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父の森③

イチョウの木が東京都の県木です。イチョウはイチョウ科の落葉高木です。父の森植物園はそのいちょう並木にぐるりと囲まれて、まわりの静かな住宅地と区切られるようにして建てられています。

甲子園球場みたいに蔦のからまった外壁のゲートを通って園内に足を踏み入れると、そこには人口でできた森めいた空間が広がっていました。綺麗に刈りそろえられた緑豊かな芝生が絨毯みたいに一面に広がっていて、こんもりと隆起した中央部分に大小様々な樹木が十五本ほどスタジアム内のオアシスみたいにそそり立ち、生い茂っているのです。高い樹木の先端には澄んだ青空が円の形に切り取った感じにくっきりと広がっていて、そこではいつも小枝の先端を揺らす小鳥たちが羽音を響かせながら、「ここは私たちの楽園です」とばかり、自慢げにさえずりつつ来園した人々の耳を楽しませているようでした。


もうだいぶ以前の話しになりますけど、はじめて三鷹の植物園を来園した日、私はその場所がいっぺんで気に入ってしまったのを覚えています。ここが将来の自分にとって大切な場所になるのが、直感で理解できたのです。

それは倉持さんとのはじめての出会いでもありましたし、来園したのが初夏だったのも好印象を与えたのかもしれません。初夏は眩しい日差しに照らされた芝生と樹木の緑が、一年を通して一番輝いて見える季節だからです。その輝きは、落ち込んでいる私たち家族に一抹の希望を与えてくれるように感じたのです。

その日、私は父の木の処遇を決めるためにはじめて植物園を一人で訪れたのですけど(高さ三十メートルのトチノキに成長した父の木は区役所の中庭に一時保管された状態でした)、まだ〈ある父親たちの災難〉のショックから脱けだせずに一人家で留守番をしている母のためにスマホで写真を何枚も撮りながら、私の目に映っているこの希望の木漏れ日が、スマホの写真にもちゃんと残っているといいのだけどと心配していました。


どちらにしても父の木は植物園に栽植するよりいい手は当時も今もなさそうでしたし、木になった父を引き取ってくれる植物園は世界中探しても三鷹の植物園以外にないのは事実でした。しかも植物園の方でも「ぜひうちに来てください」と言ってくれたので、私たち家族にほかの選択肢は事実上存在しないわけだったのです。

それでも問題なのは、やはりどうやって母を言葉で説得するかでした。やっかいなのは、うちの自宅には狭いながらも土の庭めいた土地が残っていたことです。それでも自転車二台停めるのがやっとの広さです。しかも日差しのまったくない日陰なのです。

これでは虐待です。もとは人だった三十メートルのトチノキをそこに植えるのは無理があります。植えられる方もたまったものではないでしょう。


個人的な家族の事情で困っていた私は、当日に植物園の案内係を務めてくれた、雲みたい白く清らかなシャツを着たコインランドリークラブの若い会員さんに相談をもちかてみました。彼女は答えました。

「それでは今度の日曜日にもう一度植物園にいらっしゃってください」

女性はあっさりと言いました。

「平日の植物園と日曜日の植物園はまったくの別物です。日曜日には特別なイベントがあります。その様子をご家族がご自身で写真なり動画なりに撮影なさってお母さんにお見せしたら、きっと心変わりなさるでしょう」

「ほんとですか?」

「ええ、希望はあります。私の父は鹿児島県出身です。もともとは痩せ型だった父は、ある日、幹回りが五メートル以上もある巨木のクスノキへと大変身をとげました」

年が近いからか、つい大胆になって、私はコインランドリークラブに所属する彼女たちに以前から聞いてみたかった質問をここぞとばかり投げかけます。バカな質問でしたけど、どうしても会員の口から直接聞いてみたかったんです。

「失礼かもしれませんけど、あなたにもお姉さんはいるのですか?」

倉持さんは顔色一つ変えずに答えます。

「ええ、います。とても美しい姉が一人」

もしもいまの私が年下の女性から同じ質問をされたらどうでしょう。一瞬でも表情を曇らせるでしょうか。いいえ、そんなことはやはりないと思います。若い頃だったらどうだったか知りませんけど。


日曜日の父の森はちょっぴり違います。物静かな平日の森とは。恥ずかしげもなく正直に言ったなら、果てしなく違います。

世間には日曜日になると家族みんなに手作りのカレーライスをご馳走するお父さんはいます。歳末になると家族全員に大掃除の号令をかけるお父さんもいます。でも私たちのお父さんは、日曜ごとにびっくりするようなデートプランをお客さんたちみんなにお見せしてみせるんです。日曜日はお父さんたちの祝日です。またの名を素晴らしき日曜日ともいいます。家族みんなのカレーライスと大掃除のあとの年越しそばと、その二つを足したよりも群を抜いています。


