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若い頃の苦労が買える店(前編)

昔々、東京のとある街角に〈若い頃の苦労が買える店〉と謳った、おかしな商品を売りつけようとする、おかしな商店がありました。

それはほとんど悪い冗談のようでした。たしかに世間には、「若い頃の苦労は買ってでもしろ」といった格言めいた常套句が存在します。でもそれはあくまでも一つの例えです。苦労は普通お金で買えるものでも、また買おうとするものでも、ありません。


しかし、もしも〈苦労〉がお金で買える商品であったとしたら、〈若い頃の苦労〉は、世間にあまたうごめく〈苦労〉の中でも唯一つ魅惑的なパッケージとして成立するのかもしれません。

それぐらいに〈若い頃の苦労〉は貴重な経験であり、自腹を切るだけのメリットがありそうです。逆に〈大人になってからの苦労〉や、〈中高年のための苦労〉などは世間からは目向きもされずに、近づこうとするものなら、塩をまかれ箒で叩かれ追いだされる始末です。

〈若い頃の苦労〉は特別です。それは苦労界では唯一絶対の王者であり、キング・オブ・苦労なのです。


私たちは都内で唯一、いいえおそらく国内で唯一、〈若い頃の苦労〉を取り扱っているお店です。最初にお伽話風に「昔々」とわざと過去形で書いたのは、冗談の類いの一つとお考えください。イタズラ好きであるのは、つねに私たちのモットーであるところです。

それは私たちの宿命です。なぜなら私たちが取り扱っている商品が大のイタズラス好きであるからです。つまり〈若い頃の苦労〉がそうなのです。彼らは隙あれば人をビックリさせようと企んでいます。それと同時に彼らはいつでもシリアスです。私たちが彼らと出会うのは、いつでも巡礼の旅への途中といった具合です。


〈くじゃく〉というのが私たちの店の名前です。もちろん「苦若」からきています。先代にあたる私の父が、いまの西新宿に店を構えたのは、1960年代の遥か昔になります。

当時は〈若い頃の苦労〉が新宿駅周辺にあふれていて、まだ若い銀行員だった父はいろいろと思うところがあったらしく、弔いの意味もふくめて、わずかな退職金と貯金をはたき、足りない分は借金をして、どうにか店をはじめたようです。いまは雑居ビルの一室になってますけど、私がまだ幼かった当時は、質屋風の構えをした古風な造りでした。


私たちが商売をはじめてから、もうずいぶん時間が経ちます。でもそのわりには〈若い頃の苦労〉は世間ではほとんど知られてはいません。というのも、私たちは開店以来、一貫して宣伝というものを避けてきたからです。

〈若い頃の苦労〉は貴重品で、数に限りがあります。しかも商品の性格上、お客様が派手な広告を嫌うのを私たちは存じ上げています。〈若い頃の苦労〉は、存在的に商品としての〈カツラ〉に似たところがあるのです。

ただ〈若い頃の苦労〉とカツラとでは、その製造過程も、存在意義も、まったく異なっています。

私たちはこの度インターネット上に設立したホームページを利用して、今後は少しずつ〈若い頃の苦労〉について、社会に浸透させていきたいと思っています。


〈若い頃の苦労〉は春になると川を昇っていきます。そのために彼らは自らの姿を水の中で魚の形に変身させます。なるべく川を昇りやすくするためです。私たちが〈若い頃の苦労〉を辛うじて肉眼におさめらるのはそのせいです。川の水によって玉色に染まるのです。〈若い頃の苦労〉は最初は基本的に無色透明であり、重さも、決まった形も持っていません。

鮭でもないのに、どうして捨てられた苦労の感情やら経験が、わざわざさらなる苦労を求めるように川を昇っていくのか、その確固たる理由は当時もいまもよく分かっていません。そもそも調べる人がいないからです。


「彼らにとってこれが最期の巡礼の旅なのかもしれないね」

その昔、店を早い時間に閉めた夜には、父はいつも口癖のように申していました。

ただイタズラ好きの〈若い頃の苦労〉たちの方は、そんなふうにまじめ腐った元銀行員みたいな顔で自分たちの素性を語ったりはしません。自由を謳歌するヒッピー風の吟遊詩人めいた口調で歌うのです。なにしろ彼らは全員が捨てられた感情なのです。ドロップアウトしたあとに、さらにもう一度ドロップアウトしたかのような強者です。

「俺たちは最初風になる。その次に魚になる。それから森になって、最後は雨になるんだ」

それが心にいつも黄色いピースマークのバッチをつけた、彼らの口癖でした。ただその心のピースマークのバッチには、必ずどこかしら小さな傷が付いているようでした。

ヒゲと長髪が彼らのトレードマークでした。アコースティック・ギターをジャカジャカ鳴らして、よくフォークソングを歌っていました。当時耳にした音楽を口ずさむたびに懐かしく思いだします。


彼らはよく西新宿の喫茶店でクダをまいていました。夕方になると通りで下校時の昭和風な赤いランドセル姿の私を見つけては声をかけてくるのです。

「よう、〈くじゃく〉のとこのお嬢ちゃんじゃねえか。メシ食わせてくれよ。腹減ってしょうがねぇんだ」

仕方なく私は彼らを実家の〈くじゃく〉の店前まで案内します。そのあとは父が早めに店を閉めて、彼らを近所の定食屋や居酒屋にまとめて連れていくのです。

食事をタカりにくる〈若い頃の苦労〉たちは昔から男たちの方が多かったような気がします。自由を謳うはずが、じつのところ捨てられた感情という捨てられない性分であったためか、言葉使いは皆んな捨てバチでしたけど、それだけに気弱そうな人たちばかりでした。「彼らにはもっと栄養が必要だわ」子供心にいつも私はそう思っていました。


