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あなたの埋もれた才能見つけます㉔

小学校の校舎というのは、向かい合った二棟の横長な建物からなっている場合が多いようです。一棟目が職員室や保健室、それから校長室や図書室にあたる棟で、二棟目が子供たちのための教室というふうに。

ただ、かの街は子供たちのためだけに存在する場所なので、その小学校には一棟目にも職員室や校長室はありません。ケガや病気には無縁なので保健室もありません。それだけではなく、もしも小学校の教員がかの街に赴任する辞令をうけ、私たちと同じ方法で山の手線に乗ってやってきたとしても、校舎の建物の中にさえ入れてもらえない可能性があります。そうなったら申し訳ないですけど校庭で青空授業をしてもらう運びになりそうです。かの街には雨は降らないようなので、いっそのこと『サウンド・オブ・ミュージック』のジュリー・アンドリュースよろしくギターを抱えて子供たちと一緒に数え歌を歌唱するのもいいかもしれません。


そんなわけで二人の女の子に両手を引かれて、少し冷え込んできた夜の校庭を私は横切ることになりました。ここの子供たちは寒さを感じないのかしらんと、かの小学校には病気もケガも存在しないと自分で断ったばかりの大きなお世話な親心を抱きながら。ヘッドハンターはただ一人、校舎に入るのを許された大人たちなので。

あいにくギターは持っていませんでしたけど、気分はほとんど赴任したばかりの教育実習生です。三人のうちの一人が、キャシーさんが借りた本の返却をうけもってくれました。それを見て、もう一人も加勢しました。小さな子に厚めの本はけっこうな荷物です。彼女たちが抱えている一冊は、山の手線の車内でみんなで朗読した一冊です。借り主のキャシーさんはテントでお留守番です。その夜がヘッドハンターとしての最後の仕事になるので返却だけなのです。「今回は私は返すだけ」とキャシーさんは言います。

三人の仲良し組に囲まれた私は、『魔法使いサリー』のサリーちゃんと、よし子ちゃんと、すみれちゃんを思いだしたりします。けっこうなオタク気質です。しかもなにかにつけ母ゆずりの骨董風なんです。


かの街に到着した新入生の子供たちは、まずランドセルに入った書籍を図書室に納入します。子供たちに課せられた数少ない仕事の一つです。納入された本は、書店に並んだ100万部のベストセラーから、かの街製本による自費出版本にいたるまで、姿形を変えて図書室のあらたな蔵書の仲間入りをはたすでしょう。

キャシーさんが言ったように、リアルな書店から、あるいは自分の脳内から、それぞれの本を運んでくるのが子供たちに課せられた最初の仕事になるわけです。彼らが〈運び屋〉と呼ばれる由縁です。嬉しいことに学校の図書室は新しい蔵書が増えていく一方です。


かの図書室の本は重要です。その貸出カードにヘッドハンターの名前が記入された本は、私たちにとって、水晶掘りのサイコロに当たると言っても過言ではありません。つまり野暮な表現をしたなら、代替のきかない特別な商売道具といったところです。

水晶掘りたちが模様のないのっぺらぼうなサイコロの面から特別な情報を得て、むやみやたらに広い校庭の、どこか地中の奥に埋まっている水晶の場所を特定するように、ヘッドハンターたちは借りた本を開いて、その数千ページの中からかの街へとつながる呪文とも呼ぶべき文章を見つけだすのです。


なにやらとてつもなく難しそうなヘッドハンターの職務ではありますけど、要はなによりも私たち自身が本に書かれたその文章を気に入っているかどうかです。心の底から好きと言えるかどうかにかかっています。もしも大して感銘もうけていない文章を走る山の手線の車内でいかにも大袈裟に真面目ぶって朗読したなら、どんなに高名な作品の一節であったとしても、それはただの駄文に成り下がります。そこにはなんの意味も価値も生まれません。どんなに教育実習生がギターをかき鳴らしたところで、子供たちは一緒に歌ってはくれません。

