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ターザンの木教習所⑪

街に降った雨が海へと流れ込み、やがて湿った雲となって街へ戻ってきては、ふたたび人々の肩や髪を濡らすのは、神秘的で不思議な自然のサイクルです。丸の内図書館に浮遊する物語の粒子がヒゲ社員のポートランド髭に付着して、カイゼル髭を伸ばし成長させ、ふたたび丸の内図書館の本の上へと舞い降りるのは、私が作った妄想のサイクルです。図書館で貸しだされた本が必ず返却されなければいけないのは社会のルールです。


丸の内図書館や丸の内商工会議所も、消えるオリーブ少女やエアーバグパイプ吹きも、現実の丸の内界隈には存在しません。ブログの管理者の権限を利用して多少の誇張と時間的トリックを含ませて書かせてもらいました。ただ開き直るわけではないですけど、まったくのデタラメというわけでもありません。私たちが暮らす街では、それはターザンの木と一緒にこれからやってくるであろう未来の物語です。オリーブ少女のみなさん、エアーバグパイプ吹きのみなさん、どうかその日がくるのを首を長くして待っていてください。


丸の内図書館のお話の最後に、来たるべき未来のヒゲ社員のみなさんのために、今度は本の返却方法を説明しておきます。

一般の図書館のサービスでは駅や街中に借りた本を返却できる便利な返却ボックスという代物がありますけど、丸の内図書館にはそんな気の利いたサービスは存在しません。当図書館は返却ボックスも返却ポストも設けていないのです。

それではヒゲ社員たちは借りた本を返すためにわざわざブック片手に、日々うつろうオフィスビルの一室を探しながら、丸の内界隈を自分のヒゲ頼りに訪ね歩かねばならないのでしょうか。

いえいえ、そんなことはありません。丸の内図書館の設立者である七人の賢者たちはもっと便利な方法を考えだしました。それでこその私たちの七人の賢者です。世の中には、あらゆるジャンルに見合ったあらゆる七人の賢者たちがいるのです。


ヒゲ社員のみなさんは仕事の帰りに、帰宅電車の座席や網棚に、駅のホームやロータリーの椅子の上に、公園のベンチで寝ている野良猫の横に、マクドナルドのテーブルの上に、要するに街のどこかに、バックから取りだした本をそっと置いて立ち去ります。それが丸の内図書館の返却方法です。雨の日だってOKです。どうでしょうか、超便利なシステムですよね。

ただ返却できるのは、ちゃんと最初から最後まで読みとおした本に限られます。もしもまだ終わりのページまでたどり着けないまま閉じた本を、帰宅電車から降りる際にこっそり座席に置いていったりしたらどうなるでしょう。ホームの階段を下りていっても駅の自動改札機はすんなりとは通してはくれないでしょう。


JRも東京メトロも、関東周辺の駅の自動改札機のシステムは丸の内図書館の貸出しシステムと繋がっているのです。自動改札機の閉じた扉に行く手を阻まれたヒゲ社員の肩を駅員がそっと叩きます。その一方の手には、さっき黙って車内に置いていった一冊が握られているでしょう。裏表紙には丸の内図書館のスタンプがしっかり押されているはずです。

借りた本は必ず読み終えてから返却しなければなりません。それがおそらく世界中どこの図書館にもない丸の内図書館だけのルールです。どこかに置き去りにしてもそれはヒゲ社員のもとへと戻ってきます。マクドナルドのテーブルに置いていけば、家の玄関を三輪スクーターに乗ったマクドナルドのデリバリー店員がノックします。公園のベンチに置いていけば、そこを寝ぐらにしている野良猫が仕事帰りに駅からあとをついて来て、家の前で毎晩ニャーニャー鳴きつづけます。

まるで図書館版『イット・フォローズ』みたいですけど、なにも怖がる必要はありません。足が震えて一人でトイレにも行けないなんて顛末にはなりません。それはヒゲ社員であるみなさんのカイゼル髭が選んだ本なのですから。途中で詰まらないと感じたり、飽きてしまったりして投げだすような心配はご無用です。どうかご自身のカイゼル髭を信じてあげてください。

さて、丸の内図書館のお話はこの辺でおしまいです。思っていた以上に長くなってしまいました。マックのバッテリー残量が気になります。早速未来から過去へと時間を巻き戻しましょう。


マーロン・カール氏からの招待状が届いたアメリカの七つの図書館では、気の早いことに、その週から「読書会には我が社が出版した本をぜひ!我が社は偉大なアメリカの物語を多数取りそろえています!偉大な読書会には偉大なアメリカの物語を!さあ一緒に素晴らしいアメリカの旅をはじめましょう!」とか、「こんにちは。アガサファンの女の子です。私が想像で書いたアガサとフリーストリーミングの木のお話は読書会にうってつけだと思います。ぜひ手にとって読んでみてください」などなど、頼んでもいないのに出版社やエージェント、あるいは作家や個人から、なにかしらのメッセージを添えた大量の本が寄贈されるようになったそうです。

もしも彼ら寄贈者の行いが善意だけで成り立っていたのならそれはそれで結構です。でも、もちろんそんなはずはありません。彼らのうちの多くは、スーパーボウルのTV中継で流れる三十秒間のCMと同等の宣伝効果を、アガサの読書会に期待したのではないでしょうか。


