あなたの埋もれた才能見つけます㉖
はじめての採掘の日がいよいよ決まって、これまでに経験してこなかったファンタジックな期待と不安に毎日胸がドキドキしています。
私はイカサマさんのブローチに話しかけます。午前中は水晶レディとして、一人のユーザーと一組の元ユーザーのご家族を館内に案内しました。いまは昼休みで、記念館の扉を一旦閉めて奥のロッカールームでコンビニのおにぎりを一人パクつきながら、こうしてせっせと発信しているところです。
イカサマさんは今日もラーメンと半チャーハンでしょうか。水晶の子供たちは昼食は抜きで、日中はみんなお留守か、いたとしても図書室にいるみたいにとても静かです。ここにいると読書がはかどります。
魔法の言葉らしきものはまだ見つかっていません。図書室から借りてきた本は毎日欠かさず読んではいるのですけど、これはという文章にはめぐり合えていないのが現状です。
でも心配はしていません。自分で選んだ本ですから、図書室の棚から抜いた時点ですでに正解を選んだものと確信しています。自分で言うのもなんですけど、私は子供の頃から面白い本とかテレビ番組を見つけるのが得意なんです。小学生時代の読書感想文なんて、最初から最後まで、いかに自分が面白い本を選ぶのが得意か、その自慢話に終始しているほどです。しかもその自慢話が下手な感想文よりも担任の先生にウケがよくて、教室でクラスメイト全員の前で褒められたほどです。
もしかしたらこれはヘッドハンターになるための重要な要素だったのかもしれません。
もっとも、これまでに思ってもみなかった経験をしている最中ではあるので、記念館に一人でいると、たまに心細くなるのも事実です。
そんなときは小学校の水泳の授業ではじめてクロールを覚えた年の出来事を思いだしたりします。
幼く自信のなかった私は、つぎの夏がくるまでにせっかくマスターした泳ぎを忘れてしまうのではないかしらんと、その冬の間よく畳の上でバタ足と息継ぎの練習をしたものでした。
もちろん一冬のうちに忘れてしまうはずはなかったのですけど、この出来事を記念館のカウンター席で一人思いだしていると、音楽家としての才能あふれた子供たちの誰かが、水晶の中でピアノを弾いたり、陽だまりに懐かしい歌を口ずさんだりしてくれます。子供だった頃を思いだしているこちらの気持ちが伝わったのでしょうか。
きっと採掘作業の初日がきたら、すべてが丸くおさまって、私たちが乗った山の手線の車両という車両がランドセルを背負った子供たちによる朗読の歌声に包まれるでしょう。
でももしかしたら、あいにくイカサマさんは、ぐるぐる回る山の手線の洗礼をうけて、到着駅のプラットホームでゲロを吐いてしまうかもしれません。そしたら私は、キャシーさんがしてくれたみたいに、あなたの手のひらに白墨で円を描いてあげましょう。
魔法の言葉が見つからないのを心配していないように、私はイカサマさんの乗り物酔いも心配してはいません。かの街でのあなたのメモリーがどんなものなのかまだ知りませんけど、いざというときには私たちには白墨の木がついています。
ファンタジックなドキドキの半分を占めているのは、じつのところヘッドハンターには一回分のアドバンテージが与えられてるのに対して、水晶掘りはあくまでぶっつけ本番という点です。
これはさすがに不公平というものです。かつての水晶掘りたちが経験したらしい辛辣なメモリーの存在といい、かの街はどうも水晶掘りたちに手厳しい感があります。大袈裟に言ったなら、百獣の王ライオンが我が子を崖の下に突き落とすかのような、いき過ぎたスパルタ教育を思い起こします。
もしかしたらすべてがかの街による、ということはかの街の子供たちによる、計算であり総意であるのかもしれません。
つまりヘッドハンターの相方である水晶掘りを冷遇するという奥の手によって、私たちヘッドハンターの心理にジュリー・アンドリュース張りの母性本能が作用するのを期待しているのです。そうするとギクシャクして上手くいきそうになかった新米の採掘コンビにもなんとかチームワークを誕生させて、困難がジェットコースター並に次々に襲いかかる発掘ツアーが、どうにか二人で克服できるようになるという按配です。
べつに恐ろしく面倒そうな計画を立てなくても、もとから私の心には心優しい母性本能があふれているので、かの街による捨て身の作戦は骨折り損に終わりそうな気がします。
代わりにイカサマさんには、私が聞いたとっておきの情報を提供しましょう。校庭キャンプの晩に鬼のように眠たかった私にどうにか正気を維持させ、キャシーさんが伝えたがっていた、かの街誕生の物語です。
それは水晶掘りとヘッドハンターの二人が、ともに知っておかなければならないお話です。それを聞いたならイカサマさんのやる気にも磨きがかかり、サイコロの振り方にも気合いが入ること請合いです。社長女史に言わせると、水晶掘りにはかの街についての先入観をなるべく与えない方がいいらしいのですが、その誕生に関わる話になるとべつのようです。それぐらいに大切なお話なんです。
