ターザンの木教習所⑮
森が木々とキノコとたちの社交場であり、巨大な自然界のネットワークであるなら、墓地はさしずめ幽霊たちにとっての森であり、そしてまた中継ステーションであり、墓石はそのための〈どこでもドア〉といったところでしょうか。
七人の賢者を乗せた七台のバスは、駅前のバス停で社員を拾うかのようにロサンゼルスまでの旅の途中、必ずどこかの墓地の前でエンジンを止めて乗車扉を開くのが日課でした。
もちろんそこにはいつものように通勤バスを待つネイチャーX社の社員たちの姿はありません。墓参りに訪れた人々の姿さえ見あたりません。そもそもそこには生き物の動く気配がないのです。ですから、『マンデーマンデー』のコーラスだって聞こえないのが正解なのです。でもキャサリン運転手の耳元には、花飾りをした若い女たちの口ずさむハーモニーが、微風のように届くのです。
ロサンゼルス行きのバス旅行に招待されたのは、七人の図書館職員だけではなかったようです。
ただその招待客たちは、読書会の招待状は持ってはいません。彼らが招待されたのはあくまでバス旅行であって、読書会ではないからです。
彼らのもともとの職業はじつに様々で、こういった表現が可能であるなら、肌の色や年齢もそうです。彼らに招待状を郵送するのは不可能ですが、この世に招待状のイデアなるものが存在して、それを郵便局の幽霊配達員が、各自の墓石に付いた住所まで届けてくれるというのであれば話はべつです。
キャサリンをはじめとするネイチャーX社お抱えのバス運転手七人は、このマジカルなミステリーツアーのためにずいぶん前から特別な訓練を受けてきたようです。おかげで彼らは、幽霊たちの存在をその目で見ることはできないまでも、その気配を感じとれるまでには上達したようです。彼らが猫バスの運転手になれる日がくるのもそう遠くないかもしれません。
それにしてもバスのハンドルを毎日握りながら、霊能力者としての訓練を受ける日がくるとは、彼らも夢にも思わなかったでしょう。まるで戦時下にスナイパーとして活躍した靴職人みたいな話です。もしかしたら、受付係に妄想の才能があるように、職業運転手には霊能力者としての潜在的才能が隠されているのかもしれません。
ところで運転手たちにバスの運転の教授ならぬ、霊能力者としての教授をしたのは誰でしょう。ネイチャーX社は霊能力者まで雇っているのでしょうか。
雇っているのかもしれません。ただその霊能力者は霊専門というわけではなく、自身が長いヒゲを生やかした、ヒゲ幽霊専門の元受付係の女性であるのに違いありません。その証拠に墓地前の即席のバス停に並んだご陽気な幽霊たちは、男たちも女たちも、みんながみんな、長い長いポートランド髭の持ち主だったのです。
彼らは世間一般に考えられている霊能力というよりは、お互いに目には映らないヒゲ同士でコミニュケーションを図っていたのでしょう。言ってみれば、それは霊能力というより、生死の境を越えたヒゲ能力であり、ヒゲコミュニケーションだったのです。
ただそんなことができるのはポートランド髭の持ち主の中でも、我らが受付クイーンだけでしょうし、ヒゲ幽霊たちを森の世界において考えてみえば、元気な若々しい木よりも、むしろ樹齢豊かな老木の方が、様々な手段で森の生きものたちと繋がっているようなのです。
ネイチャーX社が招待したヒゲ幽霊は図書館職員一人につき七人です。つまり合計で四十九人の、妄想力豊かな幽霊たちが、バスに乗車してきたわけです。スピリチュアル度はかなり高めです。とっくに危険値を越えています。ですが事はポートランド髭に関わる問題であり、それは私たちヒゲピープルにとって命のつぎぐらいに重要な案件です。ここは一つこのままお話をつづけさせてもらいたいと思います。
彼ら四十九人はただのヒゲ幽霊ではありませんでした。いずれもそれぞれの図書館職員のために選ばれた幽霊たちだったのです。彼らの人生はどこかで交差しています。幾重にも重なり合った大樹の枝が描く複雑な曼荼羅のようにです。
