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ターザンの木教習所④

ターミナルの黒いソファーを立ち上がり、中央の大きな自動ドアから外の深々とした霧に向かって大きな声で「サンキュー、サンキュー、サンキュー」と、三回唱えたい気持ちで一杯です。灰色した樹海のごとく空港の建物を覆ったそれが、私の悪運であるにしろ、いいえむしろ悪運であるからこそ、私はアガサとコンタクトをとることができたのですから。

ターザンの木の素晴らしさについて語るにあたり、私は自らスピリチュアル度の規定値を設けました。でも眠気を気にするあまりに途中からすっかりそれを忘れてしまって、自動車教習所の受付でとったキネヅカを思いだしたりもして、好き放題に夢想を重ねてしまったのです。

でもどうでしょう、その結果、私の言葉は教習所のホームページにアップするよりも先に、インターネット接続なしのマックブック経由のみで、成田周辺の霧のベールをジェット機のごとく突き抜けて、遠くアメリカまでとどいてしまったのです。まさにカルフォルニアドリーミングといったところです。


きっとアガサはダンシングクイーンならぬ世界の受付クイーンなのでしょう。今をときめくネイチャーX社の受付係であるなら、それも素直に頷けるところです。彼女こそ世界中のB組の頂点に君臨する受付係なのです。海を越えた異国からのメッセージをキャッチして、さらに自分のメッセージを返信してみせるという神技レベルの夢想力の強さがそれを証明しています。

いえいえ、ちょっと待ってください。舌の根が乾かないうちに、私はもう規定のスピリチュアル度を超えようとしています。今度ばかりはちゃんと思いだせました。理性という名のもう一人の私が、手荷物検査の空港職員みたいに待ったをかけました。お相撲さんのまわしさながらに頑丈そうな赤い手綱を両手に持った空港警察官が、大型のシェパードを引き連れてこちらに近づいてきます。


稀に個人の夢想はそれがあまりに大きいと、空港のX線検査に引っ掛かることがあるようです。夢想はときに危険物であり、持ち込みを拒否する国があるのです。

検査員の女性(それは理性主義者の顔をしたもう一人の私です。彼女はなぜだか淡いピンク色した制服を着ています)が、これから天下一夢想会に向かわんとする私に慣れたように職務質問してきます。海外にでかける受付係に毎日同じ質問をするのが彼女の職務なのです。

「アガサがネイチャーX社の受付係であることを完全に否定できますか?」

答えはもちろんNOです。ピンク色の制服について長年一言温めてきた私は、彼女のそれを品定めするように答えます。

「アガサが世界の受付クイーンであることを完全に否定できますか?」

やはり答えはNOです。私に限らず、それを完全に否定できる人間なんてこの世にいるでしょうか。


どうやらこちらの答えに気を悪くしたらしい理性主義者の検査員である私は、夢想家の私も同じぐらいに気分を悪くさせようと、意地悪な質問をしてきます。

「同じXでも、X-MENシリーズの超能力者でもあるまいし、どうして人の夢想が海を越えたりするのでしょうか?そもそも人の夢想が、それだけの力で他人に伝わることなどあるのでしょうか?」

もちろん私は怒ったりなんてしません。ピンク色の検査員の横では、「本当は僕、ピンク色って、ちょっと苦手なんだ」みたいに舌をだしたシェパードが、こちらに向かってキタキツネめいた大きな尻尾を振っています。犬と私は子供の頃からいつだって仲良しです。


アガサからとどいたメッセージはどういうわけだか日本語になっていましたけど、それが私の一番欲しかったメッセージであることに変わりはありません。

もしかしたらどこかのメール会社が、一番会いたい人の名前を借りて一番受けとりたいメールを送信するサービスでもはじめたのでしょうか。そのメールは文字の形が表現できる場所なら、所構わず姿をだしてみせたりするのでしょうか。

いえいえ、そんなの絶対あり得ませんね。

ではこう考えてみるのはどうでしょう。たしかにインターネットや電話の力を借りずに、遠く離れた場所にいる人に自分の気持ちを直ぐに伝えるのは不可能です。ただインターネットでも電話でもない、それでもその代わりになるような、まだ世間一般には知られていない、べつのツールが身近に存在したとしたら......。


