偽R35
『小柳氏、禁煙突入65日目!もはや限界か!?』
他人が記したブログによって、自分の行動を後確認するというのはいかがなものだろうか。
『氏は生まれながらの負け犬だ。我々の調査によると、無名の三流大学に入って覚えたニコチンの味を、氏はその後の22年間におよぶ人生の中で3回断ち切る試みをしてはいるが、その身の程知らずの企てはいずれも60日以内に挫折の憂き目をみている』
そこにはたしかに一種有名芸能人にでも祭り上げられたような気分が存在する。Web上で自分の名前が取りざたされるというのは。
しかし、芸能ゴシップなどであるならば、あることないこと虚実無根の数々をねつ造されてしまうこともしばしばだろうけども、これが私の場合、そのほとんどがまぎれもない事実であり、しかも本人の記憶よりも正しいときているから始末が悪い。
それにWeb上であろうと大衆誌の誌面であろうと、タレントならそれが一つの宣伝材料になることだってありうるが、疑いもなく一般庶民であり、有名になることなど一つも望んでいない輩にとって、誹謗中傷のブログの存在など迷惑千万、1バイト分のメリットすらないのだ。
いいや、待たれよ。一概にはそうとは言い切れないかもしれない。考えてみれば、私自身この悪徳サイトのハードリピーターであるのだ。更新などあれば必ず閲覧せずにはいられないし、携帯電話の「お気に入り」にもちゃんと登録してある。ただし、それは間違ってもブログの内容に興味があってのことではない。
これは実にプライベートな件であり、個人的な家庭内の現状に立ち入った話になるのだが、十数年連れ添ってきた妻と私との関係は、現時点では悲しいかな、このブログサイトのみが唯一のホットラインとなっているような有り様なのだ。
彼女は読んでいるらしい。私に、いいや願わくば私たちに、あてられた誹謗中傷記事の数々を。そして私の禁煙を望んでいたのは、誰よりも妻自身であった。ならば、記録更新中の夫のことを今回ばかりは少しだけでも見直しているかもしれない。どこか遠い空の下で。
だが、またしてもその身の程知らずな希望をあざ笑うかのように、ブログの管理人は先回りしてこんなことも書いている。
『たとえそれが僅かな額であっても、氏の奥方はそろそろ本気で、財産分与に必要な書類を取りそろえる準備にとりかかったほうがよさそうだ』。
悪徳ブログの記事によって今日という日が禁煙開始66日目の朝であり、同時に私たち夫婦が、端からみても離婚危機に見えるほどの惨状であるという客観的事実を後確認した私は、今一度気を引き締めながら中央線の駅ホームで自分の職務を開始した。
とは言っても、私はJRの職員であるわけでも、駅の警備員であるわけでもなかった。そしてまた、かのブログの管理人は、禁煙者に心理戦を迫りながら世間にせっせと喫煙を推奨しているわけでもない。
私の格好はごく普通のビジネスマンのそれに近い。ダークグレーのスーツに好きなオレンジ色のネクタイ。そうして中野駅の快速用プラットホームに立っている。見る人が見れば、健康管理に気を使ったIT関連の勤め人などにも見えなくない。というのも、私がスーツと一緒に身につけているのは、ランナー向けの小さなザックとジョギング用のスニーカーだったりするのだ。
しかし実際には私はIT企業の社員ではないし、これからホームに入ってくる電車と併走して走るタイムを競おうとしているのでもなかった。当たり前だが、そんな仕事は世の中に存在しないし、そんなバカなことに給料を支払う経営者だっていない。たぶん。
階段とそれに並列したエスカレーターから朝の勤め人たちが続々とホームに上がってくる。私は彼らを探偵のような眼差しで眺める。幾人かがホーム上の小さな看板の前を通り過ぎる。そこには『R35』と、一際太い黒文字で印刷された広告がうたれてある。実はそれは、私とかの管理人とを結びつける記号でもある。
「まさに『カミ』だね」
神ではなく、恐らくカミ。近頃では神様も色々な表記の仕方で様々な場所にお出ましになる。
それは三カ月ほど前のこと、昼時の蕎麦屋で課長がはなった言葉だった。ただ、蕎麦は課長の好物ではあったが、べつに我が上司は毎日のように食しているその麺の、喉ごしや歯ごたえを今さら「カミ」にたとえて誉めていたわけでは無論なかった。
彼はお気に入りの、とある武士の生い立ち話を、現代の大手町にある出版社の部下である私にトクと語っていたのだ。持った割り箸を小旗のように振りながら。
「生まれる時代さえ違ったら、間違いなく、あの男は幕末の獅子の一人になってたね」
いやはやなんとも。いつの世も「生まれる時代が....」という注釈は男たちの背中に影のようにつきまとうらしい。
それにしても日本男子というのは、どうしてこう歴史上の人物が好きなのか。その中でも武将や侍の類。会ったはずなどあるわけないのに、まるで自分の身内や竹馬の友を語るかのように話してみせる。典型例の上司を持ったせいか、とくにここ最近、その傾向に拍車がかかっているように思えてならない。
これは私の勝手な想像だけども、近年の武将人気の高騰は、プロ野球人気の低下や車の消費者離れなどとなにか関係があるのではあるまいか。ひと昔前までなら、呑み屋でサラリーマンたちが繰り広げる会話ともなれば、それは野球や車の話と相場が決まっていたものだ。間違って好きな映画の話でもはじめようものなら、つぎの飲み会にはまずお呼びがかからない。それが今ではどうだろう。男たちは呑み屋で交わす共通言語を失ってしまったのだ。そこに救世主のごとく颯爽とあらわれたのが戦国武将やサムライたちだったわけだ。
彼ら戦国武将は、はるばる海をこえてメジャーリーグにいったりしない。ガソリンみたいに値上がりすることもない。エコと言えばこれぐらいのエコもない。なにしろ彼らは皆一様に死んでいるのだから。
そして、これがまた私の勝手な想像のその延長になるわけだけども、どうも男たちの社会的地位によって、お気に入りの武将やサムライたちにも細かなジャンル分けが生じるらしい。つまり、管理職クラスともなればそれに見合った指導者、徳川家康や豊臣秀吉になる。そして中間管理職者は、その家臣やもっとマイナーな大名たち。平社員や一匹狼、一発屋の類は、坂本龍馬、織田信長、宮本武蔵などなど。
中間管理職を二十年以上つづけている我が課長のお気に入りは、当然のようにマイナー大名のそのまた家臣だった。
最上平之助。その名を耳にして「ああ」とうなづける人はそうはいまい。かく言う私だって、課長の口からその素性を聞かされるまでは、てっきり好きな時代劇の話でもはじめたのかと思っていた。
しかし平之助はれっきとした薩摩出身の下級藩士で、関ヶ原の戦に敗れたあと、剣よりよほど得意だったそろばん勘定で腕をあげ、藩の御蔵役として外様大名ゆえのつねに緊迫状態にあった藩の財政をやりくりした人物であったそうな。
もしかしたらこれ以外にも、私の知らない、あるいは聞き逃した「平之助像」というものがどこかにあるのかもしれない。ただそれを加味したとしても、これが幕末の獅子たちと肩を並べたり、ましてやカミにたとえられるような人物の略歴であるとはとうてい思えない。
もっとも課長が時代劇の脇役としても薄すぎるようなこんなキャラの持ち主を、まるで自分と重ねるかのごとく語るのには、それなりの訳もある。
つまり、かつて薩摩藩であったところの今の宮崎は、彼の母方の出身地であり、平之助の家系とは遠い親戚にあたるとかあたらないとか。さらに蛇足を言えば、宮崎は彼がサムライたちに入れ込むまで長らくファンであった読売ジャイアンツのキャンプ地でもあり、さらに蛇足をかさねると、課長自身、藩の御蔵役というポジションによく似たサラリーマン的肩書きをもっているわけだから。
その日も私は渦中の上司から昼飯に誘われていて、きっとまたチョンマゲの時代にあったような、なかったような四方話を、つい昨日の出来事みたいに聞かされるのかと、まだ暖簾をくぐる前からすでに食傷気味であった。
ところで、私のような社内勤務の勤め人は、外回りの多い営業職を羨ましがる傾向が強い。彼ら営業マンのポケットには、まだ半分「自由」がのこっているように見えるからだ。経理課の私の「自由」は、ソックスの小指の先ぐらいものこされているかどうか疑問だ。なにしろ昼飯を食う店も、相手も選べないときているのだから。
しかしいざ昼時になってみると、課長はいつもの蕎麦屋には向かわずに、どういうわけか会社近くの喫茶店の自動ドアを跨いだのだった。しかも普段は陰口の矛先になっている新人社員の若者も連れて。
上司や同僚に対する評価は悲喜こもごもだが、私の新人社員に対するそれははっきりと二つに分けることができる。とくにここ数年、その傾向が露骨にあらわれてきているように思う。ただヒラ社員である私に新人社員の評価を尋ねてくるような上役もいないから、あえて発表したことはない。
つまりそれは、仕事はできないが人間味のあるヤツと、人間味はないが仕事のできるヤツ。私たちと一緒に喫茶店の席についたタニシゲ君なんかは、さしずめ後者の代表だ。私にはなにがそんなに面白いのかさっぱり分からないけども、休憩時間などいつも一人で携帯電話の画面を飽きることなく見つめている。
そんな打ってもまったく響かなそうなタニシゲ君を交え、さすがの課長も「平之助話」をする気はないだろうと思い、そうなってくるとわざわざ我々を呼びだした目的は、おそらくは仕事の話ということになる。それも喫茶店でしなければいけないような内密の。
メニューを眺めるフリをしながら、私は課長の顔色をうかがいはじめた。すると、三人分のセットメニューが運ばれてくるよりさきに課長はオフィスから持参してきた雑誌をテーブルに置いて開口一番言った。
「これ見たことあるかい?」
それは予想どおり「月刊戦国武将」の類ではなかったが、それでも私は上司の真意を計りかねた。なにかの冗談のつもりだろうか。知ってるもなにも、それは我が社が出版している情報誌なのだ。
私とタニシゲ君の前には、まったく同じ表紙が心理テストのシンメトリーのように二つ並べられた。なんの意味だかさっぱりわからない。課長は自社の同じ出版物をわざわざ二冊持ってきていたのだ。
その名は『R35』。某大手情報社が駅などで配布している無料情報誌の、その二匹目のドジョウをねらった身内の人間が言うのも恥ずかしい、まんまのパクリ商品だ。あちらが「25」なら、こちらは「35」と。
しかしこれが社内の誰もが予想しえなかった大ヒット。編集部とは遠く離れた、しかもほとんどページすらめくったことのない経理の私だってそれぐらいのことは承知している。
ん?もしや課長の話とは、その編集部へ人事異動してくれないか、ということではあるまいか。なにしろ増刷につぐ増刷で、編集は猫の手も借りたいほどの忙しさだと聞く。しかし経費削減の折り、新しい編集者もそうは雇えない。であるからして、君たちがいってくれ、と。
それはないでしょ、課長。私だってあなたと同じ経理一筋の人間だ。若いタニシゲ君はいいだろうけども、私のような中年侍が今さら畑違いの部署に異動してくれと言われても、「ハイ、分かりました」と、二つ返事でいくものではない。
はてさて、この人事話をどうやって断ったらよいものやら。私の頭は辞退にふさわしい適当な言葉をフル稼働で探しはじめた。たとえばこんな。
「なにぶん歳も歳ですし、今さら他社のモノマネをした偽物雑誌なんて……」
いったい私はなにを口走ろうとしているのか。いくらなんでも上司の手前で偽物呼ばわりはマズイ。辞退のつもりが、ヘタをしたら辞職になってしまう。
いいや、そうではない。「偽物」と先走ったのは私ではないのだ。タニシゲ君だ。今さっき、彼の口がそう動いたように見えた。いや、彼はたしかに口にだしてそう言った。「偽物じゃないですか」と。
これだから携帯電話ばっかり見てる今時の若者は困る。社会には言っていいことと、悪いことがあるという決まりごとがさっぱり理解できていないのだ。ズバリ空気が読めない。彼らは「KY」などという目新しい言葉を使うけども、その「K」が意味している「空気」とは、どうやら私たちが普段何気なく吸っているものとは違った特殊なものであるらしい。
そんなスペシャルなケースとは異なったごく一般的な気まずい空気の中、私はふたたび課長の顔色をうかがった。案の定、不機嫌そうだ。長いつきあいだから手にとるようにわかるのだ。通勤途中の週明けの朝みたいな顔つきで我が上司は言った。
「うん、そうなんだ。実はコレ、本物そっくりの偽物でね」
なんと。か、課長まで。
どういう事情になっているのかさっぱり分からないけども、目下の状況を冷静に分析してみれば、どうやらこの喫茶店は一種の無礼講めいた秘密裏の会合であるらしい。私に言わせれば、なにを今さら感はあるけども、不本意ながら出遅れてしまった格好だ。こうなったら私も溜まるに溜まった会社批判をさせてもらおう。
「ほんと『R35』なんて、上の人間はなにを考えてるんでしょうかねぇ。まったく、恥ずかしいやら、情けないやら。今こそ我が社は、原点である参考書専門の出版社へと立ちかえるべきですよ」
そう言った私の顔は、二人の視線によってちょうどくの字型に挟まれるような格好になった。それで、どうやら空気が読めていないのはこちらの方であるらしいことがわかった。昼時の喫茶店で、私は一瞬、無礼講という名の白日夢をみていたのだ。
珈琲の香りを嗅いだためだろうか、なんだか無性にタバコが喫いたくなった。
「5月25日。AM7:30。中野駅ホーム異常なし」
右手にもったボイスレコーダーにむかって私はささやくように言った。同じカタギの勤め人として、周囲から変人みたいに思われたくはないのだが、これも仕事の一部だから致し方ない。ダイヤは間もなく通勤ラッシュのピークを迎えつつあった。
ほんの三カ月前までは、私もあの勤め人たちの群集の中にいたのだ。それが今ではどうだろう、すっかりプラットホームの謎の住人と化している。
謎の住人は謎の住人らしく、午前中の仕事のスケジュールのことなど頭にはなく、たとえばこんな意味のないことを考えていたりする....こうしてあらためて眺めていると、朝の駅の風景は、どこか遊園地のアトラクションのそれと似ているところがありはしまいか、と。
つまり、チケットを買い、列に並び、入ってきた乗り物へと足を踏み入れる。ただ、朝の駅には間違っても遊園地で見聞きされるような笑顔や黄色い声はない。もしあったとしら、それはそれで気持ちが悪い。通勤電車をはしゃぎながら待つOLの一群。鞄片手にソフトクリームをなめているサラリーマン。口笛を吹き吹き乗客を整理している駅員ミッキー、などなど。
そんな妄想の遊園地ほどではないにしても、少なくともかつて羨ましがっていた外回りの営業マン以上の「自由」を、フとしたきっかけから私は手に入れてしまっていた。
それはたしかにプラットホーム限定の「自由」であり、なおかつ世間にたいしてはブログでさらし者にされるというリスクはある。しかしそれでもなお、他人の給料計算やノルマ合戦に精をだすことよりも、限定付き、リスク付きの自由を私は選ぶ所存だ。そこでの私は、タイムカードからも、サービス残業からも、ついでに「平之助」からも、解放される。
そんな私に私生活を除いた不安材料があるとすれば、それはプラットホームという新しい現場での三カ月間が過ぎ去っても、まだなんの職務的成果をあげていないという点につきるだろう。べつに私はここで見知らぬ勤め人たちを見送っている物好きではないのだ。
『R』。私は奴を捕まえなければならない。それが私に課せられた唯一の使命だ。しかし、奴を捕らえることは相当に難しい。と言うか、私はまだその顔すら拝んだことがない。
見たことのない人間をどうやってお縄にするのか。その『R』という輩には一つの際立った特徴があるらしい。眉間の中央に、切除手術をうける前のかつての千昌夫のような、ビー玉クラスのホクロがあるというのだ。年齢は私と同じ40代。中肉中背。ネクタイの色はまちまちだが、きまって薄いグレーのスーツを身につけた男であるらしい。
逆から見ると、『R』とはそのホクロ以外、これといった特徴のない男ということにもなる。そんな「平之助」みたいな、ということはウチの課長みたいな、平凡な男を、なぜ一般企業の経理の人間が捕まえなければいけないのか。無論、千昌夫のそれを含めて、ホクロ自体に罪はないはずだ。
