ターザンの木教習所⑫
アガサに選ばれた七人の賢者たちは、ニューヨーク公共図書館に勤めるウッドストック氏を含めて、いずれも東部から南部地区に暮らす人々です。図書館前の通りで彼らを拾った七台のバスは、それぞれのルートで遠く離れた西海岸のロサンゼルスを目指します。その走行距離は三千から四千キロ、二泊三日から三泊四日におよぶ、まさにアメリカ大陸を横断する、元受付係の私でさえお尻が痛くなりそうな、旅になります。
そのバスはとても静かに発車します。銀色した宇宙艇みたいに。乗車券のいらない不思議な乗り物みたいに。
それもそのはずで、図書館職員たちが乗った七台のそれは、普段はネイチャーX社に勤める社員たちの送迎用に使われているもので、見た目は五十年代風であっても、中身は社名に恥じない最先端のテクノロジーがふんだんに採用されている未来のエコ車両なのです。
もちろんハンドルを握るドライバーもネイチャーX社のお抱え運転手たちです。ただ彼ら自身は特に五十年代風でも未来的というわけでもありません。どちらかと言ったら現場風です。現場の作業員がよく着ている防災用の黄色いベストを身につけているからです。
賢者たちにとって目的地に到着するまでの唯一の同伴者でもあるバスの運転手たちは、旅の道中、皆一様に無口で、必要以上に親切でも不親切でもなく、頭の天辺からつま先まで職業的運転手に徹しているようでした。普段の仕事ぶりからしてそうなのでしょうけど、彼ら運転手が、まるで毎日の職務と同じように冷静沈着に、この読書会をめぐる非日常的で奇妙であくびがでるほどに長いバス旅行を見事無事に遂行したのは賞賛に値します。彼らもまさか勤務地から遠く離れた図書館の職員を、大陸を横断して送迎することになるとは夢にも思わなかったでしょう。それでもきっと彼らはこう言うはずです。「私たちはただ自分の仕事をしただけです」と。そしてそれは実際にその通りなのです。
洗練された都会人であるニューヨークの人々は、その朝、見知らぬ銀色したバスが歩道脇に停まっていても立ち止まったりはしないようでした。地下鉄の駅やタクシーの群れから吐きだされた多くの勤め人の列が、そんなものを興味深そうに眺めるのは踊る大紐育を夢見る田舎者丸だしのお上りさんと言わんばかり、誰も彼もが目的地である職場を最短距離で目指しているようなのです。
彼ら都会の勤め人にしてみれば、バスの存在より、それをさっきから歩道に立ち止まって見上げている一人の中年男の存在の方がむしろ物珍しいようです。中には「あなた、そこでバスの扉が開くのを待ってるみたいだけど、生憎だね、そのバスにあなたの席はないよ」と言いたそうに、男性が背中に背負ったリュックを哀れげに一瞥して足早に通り過ぎていく人たちもいました。
彼らにはそのバスがどこから来て、誰を乗せ、これからどこへ向かおうとしているのか知る由もないのです。願わくばいつの日か、一台のバスが彼らの元へもやって来ては、摩天楼の奇蹟を。
予期していた圧倒的な存在を目の当たりにしながら、その名前が思いだせずに立ちすくむ人よろしく、ウッドストック氏は朝の歩道にてしばし立ちすくみ、そのうしろを通勤途中の人々がスタスタと通り過ぎていくのでした。
月のように冷たい輝きを放つバスは優雅で美しく、でもちょっと意地悪で謎多き恋人にも似て、肝心のハートは閉じられたままです。
それは本当に約束のバスなのだろうか、自分は本当に選ばれた七人のうちの一人なのだろうか(清掃員なのに)、氏の頭の中には次々と心配事が湧いてきて、招待状を持っているはずなのにどんどん不安になっていきます。まるで生まれて初めて招待されたパーティのドアを開くときみたいです(やはりこれはなにかのドッキリでは?)。
ようやく意を決したウッドストック氏は、ついに足を前に踏みだして月の女王のハートをノックしました。もしかしたらそれは図書館で本を選ぶときにそうだったように、ポートランド髭が促した行動だったのかもしれません。
すると公共図書館前の二頭のライオン像を誘うかのようにバスの扉がスルスルと横に開いて車内から急かすように、歩道に佇んでいたウッドストック氏にしてみればかなり意外な内容の、女性の言葉が聞こえてきたのです。
「おはようございます、ウッドストックさん。お待ちしていました。直ぐに出発です」
つづく