帽子サラリーマン①
東京で働くサラリーマンたちが大げさな帽子をかぶるようになったのは、冬の寒さの和らぎはじめた、春先になってからのことでした。
もう長い間、帽子をかぶった勤め人など、めったに見かけなくなった世の中ではありますけど、どういう気まぐれからか、彼ら東京のサラリーマンたちは大正時代のダンディさながら、子供の頃に野球帽や通学帽子ぐらいしかのせた経験のなかった頭に、いつものグレーや紺色のスーツの上に、チャップリンめいた古式ゆかしい黒い山高帽を装いはじめたのです。
それは東京の街が大昔にタイムスリップしたというより、現代の都会の風景に、それもサラリーマンの頭のてっぺんだけに、傘をさしたハイカラさんが舞い降りたかのような光景でした。
冬の終わりともに彼ら東京のサラリーマンたちはデスクワークを早目に切り上げるようになり、外回りのセールスマンたちはその途中でいつものルートから外れるようになりました。
彼らは銀座の百貨店や青山の帽子店に押しかけては思い思いに街をねり歩き、自分の頭にのった丁度いい具合にカーブのかかったつば先のシルエットを夢想しながら、お目当ての一品を探し求めるのでした。
ただ、彼ら即席ダンディたちの人数はあまりに多く、また勤め人たちが帽子をかぶる習慣も随分前にすたれてしまっていたので、時流を無視した突然の流行に、帽子問屋の在庫だけではまったくお手上げな状態で、街の様子の変化に敏感な人たちが、「なにやら道行く勤め人に山高帽をかぶった伊達者の姿が目立ちはじめたな」と感じるようになった頃には、どの百貨店や帽子店の棚もすでにスッカラカンな有様になっていました。
それで急ぎ帽子店の店主や売り場のマネージャーは問屋に発注をかけて、問屋の社長は日本全国に散らばったミシン工場をしらみつぶしにあたり、工場では古いミシンのカバーが外されて何年か振りに機械油が差されて、かつての腕に覚えのある職人たちがふたたび雇われることになりました。
東京のビルのオフィスでは、まだ自分の頭を飾る素敵なマスコットのチンチロリンとめぐり会えていないサラリーマンたちが、店からの入荷を知らせるメールを待ちつづけているのでした。
上野や中央線沿線の桜もやがて散り、日中の陽射しに賑やかさが増してくると、サラリーマンたちの頭にもようやくそれぞれのお気に入りの帽子がいき渡りはじめました。
彼らはいち早く在庫を手に入れることのできた、最初期の黒山高帽子をかぶった第一帽子サラリーマンにたいする第二帽子サラリーマンにあたるのですが、その特徴はなんといっても、その色にあります。黒一辺倒だった第一帽子サラリーマンたちにたいして、彼らの山高帽は、それぞれお菓子のマーブルチョコめいた七色のカラフルな色をしていたのです。
第一帽子サラリーマンたちは東京の街にモノクロの大正ロマネスクを持ち込んだ感がありましたけど、第二帽子サラリーマンの出現は東京の風景をわずか一日で七色のお菓子の街に一変させました。銀座に丸の内に新宿に、彼らは街という街に、色による革命をもたらしました。ビジネス街をファッションショーやカーニバル会場やサーカスのテントに衣替えしてしまったのです。
これまでずっと都会の地味な存在を代表していたかのような、グレーや紺色したお決まりのスーツに身を包んだ笑顔の消えたアンドロイドめいた集団。その東京のサラリーマンたちによる予告なしのハッチャケぶりは、周囲の人々を困惑させ、混乱の渦へと陥れました。それは誰も見たことがない奇妙で謎に包まれた、帽子を使ったパフォーマンスでした。多くの人々が、「これは数々の企業参加によって画策された経済的な催しの一環であるのに違いない」と思い、自分自身を納得させているかのようでした。「だって会社や上司の命令でもないかぎり、アンドロサラリーマンたちが一致団結するなんてあり得ないし、そもそも灰色サラリーマンがマーブルサラリーマンに変身したところでなんの得があるのかしらん」と。
駅員が、交番の警官が、OLが、通学途中の高校生たちが、建築現場の作業員が、コンビニの店員が、店のシャッターを開ける商店街の人々が、そして会社玄関で彼らを出迎える警備員が、口を開けたまま、自分たちが目にした光景の意味するものを、その答えを、黒と七色の帯が流れる空気の中に探し求めました。
でも答えは見つかりません。というのも、帽子サラリーマンたちは自分たちの頭のてっぺんにのっかっているチンチロリンについて判で押したようにまったく語ろうとはしなかったからです。
彼らは口を閉ざしました。頭の上のレゾンデートルについて。誰もが朗らかな営業スマイルを顔に浮かべながら、軽々しく論点をはぐらかそうとしました。
取引先の問屋の主人から「ところでさっきから頭にかぶってるそれはなんなんだい?」と問い詰められても、行きつけの店の女将から「それ誰からのプレゼントなのよ?」といじられても、同じオフィスのOLから「いったい、みんなどうしちゃったの?」と眉をひそめられても、家人からは「あなた会社でなにかあったの?」と心配されても、彼ら帽子サラリーマンはみんな涼しい顔をして、「いいえ、いいえ、どうもしませんよ」と、軽くカーブした山高帽のツバに手を添えながら笑って答えるだけでした。それについては「心配ご無用」とでも言うように。
人々は困り果て、東京中の通りの隅で井戸端会議を開いては、いったい彼らは、かつて知った私たちのサラリーマンは、どうしてしまったのだろうと話し合いました。
