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ターザンの木教習所⑦

世界中の空港ターミナルで足止めをくらいながら、初ブログを書いているであろう元受付係たちのカイゼル髭に向けて、アガサが新しいメッセージが発信しました。それによりますと、読書会に招待された七人の内訳はこんな感じだったようです。

研究員一名、研究員助手一名、司書二名、司書助手一名、案内係一名、清掃員一名。

さて、みなさんはこの人選をご覧になってどんな感想を思い浮かべるでしょうか。「研究員と司書と案内係はいいとして、どうして清掃員までが読書会に招待されるの?」なんて思ったりはしなかったでしょうか。もしもそんな考えが頭を過ったとしたら、ただ一言「地獄へ落ちなさい!」と申し上げたいところです。もちろんこれはタチの悪い冗談です。


一般的なゆるい読書会では、参加者のそれまでの読書量なんて、さほど問題にはならないでしょう。ただ読書好きかどうかは、やはり会の性質上、それなりに重要視されるのではないでしょうか。

天下一妄想会の読書会に於いては、文学的知識や読書量の多さなどは言うに及ばず、本好きかどうかさえまったく問題になりません。大切なのはあくまでヒゲの長さです。彼ら七人がそのヒゲでアガサからのメッセージをキャッチしたという事実のみが重要なのです。

でも、「それなら読書会に招待されるのは、べつに図書館職員でなくてもいいのでは?」というメッセージが、あちらこちらから私のカイゼル髭めがけて飛んできそうです。それに対する答えは、私の可愛い赤ちゃんカイゼルちょんちょこりんに誓って、ノーです。

図書館職員であることは重要です。なぜなら図書館職員のポートランド髭が長いのは、彼らが図書館職員であるからです。サンタクロースのヒゲが真っ白なのと同じです。サンタクロースのヒゲが真っ白なのは、彼がサンタクロースであるのに他ならないからです。


再びアガサから届いたメッセージによりますと、彼女は彼らを〈七人の賢者たち〉と呼んでいたそうです。その中にはとくに本好きでもなく、もちろん読書家でもない、しかも大のギャンブル好きな、およそ賢者と呼ぶには相応しくなさそうな図書館職員が一人含まれていたようです。

読書会に招待された図書館職員たちの名前は公表されていないので、私はその唯一の不届き者を今ここでウッドストック氏と名付けたいと思います。一緒に届いた、名前の欄が黒く消されている指名手配風プロフィールによれば、氏は清掃員としてニューヨーク公共図書館に長年勤務しており、七人の中では最年長の職員になるそうです。氏の昔からの自慢といえば、1969年に開催された、かの〈ウッドストック・フェスティバル〉に於いて、若かりし日の両親と共にあられもない姿の赤ん坊として、公開された映画のフィルムに記録されていることなんだとか。氏は、かの映画の中で何人か登場する、正真正銘、文字通りの〈ウッドストックの子供たち〉であったわけです。


もしかしたら地獄に落ちなければならないのは、私の方かもしれません。

なんということでしょう。たとえ悪い冗談だったとしても、「地獄に落ちなさい!」などと口走ってしまい、お恥ずかしいかぎりです。でも、これだってきっと悪い冗談の一つなのに違いありません。だってまだこの世のすべての清掃員が読書家でないと決まったわけではないのですし、それに私はさっきからずっと、ダークサイドに落ちる寸前のターミナルで孤軍奮闘しているわけです。そんな私に向かってどこの誰が「地獄に落ちなさい!」なんて言えるでしょうか。いるとしたら、まったく大きなお世話です。


気を取り直しまして、アガサのメッセージとネイチャーX社のDVDからあと少しウッドストック氏にまつわる情報をまとめてみますと、氏の奥さんも図書館職員のようで、お二人は職場結婚だったみたいです。ただ奥さんの方は子供の頃から大の本好きで、清掃員ではなく、現在はニューヨーク公共図書館とは別の図書館で司書長をなさっているとか。

しかしそうなると天下一読書会は、ウッドストック夫婦の夫婦生活に良からぬ影響を与える結果になってしまったのではないでしょうか。

そう遠くない将来に読書会に招待された七人の図書館職員が、伝説のコンサートみたいに語られる日が来たとしたら(それは必ずやって来ます)、ウッドストック氏の奥さんは、「どうして読書家の私ではなく、ギャンブル好きの夫の方が読書会に招待されたの?今まで私が読んできた本は間違いだったの?」なんてため息を吐く日々を送るようになってしまう可能性があるからです。

