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父の森④

「私たちの父と母の二人は、よく織姫と彦星とか、ロミオとジュリエットといった、悲劇的な恋愛物語の主人公に例えられるんです。日曜日の織姫と彦星、あるいは三鷹の森のロミオとジュリエットと呼ばれたりしています」

「三鷹の森というのは、正確に言うと三鷹の森の中央線の反対側にある森ですよね?」

「そうです。すみません。言葉が足りませんでした」

「いいんです。でもそういうふうに言われると、なんだかとてもロマンチックな話しに聞こえます」

「ええ、そうなんです。ここを訪れる人たちにとって、父の森は物語に相応しい特別な場所なんです。私たちの両親は物語に登場する主人公のカップルたちにも等しいんです。大袈裟に表現したなら、父の森は来客される男女にとって夜空を流れる天の川であったり、イタリアのヴェローナめいた聖地になってるんです」


はじめて三鷹の植物園を訪問した平日の午後、私は倉持さんと一面ガラスに覆われた園内のカフェに入って、使い込まれ古びれた木製のテーブルを挟んで、コーヒーを呑みながら植物園とコインランドリークラブについて詳しい説明をうけました。

正直言いますと、家をでるときには、これから親が入居する予定になっている施設の説明会に赴く緊張感が心の中を占めていたのは事実です。

でも五月の鮮やか陽光が降りそそぐガラスハウスの中で、豊かな植物たちに囲まれながら倉持さんとの会話がいざはじまると、私はこれまで暮らしていた街から、どこか遠く離れた空間へと連れていかれてしまったような、そんな心持ちがしていました。まるで自分までが森の一部に同化していくかのような。


カフェでは白シャツに膝下まである丈の長い黒エプロンを腰から巻いた長身の男性ウエイターばかりがキビキビと働いていました。

無造作に並べられた木製のテーブル席のまわりには大小様々な植物が植えられていて、さながら私たちお客さんは、森の中で淹れたてのコーヒーをロミオや彦星に給仕してもらっているような不思議な気分でした。街中にあるカフェや喫茶店でコーヒーを呑んでるのとはまるっきり違っていて、それはスニーカーのソールが普段よりちょっとだけ地面から浮いているような体感に等しいのです。


コインランドリークラブでは、これから入会する女性への説明は、年の近い、なるべく入会して間もない会員が担当するのが伝統のようです。

私は当時大学二年生で、倉持さんは三年生でした。ともに文学部に通う学生であるのは同じでしたけど、出会ったときから彼女は私とは対照的でした。倉持さんは『赤毛のアン』みたいにいつもきれいに編んだツインの三つ編みをしていて、ノリの効いた白くパリッとしたワイシャに淡いベージュ色のロングスカートを合わせていました。

それに比べて私は、良く言ってショートヘア、悪く言ったらボサボサ頭の、ヨレヨレの作家Tシャツにいつも古びれたジーンズ姿でした。

それでも会った瞬間から、「この人が放つバイブとはなんだか波長が合いそうな予感がする」と、彼女が使う言葉の端々から感じてはいたんです。

決定的だったのは、倉持さんが私の着ているTシャツの胸を指して放った言葉でした。

「カート・ヴォネガットがお好きなんですか?」

まるでコーヒーを運んできた森のカフェの給仕が、「クリームはお入れしますか?」と、あくまで職務的に尋ねるみたいに彼女は訊いてきたんです。


植物園を初訪問したばかりの私は、東京女子コインランドリークラブが作家たちの卵の巣になってるのをまだ知りません。知ってたら、作家Tシャツなんて着てこなかったでしょう。いいえ、分かりません。その日は暑いぐらいの五月晴れの日でしたし、私ときたら持ってる服はそんなのばっかりだったからです。