例えばウッドストック氏のバスに乗り込んできた七人の若きヒッピーたちは、その昔、HONDAやフォードやビートルに乗ってアメリカのそこかしこからウッドストックフェスティバルに駆けつけた人たちです。彼らにとってウッドストック氏は永遠に丸裸の可愛らしい赤ん坊のままです。
ウッドストック氏が乗ったバス以外のヒゲ幽霊たちも、みんなそれぞれの図書館職員と人生のどこかで繋がりを持っています。それは横の座席の見知らぬ乗客の家系図をさかのぼってみたら、自分と同じご先祖様に突き当たったみたいな想定外の感じです。あるいはそれは人と木が共通した遺伝子を持っているのに由来します。私たち元受付係が鼻の下や顎に生やかしているのはその名残りです。
あるヒゲ幽霊たちは、ある図書館職員が幼少期に過ごした街に引っ越してきたり、引っ越していった人々です。またあるヒゲ幽霊たちは、ある図書館職員が通っていた学校の遥か昔の卒業生たちです。そんなふうに一見無関係な赤の他人のようでありながら、彼らはみんな一つの輪の中にいます。長くて見えないヒゲとヒゲが、森の木々の根のように繋がっています。それが私たちヒゲピープルです。時に地上に死神を呼び寄せようとするのがオワコンピープルであるとしたら、私たちヒゲピープルはそのトンがったカイゼル髭でもって、時にご陽気なヒゲ幽霊たちと交信してみせます。
ウッドストック氏は西へひた走るバスの座席で本当に赤ん坊に還ったかのようにじつによく眠ります。墓地の脇で職業病的な神経衰弱に陥っていたのが嘘のようです。まるで彼の心の奥の傷が、時間を逆行するバス旅行によって癒されていくみたいです。そしてそれと比例するように、ロサンゼルス到着までに指定図書の読了を果たせない現実味は、砂時計の砂のごとく刻一刻と増していきます。
ただ一見その無計画にさえ思える無作法は、なにもウッドストック氏だけに限ったことではなかったのです。七人の賢者たちの誰も彼もが、読書中にも関わらず、うとうとと寝入ってしまうのです。読書のプロのような、書物についてなら一言も二言もありそうな、彼らがです。そしてもちろん七人の運転手はそれに気づいたとしても誰も彼らを起こすような真似はしません。そこでは「誰も起こしてはならぬ」が鉄則だからです。
七人の賢者たちは銀色のバスの中で、みんな同じ夢を見ています。一つだけ違う点があるとすれば、それはウッドストック氏の睡眠には、キャサリン運転手が口ずさむ60'sの子守歌が付いていることでしょうか。もしかしたらアガサによるキャサリン運転手の幽霊教室だけには、特別に60年代のロックなレクチャーが追加されていたのかもしれません。それぐらい見事にキャサリンは歌い切るのです。あたかも子供の頃から人前で歌うのが好きで、仕事とはいえ、いいえ仕事であるからこそ、この日のリサイタルがくるのをずっと待ち望んで準備していたみたいにです。
残念に思えてならないのは、せっかくキャサリン運転手の一世一代の晴れ舞台であるのにも関わらず、肝心のただ一人の聴衆であるウッドストック氏が聴く耳持たずに眠りつづけていることです。
でもどうかご安心を。じつはキャサリン運転手の歌声をウッドストック氏は眠りながらでもちゃんと聴いていたのです。耳ではなく、そのヒゲで。
おかしな話ですが、読書中に眠ってしまった、図書館から派遣されてきた七人は、一つの夢の中で本を読んでいました。それは彼ら自身が前日に勤め先である図書館からそれぞれ借りてきたものです。ウッドストック氏が両手で持っている本の厚さは間違いなく電話帳クラスです。彼は自分の選んだ本が七冊の中で一番厚いのを、たった今、夢の中で知ったところであり、「どうして清掃人の私が……」という当初からの疑問をさらに深めています。
七人は金網に四方を囲まれた煉瓦造りのアパートの屋上にいます。まだ若々しい空は高く青く晴れ渡り、あくまでも穏やかな微風はじつに爽やかで、本のページをめくり上げるような悪戯は決してしません。それはつまり、その日が、凧上げには少々不向きではあっても、屋上で開催される読書会には最適な日和であることを意味しています。
つづく