これはアガサと、のちにターザンの木と呼ばれるようになる不思議な木の物語です。


このブログをご覧の方の中には、もしかしたら運良く子供時代のターザンの木を見た経験があるという方がいらっしゃるかもしれません。

じつは短期間ではありますけど、まだ人の背丈よりも低いターザンの木を撮影した動画が、過去に数本、YouTubeにアップされた例があるのです。

それらの動画は今ではすべて削除されています。都市伝説的な噂では、中にはアガサ本人が映ったものもあったという話です。ただ彼女の存在はいまだにトップシークレットですから、当然のようにネイチャーX社から私たちのもとに送られてきたDVDにその動画は含まれてはいませんでした。代わりに私たち自動車教習所の面々は、そこではじめて幼いターザンの木の姿を見たのです。


さてネイチャーX社のドームから密かに屋上菜園に植え替えられたターザンの木は、アガサとアパートの住人たちの愛情によってスクスクと大きく育って......と書きだしたいところではありますが、実際にはそう上手く事は運ばなかったようです。

いいえむしろ事実は逆で、ゴボウの姿形をした救世主はやはりそこでもネイチャーX社のプラントドーム同様に厄介者の烙印を押される運命であることに変わりはなく、哀れふたたび根っこから抜き取られる宿命が待っていたのです。ああ、どこまでも不幸な影がつきまとうターザンの木!それでこそ私の救世主です!

それでも最初のうちは、アパートの住人たちから〈火星の木〉と呼ばれて歓迎されてはいたようなのです。それがある日を境に、彼らの態度が一変してしまうのです。

〈火星の木〉という名前の由来は、おそらくアガサがネイチャーX社の職員であるのを住人たちが知っていたからでしょう。そこには「火星に酸素を造る植物とはいったいどんなものかしらん?」という住人たちの好奇心と期待感がうかがえます。住人の子供たちにも当初は珍しがれ人気があったようで、一時期アパートの屋上では子供たちによる〈アベンジャーズ対マーシャンズごっこ〉がよく繰り広げられていたようなのです。


ターザンの木が最後に〈火星の木〉と呼ばれることになる日も、子供たちは屋上で〈アベンジャーズ対マーシャンズ〉に励んでいました。そして彼らはあるトンデモ現象の最初の目撃者となったのです。

残念ながら〈アベンジャーズ対マーシャンズ〉の上演は途中で中止となり、その日のうちに終演を迎える運びとなりました。近くのハリウッドからめでたくお呼びがかかる前に、哀しい打ち切りの憂き目にあったわけです。

ターザンの木の呼び名も日が傾くころには早くも変更されて、〈火星の木〉と親しまれた新参者は、あっという間に「悪魔の木」と住人の口々に忌まわしそうに上るまでに落ちつぶれてしまいました。楽しい遊び場だったはずの屋上からは子供たちの姿は消え、吹き抜ける乾いた西海岸の夕暮れの風が、波平さんの髪の毛めいた寂しいターザンの木の葉をさらに寂しそうに揺らしていくのでした。


私たちが春の講義室で見た幼い日のターザンの木の姿は、事件の数日後にアパートの住人がスマホで撮影したものです。そこでは赤いブロックで縁取られた、アメリカの家庭用プールぐらいの広さがある屋上菜園に、西海岸の日差しを浴びた薔薇やグラジオラスや野菜の色とりどりの草花に混じって、大人の胸の高さにまで成長した、ほぼ色のないゴボウめいたおなじみのターザンの木の細い幹が映っています。

その姿は良く言ってカカシの片割れ、悪く言えば土くれに突き刺された一本の棒を思わせるのですが、問題はその幹の先端部分にあるのです。成長にともなって、ある変化がターザンの木に起きたのです。幹の先端がもう一つの根っこみたいに枝分かれして、まるで人間の五本の指のごとく広がり上へと伸びはじめたのです。その姿はあたかもプラントが意志を持って空を掴もうとしているかのようです。