「これ、うちの大学の生協で売ってるんです。みんな着てます。文学部のユニフォームみたいなものです」

そのときの私は、とっさに適当な作り話しをして誤魔化したような気がします。なんだか文学部に通う者同士の自慢競争みたいでつくづく恥ずかしいんですけど。


その昔、ヴォネガットはアメリカの学生たちの間でとても人気のあった作家だったそうなので、考え方によっては文学部に通う日本の学生がそれを読んでいても、「猫はマタタビ、犬は穴掘り」並みに当たり前の事例であり、そのイラストが胸に描かれたTシャツを着ていて、それを誰かに指摘されたとしても「恥ずかしがる必要なんて一つもない」と、あらためて私に教授してくれたのは、当然のように目の前の椅子に座っていた倉持さんでした。

彼女は隣の椅子に置いた深緑色のトートバッグの中から一冊の文庫本をとりだし、テーブルの上に置いて私に見せました。それは読みすぎて裸の扉がボロボロになってしまった『マジック・フォー・ビギナーズ』でした。


『マジック・フォー・ビギナーズ』というタイトルが付いていても、べつにマジシャンや魔法使いになるための入門書の類いではありません。れっきとした米国産のファンタジー小説です。

倉持さんは読みかけの文庫本を、それも「持ちやすいから」という理由だけで買ったそばからいつもカバーを外している文庫本を、パンパンに膨れているトートバッグの隅に普段から入れて持ち歩いています。文庫本になった『マジック・フォー・ビギナーズ』のカバーイラストはとても素晴らしいので、ちょっと残念な気持ちにもなりますけど、その文庫本を持ち歩いている人と大学の門の外で出会う確率は、ヴォネガット好きの人と出会うよりもさらに低くなりそうなので、それは些細な出来事でまったく問題にはなりません。

倉持さんは着ているYシャツのノリと同じぐらいにパリッと真っ直ぐに、向かいの私に言いました。

「『マジック・フォー・ビギナーズ』は東京女子コインランドリークラブの教科書にもなってる一冊です。睦さん、ぜひ私たちのクラブに入会なさってください」


そんなわけで倉持さんの「日曜日にもう一度来てください」というアドバイスを快く受け入れ、家で駄々をこねている母に見せるために動画撮影用にスマホの予備バッテリーをリュックに入れて、私は次の日曜日に父の森を再訪したのでした。

東京女子コインランドリークラブは、発足者である女性の両親が都内でコインランドリーを経営していたのがその名の由来になっています。

女性が両親からコインランドリーを引き継ぎ、私たちがコインランドリーと女性の意志の両方を引き継ぎました。東京女子コインランドリークラブと彼女の意志を足すと父の森になります。

私たちの父と母は三鷹の植物園で半永久的にファーストデートを繰り返します。素晴らしい日曜日が訪れるたびに。来客たちはみんなで彼や彼女たちのファーストデートを優しく見守るギャラリーめいた格好です。


クスノキは常緑広葉樹です。とても大きく成長する木で、日本の十大巨木にはクスノキが一番多く選ばれています。鹿児島県以外にも、兵庫県と熊本県の県木になっていて、私が最初に訪れた日曜コンサートの日には、コインランドリークラブの古くからの会員である広瀬さんの父の木にあたる、熊本県出身のクスノキも選ばれていました。

いつもですと、日曜コンサートにはたいてい十本から十五本程度の樹木が父の森に登場します。ただし広瀬さんのクスノキのような巨木が一本でも登場すると、その樹冠だけで植物園のグランドのライト方向からレフト方向まで一杯に広がってしまうために、当然のように登場する父の木の総本数は少なくなり、それに合わせて芝生に上がる私たちの母の人数も少なめになってしまいます。

私が訪れた最初の日曜日には広瀬さんのクスノキが登場したので、父の木は全部で五本だけでした。本数はいつもより少なめですけど、でもそれで寂しいということはありません。広瀬さんの父の木であるクスノキは、私がそれまでこの目で見たどの木よりも大きかったからです。


日曜コンサートでは撮影は基本自由です。ただ、なによりも直に体験するのが重要なイベントなので、お客さんたちの男女の中でそれを写真や動画に収めようとする人は見当たりません。芝生の真ん中に恥ずかしげもなくスマホのレンズを向けているのは、ギャラリーの中で私一人だけでした。