毎年二月の日曜日に開催される本物のスーパーボウルは、アメリカ最大のスポーツイベントです。全米が熱狂し、TV中継は高視聴率を叩きだし、ハーフタイムにはスーパースタアによる豪華なショーが披露されます。観戦チケットはいつもプラチナで、CM枠が世界一高額なことでも有名です。

そんな国民的大イベントと、参加者はわずかに図書館職員とアパートの住人だけという、限りなく小規模な地域イベントを同じ土俵にあげるのはちょっと無理があると指摘されても仕方ありません。その辺は私も理解しているつもりです。アガサの読書会には当然ながらCM枠なんてありませんし、売れない芸人さんによるハーフタイムショーだってないのです。スーパーボウルとの比較は、まるで横綱と子供の相撲で、ハナから勝負になりません。

でも子供は子供でも、その子はDr.スランプのアラレちゃんだったりするかもしれません。ガッちゃんだったりするかもしれません。もしもそうだとしたらどうなるでしょう。立場は逆転しないでしょうか。横綱のキャラは物語的にDr.スランプ中のスッパマンになります。まわしを締めたスッパマンの生命が危ぶまれます。


みなさん。メトロポリタン博物館の記念切手を当ブログから贈呈されるほどに記憶力に秀でたみなさん。ここまで読んでいただいて、なにか腑に落ちない点はありませんでしょうか。

ありありですね。謂わばこれはチャンス問題です。あまりに簡単なので今回は記念切手の贈呈はナシとさせていただきます。

じつはその矛盾に私はずっと前から気づいていたのですけど、話が込み入って分かりづらくなると思い、これまであえて触れずにきました。ついにそのお話をするときがきたようです。

私は思うんです。ネイチャーX社は、あるいはマーロン・カールCEOは、はじめからわざとアガサにターザンの木を盗ませたんじゃないかって。もしそうだったなら、アガサの読書会の招待状が、マーロン・カール名義で届けられたのもある程度納得できるところです。そして招待状に記された読書会の開催予定日がXデーと重なっているのも。

それは七冊の本を携えた図書館職員たちと、アガサのアパートの住人たちと、アメリカコミックのヒーローやらヒロインやら悪役たちやらのコスプレ衣装に身を包んだロサンゼルス近郊の人々とが、一同に集結する日なのです。


アガサの読書会が出版界のスーパーボウルであったとして、それはつぎにいつ開催されるか分かったものではありません。それどころか二回目はない可能性だってあります。七冊のうちの一つに選ばれればベストセラー誕生も夢ではないのですから、それこそ最初で最後の千載一遇のチャンスです。第二、第三のJKローリングへの道が開くかもしれません。こんな機会を逃す手はありません。

たぶん大勢の人たちが、個人なり組織なり、そんな期待に胸をふくらませて素早く著書を寄贈したのでしょう。なにしろアガサの、そしてマーロン・カール氏の、読書会で読んでもらうためには、遅くともXデーがくる前には図書館の蔵書に仲間入りを果たしていなくてはいけませんから。

しかしたとえ運良く蔵書の一員になれたとしてもそこからが大変です。ベストセラー作家への道程は『ロード・オブ・ザ・リング』のそれのように果てしなく長く険しいのです。べつにオークみたいな連中が沢山でてくるわけではないですけど、その代わりに図書館には数え切れないほどの蔵書が存在します。その中で七人の賢者が手にとり、共にバスの旅に揺られ、ついに朗読するのは、それぞれわずかに一冊だけなのです。


果たして寄贈された書物の群から七冊のうちの一冊でも選ばれたかどうかは分かりません。読書会の当日に七人の賢者が朗読した本の書名はいまだに公表されていないからです。

ただその七冊の書物は、丸の内図書館のヒゲ社員よろしく、七人の図書館職員の見えないカイゼル髭によって選ばれたはずです。招待状に書かれた「好きな本を一冊」というのはそういうことです。選ぶのはあくまでも髭なのです。


旅たちの前夜、七人の賢者たちは利用者が引き払ったあとの図書館に残り、館長の計らいによって特別に一人だけで蔵書室を利用させてもらったそうです。彼らは丸の内のヒゲ社員を彷彿させるべく、一つの靴音だけが響く静かなる書物の森をゆっくり歩きながら、自らの見えない髭が反応するのを待ったことでしょう。そうして見いだした書物を、樹木の根元から珍しいキノコを摘むかでもするように棚から抜き取り、貸出カウンターまで持っていっては、そこでバッグに仕舞い込み、夕方から降りだした春雨に傘をさしつつ大事に自宅へと持ち帰ったことでしょう。


七人の賢者が、あるいは七つのカイゼル髭が、選んだのは、偉大なアメリカの物語だったり、それほどには偉大でもない物語だったり、さっぱり偉大でない物語だったり、むしろ人々の害になるような物語だったり、したかもしれません。いずれにしても、彼らはそれをバッグに入れたまま翌朝いつもの時間に家をでて、いつもと同じ時間に職場である図書館へ着きました。そこで昨日の朝と違っていたのは二点。昨夜バッグに忍ばせた本と、夜遅く止んだ雨に黒く濡れている図書館前の通りに、大きな輝く銀色した一台のバスが停まっていたことです。


つづく



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