事の推移はふたたび昼時の喫茶店へとまいもどる。
「タニシゲ君はクロスワードパズルが好きみたいだね。いつも、携帯電話でやってるんだろ?」
「クロスワードパズルじゃありません。1から9までの数字を使うペンシルパズルの一種です。『ナンバープレース』といいます。略して『ナンプレ』です」
どっちだっていい。パズルであることになんの違いがある。
その時、私はテーブル上の二人の生姜焼き定食を恨めしそうに眺め、久しぶりに蕎麦以外の昼食が口にできるというのに、自分のハンバーグ定食だけがなかなかやってこないことに憤慨し、腹いせに新人君の小利口そうな発言を噛み砕き、コップの水と一緒に呑み込んだのだった。
しかし、タニシゲ君が休憩時間にそんなことをしていたとは今の今までまったく知らなかった。というか、携帯電話でそんなことができるということ自体知らなかった。
だが、それより意外だったのは、あの課長が部下のそんな細かいところにまで目を光らせていたという事実だ。もしや私がデスクの引き出しに同僚から拝借した井上和香のDVDを入れっぱなしにしていることも知っていたりして。怖い怖い。社にもどったら、さっそく返しにいかねば。
「それじゃタニシゲ君さ、これのどっちが偽物か見分けがつくかい?その『ナンプレ』とかで鍛えた真理眼で」
課長がつづけて聞いたのはもちろん二冊の『R35』のことで、手に持った箸は今、テーブルの上で交互にその表紙をさしていた。しかし、これではまるで禅問答だ。なにしろ二つは同じ雑誌の同じ号なのだから。
だが、タニシゲ君もタニシゲ君だ。よせばいいのに、食事を中断して真剣に見比べはじめたではないか。いったいどうしちゃったというのか、この二人。まったくついていけない。本当に今時の新人君は言われたことだけはちゃんとこなす。ロボットみたいに。
そこに救世主が現れた。ウェイターが私のハンバーグ定食をトレイにのせてやっときたのだ。双子の『R35』をどける以外、もうテーブルに空きのスペースはない。白昼の禅問答もこれまでだ。
「お待たせしました」
ウェイター君が言った。
「ありが....」
「ちょっと待った。今、重要なとこなんだ」
なんという仕打ちだろう。私の言葉と、トレイを受けとろうとした私の両腕は、箸を持った課長の右手によって遮られてしまった。
行き場を失った私の言葉は、成仏できずにいつまでも空調の中を漂い、私の両腕は、時が止まったまま石のように。さながら哀れ古代ポンペイ市民のごとく。
喫茶店で化石のミイラ状態になってしまった私は、発掘隊が到着するのを待ち望んだが、いくら待ってもそれはきそうになかった。そこで私は視線をあげ、我がハンバーグ定食をトレイにのせたままのウェイター君の顔を見上げた。課長の理不尽な行為によって忙しい昼時の職務を中断され、きっと彼も私と同じ化石状態になっているであろうと考えたからだ。同じミイラでも、二人いればなにかと心強い。上司の非道を周囲にもアピールしやすい。
だがしかし、頼みの綱のウェイター君はあろうことか、おかしな二人と一緒になって間違い探しの禅問答に参加しているのであった。本来、私のハンバーグ定食が置かれるべき場所をタニシゲ君と一緒になって覗き込み、彼は言うのだ。
「これ、もしかしたら『偽R35』じゃないっスか?」
いいから、ハンバーグ定食をここに置け。
「分かるかい?コレクターから高値で入手したんだよ」
「へー、そうっスか。すごいっスね」
スカ夫にスネ夫。スカ子にスネ子というのまでタマにいるが、まったくこの喫茶店はアルバイト教育がなっていない。課長も課長だ。長年の付き合いである部下を、大事なその昼飯を、ほったらかしにしてどういうつもりなのか。
しかし『偽R35』とはいったいなんのことなのだろう。コレクターまでいるとは。はて。
それがどんなものであるにしろ、ないにしろ、我が社の業務に関わることであるのは確かなようだ。でも、それを喫茶店のスカ夫ウェイターが知っていて、れっきとした社員である私がまったく関知していないというのも変な話だ。
すると、ようやく諦めたタニシゲ君が、禅の教典と化した二冊の『R35』から顔あげた。もしかしたら彼なりに私に気を使ってくれたのかもしれない。
「ダメだ。分かりません」
「いいさ。時間は充分ある。しばらくはこれが君の仕事になるからな」
そう言って課長はやっと二つの表紙をどけた。スカ夫ウェイターが例のものを私の前に置いていった。私はやっとフォークとナイフを手にもつことができた。だがしかし、課長は今度その私にむかって話をはじめたのだ。
「小柳、お前は脚が速かったな。昔、野球部で代走専門だったんだろ?」
「はあ」
昼食にありつく前、私は遥か昔十代のころのことを思いだすはめになった。
「それが今後、お前の仕事になるから。煙草やめといてよかったな」
「野球、やるんですか?」
課長は笑いだした。
「違うよ。誰がそんなこと言ったよ」
「あなたが」もしも、ここが本当に無礼講喫茶なら、当然私はそう答えていただろう。
そうして私は中野駅のプラットホームに立っている。そしておそらくタニシゲ君は、そろそろ会社のオフィスに到着して、社員たちの給料計算用ソフトを立ちあげるかわりに、デスク上で二冊の『R35』の表紙を開いていることだろう。お互い長い一日はまだはじまったばかりだ。
しかし、どちらがより長い一日になるかと問われれば、それはタニシゲ君に軍配があがる。なにしろ彼は仕事のほかにも、昼時になれば毎日のように蕎麦屋に通って、「最上平之助」の出世話にも耳をかたむけねばならないのだから。
いいやもしかしたら、今ごろは課長の方がタニシゲ君に感化されて、二人して携帯電話を手に持ち、無言のまま蕎麦屋で『ナンプレ』とやらに興じているかもしれない。いやはや、怖い怖い。
しかし他人のことを心配している場合ではなかった。ふたたびプラットホームに目をやれば、そこにはなにやらソワソワと挙動不審の男が一人、『R35』の看板の前に突っ立っているではないか。恐らく年齢は私と同じぐらい。しかもお約束の薄いグレーのスーツを身にまとい、小脇には怪しく膨らんだ茶色の書籍袋を抱えている。
はたしてその眉間にホクロはあるだろうか。私は猫のような忍び足で対象者の斜向かいに回りこもうとした。
だが、その行為は両刃の剣だった。私は対象者の額にホクロがあるのを発見したが、こちらの視線に気づいた男は、袋から雑誌の束を急いでとりだすと、それを『R35』の並んだワゴン棚にやおら突っ込んだのだ。間違いなくあれが『偽R35』だろう。
そして私たちは仲良くプラットホームを走りはじめることにあいなった。一方は追う者、もう一方は追われる者として。
これがもし刑事ドラマのワンシーンであったなら、『ヤモメ暮らし』か、あるいは単に『ヤモメ』というアダ名をボスから授かった刑事役であるところの私は、「コラー!待てー!」とお決まりのセリフを吐いていただろう。
だがしかし、実のところ職務遂行はほかの乗客たちの迷惑にならない範囲内でと、会社から厳命されているサラリーマンであるがゆえ、私は叫ぶかわりに、「R発見!R発見!」とボイスレコーダーに吹きこみながら薄グレーのスーツの後を追った。
ホームの階段を駆け下り、自動改札機の警告音を背中に聞く。ロータリーに差しかかったところで元高校球児ダッシュ50本仕込みの脚でもって、ようやく私は奴の首根っこを掴んだ。
腕を強く引くと、対象者はスケートシューズを履いてるみたいに簡単に尻餅をついて倒れた。背後で女性の短い悲鳴があがった。
「R捕獲、R捕獲」
私は対象者の上に馬乗りになりながら、ボイスレコーダーのスイッチを切った。まるで敏腕刑事の身のこなし。その名は「ヤモメ」。
しかし、嫌な予感も走った。『R』とはこんないとも簡単に捕まるヤワな輩だったのだろうか。ネットの書き込みでは、嘘か真か、100メートルを10秒台前半で走る強者のようなフレコミだったが。それがよほどのショックだったのか、私の捕らえた男は、まるで蛇に睨まれたカエルみたいになっている。
嫌な予感は現実味を増していった。野次馬の輪もできつつある。もはや躊躇はしていられない。こうなったら手っ取り早く真実を掴むべく、私は唯一の証拠に手をのばした。惚れた女房のホクロだって、かつてこんな真剣に見つめたことはなかったろう。
ブチッ。それは古くなったカサブタみたいに対象者の額からあっさりとハズれた。さては付けボクロだったのだ。まるで切除手術をうけたあとの千昌夫めいた印象の対象者。それが口をワナワナと震わしながら私だけに聞こえるように小声で言った。
「なにも知らないんだ。頼まれただけなんだよ」
「知ってるさ」
男を解放すべく、私は腰をあげた。
またしても無駄骨だった。負け戦だった。元対象者はシワになったスーツの裾を振り振り、小走りに改札の人混みの中に消えていった。日頃は平凡なサラリーマンなのに違いない。通勤途中の割のよいアルバイトぐらいのつもりだったのだろう。なにもなかったかのように晴れてこれからご出勤というわけだ。
それにくらべ、ある意味すでに出勤のすんでいる私には、野次馬たちによる携帯電話の洗礼が待っていた。さしずめ敏腕刑事から罪のない市民を懲らしめる悪徳刑事へと墜ちた偶像といったところか。
今朝はさぞかし職権乱用中の私の勇姿が、そこかしこのネットサイトにアップされることだろう。辛辣なコメント付きで。それを見た妻は、遠くに暮らす夫の、不吉な今日の運勢をメールで送りつけてくるだろう。彼女によれば、このところの獅子座生まれの低調ぶりには目を見張るものがあるらしいから。
窓口から睨みつけている若い駅員にこれまで効果のあったためしのなかった愛想笑いをふりまき、私は改札をとおってプラットホームへ戻った。
すると、『R35』の看板前に今度は黒山の人だかりができている。さきほどの捕物帖の一幕から、鼻の効く乗客たちが早くも嗅ぎつけたのだ。ワゴン棚にあらたな『偽R35』が補充されたことを。結局のところ私は、不本意ながら偽モノの広告塔になっていたりするわけだ。
その群集の光景は、オイルショック時に、人々がトイレットペーパーの争奪戦を繰り広げた昭和史のニュース映像を思い起こさせる。我先にと、争うように双子の表紙を取りあう老若男女。宝くじよりも安く、しかもハイリターンと噂される夢の無料情報誌。あるいは、遊園地にも似た朝の駅に、新種のアトラクションが加わったかのような。
それは歓喜するOL。そのご自慢の長い髪に、童顔サラリーマンのなめるソフトクリームの塊がボトリと落ちる。つぎの瞬間、ホームにはつんざくような悲鳴が。でも心配ご無用。だってここはネバーランド。なるほど上りエレベーターからは、駅員の制服を身につけたミッキーが颯爽と登場する。陽気に口笛を吹きながら。相棒のグーフィーを引き連れて。
私はプラットホーム上の一群にそんな妄想を重ねあわせながら、入ってきた下り電車のタラップに足を踏み入れた。
朝の下り電車はいい。いつも空いている。
三カ月前まで、まともなサラリーマン生活をおくっていた私は、幾度となく朝の上りホームに立ちながらそんなふうに羨んでいたものだった。
でも、それはひょっとしたら私だけでなく、都市圏の上り通勤を利用する多くの乗客に共通した感情だったのかもしれない。特に月曜日の朝などは、私以外の「上り組」の通勤客たちにも、単に空いているだけの下り電車が、まるで前日の日曜日へとカレンダーを遡ってゆく時空列車か、あるいはレイの花飾りを首にかけてくれるリゾート地へと向かう南方列車のように見えていたりしたのかも。
だがしかし、実際のところ中央線の下り電車が私をおろしたのは、まぎれもなく平日の高円寺駅であり、私の中でこの街は東西南北いずれのリゾート地にも入らない。しかも、ホームで待っていたのはもちろんレイの花飾りを手にした美女ではなく、「平之助」課長の名を画面に表示した携帯電話の着信音であった。
「小柳よ、朝っぱらから元気だな」
「ありがとうございます」
「誉めてないよ。追尾はあくまで一般市民の迷惑にならないようにと言ったろ。それが、一般市民捕まえてどうするんだよ」
「でも、対象者は額にホクロをつけてたんですよ」
「なら今度からは、「それは付けボクロですか?」って、ちゃんと質問してから追っかけるんだな」
「はあ....」
「冗談で言ってるんじゃないぞ」
「わかりました」
「すぐに対策書をメールで送るように」
「はい」
生ぬるい。こんな調子で、会社は本当に『R』を捕まえるつもりがあるのだろうか。
この仕事をまかされてからというもの、ずっと心の淵に横たわっていた疑惑の影がいよいよ伸びてゆくのを感じ、私はどうにかそれを足で踏みつけながら携帯電話のOFFボタンをおした。
プラットホームの隅に空いたベンチを見つけ、携帯のメールソフトを開く。私は言われるがままに対策書という名の謝罪文をしたためはじめた。今となってはこの対策書なるものこそ、私と会社とを結びつける唯一のホットラインだ。見方をかえれば、『R』捕獲よりもよほど重要な作業といえる。少なくとも私自身にとっては。
朝の通勤電車が次々とホームに入っては出てゆき、人々の波がコマ落ち映像みたいに慌ただしく動く最中、私は一人、メールソフトの白い画面をじっと見つめていた。なんの因果か知らないが、いつの間にか仕事や家庭といった本来実生活の中心を占めてしかるべき物事と、私は携帯電話一本でどうにかつながっているような状況に陥っている。どうしてこんなことになってしまったのだろう。地道にコツコツやってきたつもりなのだが。
いつまでたっても謝罪の文句は一語も浮かんできそうにない。
しばらくそうしていると、仕舞いに携帯電話の白い画面が、持ち主のキー打ちを辛抱強く待ちつづけているように思えはじめた。まるで白い忠犬ハチ公みたいに、ご主人様を待っているように見えてきた。
どうも相当にストレスが溜まっているようだ。手のひらに収まる単なる端末を、あたかも実生活のパートナーのように感じてしまうとは。これでは江戸時代の下級武士を竹馬の友のように語る上司と大差ない。あるいは占いが人の人生を決定づけているかのように考える我が伴侶。それともパズルが恋人の青年とか。
いやいけない。こんなことを考えている場合ではない。下り電車を羨む「上り組」といい、なんだか今日の私は他人と自分とを同化させることばかりに夢中になっている。こんなことなら携帯電話を実生活のパートナーと思い込んでいるほうがまだ少しはご利益があるというものだ。そのご利益が残されているうち、早いとこ対策書を完成させて課長にメールしなければ。
相変わらず旨い文句は浮かんではこなかったが、とりあえずどんな常套句でもいいから私は書きだすことにした。あとはおのずと言葉がつながってゆくだろうと。
だがしかし一つ句点を打ったところで、画面に並んだ字面を読み返し、私は驚愕した。そこに記されていたのは謝罪の言葉などではなく、またしても自分を辞職へと追いやりかねない問題発言だったからだ。
私の人生のパートナーであるところの端末は、白い画面にこう表示していた。
「Rは存在しない」
一時間後、私は中央線の下りに乗り、つぎの現場である阿佐ヶ谷駅へとむかっていた。もちろんこの間に正式な対策書を書き上げ、課長宛のメールをすませていた。課長からの返信はないが、それは私の書いたものが無事受理されたことを意味している。
どうやら首をつなぎとめておくことにはひとまず成功したようだった。だが、そんなことに一喜一憂できるような気分ではない。私は消去したばかりの、私自身による予言めいたフレーズがいまだに頭に引っかかっていた。
あれは毎日のように妻から送られてくる占いメールの文句にどこか似ていた。謎を含んだその調子が。それが余計に私の心を疑心暗鬼めいたものにしていた。たしか昨日届いた彼女からのメールには、こんな文面が書かれていたはずだ。
『待ち人はあらわれず。することなすことすべて空回り。一度遠くから職場の人間関係を見つめ直すといいでしょう。ラッキーアイテムは缶コーヒー。今日の獅子座の運勢格付けは11位』。
11位。ということは、もっと下の星座があるわけだ。今朝、中野駅で捕まえたサラリーマンあたりがそうかもしれない。こんな冴えない中年男に朝っぱらからロータリーで馬乗りされているのだから。たしかに彼はツイてない。