私のスマホの画面には五本の父の木が映しだされていました。熊本県の県木であるクスノキ、北海道のエゾマツ、宮城県のケヤキ、山形県のさくらんぼ、香川県のオリーブの五本です。芝生の中央に寄りつつ、それぞれの枝がぶつからないように上手にグランドに広がっています。

ケヤキやエゾマツも大きな木ですけど、広瀬さんのクスノキの巨大さは別格です。葉っぱでできた丘みたいに広々とした樹冠を撮りこぼさないように、レフト方向からライト方向へと、私はゆっくりスマホのレンズをパンしていきます。


コインランドリークラブが歌う『キャンティのうた』の逆回転を辛抱強く我慢しながら、スマホの画面とにらめっこしつつ私が一つ思ったのは、当たり前と言われれば当たり前なのですが、やはり父の木は森や山林に自然に生えた樹木とはちょっと性質が違うのではないかしらんという観察からくる推理でした。

まず、自然界では北海道の木と呼ばれるエゾマツと、寒さに弱いとされるクスノキではそもそも生態系が違っていて、同じ地域に共存するのは難しいはずです。それにコインランドリークラブによる逆回転の奇天烈な合唱に合わせて、おもちゃのフラワーロックよろしく一様に枝という枝を揺らしはじめた父の木なんですが、これが自然の樹木であったならかなりの花粉が飛散していたはずです。季節はもう初夏にはなっていましたけど、それでも巨大な樹冠が台風みたいに揺れているのであれば、花粉症の人などは逆に建物の外へと退避しなければならなかったでしょう。それなのにギャラリーにいる私たちの鼻先を揺らしているのは、葉の方向を調整して揺れているのか、微かな微風だけなのです。


初日にもかかわらず、私の素人的な観察力はそれほど的外れなものではなかったと自負しています。ただしそれも超自然的とも言える父の森の前では赤ちゃん同然でした。少しあとになって、ようやく倉持さんが薦めた本当の理由を私は分かりはじめたのです。

家で待っている母に見せるために、日曜コンサートの模様を隅から隅まで撮りこぼすことなく撮影しようと決めていた私です。そうすることによって、きっと母は心変わりしてくれるはずだと倉持さんも勧めてくれたのです。

それなのについ撮りこぼしてしまったのです。スマホのレンズを向けるのを忘れて呆然としてしまったのです。「ここです。ここを撮影してください」と隣の倉持さんに肩を叩かれて、ようやく我にかえる始末でした。

ただ言いわけをするわけではないのですけど、私は父の森から送られてくる微風につい気持ちよくなってウトウト眠くなってしまったわけではありません。それどころか逆に私は、父の木から送られてくる奇妙で怪しいサインに見惚れてつい夢中になってしまったのです。


モヤモヤしたどこか植物的とも呼べそうな緑色の微かな光が、父の木と芝生の間を漂っていました。その数は五つで、ちょうど父の木の本数、ということはその日芝生の上に立った母たちの人数と同じでした。

そのとき私は『未知との遭遇』というUFOをテーマにしたSF映画のワンシーンを思いだしていました。場違いかもしれませんけど、思いだしてしまったので仕方ありません。父の森を囲んだ私たちギャラリーが、ちょうどUFOを追いかける野次馬のUFOマニアたちのように感じたのです。

そのとき映画の中でUFOマニアたちが夜間に遭遇したのは、たしか本物のUFOではなく、マニアたちを追い払おうとした警察のヘリコプターのライトだったように思うのですけど、私が父の森で目撃した光は正真正銘、本物の父親たちでした。五人のコインランドリークラブの会員の父親たちでした。

彼らはUFOに拐われたあとに地球にもどってきた人たちみたいに光の中に姿をあらわしました。あるいはトウモロコシ畑からあらわれた、古式ゆかしいユニフォームに身をまとった五人の野球選手たちみたいでした。


つづく

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