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ターザンの木教習所①

本当は教えたくないんです。仕事だから仕方なくお教えするんです。私たちが出会った素晴らしく細長い木のことです。この世のものとは思えないほどユニークな木のお話です。私たちはこれから彼らにはじめて会いにいくところです。

「出会った」のに「これからはじめて会いにいく」なんておかしな表現だとお思いになるかもしれません。普通にいったら順番が逆です。でも良きにつけ悪しきにつけ、私たちはもうずっと以前からそんな社会で暮らしています。

でもこれから私たちが実行しようとしている計画は絶対に良い方なのに違いありません。しかも大勢の人たちにとって良い方なのです。それだけは間違いないと思います。西荻窪自動車教習所の職員を代表して言わせてもらいと思います。


その西荻窪自動車教習所ですけど、もうすぐ名前が変わります。事業内容が大きく変化するのです。

交通事故のない安全な街づくりとセイフティドライバーの育成をめざして、長らく地域住民のみなさんに親しまれてきました私たち西荻窪自動車教習所は、このたび自動車教習所としての歴史に幕を閉じ、区の新規産業支援計画のもと、日本初の〈ターザンの木教習所〉として生まれ変わることになりました。名前と事業内容は変わりましても、これまでどおり当教習所のモットーである「真心尽くしたお付き合い」を大切にしながら、いままで以上に住民のみなさんから愛される教習所を目指していきたいと思っています。本当にそう願っています。ターザンの木教習所の職員を代表して言わせてもらいたいと思います。


さて、みなさんは〈ターザンの木〉についてどれぐらいご存知でしょうか。どうして植物が教習所と一緒になるのかと不思議に思っている方もいらっしゃるかもしれません。インターネットの書き込みを見て、人類がこれまで経験してこなかったあらたな種類の事故や生態系の変化などを心配なさっている方もいることでしょう。あるいはすでによくご存知で、一日もはやく免許証を所得してターザンの木出勤ができる日がくるのを心待ちにしていらっしゃる方もいるのではないでしょうか。


インターネットで『ターザンの木』と検索しますとじつに様々な結果がでてきます。そこには正しいものもありますし、あまり正しくないもの、まったく正しくないもの、まさに玉石混淆な状態にあるようです。見方を変えれば、それだけこの不思議な植物に対する人々の関心の高さを伺い知ることができます。人類史上、または植物史上、かつてこれほど人間たちの関心を集めた樹木は他になかったでしょう。それは地上で最もユニークなプラントなのです。

これから私は当ブログ上で、この目で見て、じかに経験した情報のみをお伝えしながら、みなさんの疑問や不安にできるだけお答えし、ゆくゆくは一人でも多くの方がターザンの木に触れる喜びを感じていただけるように努めていきたいと思っています。


まず形式的な自己紹介からはじめるのが筋でしょうけど、名乗るほどの者ではありません。年齢もどうでもいいと思いますけど、一言だけ添えるなら、20代でも30代でも、少し飛んで50代でもありません。ちょっと前まで年甲斐もなく当教習所仕様のダサいピンク色したワンピースの制服を着て、その受付で働いていました。いまはそれを脱ぎ捨て、ジーンズと白のロングTシャツに着替えて、これから帰国しようとするアジアからのツアー客でごった返した成田空港のターミナルで、茶色い長椅子に腰掛けながらこの文章を大急ぎで書いているところです。春先の濃霧で飛行機の発着が遅れています。


はじめての、人よりずいぶん遅い海外旅行が、こんな形で実現するなんて夢にも思っていませんでした。大の乗りもの嫌いで、自動車教習所で働いていながら車のハンドルすら握ったことのなかった私が、ついに飛行機に乗るのです。

私たち教習所のスタッフが向かう先はアメリカのロサンゼルス空港です。所要時間9時間の長フライトです。なにしろ色々な予定や契約がドタバタドタバタと急ピッチで進められたので『不思議の国のアリス』に登場する白ウサギみたいに時間がありません。