「待ち人」とは『R』のことだろうか。缶コーヒーはなぜだろう。コーヒーを飲むと煙草が喫いたくなるからずっと控えているのだけど、それを買うとキャンペーンの懸賞品でも当たるのだろうか。でも、所詮11位だから、当たってもTシャツ止まりだろう。
そもそも、どうして11位なんかにラッキーアイテムが存在するのか。気休めのつもりかもしれないが、占いにおける10位以上のラッキーアイテムはすべて廃止し、今後はアンラッキーアイテムに変更すべきだ。なにしろ下から数えたほうがはるかに早いのだから、身の安全を考えれば用心にこしたことはない。
最後の問題は「職場の人間関係」だが、こればかりは如何ともし難い。「遠く」にいることはいるのだけど。
しかし、こうしてあらためて考えてみると、なるほど妻の占いメールは今の私の環境にかなりのパーセンテージで当てはまっている。占っているというより、ほとんど近くから観察しているかのようだ。
いいや、やはりそんなことはありえない。当てはまってなんかいないのだ。だいたいが占いというものは、大昔の時代から受けとめ方によってどんなふうにでも解釈が可能になるようにできているものなのだ。
だから「待ち人」はあらわれない。千年前も千年後も変わらずに。占いの中で詠われている「待ち人」とは、万人の「待ち人」であり、それはつまるところ、永遠の「待ち人」なのだから。
しかしながら私の伴侶は眉ツバな占いを信じ切っている。なにしろ、それがもとで家をでていったぐらいだ。
とは言っても、べつに彼女はおかしな占い師にそそのかされて、どこか遠いお山のふもとに出家してしまったというわけではない。福島の実家に身をよせているのだ。彼女の家は祖父の代からつづく、ヨウカンが人気の和菓子店を営んでいて、現在は兄夫婦が店を切り盛りしているのだけど、彼女はその手伝いをしているというわけだ。今の体型からは想像し難いけども、彼女はその昔、店の看板娘だったそうな。その史実はアルバムに収められた古い写真から確認できる。
そんな昔ながらのそろばん勘定が似合いそうな職人の家に生まれ育ったはずの妻が、占いなどに凝りはじめるようになったのはやはりごく最近のことで、彼女の配偶者が少しおかしな格好でプラットホームに立つようになる二カ月ほど前のことだった。家計の足しにと、なにか自宅にいながらでもできそうな簡単なパートの仕事を探しはじめたのがきっかけだった。
まあ、このご時世、特にこれといった資格も特技も持ち合わせていないメタボリック気味の主婦に、こちらの都合にあわせたような美味しい話が舞い込むのは難しかろうと思っていたのだけれど、ひょんなことから、というのは大昔の四方話に飽きた私が蕎麦屋で相談をもちかけたことから、それを私たち夫婦に紹介してくれることになったのは、あの「平之助」課長だった。
なぜだかそれまで耳にしたことがなかったのだけど、課長はどうも『戦国武将サークル』なるものの会員になっていて、同じ会員であるIT関連企業の社長さんが、農家の嫁さん探しに疾走する村長みたいに、年がら年中、宅勤のパートさんを探しているというのだ。しかも仕事内容の割にはパート代はかなりいいらしい。
渡りに船。妻はさっそく契約書にサインして働きはじめることになった。ただ、その仕事というのが『戦国武将サークル』に負けないぐらいに奇妙なもので、テレビや新聞、雑誌、インターネットなど、様々なメディアに溢れるように存在する星座占いのデータをかき集めて平均値を算出しては、その日の真の、そして全日本的な、星座運勢を公表するという、その名も『格付け☆星座占いちゃんねる』というインターネットサイトに関わるものだった。
それはいよいよ妻がパート契約を交わす日のこと。IT企業の社員がわざわざ夜に家までやってくるというので、私も定時に会社をあとにして自宅マンションの居間でその到着を待っていた。
IT社員は二人きた。対照的な男女のコンビで、男のほうは痩せ気味、女のほうは健康的に太り気味といった、なんとなく私たち夫婦をそのまま若くしたような二人であった。テレビチューナーみたいな黒い家電機器を抱えていたのは男のほうだった。
今になって思えば、地方限定のCMタレントみたいなあの二人は、ローカルな笑顔の下に、そろって薄グレーのスーツをあつらえていた。女のほうが私たちに仕事の内容を説明している間に、男のほうが持参した黒い家電機器を我が家のテレビにとりつけた。
それがチューナーではなく、いわゆる録画用のハードディスクであるということはすぐに理解できた。
妻の忙しい日々がはじまった。毎朝5時にベッドから起きだし、同時にテレビをつける。そしてインターネットに接続。それから正午近くまで彼女は寝巻き姿のまま、午前中の情報番組やワイドショーの画面下に流れる星座占いをチェックしつづけるのだ。ゴミだしは当然のこと、食パンをトーストするのも、コーヒーを入れるのも、すべては夫の勤めとなる。
しかしながらテレビの占いコーナーをすべてリアルタイムで制覇するには、夫の手助けだけではとてもではないが追っつかない。それらのテレビ番組はいくつも放送時間が重なっているのが常だし、亭主は7時半には家をでるからだ。そこで多機能ハードディスクの出番がやってくるわけだ。
そのハードディスク、家事や洗濯の機能は付いていないけども、かわりに二桁の番組を同時に録画するという機能がついている。妻はその録画映像を追っかけては、採れたての占いデータをIT会社のマザーコンピューターらしきものへと送信するのだ。すると、その情報が直ぐさま『格付け☆星座占いちゃんねる』のその格付けに反映される、というシステムらしい。
IT企業の太った女性社員は妻の仕事を『情報収集係』と呼んだ。その『情報収集係』の仕事を妻はよくこなしていた。苦手だった早起きも克服し、一度も寝坊することなく、休むこともなくノルマをこなしていた。
おかげで夫である私もすっかり5時起きの習慣が身につき、この歳になって朝シャンまで覚えた。家計も潤って、課長が紹介してくれた奇妙なパート仕事はいいことずくめであるように思えた。貯金が溜まったら二人で温泉にいこうと私たちは話しあい、それはすぐにでも実現できそうだった。
だが、私たちに待っていたのが、夫婦水入らずの温泉旅行ではなく、妻の実家への一人旅であったことは周知の事実。問題は静かに、だが居間のテレビに高機能ハードディスクが取り付けられたときにはすでにはじまっていたのだ。
いいや、もしかしたら、それよりもっと以前から計画されていたのかもしれない。薄いグレーの集団によって。なぜだか私を貶めよとしている輩は、みんな薄いグレーのスーツを着ているような気がしてならない。
「あなた、最近なにか一つでもいいことあった?」
そう言った妻の表情は、まるで更年期障害と天中殺がいっぺんに押し寄せてきたみたいに暗かった。長年連れ添った仲だから、彼女が冗談のつもりで言っているのでないことはすぐにわかった。
で、居間の夕食の席、私は妻の顔を眺めながら、さて最近なにかいいことがあっただろうかと考えはじめた。
まず思い浮かんだのは、妻にパートの仕事が見つかったことだが、これはよくよく考えてみれば妻個人の出来事であって、私の身の上におきたことではない。
逆に私個人にあったことと言えば、給料カットにノルマアップ。定期健康診断で腸に軽い出血が見つかったこと。高血圧気味だった血圧がさらに上昇し、医者から今度こそ禁煙するように言われたこと、などだ。
はて困った。いいことなどまるでない。質問の内容が「最近」から「ここ数年」にアップグレードされたとしても、その答えに大差はないような気がする。
すると妻は、「あ・うん」の呼吸で沈黙の中に答えを見いだし、キュウリの漬け物を箸でつつきながら、まるで浮気の証拠をつきとめたみたいに言い放った。
「やっぱり」
なんで「やっぱり」なのか。どうしてそんなことが面と向かって言えるのか。こちらとしては、元看板娘のお菓子好きを密かに見逃してやっているのに。
まさか顔に「私も天中殺なんです」などと書かれてあるわけではあるまい。額に「666」と刻印がされてあるわけではあるまい。
いや、もしかしたらされているのかもしれないけど、なにやら妻の話によると、あの『格付け☆星座占いちゃんねる』のホームページに、それらしきことが書かれてあるというのだ。
いや、それだったらむしろ一安心だ。まずは私の顔や額が無事でなによりだし、もとから占いの類を信じない私には、占いサイトがなにをどう書いていようが関係ないのだ。たとえ「あなたは今日の朝、散歩中のトイプードルに脚を咬まれます。おまけにその飼い主は、咬みついたペットよりも咬まれたあなたの方に非難の眼差しをむけるでしょう」と書かれていたって問題ない。いいや、ある。犬だけは例外だ。
世の中に占い好きの女性は多い。女性誌の占いページが誌面に占める割合は、男性誌のそれよりもはるかに大きいし、街角で手相を観てもらっている客は、ほとんどが女性陣ではなかろうか。
けれども、だからといって女性が男性よりも信心迷信深いとは一概にはいえない。日常生活の中でゲンカツギをするのは、むしろ男たちのほうがずっと多いような気がするし、たいがいの男は自分のラッキーナンバーを持っていたりする。わざわざ苦労してまで語呂のいいナンバープレートを手に入れようとしたりする。占いの双子の兄弟であり、より数字に支配されたギャンブルなどは、いつだって男たちの独占場だ。
もしかしたら、占いや迷信の趣向にも性別による傾向があらわれることがあるのかもしれない。場合によっては、女性のそれは「外」からやってきて、男性のそれは「内」から発生するようなことが言えるのかも。平たく言えば、女性が他人にこじつけしてもらうことを、男性は自分でこじつける、とか。
『格付け☆星座占いちゃんねる』はその名のとおり星座占いのサイトだから、私の考えによれば、一見そこを訪れるビジターのほとんどが女性たちであるかのように思われる。しかし、さにあらず。マーケティングを怠らない世間の勝ち組たる人々は、ちゃんと性別を超えてネット利用者がサイトを訪れるよう、私の浅はかな考えなど見透かした対策をたてている。
その一つは今も昔も占いに隠されたトリックの一つだ。「予言」が大衆のものであり、「占い」が個人のものであるならば、個人心理を活用しない手はない。そこで運勢に順位が、格付けがもたされる。いいや、占いとは、そもそも最初から格付けそのものだ。大吉、中吉、小吉と。個人の競争心を上手く利用しているのだ。
私みたいに占いなんて信じないと言っている人間だって、一歩世の中にでてみれば、そこは自分も含めてどんなものにも、およそ名のつくものにはすべて、順位がつけられた格付け社会であるということは痛いほどよく知っている。だから占いの内容は信じなくとも、そこに帽子の飾りみたいにつけられた順位の方はなんとなく信じてしまう。
ここがミソだ。占いの順位を信じることは、じつは占いそのものを信じることと変わりがないのだ。なぜなら、占いとは格付けであり、格付けにはとうぜん順位がともなうものだから。
しかし、その日の運勢に順番をつけることぐらいならば、どのテレビ局の占いコーナーだってたいていやっている。『格付け☆星座占いちゃんねる』の目新しさは、そこにアメーバーめいた変幻自在のシステムを付け加えたことだ。
普通その日の運勢といった星の数ほどある占いは、それぞれが独立し、完結している。でも『占いちゃんねる』のそれは、日付がかわるまで終わりがなく、たえず変化してゆく。テレビ、雑誌、インターネットなどあらゆる媒体のデータを集計平均値化したサイトの運勢順位は、どこかで新しい格付け星座占いがでるたび、それが加算され変動してゆくからだ。
そのリアルタイムさにハマった人々は、日に一度ならず、二度三度とサイトを訪れるようになる。自分の運気がさっきよりは少しはあがっていないかと。まるで株価トピックスの動きに一喜一憂する個人投資家よろしく。
もっともいくらデータを集めようと、それらがもとから不確かなものであるならば、それをどんなに積み重ねようと、真っ直ぐな塔は建ちはしないと私は思うのだが、しかし『格付け☆星座占いちゃんねる』はそのシステムによって数ある占いサイトのなかでも一番の人気サイトにのし上がった。今ではここをたびたび訪れるリピーターを巷では「格付けマニア」と呼ぶらしい。
『情報収集係』である妻が、今もかつても「格付けマニア」であったことはない、と私は考える。彼女は私同様、占いの類を信じ込むタイプではなかったし、あくまでビジネスライクにパート仕事をこなしていたはずだ。
でも、もしかしたらその真面目な仕事ぶりが、寝た子を起こすような余計な発見を彼女にさせてしまったのかもしれない。
夕食の卓での「やっぱり」発言のあと、「666」のかわりに額に「?」と書いた夫にむかい、妻はこんなことを言った。
「あなた、獅子座だったわよね?」
いかにも。私は獅子座生まれだ。しかし、それがどうしたというのか。獅子座生まれの人間にはいいことがあってはいけないのか。血液型占いにおけるAB型のように、星座占いの獅子座は、云われのない非難中傷を浴びなければならないとでも言うのか。
「ううん」と、妻はそれにたいしては首を横にふる。
「じゃ、なに」私は自分が昔懐かしい山田太一のドラマにでてくる登場人物みたいな喋り方をしているのに気がつきながら聞く。
「ちゃんと、云われはある」
妻は断言した。そして『情報収集係』をはじめてから二カ月あまり、その果てに見つけた夜空の星々の神秘さからはほど遠い星座占いの打算的な現状を、そしてそこから偶然のように浮かびあがった、しかしとても偶然とは思えない獅子座生まれに忍び寄る今そこにある危機を、楽しい夕食時の夫婦の会話に後味の悪いデザートのようにつけくわえた。
まるで秘密基地に見立てた公園のコンクリ缶の中で、世界を一変させてしまう理論を友達と語りあっているかのような趣だった。妻の話はそんなふうにどこか子供じみていた。それゆえに奇妙な懐かしさもあった。
その時、私の頭によぎったのは、高校の野球部で補欠仲間だったソトコバ君という少年のことだった。
当時のソトコバ君と現在の妻では、性別以上にも年齢による大きな差があるけども、二人が発見した理論には、それを超越したある共通項が存在するような気がしてならなかったのだ。
どんな顔をしていたか今では思いだせないけど、そのソトコバ君、『お天気カラクリ理論』という彼自身が命名した、野球とは縁がないようで縁の深い、独自の天気予報に関する持論を習得していた。それが妻の発見した占いの理論とよく似ているのだ。
ソトコバ君には苦手な先輩部員がいた。彼が毎朝毎夜欠かさずに天気予報を観るようになったのはそのせいだった。というのも、雨が降って練習が中止になれば、その小姑先輩と顔をあわさずにすむから。
三年生が引退する夏の終わりには、ソトコバ君は晴れて毎日の天気予報チェックからも、先輩のしごきからも、解放される予定をたてていた。しかし、その小姑先輩というのが良くも悪くも面倒見のいい人で、引退どころか、卒業してからも毎日のように母校のグランドに顔をだすようになった。
おかげでソトコバ君は彼の高校生活の集大成ともいうべき「天気予報理論」を打ち立てることになったのだ。勉強でもスポーツでも、芸術でも女の子でもなく、「天気予報」が彼の青春アルバムの巻頭ページを飾り「あとがき」を締めくくった。
ソトコバ君がどういう気持ちであったのか今では見当もつかないけど、ハタから見れば、彼は入部先の選択を完全に間違えていた。
『お天気カラクリ理論』はソトコバ君がごく初期に完成させた理論の一つだ。
野球部の練習が終わり、部室のない私たち一年は校舎裏の暗い自転車置き場で着替えをしていた。
「明日、雨だよね」
その時、私はソトコバ君に確認するようにそうたずねたはずだ。彼が天気予報に詳しいことはすでに知っていたし、翌日は土曜日で、夕方からやっている「ガンダム」がどうしても観たかったのだ。
「ううん、たぶん降らないよ。降ったとしても、練習が中止になるほどじゃない」
ソトコバ君は私とはまたべつの意味でがっかりした口調で言った。
「でもさ、天気予報は朝から雨だってよ」
「天気予報は大袈裟に言うんだよ。特に週末の天気はさ」
特に週末の天気は?
