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父の森①

「どうしても父の森が見つからないという方には、片方の瞼にそっと手をあてて、もう片方の瞳だけで見る方法をお薦めしています」

「父の森なんてどこにも存在しないと言う人がいます。父の森はどこにだって存在すると言う人もいます」

『東京女子コインランドリークラブ』の会報より


昔々、東京のとある街にのちに作家を志すことになる一人の若い女性が暮らしていました。上に三つ年上の姉がいて、その姉の影響で本好きになった、どちらかといったら地味な、いいえ確実に地味な、女の子でした。

それがいまの私なんですけど、いまもそしてまだ学生だった当時も、自らすすんで作家になりたいと思った経験は、一度もなかったような気がします。むしろ周囲の特異な環境によってそう仕向けられというのが実情です。そういう意味で、外国の歌の詞にあるように、私は宿命の女だったのかもしれません。作家という職業はなりたくてなるものではないように思えます。子供がアニメにでてくる大泥棒になるのを夢見るのと、実際に人が大人になってから大泥棒になるのとでは、まったく事情が違ってきます。


私が会員になっている東京女子コインランドリークラブも職業としての作家という立場の困難さに等しく、たとえ入会したくても誰でも入れるというものではありません。そこには厳格な入会規定という高いハードルが存在します。

東京女子コインランドリークラブとは、「不幸にも、美麗で派手な容姿をした女性を姉に持つ、哀れな次女たちのみ限定」という、かなりハードな入会規定を設けた世にも珍しい団体です。ちなみにその団体はネーミングだけでなく、実際にコインランドリーを経営しています。

これからするお話しは、その厳格な東京女子コインランドリークラブの会員規定に誓ってすべて真実です。ただし多少の誇張は含んでいます。誇張を込めるのが物書きにとっての現実に対する真実であり、ファンタジー作家にとっての宿命であるように思えるからです。東京女子コインランドリークラブの会員には物書きになった女性が多いので、この例外は許してもらえると自負しています。


月に一度、母と一緒に東京の中央線の下り電車に乗って父に会いにいくのが、学生だった頃の私の習慣でした。

父に会いにいくのは、学校が休講の日曜日と決まっていました。でもそれは第一日曜日だったり、第二日曜日だったり、第三日曜日だったり、第四日曜日だったり、月によって変動する移動祝祭日みたいにコロコロと代わるのが常でした。

行けば必ず父と会えるというわけではありませんでした。それでも私の父は約束を守らないフーテンだったわけではありませんし、その日の様態によって会えたり会えなかったりする入院中の患者さんだったわけでもありません。


父に会うためには、必ず当日の朝になってからインターネットでそのスケジュールを確認する必要がありました。

こう書くとまるで父がアイドルみたいな人気者か、はたまた著名な芸能人だったみたいに思えるかもしれません。

たしかにある意味ではそうです。私の父にはアイドルなみの人気があり、芸能人ではありませんが、有名人ではあります。ただ当日になった日曜日の朝に私たち家族が確認しなければならないのは、アイドルや有名人のスケジュールではありません。それは東京郊外にある植物園のスケジュールなのです。まるで上野動物園のパンダみたいです。


日曜日の午前中になると、中央線は上りも下りも妙な混み方をしました。休日にもかかわらず、どちらの方向の電車に乗車しても大抵同じように混んでいるのです。

それは私たちの目的地である植物園が中央線沿いのほぼ中心の駅に位置していて、休日ともなれば老若男女の来客で混み合う人気スポットになっているためでした。

母と私は、植物園に向かうときはいつも二人して並んで神妙な顔つきで電車の吊り革を握っていたものです。回りの乗客たちに対して申しわけないような、少々後ろめたいような、生まれてはじめて経験する複雑な心持ちがしていたのです。

その感情は私たち家族だけでなく、東京女子コインランドリークラブの同志たちもみんな一様に抱いていたようです。入会して最初に仲良しになった一つ年上の倉持さんが、そのときの中央線的な感情をあとになってこう表現して伝えてくれたのをいまでも覚えています。

「母と二人そろって電車に乗って、裏口入学のための特別面接会場に向かっているような気持ちがしました」

倉持さんの名誉のために一言添えておくと、彼女は決して実際には裏口入学はしていないそうです。あくまでも一つの例えです。

東京女子コインランドリークラブに入会して心からよかったと思います。私の父が〈ある父親たちの災難〉にかかったとき私は大学生でしたけど、親身になって相談できる相手がいてくれて、本当に助かりました。もしも彼女たち、ランドリークラブの次女たちの助けがなかったら、私はどうなっていたか分かったものではありません。


中央線を下車して、人々の行列と一緒に植物園に向かって歩いていると、私たち家族の後ろめたさはしだいに消えていき、イブのような、大晦日のような、厳かな気持ちが胸の中を占めていきます。おそらく植物園の来客たちと長い間を共にしたからでしょう。彼らの心模様が私たち家族にも移ったようでした。彼ら植物園の来客のほとんどは、私たちランドリークラブの娘たちの父をまるで御神木のように崇めている信者めいた人々なのです。

「お姉ちゃんも誘えばよかったんじゃない?」

信者に感化された母が歩きながら私に言います。毎月同じように言います。「お姉ちゃんも誘えばきっと来たんじゃない?」とか、「旦那さんを誘えば、お姉ちゃんだって来たんじゃない?」とか。

いつも外出するとき母は姉と私が誕生日にプレゼントしたワンピースを着てきます。私は母が愚痴るたびに彼女が身につけたそのワンピースの生地の肩に向かって首を横に振ることになります。小さく、でもきっぱりと横に振ります。


つづく

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