西荻窪自動車教習所の受付係りとしての私の最後の仕事は、さらにはターザンの木教習所広報としての私の最初の仕事は、教習所のホームページ上にあらたに設けられた、このブログを自ら更新することです。今回がその記念すべき第一回目です。形式的なものではなく本当の意味での自己紹介やら、もろもろの個人的な事情の説明やらで少々長くなると思いますが、すべてターザンの木に繋がるお話ですので、最後までお付き合いしてもらえたら幸いです。


自分で言うのもなんですけど、以前の私はまったく気の利かない教習所の受付係りでした。自分では省エネタイプを心がけているつもりが、じつのところ周囲にとってはひどく環境に悪い、数えようにもいいところが一つも見つからない、ピンク色したポンコツの中古車みたいな社員でした。

そんなダメな受付係りが、どうして新しく生まれ変わろうとしている教習所の、それも畑違いも甚だしい広報という職務に就いてしまったのか。せっかく新事業をスタートさせようとしているのに、西荻窪教習所はハナから投げやりなのでしょうか。

いいえ、そんなことはありません。それは私が自らこの部署を志願したからなのです。何度かの面接を乗り越え、筆記テストの難関をくぐり抜け、はるか先にいる社内のライバルたちに追いつき追い越し、ようやく手にした念願のポストなのです。

一年前の春の日を境に、ピンクの制服を脱ぎ捨てるべく、人生の冬眠から目覚めたジェダイのように、私は生まれ変わったのです。


それは長いとは言えなくとも、決して短くはないこれまでの私の人生の中で、とてもとても特別な出来事でした。

もう一年も前のことになります。その日の朝、私たち西荻窪自動車教習所に勤める役員を除いた全社員が、事務方からベテラン教官まで、普段講習のために使われている講義室に交代で集められました。

更衣室で着替えをすませてから、受付でその旨を聞かされた私は、直感で「ついに来るべき時がきた」と思ったのを憶えています。


じつは自動車教習所は斜陽産業なのです。人口はどんどん減少し、若者たちのクルマ離れも加速しています。さらに自動車のAI化がこのまま進んでいけば、近い将来、自動車免許証そのものが必要なくなる日だって来るかもしれません。どこの自動車教習所がいつ閉鎖になってもおかしくはない状況なのです。たぶん全国の自動車教習所に勤める人たちが同じ不安を抱いているような気がします。


そしてその日の朝、その不安はよりによって私たち西荻窪自動車教習所でついに現実のものになったと、私は一も二もなく心の底から思ったわけです。これから私たちは、講義室の椅子に座り、雁首そろえて所長の最後の訓辞を聞くはめになるのだと。ダークサイドへ転げ落ちていくのだと。今まさに海底へと沈もうとしている客船の乗員たちが、船長の儀礼的な最後の別れの挨拶に耳を傾けるかのごとく。

でも違ってました。私たちが聞き、見ることになったのは、時代に取り残されてしまった企業を代表する社長のその涙ながらの言葉や苦悶の表情ではなく、ターザンの木を開発したアメリカのベンチャー企業〈ネイチャーX社〉が、パートナー申請してきた世界中の自動車教習所を対象に配布しているDVDだったのです。


まったく寝耳に水でしたけど、じつは所長ならびに教習所の偉い人たちは区と協力して、沈みゆく船から未来に向かって脱出すべく、私たち社員も知らない間に、密かに当教習所の〈ターザンの木教習所化計画〉を着々と進めていたようなのです。

小学生だった頃の教頭先生によく似た年配の副所長が、転入生を紹介するみたいに社員たちに挨拶を述べたあと、いつもなら受講生の教習用に使っているデッキにDVDが挿入され、部屋の明かりが全部消されました。

私が入所した当時から置かれている黒いテレビのモニターに、はじめて見るネイチャーX社のロゴマークが、映画がはじまる際にスクリーンに登場する映画会社のトレードマークさながら華麗に浮かび上がります。教習用の安上がりな教則ビデオとは打って変わって、すごくお金がかかってそうです。

そうしてその日、暗がりの春の教室で、私はターザンの木と運命的な出会いをしたのです。


つづく

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