そうして私はソトコバ君の『お天気カラクリ理論』を知ることとなった。
ソトコバ君と妻が発見した理論の共通部分を一言で表現するならば、それは「メディアによるリスク回避」とでもなるだろうか。
ソトコバ君お得意の「天気予報」では、その定理は「気象予報士は考えうる最悪のケースを選択する」という一説によってあらわされる。簡単に言ってしまえば、晴れなら曇り、曇りなら雨、というふうに。そうしておけば、もし予報がハズレた場合にもリスクが少なくてすむというのだ。
「例えばね」モザイクのマスクをかぶったソトコバ君が、マンガにでてくる『ともだち』みたいに言う。「晴れると聞いて雨が降っちゃったケースと、雨が降ると聞いて晴れたケースを比較してみなよ。どっちがムカつく?」
もちろん私はソトコバ君が期待したどおりの答えをした。
「だろ?だからさ、悪いほうを言っておけば間違いないんだ。だって、そっちのほうがハズレたとしたって視聴者からのクレームは少なくてすむし、特に週末なんかはさ、みんな晴れるのを期待してるから、そこに晴れるって予報だしといて、雨降っちゃったら大変なことになるわけ」
「へー、そうか。すごいね。どうしてそんなこと知ってんの?」
「おれが自分で発見したんだ。『お天気カラクリ理論』っていうんだよ」
ソトコバ君はべつに自慢するふうでもなく、庭のペットを紹介するみたいにそう言った。たぶん。
当時の私はまだ幼稚だったから、彼の眉唾話にバカみたいに感心してみせたけども、今になってみれば、気象庁ならびに気象予報士がそんな子供じみた手段を用いているとはとうてい考えにくい。
それでも私の記憶に誤りがなければ、ソトコバ君の「カラクリ理論」は見事に的中して、その土曜日、雨は午前中にパラパラと降っただけで終わった。お出かけの予定をたてていた人々はさぞかし喜んだことだろうが、当然、野球部の練習は日が暮れるまでつづくことになり、それでも私などはまだお目当ての「ガンダム」を観れないだけですんだけど、当のソトコバ君といえば、「声がでてない!」と、かの先輩に硬球を投げつけられたあげく、果ては一人ケツバットの刑に処せられていたのだった。
大人になったソトコバ君が、おかしな「予言の書」を実行にうつさないことを私は望む。
かつての補欠仲間にならって妻の理論に名前をつけるとすると、少々長くはなるが、『星座占い格付けカラクリ理論』とでもなる。二つの理論はちょうど発信源も同じテレビからであり、二人はそれを熱心に観察し、考察することによって独自の見解を得るにいたったのだ。
ある日、いつものように『情報収集係』の仕事でテレビを観つつ女房は思ったらしい。『格付け☆星座占いちゃんねる』に、月間の格付けがあればもっと面白いのに、と。「先月一番運が良かったのは○○座!○○座の皆さん、おめでとうございます!どんないいことがありました?メールで教えてね」みたいな。
そこで、妻は試しに自分でひと月前の統計をとってみることにした。我ながらいい思いつきだと思ったのだろう。もしかしたら「主婦のアイデア商品」として特許を取れるかもしれない、と。
そんな、よもやの「夢の印税生活」という言葉に踊らされた彼女は、多少の労力など惜しむことなく、家計簿をつける主婦よろしく、電卓とボールペンを手に計算を開始した。方法は簡単。十二の星座の日別順位をそれぞれ合計して、先月の日数で割ればいい。算出された数字が小さいほど格付けは上位になる。
妻の当初の予想では、さそり座はまだしも、獅子座が上位にくい込むことはまずない、いやあり得ない、というふになっていた。彼女はさそり座の女なのだ。とうぜんもう一方の獅子座は....。
女房の予想は六分の一ぐらいは当たっていた。折り込み広告の裏に書きだされた秘密コードめいた数字の羅列は、たしかにさそり座が十二の星座のうちの上位ではないことを物語っていた。しかし、そうかといって下位というわけでもなかった。それはちょうど中間だった。ほとんどの星座と同じように。夜空で何万光年もはなれあった星座たちは、居間のテーブルの上で星々のメリーゴーランドよろしく仲良く肩をならべていた。
ちょっとした思いつきではじめたこの妻の試みは、だが、熱心に『情報収集係』をこなしてきた彼女に、まるでこれまで善き夫だとばかり思っていた亭主のその携帯画面に、なにやら絵文字を頻繁につかった怪しげな送信済みメールを発見したような虚しい疑惑を生みだす結果をもたらした。
妻はようやく理解した。『格付け☆星座占いちゃんねる』は、べつに月別格付けほどのアイデアを持ちあわせていないわけではなく、単にやりたくても出来ないのだ、ということを。なぜなら、そこではサイトの謳い文句にもなっている「格付け」が成立しないのだから。
印税生活の夢は流れ星のような一瞬の輝きだけをのこし、四角いブラックホールの中へと吸い込まれていった。あとに残ったのは何も映しだされていない暗いテレビ画面だけだった。
妻はそこにメディアによるカラクリと、明るい未来への扉が閉ざされるような感覚を同時に見いだしたのだった。
はじきだした星座占いの月別の順位は、その数字の値のほとんどが6から7の間だった。つまり星座占いが正しく人の運勢を反映したものだと仮定し、この結果を考慮したならば、先月、世の中の人々はみな等しく公平な苦楽を享受したことになる。鈴木さんも、佐藤さんも、同じぐらい幸せで、同じぐらい不幸せだったことになる。
どちらの鈴木さんだろうと、どこそこの佐藤さんだろうと、そんなことはまずありえない。法律がどんなに国民の平等な幸福を約束していようが、実社会は不平等の塊なのだ。それぐらいはいかに楽天的な女房だって心得ている。
そこで彼女は悟った。夏休みの最後の一日におとずれた夕焼けを眺める子供のごとく。どんなに楽しい時間にも、必ず終わりはやってくる。それがはじまったとき、その終わりもはじまっている。
ようするに、占いといえども客商売。同じ星座が下位ばかりつづいては、その星座の視聴者や読者がはなれていってしまう危惧がある。メディア側にしてみれば、実際に視聴者や読者の身にどんな種類の悲劇がまき起こっているのか、いないのか、それは知らないけども、そんなことより、このままでは視聴率や購買数に影響がでてくる可能性がある。そこで巧いこと調整がなされるのだ。実社会では不可能なまさに時の神の手によって。
かくして、はじまりは終わりとなり、終わりははじまりとなる。災難つづきだった星座難民は嘘のように救出される。あるいはラッキーアイテム「缶コーヒー」によって。昨日12位だった星座が今日は1位に上り詰める。わずか24時間の間に、鈴木さん、佐藤さんの身になにがあったのか。
まるで人生の浮き沈みを反映しているかのように、日々順位の入れ替わる格付け占い。しかし、それも長いスパンで顧みれば、そこでは実社会ではおよそあり得ない、誰もが凡庸ながらも平等な人生をおくることができる中途半端なユートピアが実現されていたのだった。
妻の発見した『星座占い格付けカラクリ理論』のあらましは以上のようなものだ。けれども、これだけでは彼女が占いを信じ、わざわざ家をでてまで毎日のように占いメールを夫に送信してくる理由にはならない。いいや、もしもこれだけだったなら、事態はむしろ今とは真逆の展開をみせていたはずなのだ。新婚早々とまでは贅沢言わなくとも、まあそれなりに仲睦まじく。
思うに、人間というのはとかく良いことより悪いことのほうを信じやすい生き物なのかもしれない。それが他人にまつわる物事に関してならなおさらのこと。
たとえば、私が通勤途中に100万円拾ったと言っても会社の人間は誰も信じないだろうが、これが100万円落としたと言ったなら、何人かは信じるような気がする。とくに課長あたりは。
妻のケースもそっくりそのままコレに当てはまりはしないだろうか。ただ、100万円の件は例外だ。そんな金が私にないことは、彼女は百も承知しているわけだから。
そうではなく、印税生活のバブルな夢が不可能な数字となってあらわれたとき、彼女がそこに見てとったのは、妄想マネーよりもっとリアルな悪夢であったのだ。
リアルな悪夢、つまりそれは正夢というやつ。
ほとんどが横並びであった星座の平均順位。彼女はその下に、まるで夜空の林間学校についてこれずはぐれてしまった、一人のノロマな生徒めいた星座があるのを見つけたのだ。横並びどころか、まるで一人だけ何万光年と離れてしまっているような。
鈴木さんも佐藤さんもすでに気がついていることだろう。それが真夏の夜にまたたく獅子座だったわけだ。
さそり座の危険な好奇心に不必要な火が点いた。もちろんまだ単純な計算違いということだってありうる。で、妻は今一度、電卓片手に計算をやり直し、さらに三カ月前までさかのぼってその月平均の順位も割りだしたのだった。二枚目の折り込み広告をボールペンの数字文字で埋め尽くしながら。ときに彼女は、職人肌の血筋をのぞかせる瞬間があるのだ。
どれも同じ結果だった。計算違いでも、ひと月だけの偶然でもない。獅子座は、獅子座だけは、仲良し星組の中で唯一、個性的な順位を何カ月もキープしつづけていたのだ。当然ながらそれは最下位という負の個性を。もしも獅子座生まれの選手ばかりを集めたプロのサッカーチームがあったなら、来シーズンはまず間違いなく下部リーグ降格、監督は更迭、といったところだ。あるいはチームごとロシアの石油王に身売りなんてことになるかもしれない。そうしたら全国の獅子座サポーターは愛するクラブと北方の島々とを天秤にかけなければならなくなるかもしれない。
しかし、それでもなお全国の獅子座生まれを代表して、あるいは獅子座サポーターを代表して、私は言いたい。もし私が妻の立場であったなら、これはやはりなんらかのシステムの不具合か、そうでなければ単に悪い冗談だと受け流し、不問に伏すべきであったろうと。
だが、自身はさそり座生まれであり、なおかつ人生の下部リーグ降格危機に直面した獅子座の男を亭主にもった女はそうは考えなかった。
和菓子屋の元看板娘は悟ってしまったのだ。これこそ星々の運航からの、古代ギリシャの神々からの、本当の啓示なのだと。つまり出来レースの格付け占いからはみ出してしまったものこそ、システムの裏側に見え隠れしているものこそ、真の占いであり、言いかえれば、獅子座の不運は格付け出来レースをもってしても救いがたいほどのレベルなのだと。なにしろ彼女は生きたサンプルを毎日その目で見ているわけだから。
長い一日が終わろうとしていた。ようやく私は駅のプラットホームから解放されようとしている。昼食からトイレまで、JR職員でもないのに、すべてが駅の中ですまされてしまう我が職務。それは中野駅にはじまり、吉祥寺駅で終わることになっている。なぜだか『偽R35』はそれ以外の区間の駅で発見された形跡がないのだ。
結局この日、私がした仕事といえば中野の付けボクロ男の一件のみ。それとて対策書を書かされるハメになったわけで、むしろ会社的にはマイナス査定の要因だ。やはり悪い星の下に生まれたのだろうか。
妻からの占いメールはとどかなかった。こんなことは別居以来はじめてだ。実家でタチの悪い風邪でもひいたのか。それとも店の手伝いが忙しくて、ついに甲斐性なしの亭主のことは忘れたか。
いつもだったら彼女のよこした占いメールの、その文面の裏側に隠された意味を読み解くべく、時間をつぶしていた小生であったが、仕方がないので、例の悪徳サイトでも覗いて今朝の私の言動をどんなふうに書きたてているのやら確認しておこうと思ったら、どいうわけか突然サイトごと閉鎖されていてアクセスできなかった。
どうやら私という存在は、公私ともにその正味期限を切らしつつあるらしい。あとはコンビニ弁当よろしく破棄されるのを待つのみ。
自宅マンションのある高円寺で電車をおりた私ことヤモメは、真っ当なコンビニ弁当を夕飯にすべく、駅近くの店舗に立ち寄った。そこで昨日の妻からのメールを思いだし、ゼロカロリーの缶コーヒーも一緒に購入してみた。120円で手に入る幸運とはいかなるものなのか。ここは女房の眼力を試すいい機会だ。
