魔法の靴のための広告⑰完
シン尖りサラリーマンの衣替えは半年に一度やってきます。それは長すぎず短すぎず、微妙な時間の配分です。ある者は愚かな靴を脱ぎ捨て、またある者は賢者になるための新しい靴へと、性懲りも無くもう一度同じ試みをくり返します。
その半年は、同時に私たち非尖り系のためのモラトリアムにもなっているようです。勇気ある者は、それを機会にシン尖りサラリーマンへとデビューできるわけです。半年間という時間はそのために設けられたモラトリアムだとも考えられます。魔法の靴を履くかどうか、平々凡々な地味な革靴を履きつづけるかどうか、これからの人生を魔法使いの弟子として生きていくのか、いにしえの海賊の末裔の烙印を押されるのか、それとも上司や取引先の顔色をうかがいながら一社員としての人生をまっとうするのか、いま一度よーく考えてみる時間です。
ミスターノーバディが何者なのか、知る人はいません。ミスターノーバディがいまどこにいるのか、知る人はいません。
でも私たちは街角で、駅のプラットホームで、オフィスの隅っこで、噂します。「彼は世界一高い雑居ビルに住んでいる」と。「あの場所は人間を魔法使いへと再教育する地上で唯一つの〈虎の穴〉なのだ」と。「四人がそろったときに、きっとなにかが起きる」と。
あくまで噂ですけど。しかも男連中ばかりで恐縮ですけど。でもそれで魔法の靴がなぜ紳士用限定なのか、分かっていただけるかと思います。なにしろ男連中は男どもの話をよく聞くのです。それがどんなに愚かな同性だろうと。いいえ、愚かな同性だからこそ。この哀しき習性を利用しない手はありません。
まことしやかに囁かれつづけているある噂が、悪評甚だしい東京紳士靴商会への批判を和らげているのは事実でしょう。「ありもしない魔法の力を利用して荒稼ぎしている」とされる東京紳士靴商会の建物が、ウォール街さながらデモにとり囲まれたというニュースはこれまで一度も報道されたことはありませんし、その雑居ビルの壁に生卵が投げつけられたというニュースも耳にしてはいません。
おそらくこれは、都民の多くが、東京紳士靴商会という組織自体は眉唾だとしても、ミスターノーバディにはある一定以上の畏怖の念を持っているあらわれかと思います。
どこの誰だか分からないし、まだなにもしていないし、これからなにをするのかもよく分からない者にたいして、畏怖の感情を持つというのは、なんだかあり得ないお伽話のようではありますけど、私たちもまた長い時間をかけてそれとは気がつかないままに教育されていたのかもしれません。
そこでは地下鉄の車両が教室であり、私たちは長い時間を閉ざされた地下深い空間で赤の他人とともに過ごし、異形の徒にたいする畏怖の念を、立ち食い蕎麦の麺の喉ごしと、車両の横揺れの体感と、隣りの乗客が耳にしたイヤホンからときに聞こえてくる音楽と一緒に、学んできたわけです。
私たちはあなたの後をついていきます。地下鉄の車内から降りて。なにしろその日は半年に一度の、「シン尖りサラリーマンの中で、もっとも美しいとされる魔法の靴を履いたサラリーマンが選ばれる日」なのです。それは東京中の全カンフーマスターたちによる投票によって選ばれるという決まりです。
これまでは、東西線、銀座線、丸の内線の三つの路線からそれぞれミースターノーバディが選ばれてきました。そしていよいよ四人目のミスターノーバディとして選ばれたのが、日比谷線を利用するサラリーマンであるあなただったのです。Q部長が毎日乗客として利用している大江戸線からはまだミスターノーバディは選ばれていないので、日比谷線の利用客である私としても鼻高々です。これから少なくとも半年間は私の天下がつづきそうです。
あなたはどんな気持ちで車両ドアの窓に映しだされた、ミスターノーバディにだけ見えるという〈魔法の靴のための広告〉を眺めたでしょう。きっと何事においても慎重すぎるぐらいに慎重なあなたですから、「得意そうな笑顔をみせて」というわけにはいかなかったでしょう。むしろこれから起こり得る将来を考えて、曇りがちな表情をさらに曇らせたかもしれません。
我が人生の黒歴史とも呼べる日比谷線の親衛隊をとっくに解散した私は、その瞬間に立ち会う機会には恵まれなかったわけですけど、同じ通勤電車に乗りつづけたおかげで、一世一代とも呼べそうなその勇姿を遠くから眺めることはできました。
もっとも、普段の駅のプラットホームからは聞くはずのない喧騒と喝采を耳にしたときには、「ついにこのときがきた!」とばかりに、勘のいいほかの乗客とともに通勤電車の車両から飛びだしたはずでしたが、時はすでに遅しで、あなたはもうホーム上で大勢の野次馬たちにとり囲まれている状態でした。遅れてきた野次馬には、背丈よりも高く成長した魔法の靴の爪先が、二本のアンテナのごとく群衆の人波に立っているのが見えただけでした。
