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ターザンの木教習所⑥

アガサは言うのです。「私たちは妄想をはじめましょう」と。「妄想はやがて物語を生み、物語は世の中を動かしていきます。私たちのフォークとナイフを動かし、バスと地下鉄を走らせ、ときにベッドで空を飛んだりもします」と。「私たちが妄想を止めたとき、フォークとナイフは床に落ち、バスと地下鉄は止まり、空飛ぶベッドは地面に叩きつけられるでしょう」と。「そうならないように、すべての受付係の皆さん、妄想をつづけてください」と。


生えはじめたばかりのポートランド髭アンテナによって、ついに私はノートPCに頼らずとも、晴れてアガサの言葉を受信できるようになったみたいです。私が書きつづける言葉の中には、もう自然と彼女の言葉が何パーセントか含まれています。

赤ちゃんポートランド髭姿の私たち元受付係は、ネイチャーX社ではなく、アガサによってカルフォルニアまで呼びだされたのかもしれません。彼女は私たちを必要としているのです。

でも誰かが、あるいは何かが、私の行く手を邪魔しています。せっかく手に入れたチケットを無効にさせようとしているのです。

もしかしたら私以外にも、世界中の元受付係が世界中の空港で足止めをくらっているかもしれません。本当に大きなお世話です。


大勢の旅行客と空港職員たちが硬い乳白色の床に、黒い革製のソファーやカウンターに、倒れ込むようにして眠っている光景は、まるでウイルスが蔓延した終末の世界を連想させます。どこか安全な土地に脱出するために空港までやって来たものの飛行機には乗せてもらえずに、誰も彼も皆ここで力尽きて折り重なるようにして果てていったのです。

ただ、ウイルスがゾンビ系のものでなかったのは幸いでした。空港ターミナルは見た目にはとってもクリーンな状態を保っています。

静寂に包まれたオワコン空間に一人取り残された私は、誰が読むのか定かでない人類へのレクイエムを、マックブックのバッテリーが許す限りカチャカチャと音を立てながら記録しつづける空港最後の生存者めいています。


はじめての海外旅行のために用心して鞄に入れておいたスエットのパーカーの出番が早くもやってきたようです。ウイルスの影響でしょうか、それとも空港の空調が止まってしまったからでしょうか、オワコン空間は清潔なのはいいんですけど、なんだか寒くなってきました。時刻はまだ昼ですし、凍えるような季節でもないはずなのに。

恐らく外の霧のせいです。今度は寒気によって私を寝かせつけるつもりなのです。どこまでしつこいヤツなんでしょう。でも私はこのしつこい輩とこれまで一進一退、共に生きてきたのです。

できるだけ早くこのブログを書き終えなければいけません。ターミナルに氷河期が訪れて、排気口から寒波が入り込んでくる前に。そうしないと私だけでなく、眠っている人たちまで危険です。氷に閉ざされたマンモスたちの二の舞になってしまいます。

けれどそうかといって、おざなりの文章になってもいけません。アイツを退治できるのは、野際さんばりに力のある言葉だけなのです。

記念すべき第一回目から長いブログになりそうです。


アガサは教習所の元受付係を世界中から呼び集めようとしています。それは飛びっきり素敵なアイデアです。まさに選ばれし強者たちの天下一妄想会といったところです。

普段から隅っこの受付で妄想のハンドルを握りつつ、妄想のマジカルバスを教習所のコース内で暴走させていた私たちです。それが一堂に会したらどんなことが起きるでしょう。妄想のマジカルバスがベッドに変身してネイチャーX社から次々に飛びだし、空飛ぶ絨毯かドローンの群れのごとく、夜のロサンゼルス上空を徘徊するかもしれません。

そんなふうに期待に胸を膨らませる私は、べつに元受付係たちの力を過信しているわけではありません。というのも、アガサが天下一妄想会を開くのはじつはこれがはじめてではなく、つまり私たち元受付係が集まる妄想会は第二回目にあたり、すでに第一回天下一妄想会は開催されていて、大成功を納めているからです。


Xデーからさかのぼることひと月前の出来事です。アメリカにある七つの州の七つの図書館に、草色した紋章のスタンプで封印された、館長宛の不思議な招待状が届けられました。