ヤモメは弁当の上に、他人の目にはただのショート缶としか映らない夫婦間のある緊張をのせ、レジへとむかった。すると店員の女の子に抽選箱の中のキャンペーンくじを一枚引くよう薦められた。言われるがままにそうすると、めくったクジの内側になにやら野球帽のイラストらしきものが印刷されてあった。女の子はレジ袋に入れた弁当と一緒に、イラストによく似た赤い帽子をヤモメにくれた。真ん中に「B」のチームロゴが打ってある、メジャーリーグはレッドソックスのキャップだった。
女の子は言った。
「おめでとうございます。こちらが一等の懸賞品になります。占いどおりになったでしょ?」
最後の言葉が妻のそれと重なって聞こえたのは、もちろんヤモメの聞き違いだ。店員が占い云々などと口走るはずがない。
それでもヤモメはもう少しで肝心の弁当を置き忘れたまま店をでそうになるぐらい動転していた。女の子に呼び止められて、やっとキャップ片手に引き返すと、頭上にキャンペーン用の宣伝ボードが吊されてあるのが見えた。レッドソックスのチームTシャツは二等だった。
そういったわけで、ヤモメこと小生は、レジ袋とベースボールキャップを持ってコンビニ前に立っていた。一等賞の記念に缶コーヒーは飲まずに居間の棚にでも飾っておこうかと考えもしたが、やはり缶コーヒーはあくまでただの缶コーヒーであり、ラッキーアイテムの成果もただの偶然にすぎない。ここにいたってもなお、私は妻が信仰する星座占いを信じる気には到底なれなかった。だって、そもそも私のお気に入りはレッドソックスではなく、その永遠のライバルチーム、ゴジラ松井が在籍したニューヨークヤンキースなわけだし。
であるからして、ただの缶コーヒーとは潔くおさらばすべく、その場で一気に飲み干して、少し大人気ないとも思ったが、むしろ厄払いするかのように空き缶をコンビニ前のゴミ箱めがけて放り投げたのだった。
元ラッキーアイテム君は、アスファルトの上に緩やかな曲線を描きながら、さながら商店街の流れ星のように3メートルほど飛行した。そして吸い込まれるようにゴミ箱に設けられた穴の中へと姿を消した。まるで家の壁に空いた小さな穴にボールをとおし、向かいの木立に命中させ、一人キャッチボールをしてみせて川上哲治を驚かせた星飛馬なみのコントロールだった。
見たか、ソトコバ君。
「禁煙とは、つまり生き方を変えることなり」。それを試みたことのある者ならば、誰もが一度は目に耳にしたことのある言葉だろう。その格言めいた響きは、禁煙願望のある喫煙者にとって、海の向こうの黄金都市バビロンのようなイメージとなっていつも脳裏のどこかに張りついているのに違いない。黄金都市には行ってみたい。されど、そこへたどり着くには一人でこの広い海原を渡り切らなければならない、と。
歴史上の格言がいつも真実を語っているわけではないだろうし、まして禁煙三カ月目の私が言うのもなんなのだけど、この格言にかぎってそれは事実であるように思う。
平たく言ってしまえば、禁煙前と後では時間の使い方がまったく違ってくるのだ。つまり、なにもしていないという時間がなくなる。あるいは怠惰な思想家から行動家へと舵を切らざるをえなくなる。岸辺でただのんびり本を読んだり、釣り糸を垂れたりといったスナフキン的行為は、バビロンにむかってひたすら櫓をこがんとする者にとってはほとんど自殺行為になるのだ。
そうして我々禁煙を誓った者たちは、櫓をこぐにふさわしい代替行為を日常生活の中に探すこととなる。
それはなんでもいいわけで、なにか一つのことに絞り込む必要もないのだが、おそらくは、運動、スポーツといったジャンルがそこに入り込んでくるケースは非常に多くなるだろう。禁煙と運動が互いに持つ性格は双子の兄弟みたいによく似ているからだ。困ったことに、ともに三日坊主で終わる確率が高いというマイナス要因まで。
しかし、ここに救世主があらわれる。仕事に追われ、決まった運動時間が思うようにとれないサラリーマン諸氏に。その単調さと過酷さに耐えられないかつての怠惰な思想家たちに。それは今、本や釣り竿のかわりに私の手のひらに収まっている。任天堂『wii』。これだ。
コンビニ弁当を食した私は、ジャージに着替え、一人居間のテレビに向かってバーチャルベースボールに興じていた。なにしろ、ここ二カ月近く毎晩の日課にしているから、元高校球児という肩書きを考慮したとしても腕前は中々のものだ。
おそらく、このバーチャルベースボールが星飛馬における大リーグボール養成ギブスのごとく、壁の穴をもとおすコントロールをこの私にさずけたのは確かだろう。高校時代はノーコンゆえの控えピッチャー兼代走専門に甘んじていたこの私に。
もしそうであるなら、私のラッキーアイテムは缶コーヒーなどではなく、この『wii』であるべきだ。だって、缶コーヒーが私のトラウマやらコンプレックスやらを取り払ってくれるとは到底考えにくいけども、『wii』ならば、私の心身だけでなく、妻のダイエットにだって役立つ可能性があるのだから。
九回表。ツーアウト、ランナー一二塁。ピッチャー・ヤモメがセットポジションから第一球を投じようとしたとき、60年代風の少しサイケがかった綿雲の上を、優雅に浮遊するかのような『ワイルドサイドを歩け』のイントロがドームいっぱいに響きわたった。
それはこれまで人生における「ワイルドサイド」を歩いたためしのない私の着メロであり、ここ最近の私的なテーマソングであった。
右手から落ちたボールがマウンドから人工芝へとコロコロ転がってゆく。それを見たwii審判は、まるでオーバーなゼスチャーによって自身のバーチャルな存在感をおぎなうかのように、私にむかってボークの判定を下したが、これも致し方ない。試合中断だ。
私は急ぎテーブルの携帯に手をのばした。てっきり妻からの電話だと思ったのだ。忘れたメールのかわりにかけてきたのかと。しかし、今になってそんな気づかいがのこっているぐらいならば、はじめから家をでていったりはしていない。
やはり電話の主はまたしても「平之助」課長だった。とっくに勤務時間は過ぎているのに。もしかしたら彼は部下との通話やメールが無料になるサービスを携帯会社と個人契約でもしているのではあるまいか。略して「部下割」とか。
そのサービスには、上司とのメールや会話が無料になるというコースもあるのかもしれない。こちらは略して「上司割」。
いいや、そんなものあるわけない。あっても申し込む人間がいないから。一日の着信履歴がほとんど一人の上司に限定されている私でさえ。いいや、私こそ。
「小柳さ、タニシゲ君からなにか連絡なかったか?」
声のうしろから聞き覚えのある喧騒が聞こえた。どうやら課長、残業あとに行きつけの焼鳥屋の暖簾をくぐったらしい。昼は蕎麦屋、夜は焼鳥屋。「部下割」の加入者は、いまだ新橋的サラリーマンライフを堅持実行しているのだ。
「タニシゲ君ですか?ないですけどね。彼がどうかしたんですか」
「それがさ、どいうわけか昼前に会社から出たっきりもどってこなかったんだよ」
それは蕎麦に飽きたからでしょう。ついでに会社にも。それから、あなたにも。
とりあえず試合続行。スタジアムの観衆が私を待っている。右手に『wii』のコントローラー、左手にはグローブでなく携帯電話を握りしめながら、私はふたたびリビングのバーチャルマウンドに立った。
バッターボックスにはなぜか「平之助」課長とよく似たベテラン選手が、焼鳥の串の代わりにバットを持って立っている。マスクをかぶったソトコバ君らしきキャッチャーが、ミット下にのぞかせたサインは頭部をかすめる危険球。マウンド上の私は、昔の相棒にむかって一度深くうなづいた。
「とにかく、なんでもいいからなにか情報が入ったら、すぐに私のところに連絡してくれ。いいな、これは緊急事項だから」
「承知しました」
電話を切ると、バーチャルスタジアムのホームベース上では、ちょうど課長らしき選手がグランドをあとにしようとしているところだった。担架にのせられて。
私はできるものならマウンドをおり、意識朦朧としている上司にむかって、詫びを入れるかわりに、二言三言たずねたいことがあった。そのタニシゲ君の肝心の携帯番号とアドレスを。それから、それが本当に緊急事態であるのなら、あなたは焼鳥屋でなにをしているのですか、と。
でも、面倒なので全部ヤメにした。こっちだって緊急事態なのだ。ツーアウト満塁のピンチなのだ。
すると今度は玄関のチャイムが試合の流れに水をさした。性懲りもなく私はまた一瞬、妻が帰ってきたのかと思ってしまった。それで今日はわざわざメールしてこなかったのか、と。いや、よそう。いい加減とどかなかったメールを希望材料として使うのは。
玄関のチャイムは二度鳴った。インターホンのボタンを押す前に、私はなぜかタニシゲ君がウチの玄関の前に立っている姿を思い描いた。しかし、こちらが携帯番号も知らないのに、あちらが私の自宅を知っているはずがない。それに、そもそもどうして私の宅を訪れる必要があるのか。
案の定、インターホンのスピーカーからは聞き覚えのない中年男らしき声が返ってきた。だが、その言葉はある意味、果たされなかったタニシゲ君の電撃訪問以上に想定外なものだった。
「小柳さん、電報です」
スピーカー越しに男が言った。電報?ここ数年、年賀状一通とどいていない私に。いったい今度はどんな緊急の要件なのか。
なにやら地球のどこかから見知らぬ誰かが私にむかって大いなる危機を知らせようとしているみたいな胸騒ぎがする。そうでなければ、振り込め詐欺にとってかわる電報を使った新手の詐欺か。
いいや、それは新手の詐欺でも、地球のどこかの見知らぬ誰かのものでもなかった。ただ、やはり私の身の危険を知らせているようではあった。
玄関のドアを開けると、グレーの制服を身につけた郵便配達員が立っていた。はて、配達員の制服はいつからグレーになったのだろう。赤いオートバイに深緑だか紺色だかの制服がトレードマークだったような気がするが。民間化にともないカラーも一緒に変えたのだろうか。おかしな電報の文面に目を走らせたのは、そのグレーの背中がたしかに薄暗いマンションの廊下に消えてゆくのをレンズ窓から確認したあとだった。
妻からの電報だった。
形は違えども、ようやく一日の終わりに待ちわびていたものを手に入れて、本来なら胸をなでおろすなり、喉に引っかかった異物がとれたような感覚にひたるなりもしたかったのだが、薄い一枚の紙切れを手に私が抱いた印象は、はたしてこれは本当に妻からの電報なのだろうか、というものだった。
それはまるでどこかの誰かが、彼女の名を偽りよこしてきたようなのだ。電報特有の箇条書きめいた文体をのぞいても、やはりいつもの占いメールとは調子が違っていた。
もしも、この悪い予感が当たっていたとしたら、最初の胸騒ぎは決して間違いではなかったことになる。どこかの誰かが私に警告を発しているのか、それともなにかの罠にかけようとしているのだ。
いいやそれだけではない。もしかしたら、これまで毎日のように私が受けとってきた占いメールも、妻からのものではなかった可能性だってでてくる。
なにがなんだか分からなくなってきた。今この場で私がなさなければならないことはなんだろう。バーチャルマウンドにもどってあとワンアウトをとり、ゲームを終わらせることか。いいや、たぶん、絶対、そうではない。
私はふたたび電報の文面を目でおった。そこには読みづらいカタカナ文字がこんなふうにつづいている。
「デンワツナガラズ デンポウウツ
スグニゲロ アールガクル レンラクコウ」
私は30分ほど熟慮したあげく、ようやく妻と連絡をとることにした。一人で悩んでいてもラチはあかない。
だが、やはりダメだった。携帯もメールも、備え付けの電話からも繋がらない。もしかしたら大規模な通信障害でもおきているのだろうか。さっき課長と携帯で話したばかりだが。「部下割」コースだけは例外なのか?
しかし、この八方塞がりの悪状況が、逆に電報がたしかに妻からのものであることの確証を高めてくれもした。「部下割」課長に電話して、つながるかどうかためしてみようかとも考えたが、それは思いとどまった。
とにかく逃げるのだ。今すぐに。でも、いったいどこへ?