シン・ゴジラに例えるならまだ第一形態未満である、無色透明で形もない〈若い頃の苦労〉が、どうして人に向かってタカったり、食ったり呑んだり、ギターを弾いたりできるのか、さきほどからみなさんはきっと疑問に思われていることでしょう。

その答えはこうです。〈若い頃の苦労〉たちは、新宿駅で始発電車を待ってベンチで雑魚寝している朝帰りの若者たちを見つけると、その体内にいそいそと乗り移るのです。現代風に例えるなら、早朝の新宿駅で雑魚寝している若者たちは、〈若い頃の苦労〉たちにとって同志であるのと同時に彼らにとってのアバターでもあります。

アバターに没入した〈若い頃の苦労〉は、風の噂で耳にした西口の〈くじゃく〉に向かって歩いてくるといった塩梅です。晩餐を奢ってもらう魂胆です。ご馳走で身も心もすっかり満たされたあと、〈若い頃の苦労〉たちはアバターをすぐに解放します。

ちなみに彼らへの晩餐はいまもつづけられています。〈若い頃の苦労〉のアバターたちを店前に案内するのは、私の息子が小学校だった当時は息子が、いまではランドセルを背負った近所の小学生たちがやってくれています。なぜだか彼らの案内役は、いつの時代も学校帰りの小学生たちなのです。


私たちとしてもできるかぎり〈若い頃の苦労〉の期待に応えたい所存でいます。それは親切心というより、父の代から綿々と繋がれている特別な契約だからです。私たちと〈若い頃の苦労〉とは、60年代から現在まで、持ちつ持たれつの関係をつづけています。思えばずいぶん長い間つづいた奇跡的な信頼関係です。

銀行からの勤め帰りである土曜日の夜、ネクタイと社章を取り去って新宿駅に立ち寄ったまだ若き日の父は、西新宿駅の構内に大勢集まった若者たちの、ヒッピー風な髭面の男から、〈若い頃の苦労〉の話しを聞かされました。そのあとで〈若い頃の苦労が買える店〉の計画を持ちかけられたと言います。

「俺たちはあんたに〈若い頃の苦労〉を少しだけ分けてやる。代わりにあんたは、俺と俺たちの仲間に食事を提供してくれ。公園の焚き出しみたいのじゃなくて、ちゃんとした店の食事をだ」

「そんな金はないよ」

無下に断れない父が苦し紛れに言うと、ヒッピー風の髭男は父の素性を見抜いたかのように語って聞かせたそうです。

「あんた、見たとこ銀行さんだろ。銀行勤めなら金の計算は得意じゃないか。なければ借りればいい。きっと〈若い頃の苦労〉は高く売れるぜ。約束する」

あとになって考えてみると、そのヒッピー風な髭男は、やはりアバターだったのに違いありません。


〈若い頃の苦労〉はアバターの体は使っても、彼らの財布には決して手をつけませんでした。対照的に、店前で私たちの顧客である年配の男性に直接声をかけるケースはよくありました。

ただ誠に遺憾ながら、〈若い頃の苦労〉たちは礼儀というものを知らない、心にいつもアロハシャツを羽織ったような輩なので、顧客にたいして大変失礼な言葉遣いになってしまうこともしばしばでした。間違っても「こんにちは。私は〈若い頃の苦労〉と申します」なんて礼儀正しい自己紹介はしません。だいたいがろくに挨拶もないまま、「寿司おごってくれよ」「焼肉おごってくれよ」「鰻おごってくれよ」の三つのお願いのうちのどれかが、いきなり飛びだします。

客の例が「おじさん」一択になっているのは、〈若い頃の苦労〉を求めて私たちの店を訪れる顧客のほとんどが中年から初老にあたる年齢層の男性客ばかりだからです。


〈若い頃の苦労〉はいたるところで捨てられます。それは若者たちが、いい歳をした大人になるための儀式のようなものです。

夕暮れ時の学校の校庭で、アルバイトからの帰り道で、早朝の駅のプラットホームで、ベッドの枕元で、その他いたる場所で、それは捨てられていきます。穴が空いて破けたTシャツみたいに、〈若い頃の苦労〉が一枚一枚捨てられていくたびに、若者たちは丸くなって大人へと成長していくようです。

しかし捨てる側の若者本人はそれでいいでしょうけど、捨てられた〈若い頃の苦労〉の方はたまったものではありません。夏を超え、秋をやり過ごし、冬をまたいで、ようやく旅立ちの季節を迎えることもあります。彼らが巡礼の旅を開始するまでには、ときには半年以上かかるのです。


捨てられた〈若い頃の苦労〉たちは、本能のおもむくままにまず地元の駅へと向かいます。目的地は西新宿です。そこは彼らが最期の旅をはじめるためのベースキャンプとなる土地です。都心のランドマークを目指して、日本全国から捨てられた〈若い頃の苦労〉たちが集まってきます。ウッドストックを目指してはるばるアメリカ全土からやってきたヒッピーみたいに。

東京で桜前線の便りを耳にする頃、〈若い頃の苦労〉は、新宿駅から中央総武線に乗り込み、東京の下町へと向かいます。いよいよ旅立ちの日がやってきたのです。

彼らのつぎなる目的地は、下町から東京湾へと注ぐ荒川です。ただ〈若い頃の苦労〉たちはその水中を流れに逆らって、上流の方向へと昇っていきます。

旅立ちの日がくると、アバターの姿となった〈若い頃の苦労〉の数人が、店まで別れを告げに訪れることもよくありました。「あばよ、お嬢ちゃん。世話になったな。助かったぜ」そう言って連中は、まだ子供だった私に手を振って駅に向かって立ち去っていったものでした。

それから少しの間、西新宿の街は急に静かになるのでした。


つづく

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