七人の館長が、事務所風の、ロッジ風の、近未来風の、新聞社風の、校長室風の、教会風の、館長室で、正方形に近いその封筒を開けてみると、二つ折りのカードにタイプされた文面が同じように並んでいました。読んでみると、それはカルフォルニアで開かれる読書会の招待状のようです。

図書館が読書会の招待状をだすのなら分かりますけど、図書館に読書会の招待状が届くのは珍しい話です。アメリカでもそれは同じだと思います。でももっと不思議なのは、その読書会がカルフォルニアで開かれるという点です。招待状は七つの州の図書館にまたがって届けられていました。そのうちの一つはニューヨーク州の図書館です。読書会に参加するためにはアメリカ大陸を横断しなければなりません。いったい大陸を横断しなければ参加できない読書会とは、どんな読書会なのでしょうか。


普通ならこんな無理難題な会にはどんなに本好きな人でも参加したいとは思わないはずです。館長がよほどの変わり者でないかぎり、招待状は封筒と一緒にあっという間にゴミ箱かシュレッダー行きになる運命でしょう。

けれどもそのおかしな招待状は、七人の指からなかなか離れようとはしないのです。というのも、なにもないはずの行間にまるで秘密の暗号でも見つけようとするかのごとく、七人が七人共、文面に真剣に目を凝らしはじめたからです。

どうやら七通の招待状はゴミ箱行きもシュレッダー行きもまぬがれたようです。ただしそれは館長たちがみんなそろって変わり者だったからではありません。彼らにはそれができない、ある共通の事情があったのです。


二つ折りのカードには、上段に読書会を開く趣旨と、「◯◯◯◯」と、読書会に招待された図書館職員個人の氏名が書かれてあり、下段には参加するための条件が〈必ず〉な箇条書きで並んでいます。

曰く、読書会には招待された図書館職員が必ず一人で来ること。

曰く、会場には必ず長距離バスで来ること。バスが不可能な場合にのみ鉄道の利用は可。

曰く、招待された図書館職員は、勤務する図書館の中で一番のお気に入りの本を必ず当日一冊持参すること。

カードの一番下に視線を移すと、そこにはこの〈必ず〉好きな主催者の直筆サインが、まるで金のインクで書かれたかのように記されています。〈マーロン・カール〉と!


みなさん、憶えていらっしゃるでしょうか、マーロン・カールという、甘いお菓子みたいな名前の主を。べつに憶えてなくても一向にかまいませんし、それでまったく不都合はないんですけど、七人の館長たちにとってはどうもそういうわけにはいかなかったようです。マーロン・カールという名前は、彼らにとって、それはそれは特別な意味を持った名前だったのです。


七人の館長は内線で七人の図書館職員を館長室に呼びだします。

しばらくしてドアをノックして入ってきたのは、おじさんの、おばさんの、お腹のでた、お尻の大きい、背の低い、清掃人風の、蝶ネクタイをした、七人の図書館職員たちでした。

彼らこそマーロン氏に招待された、マーロン氏以外に唯一、一通一通の招待状に名前が記されている図書館職員たちなのでした。

彼らはみんな、アガサに負けず劣らずに立派なポートランド髭の持ち主でした。図書館職員とは、受付係と同じぐらいにポートランド髭が長い職業の人たちなのです。

悪ふざけをして校長室に呼びだされた七人の児童でも見上げるみたいに、まんじりと椅子に腰掛けている七人の館長は、じつは目には見えない職員の長いヒゲを知らず知らずのうちに眺めてもいたわけです。


招待された七人の図書館職員は、年齢も性別も肌の色もバラバラでしたけど、みんなが油絵の肖像画にして額に入れ、大聖堂の一部を思わせる図書館のロビーに、飾りたくなるような立派なポートランド髭の持ち主でした。

図書館職員のヒゲは大抵長いわけですけど、アガサの呼びかけに反応した彼らのそれは飛びきりでした。ダリみたいにピンと跳ね上がった、とくに感度の良い七人のカイゼル髭だけが、アンテナのごとく彼女のメッセージをキャッチしたのです。


つづく

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