事態は思わぬ方向に急展開していきました。
日が傾き、そろそろ勤め人たちが一日の仕事を終え、会社を後にしようとする時刻が近づいてくると、およそビジネス街にはふさわしくない格好をした商売人が、夕暮れ時に吹きはじめたビル風と一緒にどこからともなく姿をあらわすようになったのです。
彼らはリヤカーの屋台を引いてやってきました。ある者は襟なしシャツにベージュの腹巻をはべらせて下駄を鳴らし、またある者は派手な柄のアロハシャツに麦わら帽子をかぶって、足下は草履だけでした。どうも堅気の男たちではなさそうでした。誰も彼もが黒いサングラスの下に不敵な笑みを浮かべていました。背中には勇ましい龍や桜吹雪の派手な模様が舞い踊っていそうでした。
そうして時計台の鐘の音が5時を打つ頃になると、ビルとビルの谷間に、通りの歩道に、屋台の屋根から吊るされたいくつもの裸電球の灯りがオレンジ色に輝きはじめ、暖簾の「たこ焼き」の文字を鮮やかに照らしだすのでした。
そこへどこまでも宿命的に近代化されたビルの建物から、帽子サラリーマンたちがゾロゾロと吐きだされてきました。彼らは様々な色のバリエーションによってつくられた山高帽の長い列を、光に吸い寄せられる夏虫のごとく、安手な祝祭の輝きを放つリヤカー屋台の前に作りはじめるのでした。
ビジネス街のいたる広場が、たこ焼き軍団の持ち込んだ裸電球の灯りとポータブル発電機のブーンという振動音によって占拠されていました。
ただいつまでたってもそこにはたこ焼きソースの、鼻をくすぐるような香りはいっこうに漂ってはこないのです。仕事帰りに行儀悪く立ち食いしているお腹を空かしたサラリーマンの姿も見かけません。彼らはただ所属している会社の区別なく、どこまでも行儀良く静かに、車のクラクションとOLたちの鳴らすハイヒールの靴音が響く夕暮れ時のビジネス街に長い列を作って並んでいました。
そうして列の前の同業者たちが一人また一人とはけていって、ようやく屋台の電球の前までたどり着くと、帽子を頭から脱いで胸にあて、さらに自分の順番を待つのでした。
「あいよ!あいよ!」「今日も一日お勤めご苦労はんでしたな!」「ほんまにお代はいりまへんで!もう先に貰ろうてますさかいに!」
屋台の屋根の下で、サングラスをしたたこ焼き屋の威勢のいいかけ声が聞こえました。しかしその光景には客が帽子サラリーマンであることを差し引いてもどこかおかしなところがありました。
じつはたこ焼き屋たち、そこではたこ焼きを焼いてはいなかったのです。屋台のプレートにたこは一粒もなく、あるのはただマシュマロめいた白い玉だけでした。タレもソースも見当たりません。おまけにたこ焼き軍団が喋っているのは出鱈目な関西弁でした。彼らはまったく偽のたこ焼き屋でした。外見はいかにもテキ屋めいてはいても、彼らもまた帽子サラリーマンの一味に違いありませんでした。
帽子サラリーマンたちが手にした山高帽を募金箱のように差し出すと、偽たこ焼き屋はプレートに並んだ白くて丸い偽たこ焼きを楊枝で一つ摘まんでそこに放り入れました。「兄さん、大事に育てなはれや!」と声を掛けながら。
白い偽たこ焼き一個を山高帽に入れた帽子サラリーマンたちは、その微妙にカーブのかかったツバを両手に持って、まだ熱いのか、せっせとフーフー息を吹きかけながら、街灯が立ち並んだ夜のビジネス通りを思い思いにゆっくり歩いていきました。帽子の中では白い固まりが中敷きの上でくるくると回転していました。
そこへ彼らの背中に偽たこ焼き屋の偽関西弁がなおも響くのです。
「安いで!安いで!ほんま一粒で充分でっせ!」
偽たこ焼き軍団は夕焼けとともにビジネス街のいたる場所にリヤカーを引いて参上しました。しまいにはまだ夕方前の昼休みにまで姿をあらわすようになりました。そうでもしないと帽子サラリーマンのあまりの数の多さをさばき切れないようでした。
銀座、新宿、丸の内は言うに及ばず、雑居ビルの建ち並んだ下町の小さなビジネス街に至るまで、リヤカー屋台を押してあらわれました。
そして帽子サラリーマンたちは山高帽を両手に持って、まるで食糧の配給を受けるみたいに白い玉をそこに放り入れてもらい、道を行きながら息を吹きかけて熱を冷ますのでした。
塾帰りの小学生たちが立ち止まってもの欲しそうに屋台を眺めていても、行列の帽子サラリーマンたちはそれを無視しました。代わりに偽たこ焼き屋がサングラス越しに「こら坊主、塾終わったらさっさとうちに帰らんかい!おっ母さんが心配するさかいに!」と偽関西弁をまくし立てるのでした。
そんな風景がその時期しばらくビジネス街のあちらこちらで目撃されて、もはや帽子サラリーマンと偽たこ焼き屋とがセットとなって東京名物のようになりかけた頃、帽子サラリーマンたちこそは東京発のアノニマス集団なのではないかという都市伝説がまことしやかに囁かれはじめ、ついに彼らはウェブ上に自分たちのホームページを立ち上げて、世間に対してある声明を発表しました。
もっともその声明の内容は世間の混乱をさらなる混乱へと、レベルを一つか二つ引き上げただけに終わりました。
自らを「東京帽子サラリーマン倶楽部」と名乗った彼らは、色とりどりの山高帽をデザインしたグラフィックを背景に、ウエブ上の工事中の看板みたいにこう宣言しました。「私たちは帽子の中で雲を育てています」と。
つづく