お二人の関係がそんなふうにならないことを祈ります。読書会の人選には読書量も、本を選ぶセンスも、まったく関係ないのですから。ただ単にミセス・ウッドストックよりミスター・ウッドストックのポートランド髭の方が長かったという理由だけなのです。どなたかミュージシャンの方に『ミセス・ロビンソン』の替え歌であるところの『ミセス・ウッドストック』を作ってほしいと思います。


『ウッドストック』は不思議なドキュメンタリー映画です。もはや伝説と呼ぶに相応しいミュージシャンが多数出演しているのにも関わらず、見終わったあとに耳や瞼に残っているのは、スターミュージシャンの演奏ではなく、全米から集まってきた名もなき大勢の若者たちの姿だからです。

私は彼らの「若さ」を思いだすと、ちょっと悲しくなります。ただ、これも大きなお世話なのに違いありません。

それでも私は思わずにはいられません。1969年の牧場で泥にまみれていた若者たちはどこに行ったのかと。彼らの夢や挫折はどこに行ったのかと。彼らが湖畔で脱ぎ捨てたTシャツやベルボトムや泥で汚れたパンツはどこへ消えたのだろうかと。

フェスティバル後のゴミと一緒に会場のあちらこちらの焚き火で燃やされたのでしょうか。仮設トイレの清掃員が大量の糞と一緒に持ち帰ったのでしょうか。ニューヨーク州のどこかに若者たちの夢と挫折と糞だけを専門に処理する施設があるのでしょうか。

私はリンゴマークがついたノートブックの画面をクリックします。買ってから日が浅いので、私のiTunesにはまだプレイリストが一つしかありません。《ジョニー・ミッチェルとママス&パパス》です。さっきまでバッテリー残量が気になって音楽は聴かずにいたのですけど、構いやしません。私は今このターミナルでコンコンと眠りについている人たちと警察犬のシェパードと一緒に、緑の牧場の夢を分かち合いたいのです。


私は妄想します。それはアガサとの約束です。


アメリカにはその開拓時代から目には見えない、遠い外国にいる私たちにはうかがい知ることのできない、物語の粒子が浮遊しています。現在その密度の最も高い場所が、じつは公共の図書館なのです。つまり図書館内を浮遊している粒子には最高度の栄養素が含まれているのです。

物語の粒子は図書館職員たちの顔に付着して、顎ヒゲを成長させます。長い顎ヒゲはさらに長くなり、粒子を漁師の網のように付着させ、今度はその栄養分を口元のカイゼル髭へと送ります。

それは顎ヒゲと口元のカイゼル髭からなら成るポートランド髭の通常のメカニズムですけれど、図書館職員のポートランド髭はこれだけでは終わりません。画家のダリよりもド派手に成長を遂げて海賊の船長みたいになった彼らのカイゼル髭は、図書館の棚にズラリと並んだ、何十万冊という蔵書に付着している物語の粒子を強力に引き寄せ、長い顎ヒゲに付着させるのです。一説ではそんな物語の粒子には一粒につき十万語の言葉が含まれているそうなんです。


桜の木の下になにかが埋まっているように、図書館職員の脳内には古今東西の様々な書物が眠っています。粒子に付着した書物の言葉はヒゲを通る最中に濾過され、図書館職員の脳内に蓄積されていくのです。

言ってみれば、それらはほとんど彼らが勤めている図書館の蔵書のコピーであり、毎日のように館内を歩きながら、ヒゲの箒でせっせと掻き集めた言葉の結晶であり、結果として彼ら自身が図書館職員のIDを胸にぶら下げた、歩く図書館となっているのです。

ただしそれらの過程はすべてポートランド髭が勝手にやっていることで、図書館職員は自分たちが歩く図書館になっていることも、頭の中に何千冊もの本が並んでいることも、当然のように知りもしません。もちろんウッドストック氏もその一人です。アガサが彼らを〈七人の賢者たち〉と呼んだのはそういう意味なのです。


つづく



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