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父の森②

どうして私たちコインランドリークラブの父親たちがよりによって木になってしまったのか、話すと長くなります。あまりに長く複雑で、尚且つ込み入ったそれぞれの家庭の事情もあるので、ここではまず順序として、父のホームグラウンドとも呼ぶべき父の森の方からお話ししたいと思います。


父の森植物園は位置的に中央線のレールを堺にして、三鷹の森の反対側に存在する植物園です。以前は個人農家のビニールハウスに毛が生えたような小ぢんまりとした建物が二棟あるだけの、住宅地の木立の陰に隠れて見えない、地元の人にも気づかれない、公共施設だったそうですけど、現在ではスタジアムめいた立派な建造物に生まれ変わりました。郊外の林に囲まれた場所に、木立なみに背の高い円形状の近代的なスタジアムが突然私たちの前にあらわれるのです。


日曜日の朝に父の森植物園へと向かう巡礼の人々の列は、大まかに言って二種類のグループに分かれています。若い方とそれほど若くない方です。どちらの方も男女のカップルによって構成されています。私と母のような親子の組み合わせがそこに朝から通ってくるのはむしろ例外的です。父の森植物園は自然を愛する人々というよりは、ずばり男女間の性愛によって構成された、世にも珍しい植物園なのです。

男女の性愛のための植物園と聞くと、クリスマスイブのホテル街よろしく眉をひそめる人たちがいそうです。とくに自然保護の観点からは白い目で見られるかもしれません。

でもよくよく考えてみると、そんな風変わりな植物園が一つぐらいあった方が世の中のバランスには良さそうです。商売繁盛の神社があるみたいに、恋愛成就の、愛情復縁の、緑濃い豊かな広々とした植物園が一つぐらいあった方が。父の森が栽植されるようになってからは、赤字つづきだった植物園の経営状態はあっという間に改善されたのだそうです。


「お母さん、お父さんが恋のキューピットになるなんて夢にも思わなかったよ。お父さんね、若い頃はすごく奥手な人だったんだ。女性となんてめったに会話しない、奥手の日本代表に選ばれそうな人だったんだよ」

「奥手の日本代表」が母のお気に入りのフレーズです。よほど気に入っているのか、三鷹の通りを歩きながらいよいよ植物園の建物が近づいてくると、いつも口癖のように唇がある場所までのぼってきます。

まるで自分の夫を行列の人たちだけでなく、そこで暮らす街中の人々みんなに自慢したそうに誇らしげに母は通りを歩いていきます。いつでも明るい表通りを歩いていきます。そして口癖を無事放ったあとには、決まって巡礼の人々の列をさも嬉しそうな眼差しで列の遠くまで見やるのです。「ようこそお越しくださいました。どうぞごゆっくり。私の夫をよーく、よーく、見ていってあげてくださいね」とでも言いたげに。


お父さんの身に〈ある父親の災難〉が起きた当初は私だけではなく、お母さんも随分大変そうで、柄にもなく日毎無口になっていき、やつれたりもしました。家の外にでるのでさえしんどそうでした。自分の夫が一本の木になってしまったという現実をどうしても受け入れるのができなかったのです。それはそうです。受け入れられるはずがありません。

でもコインランドリークラブのみんなの手助けによって事態は次第に好転していきました。お父さんは私たち家族の前からいなくなってしまいましたけど、多くのものを私たちに残していってくれました。経済的なものもそうですけど、なによりも見ず知らずであるはずの大勢の人々がわざわざ父に会いにきてくれるというあらたな行為が、母の励みになったようでした。


スタジアムに近づいてくると、それぞれの道々をやってきた人たちが一つのルートに集まりはじめて、前の方から聴き覚えのある鼻歌まじりの人声が聞こえてきました。倉持さんです。いつもどおりシンプルこの上ない白いワイシャツを着ています。

前もって植物園のスケジュールをチェックしていた私は、母に合図して一人先にいって肩を叩いて挨拶しました。

「倉持さん、おはよう」

「あらおはよう、睦さん」

「お母さんは?」

「あとから来る。今朝は用事があるみたい。コンサートには間に合うって」

「お父さんの木、スケジュールに名前がでてたわね」

「うん。睦さんのお父さんもね」

「それで鼻歌で歌ってたのかしら」

「そうよ。やっぱり自分のお父さんがでてる日は気持ちの入り方が違うと思うの。そうじゃない?」

「それはそうね」

そう言って私たちは、登校中の中学生たちみたいなって通りを一緒にハミングしていきます。曲は私たちのお気に入りで、いつもランドリークラブの二階の事務所に集まっては練習を重ねている、その日にはコンサートのレパートリーにも入っていた、『いつも何度でも』です。アニメの主題歌や童謡が私たちコインランドリークラブが得意とする演目です。


母と倉持さんと一緒にスタジアムの入場口から入って通路を抜けると、外の眩しい初夏の日差しが差し込んできました。球場のグランドのような植物園には天井はありません。代わりに以前のガラス張りの植物園がそれぞれ二つに別れて円形のグランドの隅に野球のベンチみたいにおさまっていて、雨宿りもできるカフェにもなっています。

スタジアムの地面には球場や公園みたいに芝生が引き詰められていて、来客した人々がどこでも好きな場所で好きなだけ日差しの下で休めるようになっています。

そして芝生のグランドの中央には、植物園の主役とも呼ぶべき、大きさも背丈もバラバラな、まるで現代の多様性を象徴するかのような父の木たちが一ダースほどが集まり、肩を寄せ合うようにして生えています。


父の木の大きさや背丈が一様に違っているのにはちゃんとした、それがちゃんとした呼べるのであれば、理由があります。科学的な、それに植物学的な、根拠は不明ですが、父親たちは自分たちの故郷の所在地の県木に変身するのです。栃木県で生まれ育った私の父は、当然のようにトチノキになりました。

三十メートル近い巨木の広葉樹へと成長した父の木を見上げて母は言います。

「おはよう、お父さん。来たわよ」


つづく

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