稽な設定は断じて許せない実存主義者みたいな顔つきでしたよ」

倉持さんはそう言って、そのときの私をよくからかいます。


つづく

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