あれこれと考えたあげく、私が選んだ行き先はいつもの駅だった。馴れ親しんだあの中央線プラットホームだった。もしも本当に『R』が存在していて、ヤツが私のところにやってくるというのなら、ヤツを返り討ちにできる場所は、あそこをおいてほかにはない。
私はジャージの部屋着から、ソファーに脱ぎ捨てたままの我が戦闘服たるスーツに着替え、リュックを背負ってふたたび部屋をあとにしたのだった....。
『偽R35』。そんな、田舎の人々にとってはまったく意味不明な単語が、都会の住人たちの口にのぼるようになったのはいつごろからのことだったろうか。
詳しいことは知らないけども、およそ現代の都市伝説なるもの全般がそうであるように、それはインターネットを発信源に、口コミで広がっていったことはたしかだ。
もっとも、れっきとした都民ではあっても、私たち夫婦みたいにそんなこととはまったく無縁に暮らしていた者たちもいて、少なくとも私たちに関していえば、それで生活するのに困るようなことはなかったし、かえって知らなかったときのほうが幸せですらあったような気がする。とにかく、夫婦関係は今よりマシだった。
ただ、世の中の流れに長けた人々の間では、『偽R35』の存在はずいぶん前から噂になっていたようで、それによれば、事の発端は、のちに『偽R35』と呼ばれるようになるその雑誌自体というよりは、ある一人の奇妙な男の存在が、どこかしらの掲示板なりブログなりに書き込まれたことによってはじまっているのだとか。
その書き込みをした人物を仮に「ヤモメB」としよう。そしてある朝、毎日のように利用している最寄りの駅ホームで、デジャブと似たようでいて、どこか異質な感覚が、彼の脳裏に押しよせたと仮定しよう。
それは十数年振りに開かれた同窓会の席で、懐かしい同級生と語りあいながら、あとになって、じつはそれがまったくの別人であったと判明したような感覚にちかいかもしれない。ヤモメBは、いつもと変わらないはずのプラットホームの風景の中に、ある違和感を感じてふと足をとめたのだ。
彼の視線の先には一人のサラリーマン風の中年男が立っていた。Bはその男に見覚えがあった。たしか昨日の朝も、いや一昨日も、同じ時間に同じ場所に立っていたはず。『R35』という、ヤモメ自身が勤める会社が出版する無料情報誌の前に。
グレーのスーツに身をつつんだその男は、どこか必要以上に無機質なオーラを周囲にはなっていた。まるで毎日決まった時間にそれを眺めにくるようインプットされたサラリーマン型ロボットのような。
しかしこれだけのことであれば、単に鉄仮面の下に変わった趣味を隠し持ったサラリーマンか、あるいはそれでも貴重なお客さんであることにかわりはない、といったぐらいの話で終わり、わざわざインターネットに書きこむような出来事でもない。
ヤモメも思い直したようにそろえていた足をふたたび運びだし、通勤客の列につづいてホームに入ってきた電車に乗りこもうとした。そのうしろをサラリーマン型ロボットがとおり過ぎてゆく。これで何冊目かの、同じ雑誌の同じ号を今朝の収穫物として小脇に抱え。やれやれ、とヤモメ。ふと、その額に大きなホクロがあることに彼は気がついた。しかも、ちょうど目立つように額の真ん中に。
はて、あんなものが昨日もついていたただろうか。ロボットにホクロは必要だろうか。
昨日は目にも入らなかった男のホクロが、今朝はまるでホクロそのものが男を動かしているかのように見えた。あたかもマトリックス上のエージェントのごとく、それに触れたとたんべつのなにかに姿を変えてしまう装置のような。今はなるだけ目立たぬよう、地味な勤め人の姿をしてはいるが。
しかし、それにしてもたかだかホクロ一つ、ハタから見てみれば、決して大騒ぎするようなことではあるまい。だがヤモメの頭は、はじめてパソコンを前にした老人のごとく混乱していた。それは永遠に解けない謎かけみたいな顔をして、茶の間のテーブルに、彼の頭のVIP席に、座り込み、その思考を堂々巡りの迷宮へと誘おうとしていた。はたして、あのホクロは昨日もあっただろうか、と。あるいは、まったく役に立たないヘルプ機能とはいったいなんぞや、と。
そんなヤモメサラリーマンの困惑をよそに、ホクロ男は冷めたグレーの背中を見せながら静かにエスカレーターをおりてゆく。けれどその時、ヤモメは謎かけの答えをみちびくきっかけを、ホクロ男自身の後ろ姿から見つけたのだった。
その手にはなにも握られていなかった。ついさっきまで脇に挟んでいたはずの『R35』が、そこから忽然と消えていた。ホクロ男の両腕はロボットのそれどころか、今は羽ばたく鳥のようにどこまでも軽やかげだった。
アレを、男は目にも止まらなぬ速さでどこかに投げ捨てたのだろうか。あるいは手品師のような芸等でもってスーツの中に潜り込ませたのだろうか。たぶんどちらも可能性としては低いだろう。むしろ最初から無料情報誌など持っていなかったと考え直したほうが自然なくらいだ。
すると舞台の袖で出番を待っていたかのように、三人の中年男たちがヤモメの視界に入ってきた。一昨日のホクロ男が、昨日のホクロ男が、そして今朝のそれが、グレーな三つ子の『アビーロード』のように一列になって、朝のプラットホームをパレードしてゆく。先頭に立って彼らを引率するのは、白スーツのジョン・レノンではなく、いつも笑顔の駅員ミッキーだ。
ミッキーは『R35』が並んだワゴン棚の前で立ち止まった。ホクロ男三兄弟は、引率者の笑顔の指示のもと、それぞれ持参した紙袋から真新しい『R35』もどきを順々に差し込んでゆく。その一連の作業が完了すると、彼らはプラットホームをUターンしてきて、ふたたびヤモメの横をとおりすぎる。振り返ると、つかの間のパレードは消えている。
それはヤモメ自身の記憶の奥底にあった映像だった。彼はたしかに見ていたのだ。抜き取るでなく、差し込んでいたホクロ男の行動を。けれども、彼の頭のヘルプ機能は老人にとってのそれと同じように役には立たず、誤った動作を修正できなかった。誰も人がそんなことをするとは考えにくい。毎日決まった時間に駅のプラットホームに置き土産をのこしていく勤め人がいるとは。ヤモメBの目の、頭の、動きは通常の人々のそれにならっただけなのだ。彼もまたマトリックスの住人にすぎない。ほかの人々と同じように、誤った記憶をインプットした一体の。
最初にプラットホームに立ったときに感じた違和感の正体をようやく突きとめたヤモメは、はたして男がいったいなにを置いていったのか、電車を一本やり過ごすしながら、興味本位にワゴンの中を探ってみることにした。
それは通勤途中に書きためた過労気味の詩集なのか。はたまた、古文書に由来する埋蔵金の在処を記したトンデモ本なのか。どちらにしても、ただのゴミくずではないような気がする。
だが、結局のところそこからは埋蔵金よろしくいくら探ってもなにもでてこなかった。ゴミも、ゴミくずのような詩も。あってしかるべき『R35』以外には。
ついにヤモメの頭はフリーズしてしまう。買ったばかりの老人のパソコンよろしく。
それからの事の次第は誰もが予測できるだろう。仕事から帰ってもまだ朝のプラットホームの一件が頭にこびりついてはなれないヤモメBは、コールセンターに助けを求めるパソコン老人と同じように、ネットワークに駆け込んだのだ。そしてブログなり掲示板なりに一連のホクロ男の行動を書き込んだ。ほどなくしてビジターたちからの反応があらわれた。曰わく、「ホクロ男とはいったい何者なのか」。「男は棚になにを隠したのか」。「なんの目的があって毎朝そんなことをしているのか」云々。
インターネットの電波にのって憶測が憶測を呼んだ。そのうち自分も中央線のプラットホームでホクロ男を目撃したという者もあらわれた。そして、ワゴンにはやはり『R35』以外には見当たらなかったと書き込むのだ。
一人が、ワゴンの中に『R35』以外見当たらないのは、それはホクロ男がまさにその『R35』を差し込んでいるからではないかと仮説をたてた。では、なぜわざわざそんなことをするのか。また一人が、それは『R35』ではなく、じつは本物そっくりの偽物なんじゃないかと、仮説の上に大胆な仮説をかさねる。ホクロ男はしだいに『R』というシンボリックな名前で呼ばれるようになり、偽物のほうは『偽R35』と正式に名付けられた。
徐々にあらたな都市伝説の骨格ができあがっていった。ただ、これだけではまだなにかが足りない。都市伝説が世間一般のすそのにまで広まってゆくには、奇妙な現象に見合った、それでいて誰もが共有できる結末を提示する必要があるのだ。
しかし、それをあれやこれやと議論するのは時間の無駄だろう。実際、骨格ができあがってからのネット上での話の展開はそれまでよりもずっとはやかった。だいたい都市伝説というものには、ネット社会が定着するずっと以前から二つの結末しか用意されていない。それは、「夢が叶う」という物理的利益か、「死」という不利益か、いつもたいていそのいずれかなのだ。
『偽R35』につけられ結末は物理的利益のほうだった。つまり、『偽R35』には7つの間違いが隠されていて、それを全部見つけることができると願い事が叶えられるというのだ。
「7」という数字がいかにもニワカ都市伝説ぽいけども、それが「13」であったとしても「666」であったとしても結果は同じこと。無料情報誌と個人の夢とにはもとからなんの因果関係もないのだから。
しかし、その目には見えないはずの因果関係の壁を、どういうわけか見事に飛びこえて、「7つの間違いを見つけて、ついに念願のマイホームを手に入れました!」」とか、「ずっと片思いだった彼にコクられちゃった♡」とか、そんなことを口走っている人々が巷に大勢いることは私も承知している。だが、そういう彼らの一人でも、公然の前に姿をあらわして発言したという実例は、私の知るかぎりではこれまで一度もない。
それに、仮に「願い事が叶う」という不可能なお約束の疑惑性を差し引いたとしても、肝心の『R』の存在には最後まで疑問がのこされたままだ。
もしも個人でこれだけのことをしようとすれば、それ相応の資金と労力が必要になってくるのは間違いない。しかし、そうまでして、いったい彼にどんなメリットがあるというのか?
結局、『偽R35』の一件で一番得をした人間は誰なのか。もちろん、自称「7つの間違いを探しあてた匿名読者」でないことはたしかだ。彼らはただの野次馬の類か、そうでなかったら派遣会社に雇われたアルバイトのはず。無料情報誌がマイホームや恋人をくれるくらいなら、一般誌はハリウッドスターをメイドに雇った豪邸ぐらいならプレゼントしてくれるだろう。彼らが得たのものは、よくて小遣い程度の日給だけのはずだ。
たぶん『偽R35』は存在するだろうし、その誌面には7つの間違いも隠されているのかもしれない。でも、『R』なんて男はこの世には存在しない。『偽R35』は会社が仕掛けた情報操作に違いないのだから。社内ではそれこそ社屋の床下に埋められた地雷のごとくタブー視されていて、誰も口にはださないけども。
業界に不況の嵐が吹きつづく中、世にだされた『R35』はまさに社運をかけたプロジェクトであった。他社のまんまパクリ雑誌に社運をかけるというのもお粗末な話だけども、消費者だって最初からそれぐらいのことはちゃんと見抜いている。『R35』の発行部数の折れ線グラフは、刊行以来一度も折れ線を描くことなく、想像力の豊かな高所恐怖症の人が見たら足をすくませるほど急降下な右下がり直線を伸ばしていた。
そこに降ってわいたようにでてきたのが『偽R35』の一件なのだ。もしかしたら、会社の上層部の人々はあらかじめこうなることを予測して出版前から影で準備していたのかもしれない。ネット社会に詳しい人間や、放送作家を雇い入れて。広告代理店に発注をかけて。にしても、決してほめられた行為ではあるまい。
けれど、これがまた組織というものだ。しかもこの陰謀説が真実であったなら、彼らの目論みは見事に的中したわけで、右下がりだった発行部数は右上がりに転じ、スポンサー収入も日に日に桁を繰り上げるかの勢いだ。なにしろ、読者は間違いを見つけようと、目をさらのようにして二つの誌面を見比べるわけだから、当然のように何度も広告ページにも目をとおすことになる。宣伝効果はバツグンなのだ。
かつての影の陰謀者たちは一転、勝利者に。ハリウッドスターのメイドがいる豪邸は無理だとしても、まず昇給に特別ボーナスは間違いないだろう。社内の廊下だって、その真ん中を部下を引き連れ、肩で歩くようになる。いきつけの店もかわる。逃げた女房だって帰ってくる。
「小柳さん、小柳さん」
誰かが肩を揺らしながら私の名を呼んでいた。
瞼をあけると、馴染みのプラットホームの風景をバックにタニシゲ君の姿が見えた。
「ああ」と私はこたえた。「タニシゲ君じゃないか。今日は土曜日かい?」
「いいえ、水曜です。水曜日の午前9時です。仕事はじまってますよ、小柳さん」
フムム。じゃ、そう言ってる君は、水曜日のこんな時間にジーンズにTシャツ姿でいったいなにをしてるんだい。君だってオフィスで7つの間違い探しをはじめている時間じゃないか。それとも私は、夢のつづきをみているのか?