植物園内の父の森で毎週日曜日に開催されるコンサートは、その名のとおり日曜コンサートと呼ばれています。日曜日の父の森には特別なルールがあります。

平日の植物園では、お客さんであるカップルたちは、普通に芝生の上で休んだり、記念撮影をしたり、交代交代で父の木の幹にお互いの手をそっと添えたりして時を過ごします。若いカップルたちは自分たちの未来におまじないをかけるみたいに。年の入ったカップルたちは壊れかけた関係をもとの鞘にもどすために。

その様子を眺めていると、彼や彼女たちは一緒になって、どうにかして未来と過去の時間になにかしらのおまじないをかけているようにも見えます。

日曜日の植物園では、彼や彼女たちにもそれなりの役割が与えられます。またカップルたちの方でもその役割に参加するために大勢の方が遠くから、それもときにネットで噂を聞きつけた外国からも、来客するようです。


日曜コンサートのはじまりは、いつも私たちコインランドリークラブがオルガン付きの伴奏で歌う『キャンティのうた』と決まっています。『キャンティのうた』は古い古いアニメ『アンデルセン物語』のエンディング曲です。私たちはそれを心を込めて歌います。心を込めて逆回転で歌います。オルガン演奏者は酔っ払ったみたいに逆回転で演奏します。一語一句間違いのないように。一音一音間違えないように。間違えたらそこで時は止まってしまいますから。時が止まったら、当然のように父たちは姿をあらわしません。

私たちはとてもゆっくり歌います。オルガン演奏者もとてもゆっくり演奏します。『キャンティのうた』を逆回転で。頭上の小鳥たちはおかしな様子に気がついて、回転速度がコロコロ変わるコインランドリーを見下ろしているみたいにめまいを感じて枝に留まり黙り込みます。


てれもうにくぎなひ

くぎなひ

でろこといなら知かつい

のたっ会出とたなあ

とたなあ

でろこといなら知かつい


東京女子コインランドリークラブには決まった制服はありません。胸につけるお揃いのバッヂもありません。私たちの格好はてんでんバラバラでまとまりがありません。コーラスさえハマっていればそれでいいという感じです。その一点だけに集中します。

初夏の私はいまも昔も、いつもたいていヨレヨレのTシャツを着ています。胸にクタクタした作家さんのイラストが入った作家Tシャツです。いつもたいていアイロンのきいた白く清潔なYシャツを着ている倉持さんとは対照的です。でも私たち二人はともにそれしか持ってないという点では共通した友人同志です。

コンサートの間、私たちは森を半円になって取り囲むように父の木たちに向き合います。コーラスがやはり円状したスタジアムの壁にあたって波状効果を生んで輪唱みたいになって、スタジアムの中の時間の逆方向への速さを加速させます。

シンデレラは階段で脱げ落ちたガラスの靴にふたたび足をとおして宮中の舞踏会へと舞戻り、王子様とダンスに興じます。美しい白鳥はみにくいアヒルの子へと成長します。長々と伸びたピノキオの鼻は短くなって、やがてお爺さんとさよならして、一本の木として森へ帰っていきます。


私たちは壊れたテープレコーダーみたいに、古いブラウン管テレビで流れていた、いにしえのアニメのおしまいの歌を繰り返し繰り返し逆回転で歌います。オルガン演奏者は何度も繰り返しメロディーを逆回転で演奏します。頭がおかしくなった歌い手たちと演奏家の集団みたいに。

植物園に集まったお客さんたちはスタジアムの壁に背中をつけて、土と芝生の端境で、ずっとそのおかしな歌と演奏に我慢強く付き合っています。

あるいは彼や彼女たちは、自分たちが父の木にかけたおまじないの効果のほどをじっと目視で確認しているのかもしれません。植物園の日曜コンサートは、コインランドリークラブとお客さんたちとのチームによる共同作業なのかもしれません。


やがて父の森がざわつきはじめます。伸びた枝を武者震いさせるみたいにバサバサと揺らしはじめるのです。自分たちより何百倍も大きな地上の十五羽の巨鳥ががついに永い眠りから目覚めたと勘違いして、ビックリした小鳥たちが逃げるようにスタジアムの外へと短い悲鳴とともに一斉に飛び去っていきます。

父の森はまるでそれ自体が歩きだすかのように激しく揺れだします。すると海底の底で生き延びていた一頭の恐竜が、海岸の灯台の霧笛にこたえて鳴きはじめるように、それまでスタジアムの控室で休憩していた私たちの母がようやくゲートから姿をだして、芝生の上へと降り立ちます。

総勢約十五名からなる(つまり森の父の木と同じ人数の)母たちは、横一列に並んで青々とした絨毯を登ってきます。そして歌う私たち娘の少しうしろで立ち止まりふたたびそこで待機します。日曜日はお母さんたちの祝日です。

父と母の日曜日のファーストデートの待ち合わせ時間はもう直ぐそこまできています。


つづく

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