ただし、もしも読み上げた文章が本当にお気に入りであったなら、無意識のうちに「いいね」を押せるほどの推しであったなら、その一節は魔法の呪文へと変身します。なぜならかの図書室の蔵書に仕舞われている文章は、どれも子供たちの耳にしか聞こえない特殊な言葉の連なりだからです。「好き」という純粋な気持ちだけが子供たちの心と共振できるのです。


それでもあえて矛盾を承知で申し上げるなら、私たちの瞳に映っている子供たちは、本当はどこにもいないのです。山の手線の車内にも。かの街の小学校にも。子供の姿はないのです。

本当に存在するのは子供時代の記憶の方です。私たちが目撃しているのは遠く過ぎ去った夢か幻です。ですからヘッドハンターの朗読は、大人でも子供でもなく、大人の脳内に眠っている子供時代の記憶にまで届くか否かが重要です。

上手くして私たちの「好き」という気持ちが、大人たちの乗客の中に眠っている子供時代の記憶と共振して、それを揺り動かすのに成功したなら、山の手線のぐるぐる回る唯一無二の素数濾過装置によって、記憶からなる子供たちの幻をかの街へと連れていくのに成功するでしょう。ハーメルンの笛吹き男みたいに。


子供たちに対して課せられたという呼び方はちょっと大袈裟に聞こえるかもしれません。ただ本の運び屋のほかにも子供たちにまかされた重要な仕事があと二つあります。どちらもかの小学校では毎日欠かせない大切な内容です。

一つ目は午前中の薪拾いです。これは小学校の全生徒参加による、街の裏山と森とを練り歩いての作業になります。両手に軍手をして集められた薪は、夕方から行われる校庭でのキャンプファイアーと、私たちヘッドハンターのための焚き火に使用されます。かの街の森と裏山から集められた薪はよく燃えて、しかも長持ちするらしいです。キャンプファイアーには打って付けです。

二つ目は校舎裏に建てられた給食室で、割烹着に身を包んでのカレー作りです。給食係の生徒たちが腕によりをかけて午後の時間をかけて生徒全員分のカレーをグツグツ煮て、大きな窯でご飯を炊きます。カレーライスは夜のフォークダンス大会のための腹ごしらえです。そのためにカレーもご飯もお代わり自由です。給食係は週毎に交代され、使われるルーはたぶん甘口です。


フォークダンス大会はかの子供たちにとって一日のうちで一番重要なイベントです。星空の下、全生徒が集まってオクラホマミキサーやマイムマイムを踊ります。

まず夕方になると校庭の真ん中に焚き火の薪が正方形に、彼らの肩ぐらいの高さまで組まれはじめます。これも子供たちによる当番制になっていて、薪を組む際にはその日集められた中でもとりわけ太くて重いものが使われます。生徒たちが三人や四人がかりで運んで裏山から降ろしてきた特別な薪です。

また焚き火は必ず「キャンプファイアー」の名で呼ばれます。フォークダンスがはじまる前に、子供たちが手を繋いで輪になって『今日の日はさようなら』を合唱するからです。囲んでの『今日の日はさようなら』が歌われる焚き火は、必ず「キャンプファイアー」の名で呼ばれる決まりなのです。かの街に雨が降らないのはこのためだと考えられています。


まるでその目で見たかのようにかの街の学園風景について語っている私ですけど、薪拾いにしろ、カレーライス作りにしろ、フォークダンス大会にしろ、今回の研修で、それをこの目で確認してきたわけではありません。もしかしたらそんな風景を自分の目で見る経験は一生ないかもしれません。それは分かりません。

かの街は子供たちのための世界であり、普通の大人たちではそこに足を踏み入れられません。ただ私たちヘッドハンターと水晶掘りだけが、奇跡的に招待を許されています。それでも子供たちがおしゃべりしている言葉は、「ヒソヒソ」「キャッキャッ」「ケラケラ」の、意味をなさない擬音語の連続であり、私たちにはとうてい理解できないものです。

でもその話の内容を理解できる大人である人物が、ありがたいことに私たちのまわりには一人だけいます。大手保険会社の社長であり、社長女史のボスでもある、初代田中屋がその人です。


つづく

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