どうもタニシゲ君は、私がいつものプラットホームのお勤めをサボって居眠りしていたと思っているらしい。まあ、たしかにそのとおりではあるのだが、昨晩、女房からの電報をうけとった私は、この場所で『R』と対決すべく馳せ参じ、いつの間にか眠り込んでしまったようなのだ。
『R』は妻の忠告どおり来たのか来なかったのか。来ても、私の穏やかな寝顔を見て改心し、引き返したのか。私の体は、固いベンチのせいで首と背中が少々痛むだけだった。
そういった諸々の事情を、タニシゲ君に説明するのはかなり困難だ。すると、まるで他人事のように、タニシゲ君が口を開いた。
「僕、会社辞めるんです」
そういえば昨日、課長が電話で彼を探していたのをようやく私は思いだした。
タニシゲ君の足元には大きな旅行鞄があった。
「沖縄にいくんです。同級生の実家が民宿を経営してるんで、しばらく働かせてもらおうと思って」
和菓子屋のつぎは沖縄の民宿か。やはり、いざという時に頼りになってくれるのは手堅い自営業者なのか。はて、私にはそういったツテがあったか、なかったか。
「小柳さん、これ課長に渡してくれませんか」
タニシゲ君はジーンズのうしろポッケから白い封筒をとりだして言った。私はそこに並んだ字面を見てとった。
「そういうのは自分で渡したほうがいいだろ」
「頼みます。もう一分一秒だってあの場所にはいたくないんですよ」
まあ、それはそうだろうな。気持ちはわかる。とくにタニシゲ君の場合は。「退職届」と書かれたその封筒を私はうけとった。ようやく打ち解けたように彼は横のベンチに腰をおろした。
「本当はメールですませようと思ったんですけど、昨日から課長の携帯につながらなくて。それで小柳さんだったら、中央線のプラットホームにいると思ってきたんです」
これまで仕事の上でまったくと言っていいほどタニシゲ君から頼りにされたことのなかった私は、せっかくの後輩の言葉を耳にしながら、しかしなんだかすごく嫌な予感を胸に抱いていた。というのも、懐では携帯電話の着信を知らせるバイブ機能が作動しはじていたのだ。その画面に目をやらなくとも相手の顔は察しがついた。
「あの、でたほうがいいんじゃないですか」
私の胸の携帯が小刻みな振動を十秒以上もつづけたあと、さすがに耳にとどいたか、タニシゲ君が口をはさんだ。私は背広の内ポケットを指さして言った。
「課長からだよ。どういうわけか私のとはつながるみたいなんだ。昨日からずっと君のことを探してる。でてみるかい?」
タニシゲ君は身震いするように首を横にふった。
ジーッ、ジーッと、あぶら蝉みたいな携帯はしつこく鳴りつづけた。私はそのあぶら蝉にライバル心を燃やす痩せたコオロギみたいに言葉をかさねた。
「いま思いついたんだけどね、こういうのって面白いと思わないか。どこにつながるか分からない携帯電話。iPodのシャッフル機能みたいに、発信ボタンをおすたびに違った番号にかかるんだ」
私のアイデアにたいするタニシゲ君のこたえはシビアだった。「それじゃ電話の意味がないじゃないですか」と彼はそっけなかった。せっかく冗談で言ったのに。
バイブ音は三十回ぐらい鳴ってやっとおさまった。私とタニシゲ君は小さなペットの死を看取るみたいに、しばらく私の内ポケットを一緒になって見つめていた。そして、どうやら携帯電話がゾンビみたいに蘇ってこないことを確認すると、タニシゲ君のほうから先に口を開いた。なにやらペット葬儀中の会話みたいに神妙に。
「小柳さん、悪いことは言いません。あなたも今後の身の振り方を考えたほうがいいですよ。これ以上あの会社にいてもロクなことないじゃないですか」
「辞めてどうするんだい。私には民宿をやってるようなツテも、和菓子屋のツテもないんだが」
「和菓子屋?僕、和菓子屋なんて言ってませんよ」
「一つの例えだよ」
「小柳さんは今すぐにカウンセリングをうけるべきです」
「ちょっと話が飛躍しすぎじゃないか、タニシゲ君」
「知ってますか。僕の仕事」
「7つの間違い探しだろ」
「ええ、そう。毎日毎日、来る日も来る日も同じ雑誌の同じページを一日中見比べる。僕は頭がおかしくなりそうで、おかげでハタから見れば決して気づかれない居眠り方をあみだしました」
「でかしたじゃないか、タニシゲ君。でも、たしか君はクロスワードパズルが得意なんじゃなかったっけ」
「クロスワードパズルじゃありません。『ナンプレ』です。あれにはちゃんとした法則があるんです。デタラメな間違い探しとはワケが違う。僕の頭はそんなふうにはできてない。だから一週間でパンク寸前で。でも、聞いた話では、あの囚人の作業を、律儀に半年間もやりつづけた社員がいるそうなんですよ。つまり僕の仕事には、堅物とも呼べる前任者がいたんです」
「へー、そうなんだ。知らなかったな。誰だろう」
「あなたですよ、小柳さん」
私はなんだか無性に煙草が吸いたかった。
あとの記憶が定かでない。覚えているのは、カウンセリングのほかに労働災害を申請すべきだと、タニシゲ君が熱心にすすめていたこと。彼は私が乗るはずだった平日の南方行き電車に乗って旅立っていった。私はそのタニシゲ君をプラットホームで見送った。いや、見送られたのはこちらのほうだったか....。
気がつくと電車のシートに揺られていた。ただ、それが南方のリゾート地に向かう列車でないことは、ボンヤリした頭でもすぐに察しがついた。私を正気にもどらせたのは、またしてもあのしつこいバイブ機能だったからだ。コイツが胸のポケットにいるうちは、私が晴れて自由の身になれることはないだろう。
ボンヤリしているうち、胸の振動はどうにか止んだ。
車内の様子からして、私はいつもの中央線下り電車に乗っているらしかった。しかし、気がつかないうちにぜいぶん遠くまできてしまったようだ。シートにはポツン、ポツンと黒い人影が、あたかも昔のパ・リーグの消化試合みたいな侘びしさで孤立しあっている。窓の外にはまるで北の大地を走っていると思わしき黄金色した麦畑の絨毯が、澄んだ青空の下にどこまでもつづいている。いつか秋ビールのCMで見たことがあったような。
いったいここはどこなのだろう。とても東京の在来線を走っているようには思えない。麦畑の中には掘っ建て小屋のような小さな家が点在している。線路と平行するかのようにつづく電線と電柱の黒くて細い影が、その果てにあるかもしれない寂れた町を連想させる。来る車も行く車もない。麦畑で遊ぶ子供たちの姿もない。
電車は太陽の下のカラッポの空間をゴトーン、ゴトーン、と走りつづけた。
車掌アナウンスは一度も耳にしなかった。路線図の掲示のようなものも見あたらない。窓の外は麦畑。こうなったらつぎの駅に着いてみないことには、どの辺まで来てしまったのか知りようがない。
それでも、どこかに地名のヒントになるようなものは見えないかと、私はしばらくし外を眺めていたのだが、ヒントどころか、私はこれと同じ秋ビールさながらの風景を、かつて車窓から眺めたことがあったのを思いだした。
あれは福島にある妻の実家へと帰省する最中だった。たぶん栃木との県境辺りの土地だ。しかし、私が乗っているこの電車は中央線のはずで、その中央線が、栃木や福島まで路線を拡張したという話はまず聞いたことがない。
それとも私の両足が、妻に会うために勝手に電車を乗り継ぎ、無意識のうちにそのルートをたどろうとでもしたのだろうか。いいや、いくらなんでもそんなことはあり得ない。むしろ私の足より私の頭のほうが、妻の実家へとむかう夢をみていて、こんな幽霊列車をつくりだしたと考えたほうがはるかにまともだろう。それならすべて合点がゆく。夢の中でも携帯のバイブ機能は作動するし、夢ならSuica一枚で月にだっていける。
そんな思いから、私はもう一度、車中を見渡した。どうやら私の夢の住人たちはご主人様に似て少し人見知りのところがあるようだ。乗客たちは一つの車両に一人か二人、たがいに絶妙な距離感をたもちながら座席に腰掛けていた。
理屈で考えればその中には、かつて言葉を交わしたり、冗談を言って笑いあったりしたことのある人々がいてもおかしくはない。高校の同窓生とか。けれど、今はわざわざ席をはなれて久しぶりの再会を喜びあう気にはなれない。それに、あちらが私のことを必ず覚えているとも限らない。たとえ相手が私の創造物であったとしても。
それよれも、むしろ夢から目覚めたとき、私はいったいどこにいるのか、そちらのほうがずっと気になっていた。もしかしたら、まだ高円寺駅のホームのベンチで眠っていて、夢をみているのではなかろうか。そして様子をうかがいにきた課長に肩を揺すられながら起こされるのだ。上司は寝ぼけまなこの私にむかって言うだろう。
「おまえが前任者だ、小柳」
あるいは、私を揺り起こすのはまたしてもタニシゲ君かもしれない。彼もさっきと同じように言うだろう。
「あなたが僕の前任者だったんです、小柳さん」
しかし、どうしてまたタニシゲ君は最後の最後になってあんなことを言いだしたのか。もしかしたら、課長あたりから「アイツにだってできたんだから」とか、毎日のように余計なガセネタを吹き込まれていたのかもしれない。だが、いくら心配されたところで、当の本人にまったくその記憶がないのだからラチが開かない。本来ならもう少しべつの別れ方もあっただろうが、致し方ない。サラリーマンたるものいつの世も、どこの部署も、さよならだけが人生だ。
そしてまたいつの世も、どこの部署も、おまけに秋ビールの車両にも、去る者がいれば来る者がいる。
驚いたことに、うつむき加減だった私の視線の先には、いつの間にか黒い革靴がかかとを揃えて立っていた。そのつま先は私のほうをむいている。上には薄グレーのズボン裾がのぞいてる。どうも人見知りばかりだと思っていた我が夢の住人にも、いくらか社交性のある人物がいたようだ。いいや、うっかり忘れていたが、もしかしたらこれが『R』なのではないか?いい加減あらわれてもよさそうなころだし。
だが、やはりそれは思い過ごしだった。なにしろこれは夢なのだから。私の夢に『R』なんて登場しない。だって、顔も見たことがないのだ。
「オマエ、なんで携帯でないんだよ」
頭上で男の声がした。
「オマエ、なんで携帯でないんだよ」
さらにもう一度。社交性があるのはいいけども、どうもまともな会話ができる相手ではなさそうだった。まるで遠くからリモコン操作されているイカレたロボットみたいだ。いかに自分の創造物であるとはいえ、いささかウンザリ気味に私は顔をあげた。
グレーのスーツの上に無表情な男の顔が見えた。額の中央から大きなホクロが突きだしている。なんと男は中野駅のロータリーで私が捕まえたサラリーマンであった。どうしてヤツが私の夢にでてくるのか。しかも、なぜヤツの電話に私がでなければいけないのか。
その答えをくれたのは、あくまでそれが答えであったならばだが、ホクロサラリーマン自身だった。男は自分の素性とその役目を明かすかのように言った。
「『オマエ、なんで携帯でないんだよ。そんなにクビになりたいのかよ』と、あなたの課長が、あなたに言ってます」
やはり私はカウンセリングをうけるべきかもしれない。タニシゲ君は正しかった。これは専門家に夢分析してもらわねばならない事態ではなかろうか。
私の創造物であるはずの中野駅の男は、じつのところ、かの課長と私とを橋渡しするホクロある媒体にすぎなかった。しかもその課長自体、どう考えても私の創造物であるのに違いない。言ってみれば、偽課長だ。しかし何故よりによってこの二人なのか。
せっかくではあるけれど、武将好きの上司も、中野駅のサラリーマンも、まったく同じレベルで関心のない私が、これならば首をまわして、かつて夫婦で眺めた秋ビールの風景を一人懐かしく鑑賞していたほうがまだマシだと考えたのは無理もない話ではある。だが、実際にそうしなかったのは、偽課長の言葉が、私自身の深層心理を代弁している可能性があるからだ。言ってみればこの状況は、私の無意識が、私になんらかのヒントをあたえようとしておきた珍現象なのではあるまいか、と。
それでは、いったい偽課長はなにを伝えようとお出ましになったのか。まさかこの期におよんで戦国武将伝ということはあるまい。
ともかくスーツを着たカカシのように突っ立ったホクロ男経由に、私は深層心理を読み解く会話を試みることにした。なにか子供のころに流行った「こっくりさん」を思いだしながら。
「すみません課長、私になんの話があるんですか」
「課長は言ってます。『オレはタニシゲに、「アイツにだってできたんだから」なんて言った覚えはない』と、言ってます。『オマエはたしかに前任者だったんだ。まだ頭治らねーのかよ』と、言ってます。それから『クビにする代わりに、デスクの中の井上和香のDVDはオレがもらう』と、言ってます。」
「課長、DVDはあげられません」
「『なら、ちょっとだけ貸してくれ』と、言ってます。それから『オマエがどうして中央線のプラットホームに配置されたのかよく考えてみろ』と、言ってます。『いいや、考えなくていい』と、言ってます。『それはオマエの頭がおかしくなったからだ』と、言ってます。『オマエは会社的にお払い箱になったんだ』と、言ってます」
いかに自分の深層心理とはいえ、私はだんだん腹がたってきた。よくもまあヌケヌケとデタラメばかりをまくし立てられたものだ。
「仰ってる意味がよくわかりませんがね」
「課長は言ってます。『せっかく7つの間違いを見つけて、マイホームの頭金を手に入れようと考えてたのに、オマエは一つも見つけられなかった』。課長は呆れています。そして怒っています。『オレは呆れている。そして怒っている』と、課長は言ってます」
もう我慢の限界だった。私はなんだか本当に課長と話しているような気分になってきた。あの大バカ上司と。アンポンタンと。
「頭がおかしいのはアンタだよ」私はホクロ男の瞳の奥にあるだろう、課長の目を見据えて言ってやった。「『偽R35』は会社の上層部が仕組んだ情報操作なんだ。『R』なんているわけないだろ。マイホームの夢は潔くあきらめるですな」
「『大バカのアンポンタンはオマエだ』と、課長は言ってます。『ウチの会社の上層部が『偽R35』なんて、あのクソ長いだけの会議を何百回やったところで考えつくはずないだろ』と、言ってます」
「もういい。わかった、失せてくれ」
「『オレの話はまだ終わってない』と、課長は言ってます。『ここからが本題だ』と、言ってます。『耳の穴をカッポじってよーく聞け』と、言ってます。『会社はオマエの頭がおかしくなったってことでかたづけているが、オレはその半分ぐらいしか信じちゃいない。じつはオレは、オマエが密かに7つの間違いを見つけたんじゃないかって疑ってる。お互い長いつきあいだ。オレはオマエがそれほど柔な男じゃないことぐらい承知している。どうだ、見つけたんだろ?オレだけには本当のことを話してくれないか。頭がおかしくなったと見せかけてるのは、そのためのカモフラージュなんだろ?』と、言ってます」
「聞こえなかったか?私は『失せろ』と、言ってます。『でなきゃ、また馬乗りになって、今度こそボコボコにしてやる』と、言ってます。『本気だぞ』と、言ってます」
ホクロ男の顔つきがかわった。ようやく私はその顔に表情らしきものを読みとった。男は二三歩後退した。
「早くいけ」
私は腰をあげる素振りをした。男は今度は早足で逃げだした。それでも車両の一番端までたどり着くと、こちらを恨めしそうに見やりながら手前のシートに腰をおちつけた。なんとなくオカマっぽい動作だった。私はそれっきりウッチャッておくことにした。
電車はなおも走りつづけた。いったいどこまで行くつもりなのやら。いいや、それを言うのなら、いったいいつになったら私は目を覚ますのやら。窓外の風景は相変わらずで、いくら感傷好きの輩にも限度というものがあろう。
車両の端を見ると、ホクロ男はまだそこにいて、今は仕事帰りのサラリーマンよろしく座席で眠りについていた。さらに遠くまで視線をのばすと、チラホラと点在する乗客たちも、みな疲れたように眠っている。考えてみれば、夢の住人たる彼らには、日の高いこの時間帯は本来休息にあてらるべきなのだ。そう考えると、さっきは柄にもなくつい乱暴な口調であたってしまって、ホクロ男には悪いことをしたかもしれない。
彼らにくらべると、ご主人である私のほうはいくら揺りかごのように振動する電車に乗っていてもまったく眠くなってはこない。むしろ目は冴えている。当たり前か。本当のところ居眠りしているのはこちらのほうなのだ。
経験的に言って夢の中で眠ることはできないし、携帯電話などにはさわりたくもない。要するにほかにすることもないので、私はホクロ男経由に聞いた偽課長の発言内容をあらためて考えなおしてみることにした。
しかし、暇つぶしの思いつきとはいえ、おせっかいな親心にも似たその行動を私はすぐに後悔することになった。というのも、最初は口からデマカセと切り捨ててはいたものの、今になって考えてみると、偽課長の意見には、なるほどと頷ける箇所がいくつかあるのだ。