オレンジ色した焚火のゆらめきに合わせて、パチパチと薪が心地よい響きを鳴らし、さらなる眠気を誘っていました。どこか校庭の遠くでは、ゲームキングこと田中さんの姿が見えていたはずですけど、私の瞼はピンクのニット帽の下でいまにもくっつきそうで、生憎その勇姿を拝めるのは無理でした。
そんなわけで私が水晶掘りについてフィジカルなアドバイスをお教えするのは難しく、登山ナイフの使い方や、より正確なサイコロの振り方を教授するのは不可能です。申し訳ないですけど、それについてはイカサマさんが採掘の日にじかにご自身で学びとるしかありません。
せっかくの貴重なアドバンテージを無駄にして「このタコ」と、寅さん張りの叱咤が聞こえてきそうです。でもそれにはちゃんとした理由があるので許してもらいたいところです。昼の夢と夜の夢はコインの表と裏のように重なりあっています。
キャシーさん言います。それは「日本人にしかできない日本人らしい革命だった」と。なぜなら「それは世界中探しても東京の山の手線でしか起こり得ない奇跡だから」と。
私が襲われた激しい眠気と、かの街の誕生の秘密とはもちろん関係があります。私はそういつもいつも『ファイトクラブ』の主人公みたいに不眠症でウトウトしているわけではありません。私が図書室で本を借りたあとに睡魔に襲われ、急にまぶたが重くなったのは、むしろヘッドハンターとしての優秀さのあらわれなのです。「寝る子は育つ」とも言いますし。
戦火の広がる河の支流をボートでのぼり、ジャングルの奥地にある秘境へとたどり着いた兵士のように、初代田中屋は山の手線外回りの最終電車に乗って、どこか遠い土地にある見知らぬ街へとたどり着いたのだそうです。
海外では電車の車内での居眠りに罰金を科す国があるそうですけど、日本ではまだそうした動きはないようです。都内では電車の座席でうとうとする乗客がいまも昔も大勢います。
日本人ほどうたた寝を好んで、また得意な国民も、世界中探してもそうはいないでしょう。仮にいたとしても水晶の子供たちみたいに、特別に眠りの得意な少数民族がジャングルの奥地で見つけられるのをひっそりと待っているぐらいではないでしょうか。
インターネットの時代になってからは、車内の座席では居眠りするか、スマホを操作するか、そのどちらかです。いつの間にか電車内からはマンガが消え、文庫本が消え、働くお父さんたちの大好きな朝刊と夕刊紙が消え、最終的に残ったのはスマホだけになりました。スマホこそは居眠りに残された最大にして最後のライバルであり、乗客が車内で時間を過ごすための必須アイテムになりました。
初代田中屋がかの街にたどり着いたのは、日本がバブル経済に浮かれていた時代で、インターネットはまだ存在せず、その回線も当然繋がってはいませんでした。ただ山の手線からかの街へとのびる路線の方は、すでにある種類のレールによって完成されていたようです。鉄ではなく、4Gでも5Gでもなく、夢でできたレールによって。
初代田中屋がかけ出しの、うだつの上がらない、営業マンだったころに、インターネットが存在せず、車内の居眠りは当然禁止されてもいなかったのは、幸運だったのかもしれません。もしもつねにスマホを片手に持った時代であったなら、仕事帰りにもSNSにあることないこと考え得るすべての愚痴を書き込むのに熱中して、居眠りどころではなくなり、そうすると初代田中屋はかの街にたどり着かずに、水晶生命もついに誕生せずに終わっていた運命になります。
この世に水晶生命が誕生するためには、どうしても電車内での睡眠が必要だったのです。
うたた寝こそは日本人が発明した最大の功績です。なぜなら眠りは人に夢を見させられるからです。イソップ童話的に言ったなら、勝者は北風でも太陽でもなくうたた寝になります。旅人は外套を脱がずに木陰で眠りつづけ、夢を見ます。
バーチャル世界がもてはやされるずっと以前から、日本人はその世界に親しんできました。私たちは夢に一番近い場所にいた国民なのかもしれません。どうか大事な場所でついうとうとしてしまうおじさんたちを怒らないでください。彼らは私たちの先人なのです。これは冗談です。
さてここからが本題になります。
じつはこのあたりから私の眠気はいよいよ本格化して、かなりアブナい状態だったのですけど、どうにか最後まで聞きとどけることができました。ひとえにキャシーさんのおかげです。
そのキャシーさん曰く、あるいは初代田中屋曰く、夢はある条件のもとではあらゆる物資の性質に等しく、宇宙に漂う塵のごとく集まり、ぐるぐると回りはじめ、やがて巨大な銀河をつくりだすのだそうです。
中国の四川省には世界最大の電波望遠鏡があり、スイスのジュネーブには世界最速の粒子加速器があり、そして日本の東京には世界最大規模の夢製造工場である山の手線が構えているというわけです。
特に山の手線による夢の製造に拍車がかかったのが高度経済成長の時期で、そのビジネスモデル化に成功したのがバブル期の水晶生命だったとか。
夢の言葉をつぐむ私が工場労働者の娘で、夢を見ずに土を掘りつづけられるかつての神童であるあなたが工場労働者なのは、なにかの縁なのかもしれません。
つづく