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父の森⑥

父の森の日曜コンサートはお昼前に終了するようにあらかじめ調整されています。完全予約制になっているので、コンサート終了後にスタジアムの外で昼食やお茶をとるカップル客と、その終了前に街中のお店で待ち合わせする一般のカップル客たちが、ちょうど正午を堺に入れ替えになる形になります。

そのために三鷹駅周辺の街は休日になるたびにカップルたちであふれ、さらに父の森を訪れる恋人たちは、どの老若男女も気前のいいお客さんたちばかりと評判で、地元の商店街はラブラブな空気に一日中包まれているようでした。


スタジアム周辺では木々と街と恋人たちが父の森を中心に、日曜毎の一週間のサイクルの中で、まるで自然界が築きあげたかのような素晴らしく調和した世界を描いていました。そこではなにもかもが嘘のように平和で、愛と愛と愛に満ちているようなのでした。

それでも、いついかなるときにも、輪の中には入れない、疎外された除け者はいるものです。どんなものにも例外はあるわけです。それが男女間の恋愛ともなればなおさらです。

その例外が私なのですけど、輪には入れない除け者であるのは、生まれ育った環境の影響もあってか、小さな子供の頃から慣れっ子で、孤独であるのは私にとって自然と同じぐらいにありふれた、ありたいていのものではありました。


男女間の恋愛にうんざりしていたわけでもありません。それが素晴らしいものであるのは、私にだって十分に分かっています。

ただ、そのときの私がかなり追い込まれた心理状態であったのは、誰にでも理解してもらえると思います。例えるなら、三鷹の植物園や東京女子コインランドリークラブの存在は、私にとって、決して大袈裟ではなく、人生最後の砦であったわけです。

ただ父の森が私の期待を裏切ったわけではありません。そもそも木になってしまった我が父に裏切られるって、いったいどんな状態をいうのか、想像すらできません。スマホで変換しても、「気になる」は一度ででてきても、「木になる」はでてきません。


あとになって分かったのですけど、私が父の森に失望したのは、倉持さんやほかの会員たちが、最初に日曜コンサートを訪れたときにわきだした感情に似たりよったりだったそうです。倉持さんは前もってそれをガラスハウスで「驚きと嫉妬」と名付けて、分かりやすく説明してくれていたのです。彼女は彼女なりに、日曜コンサートが持っているある部分の特徴にたいして、私のために予防線を張ってくれていたわけです。

ただ、当時の私はいかんせん若すぎました。ちょっとのことでも、すぐに大げさに反応してしまうのです。決して贅沢を言ってはいられないのは百も承知なのに。ひょんな出来事にも、すぐに「世界の終わり!」と叫んで大騒ぎする小さな男の子たちよろしく。


日曜コンサートが終了すると、私は倉持さんの昼食の誘いも断って、芝生の上でコンサートの余韻に浸る大勢のカップルたちを尻目に、長いエプロン姿の給仕たちをよそ目に、そそくさとスタジアムをあとにしました。朝までの相思相愛の関係はどこへやら、ここには一秒だって長居はしたくないといった風情で。

朝来たときの道をまっすぐたどって、そのまま駅の改札をぬけてプラットフォームの椅子に腰を落ち着けました。

ただ本当に困ってしまったのはそのあとでした。家に帰れば母が待っています。お昼時になった五月の私の心境ときたら朝に家をでたときとは真逆で、母を説得するより、そもそも母を説得して良いものなのかどうか、迷いはじめる始末でした。そうかといって、もう一度スマホを握って、日曜コンサートの様子をこの目で確認する気にもなれないのです。


「睦さん」

三鷹駅のプラットフォームで思い悩みはじめていると、隣りから聞き覚えのある声がしました。顔をあげて振り向くと、トートバッグを肩に下げた倉持さんが立っていました。

「まだ間に合うかなと思って、駆け足できました」

倉持さんは言いました。彼女の親切には本当に頭が下がる思いです!

「一つだけ大切な事情を言い忘れてました。掛けてもいいですか?」

私がうなずくと、彼女は息を一つ落ち着けてから話しをつづけました。

「これは私たち東京女子コインランドリークラブ内だけの秘密なんですけど、とても重要な事柄なので、やっぱりお伝えしておこうと思って」

私がまたうなずくと、倉持さんはゆっくりと言葉を選ぶように話しました。

「本当はですね、父の森なんて存在しないんです。父の木が本当にある場所は、私たちの姉たちしか知らないんです」

私も言葉を選ぶように、ゆっくりと聞き返しました。

「よく分からないんですけど。それってまた父の森ジョークではないんですか?」

「いいえ本当です。これは父の森ジョークではありません。魔王に誓って本当です」

倉持さんは私の顔を覗き込んで、自分の鼻の下にVサインを作ってみせました。


つづく

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