西荻窪自動車教習所の面々が午後の講義室でそろって上げた悲鳴は、アパートの屋上で繰り広げられていた〈アベンジャーズ対マーシャンズ〉のくだりで、子供たちが思わず上げた甲高い悲鳴の合唱と、きっとどこか太平洋の真ん中辺りで、時を越え、言語の壁を越え、共振してハモっていたはずです。

私たちは、子供たちが見たように、ターザンの木の五本の指がロボットアームの指みたいにうねうねと動く様子を古いモニターの中で目撃しました。そのグロさの衝撃は絶大で、「自動車教習所がターザンの木教習所になるくらいなら退職させてもらいます」と言いだす職員まででてくる有様です。アパートの住人たちが子供たちに屋上の出入りを禁止にしたのもごくごく当然のことであり、賢明な処置だったと思います。

でもそれ以上に、私たちにとって、いいえ世界にとって、住人たちの判断が秀でていた点は、ほかのところにあります。それは警察やアパートの管理会社に連絡する前に、彼らがまず〈悪魔の木〉の持ち主であるアガサにコンタクトをとったことです。

まだツキは完全にはターザンの木とアガサを見捨ててはいなかったのかもしれません。


もしもアガサが住人たちの苦情に素直に応じていたなら、私がこうして空港のターミナルでブログを書くはずもなく、今でもきっと教習所の受付にシレッと座っていたことでしょう。

アガサは住人たちと取り引きをしました。それも海を挟んだこちらの足がすくんでしまうような、とんでもなく大胆な違法取り引きを。

受付の椅子を離れてネイチャーX社のドームからターザンの木を盗みだしのは一時の衝動だったとして、今回の彼女はレベルが格段に違います。太陽と月明かりの下、すでに多くの時間をターザンの木とともに過ごしていたアガサは、そのプラントの特性を以前よりも遥かに熟知していました。彼女はそこで大博打に打ってでたのです。


空港ターミナルさながら、あるいはそれ以上に国際色豊かなカルフォルニアのダウンタウン周辺に密集した住宅地では、ある不思議な現象が起きていました。まるで人々が突然みんな結婚して新婚夫婦になったみたいに、昼も夜もなかなか家からでてこないのです。平日には仕事も学校も休みがちか遅刻しがちで、休日になっても通りや公園やスーパーは閑散としていて、たまに家からでてきた住人はといえば、やはりこれが新婚ホヤホヤみたいに、なにやらニヤニヤと表情が崩れっぱなしなのです。

そんな彼らが口にするキーワードは、しかしほとんど新婚などとは無縁で、学校や職場、近所のスーパーで頻繁に交わされる言葉といったら、それは「Apple」であり、「Amazon」や「Google」であり、「Netflix」や「Spotify」なのです。そんなITやストリーミングサービスの企業名に混じって、『ゲーム・オブ・スローンズ』や『ストレンジャー・シングス』、『LOST』や『ブレイキング・バッド』などが語られ、「Play Station」や「Xbox」のゲームタイトルも嬉々として彼らの口々によって囁かれるのです。


ダウンタウンの人々はみんな新婚のおたくなギーク病にかかってしまったのでしょうか?

どうやらかかってしまったようなのです。しかもその症状は、アガサのアパートを中心にして円状に広がりをみせているのです。

新婚ギークたちはアガサが暮らす、どちらかといったら低所得者向けの共同住宅を、ときに「聖地」と呼んだりします。彼らにとってその三階建てのありふれた低所得者向け共同住宅は、ニューヨークにある超高級アパート、ビートルズファンにとってのダコタハウスに等しいようです。


アガサ信者にも似たダウンタウンの人々は、黒い人も、白い人も、茶色い人も、赤い人も、黄色い人も、大人も子供も、彼らにとっての聖地の前を通るとき、必ずあごを上げて建物に向かって手を振ったり、ピースサインをしたり、車に乗ってる人は窓を開けて、親指を立てて過ぎ去っていきます。

彼らの視線や指の先には、アパートの屋上から顔をだした、避雷針みたいに細長い一本の木が立っています。

それはまるで黒い電波塔のようにも見えるのですが、誰もがそれがアガサの植えた木であるのを知っています。彼らは日に日に空に向かって成長をとげるアガサの木を、リスペクトを込めてこう呼ぶのです。「フリーストリーミングの木」と。


つづく

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