それは私の考えよりも、私が陥っている環境を的確に説明できたりする。その結果、私は思考の迷宮をさまよい歩くことになってしまった。どこまでも走りつづける電車よろしく。思うに、人はときに地図を持っているがために、かえって道に迷ってしまうことがあるようだ。
その一つが妻の件。私はてっきり彼女からの三行半の理由をずっと煙草と星占いにもとめていたけども、あらためて考えてみれば、はたしてそれぐらいのことで十年来ともにしてきた伴侶があっさり家をでていったりするものだろうか。
いいや、やはりでてゆくことはあるだろう。なにしろ世間には新婚旅行にむかう空港で別れてしまう夫婦だっているわけだし、会社の同僚なんかは、十万円の宝くじが当たったのはいいけれど、その使い道で離婚寸前の大ゲンカにまで発展したらしい。夫婦なんて千差万別だ。なにがそこにヒビを入れるかなんて誰にもわからない。逆に言えば、どんな些細なことでも原因になりうる。煙草や星占いでも可能性としては充分だ。
しかし、こう考えてはどうだろう。煙草もいい。星占いもけっこう。だが、そこに亭主の頭がおかしくなったという条件が加わったなら、可能性は一段と高くなりはしないか。
もっとも頭がおかしくなったといったって、その程度が問題になろう。タニシゲ君や偽課長の話によれば、どうも私が「前任者」であったことを覚えていないのがその根拠になっているようだが、百歩譲って彼らの主張が事実であったとしても、あくまでそれは仕事上の話。それぐらいで家庭生活に支障がでるということはないはずだ。
つまり、この程度の「おかしくなった」レベルでは、妻が家をでてゆく理由にはならない。そうなるとやはり三行半の理由は煙草と星占いなのか。それはそれで逆にショックだが。
話が振り出しにもどってしまった。私は思わず天井を仰いだ。だが、その視線は完全に上にたどり着く前にピタリと止まった。いま一人の乗客が、ある意味『R』以上に招かれざる客が、目の前に立っていたのだ。
自分の背中が見えたら、それは夢だという話はよく聞くけども、私が見ていたのはその正面からの立ち姿だった。でも、こちらとしてはすでにこれが夢であることは承知しているから、どの角度であろうが関係ない。それよりもいったいなんのつもりでこの電車にあらわれたのか。私はなんだか無性に腹がたった。とてもじゃないが、「やあ、久しぶり。元気だった?」とか言って握手を交わす気にはなれない。むしろ話すことなどまるでない。いっそホクロ男とのほうが会話がはずむぐらいだ。
私は私を見上げた。その男は私にそっくりだった。まったく嫌になるほどに。偽課長のつぎはついに自分のクローンのお出ましというわけだ。もしや細かなシワの数まで同じだったりして。いや、きっと同じなのだろう。ホクロの数は言うにおよばず....。
いや、そうではない。これはただのクローンというわけではないのだ。コイツにはちゃんと名前がある。私はそれを思いだした。コイツは「ヤモメ」なのだ。
ただ、ようやく対面をはたしたヤモメには、表情というものがまるでなかった。ミスター・スポックばりのむっつり顔でこちらを見下ろしている。たしか月曜の残業帰りに車窓に映った自分の顔をのぞきこむとこんな感じではなかったか。その冴えない中年面と背広の下に隠れた貧弱な肉体を想像しながら、そりゃ女房もでていくわなと、私は今さらながら一人心の中でゴチた。
もしかしたらコイツはそれを知らせるためにわざわざあらわれたんじゃないだろうか。汝自身を知れ、と。まったく大きなお世話だ。女房はでていったんだから、もうそれでいいではないか。
しかし、どうもそういった理由ではなさそうだった。
ヤモメはスーツの内ポケットからなにかをとりだした。サラリーマンの哀しい性か、思わず名刺交換と勘違いしてつい私も内ポケットに手をのばしそうになってしまったが、自分同士で名刺交換してどうしようというのか。しかも夢の中で。
ヤモメがとりだしたのは煙草ケースだった。銘柄はマルボロ。どういうわけだろう。私は国産煙草一筋で、最後に吸っていたのはマイルドセブンの1ミリgだったはずだが。ホクロの数は一緒でも嗜好となると別なのか。
するとヤモメはマルボロを一本、私にむかってさしだすのだった。心なしか、友好的な笑みを浮かべて。
「やめたんだ、煙草」
私は首を振って言ってみせた。
さて困った。それでもアチラさんは、まるで言葉が通じないみたいに愛想よくすすめてくる。仕方ないので、私はケースから一本ぬきとった。ヤモメはポケットからシルバーのジッポをとりだして火を点けた。私は危うく礼を言いそうになった。
はたしてこれは禁煙を破ったことになるのだろうか。久しぶりの一服に私はいろんな意味でムセそうだった。喉はイガイガカするし、頭はクラクラする。それでも二十年も吸っていたのだ。三口ほど吸ったらいくらか美味しくなってきた。
蒼い煙が車両の天井へとゆっくりのぼってゆく。私はそれがヤモメの姿とかさなっていることにしばらくしてから気がついた。ただその時、すでにヤモメの影は煙と見境がつかなくなっていた。ついには白い亡霊のようになってスウッと消えてしまった。
もしや自分が死ぬ時もこんな感じなのだろうか、私はふと思った。ふたたび私は怠惰な思想家へと静かにもどっていくようだった。ぼんやり煙を眺めながら。
きっと私は7つの間違いを見つけたのだ。そして妻が家をでてゆくことを望んだのだ。
電車が停まったのは黄昏の国だった。
私がマルボロを吸い終えたころ、電車は振動を弱め、鈍い悲鳴をあげながら動きを止めた。なんだか恐竜やマンモスみたいな死滅した巨大生物の最期を思わせた。
車両のドアが重い音をたてて開いた。首をひねると、窓の外にプラットホームめいた白い石畳が見えた。辺りの風景はなにも変わらない。こんな場所で降ろされても困るのだが。
ほかの乗客たちはいったいどうしたものか。車内を見わしてみれば、ホクロ男をふくめてそこにはもう誰もいなかった。もしかしたら、みんなヤモメと一緒に消えてなくなってしまったのかもしれない。ガランとした巨大な鉄の棺桶に一人いるみたいだった。
私は慌ててプラットホームへ飛びだした。
ドアを閉じた電車は、遠い鐘のような音を響かせながら走り去った。その最後尾が見えなくなると、穂を揺らす風と黒い小鳥たちのさえずりだけしか聞こえなくなった。麦畑の中に納屋のような家が一軒だけ建っていたが、とても人が暮らしているようには見えなかった。
プラットホームは極端に短かった。プラットホームというより、誰かの墓の上に立っているみたいだ。昔の偉い人ならば、これぐらいの墓はつくったろう。
しかし、よくもこんな場所に人をおろしてくれたものだ。改札もなければ、表札もない。当然のように駅員だっていない。ようするに駅が駅であるための条件がまるで備わっていない。それでも辛うじてこの場所が駅だとわかったのは、狭いホームにベンチと自動販売機が両首脳のようにならんでいたからだ。木目の判別できなくなったような使い古されたベンチと比較すると、自販機のほうはまるで国道沿いのモーテルみたいにチカチカと派手に光っていた。たとえ埋葬されているのが偉人でなくとも、普通、人の墓の上にこんなものは置かない。
暑くもなく、寒くもなかった。麦畑をわたる風が頬をつたい、髪を優しくなでた。太陽は高く、空はどこまでも青い。ロケーション的にいったなら、ここは間違いなくビールといきたいところだ。そして自販機の銘柄には目的に叶った缶ビールも入っていた。だが、コインを入れ、私が選択したボタンは最初からこうなるべくしてなったように、缶コーヒーであった。
妻が言っていたラッキーアイテムとは、コンビニで当てたレッドソックスのキャップのことではなく、これのことだったのかもしれない。コーヒーではさすがに酔えないけど、たしかに何もないよりずっといい。心して飲むべきだ。
しかし、その夫婦の最後の絆とも呼べる代物を、不覚にも私はプラットホームの石畳におとしてしまったのだった。でも、それには致し方ないワケがあった。
缶を口に運んだとき、さきほどの納屋が視界に入った。そこまではいい。でも今回はその傍らに、こちらをじっと見つめている人影が立っていた。
私の一瞬のイメージでは、その光景は『大草原の小さな家』というよりは、ヒッチコックの『サイコ』により近かった。丘の屋敷脇に黒い人影が映ったその構図。たしか映画のポスターにもなっていた。サイコスリラーの先駆的な作品。そんなわけで、コーヒー缶は私の手からすべり落ちていったのだ。
たしか映画の中で、殺人鬼のアンソニー・ホプキンスは自分の母親に変装していた。まさに「サイコ」たる由縁。私の視野にいる影の男は、どうやら「サイコ」ではなさそうだったが、それに負けず劣らずおかしな格好をしていた。その輪郭はどう見ても袴の帯に刀をさしたサムライのそれなのだ。そして、あろうことか、男はこちらに向かって歩きはじめたではないか。
両腕を懐に押し込み、肩で風を切るようにサムライ男は麦畑をわたってくる。まるで『用心棒』の登場人物みたいに。真っ直ぐプラットホームにむかってくる。さては、つぎの電車に乗るつもりなのだろうか。それとも私になにか用事でもあるのか。こちらにはひとまず用心棒を雇うような用件はないのだが。
黒ずんだ人相に武将髭。その真ん中を棒で突っついたような二つの白目に真っ黒な眼球が張り付いている。そして腰には黒く細長い竿が。なにやらサムライ男の印象は黒いカカシのようであった。
その黒いカカシの表情がいよいよ読みとれるぐらいの距離まで近づいてくると、はたしてどうするつもりだったのか、自分でもわからないうちに私はベンチから腰をあげた。
しかし、その予期せぬ行動が、向かい合いながらしだいに間隔を縮めてゆく二人の、その後の互いの行動を決定づけることとなった。
サムライ男は、私が立ちあがったのを見てとるや、獲物のネズミが逃げだすと思ったか、やおら腰の剣を抜き、黒狐みたいな形相で麦の穂を荒波のごとく飛び越え飛び越え、こちらに駆けだしてきたのだ。
いったいなにがそんなに気に障ったのか。私がなにをしたというのか。まるでここで遭ったが百年目、ついに親の仇を見つけたかのような勢いだ。もしかしたら、せっかくの武将ブームにチャチャを入れた輩を成敗しにやってきたサムライの化身なのか。あるいは例の『戦国武将サークル』に雇われた殺し屋か。
いずれにせよ、こうなったら私がとるべき行動は一つしかない。とにかく早いとこ逃げるのだ。『エルム街の悪夢』みたいに、夢の中の死が現実の死に直結するなんてことにもなりかねない。
勝算はある。こちらはジョギング用のスニーカー。あちらは恐らくワラ草履。身長だって現代人である私のほうがずっと高いはずだ。骨格や摂取しているエネルギー量が如実に違うのだ。なんたって、長いこと欧米型の食生活を実践しているわけだから。
だが、その欧米型の食生活は肝心なところで足元からスクわれることになった。
きびすを返し、サムライ男から逃げ去るべく最初の一歩を踏みだしたときだ。私は、甲高いサムライ男の奇声をあらぬ方向から耳にした。同時に間抜けな自分の悲鳴まで。あらぬ方向から。
なにか山鳥めいたサムライ男の叫び声。驚いた黒い小鳥たちが麦畑からいっせいに飛び立ってゆく。一方、踏みだした私の右足はちょうど転がった缶コーヒーの上にのっかっていた。サーカスの熊みたいに。
今度は私がダイブする番だった。コンビニのゴミ箱に向かって放物線を描いた缶コーヒーのかわりに。慣性の法則とテコの原理によって。いや、テコの原理は違うだろうか。
ともかく私は飛んだ。不本意ながら。視界には太平洋のように広がる麦畑。もしかしたら、このまま黒い鳥たちに混じってどこまでも飛んでいってしまうのではないかとも思ったが、幸か不幸か、そういうことにはならなかった。私の体はすぐに下降にむかった。これは間違いなく重力の法則によって。
しかし不思議なのは、どうして我々は夢の中でまで律儀に物理の法則を守ろうとするのか、ということだ。夢なのだから、地の果てまで飛んでいっていいはずなのに。
目前にプラットホームの石畳が迫っていた。
「大丈夫ですか、お客さん」
誰かが私の耳元でつぶやいていた。若い女性の声だった。私はそのお客であるらしい。どんな種類の店だか知らないけど、少なくとも私の長かった悪夢はようやく終着駅にたどりついたようだ。気のせいか頭が痛い。ズキズキする。
「ああ、大丈夫、大丈夫」
女性の手前、とりあえず私は強がってみせた。なにが大丈夫なのかわからないまま。なにが大丈夫でないのかわからないまま。
「でも、血がでてますから。手当てしたほうがいいですよ」
へ?血?まさかサムライ男に討たれてしまったのか。
ようやく私は重いまぶたを開けた。夜の高円寺駅にいた。たしかに広い意味では店なのかもしれない。
立ち去ってゆく女性車掌のうしろ姿が見えた。きっと彼女は私を仕事帰りの酔っ払いだと思っただろう。
どうやら居眠りしているうち、プラットホームのベンチから転げ落ちて頭を打ったみたいだった。正確な状況を把握すべく、私はふたたびベンチに腰を落ち着けた。横の席には、いま一人の中年サラリーマンが、酔いつぶれてイビキをかいている。ああ、我が同志。ちょうど私も、彼のようにベンチで醜態をさらしていたわけだ。いいや、私の方はもっとヒドい。なにしろ転げ落ちているわけだから。
指でふれると、たしかにこめかみ辺りから軽い出血があった。でも、痛むのはそこだけだ。無論、刀で切られたような跡はない。
腕の時計を見ると、深夜0時を少し回ったところだった。たしか自宅マンションをでたのが9時ぐらいだったから、あれからまだ3時間しかたっていないのだ。『R』の到着を待ちかまえるつもりだったはずが、その間にすっかりベンチで寝入ってしまったわけだ。そうして、行方不明中のタニシゲ君を駅で見送り、遠く秋ビールの麦畑を眺め、まったく無意味でバカげた思考の旅をつづけた挙げ句、最後にはサムライ男に命を狙われたという次第。
ヤレヤレだ。まったく『R』といい、ウチの女房といい、人騒がせにもほどがある。それを一瞬でも信じた私も私だが。おかげですっかり体も冷えてしまった。明日も仕事だ。さっさと家に帰って温かい風呂に入ることにしよう。
私は一度は覚悟をきめた『R』との決闘を放棄し、なおかつ悪い夢もマルボロの煙と一緒に忘れることにして、さっさとベンチの指定席から腰をあげた。
しかし、私の足は半歩前にでただけで止まってしまった。いつもならば気にもかけないはずのプラットホームのゴミが、なにか特別な意味をもった唯一無二の存在感をしめして目の前にあった。
コーヒーの空き缶が落ちていた。かつての私のラッキーアイテム。記憶は定かではないけども、なにやら夢の中で落としたものと同じ銘柄であるような気がする。
たしかに幸運な偶然だった。もしもあれが缶コーヒーの硬いスチール缶でなく、ビールの柔らかなアルミ缶であったなら、私の足はそれを踏みつぶして、プラットホームの上をダイブすることもなく、結果、夢から覚めることのできなかった私は、サムライ男の刃にかかっていたかもしれないのだから。
そう考えれば、ラッキーアイテムどころか、命の恩人ということになる。缶コーヒーに救われる男。いいや、それともメールをくれた妻か。どちらにしても、そんな私が、このまま空き缶をプラットホーム上に放置しておくわけにもいくまい。腰を曲げ、私はそれに手をのばした。
すると、いったいどんな夢をみているのか、ベンチのオッサンが、まるで呑み屋で交わされる馴染みの挨拶みたいな調子でこんな寝言をつぶやくのが聞こえた。
「よーこそ、ワイルドサイドへ....ムニャムニャ....」
もしかしたら『R』はすでにやって来ていたのかもしれないな。駅のエスカレーターを下りる間、ふとそんな考えが頭をよぎった。私が眠っている間に。まさかさっきの寝言のオッサンがそうだったりして。そういえば、あのオッサン、薄いグレーの背広を着てはいなかっただろうか。
いや、考えすぎだ。きっと、あのオッサンはルー・リードのファンなのだ。駅のベンチで居眠りしている中年サラリーマンが、ルー・リードのファンであってもなんの不思議もない。だって、ルー・リード自身、すでにいいオッサンのはずだし。
それとも、あれは私が言った寝言だったのかもしれない。あのオッサンはそれを寝耳にして、自分の夢の中に取り込んでしまったのだ。ちょうど雨の日に、昔の雨の日を思いだすように。
はたして、あのオッサンのワイルドサイドとはいかなる場所なのか。刀をかざした男に追いかけられていないといいのだけど。
いや、いけない、いけない。こんなことばかり考えていると、またヘンな夢の中に迷いこんでしまう。ともかく、アレコレ考え事をするのはもうヤメにしなければ。このままでは身がもたない。今、私がしなければいけないのは、傷口を洗い、さっさと家に帰って風呂に入ることだけだ。
頭上のプラットホームを振り返ることなくエスカレーターをおり、私は改札脇のトイレへと立ち寄った。
水道の蛇口を開き、鏡にこめかみを映しだして傷口の具合を見た。だが、おかしい。なにかヘンだ。ようやくそこで私は、その傷よりもよほど大きな変化が自分の身に起きていることに気がついた。
私は薄いグレーのスーツを着ていた。
私の眉間には大きなホクロがあった。