それでも地上へと向かう群衆の動きに合わせずに、一人プラットホームにとどまったおかげで、乗客たちに囲まれながらエスカレーターを昇っていくあなたの後ろ姿を一瞬だけでもこの目に収める幸運を得ました。これはしばらくの間だけでも親衛隊の一員として毎朝のごとく間近にあなたの姿をこの目に焼き付けて記憶していた成果だと思い、一人胸が熱くなった次第です。
ふたたび電車が発車し、すべての群衆を、上下線の乗客もろとも、あなたが地上へと連れ去ったあとのプラットホームは、さながらゴーストタウンと化した東京はかくの如しといった感がありました。
数字と鉄によってコントロールされた完璧なダイヤも、その朝にはさすがに遅れがでているようで、エスカレーターを降りてくる乗客もなく、ホームに次の電車が入ってくる気配もなく、改札に駅員の姿さえありませんでした。私は地上最後の乗客よろしく自動改札を抜けて一人通りにでました。
階段を昇って地下鉄の昇降口をでると、パレードが出発したあとをしめす証拠品が通りに散乱していました。
聞いた話では、半年に一度のその特別な朝は必ずいつも快晴で、駅前にはオレンジ色のフード集団であるところの東京中のカンフーマスターが集結して、新しいミスターノーバディを出迎えるのだそうです。なんだか刑務所を出所するどこかの組長みたいですけど、本当の話です。
そこであなたは集まったシン尖りサラリーマンたちによって魔法の靴を脱がされ、優勝した監督よろしく何人もの男たちの腕に担がれていきます。向かう先は悪名高い〈地上で一番高い雑居ビル〉です。
持ち主の体から離された〈最も美しい魔法の靴〉は、約束された勝利品よろしく、シン尖りサラリーマンたちによってシン尖りサラリーマンたちに駅前で高々と披露されます。
怒号にも似た男たちの野太い歓声があがり、大勢の野次馬を引き連れてパレードがはじまるのですが、その際に忘れてはならない儀式があって、それはパレードの合図とともに、というかそれ自体がパレードの合図となって、シン尖りサラリーマンたちが自分たちの履いた足もとの魔法の靴を、宙に向かって一斉に放り投げるのです。彼らは上から降りそそぐ自らの障害物を避けつつ、裸足で通りをそろって歩きはじめます。まるで宵越しの銭は持たない江戸っ子を思わせる光景です。日比谷線は東京紳士靴商会のある下町を通過しているので、裸足で行進するにもちょうどいい距離です。
私の足もとと目の前には、パレードがはじまった証拠品が散乱しています。それはシン尖りサラリーマンたちが残していった履き慣らした、それでもピカピカの、魔法の靴です。通りはそのひと時だけ魔法の靴の博物館と化しています。ただし見物人は地下鉄の駅前に私一人きりです。
私はフェス後のゴミの山にたたずむウッドストックの若者よろしく、魔法の靴の山を踏みつけないようにして一歩二歩と慎重に前進します。そうしないことには上手く歩けないのです。その風景には、いかにも「強者どもが夢の跡」といった感がありそうです。
シン尖りサラリーマンの衣替えとはこのことです。彼らはミスターノーバディが選ばれるごとにまた一からやり直すのです。そのためには当然のように新しい魔法の靴を新しく買い揃える必要があります。それもミスターノーバディを輩出した路線のシン尖りサラリーマンたちだけではなく、東京中の彼らが全員そろって一斉にです。これが半年に一度必ず行われるのです。東京紳士靴商会が儲かって仕方ないわけです。
気がつけば通りを埋め尽くした魔法の靴の絨毯の面積がかなりのスピードで減っていきます。この日のために東京紳士靴商会に雇われたアルバイト学生たちの登場です。おそらくシン尖りサラリーマンたちの目の届かない場所に待機していたのでしょう。社会人になるにはまだ早い彼らは、学費やら生活費やらを稼ぐために一切の感情抜きに、夥しい数の粗大ゴミを用意されたリヤカーの荷台へと次々に投げ入れていきます。一説には、シン尖りたちの裸足の足裏を守るために、彼らが前日の夜にパレードになる通りを掃除していたという噂話もあります。
荷台にはすぐに黒光りした山ができあがります。はやくも次のリヤカーが必要です。
私は記念にと、あるいはどういった気の変わりようか自分でもよく分からないのですが、学生たちに横取りされる前に急いで目ぼしい粗大ゴミを一足頂戴します。通りから拾い上げます。でも学生たちは誰も気にもとめてはいないようです。あるいはそれはよくある光景なのかもしれません。
私の手には少しだけつま先が湾曲した魔法の靴が一足ぶら下がっていました。ただそれを持ちながら歩くのはちょっと億劫なので、履いているウォーキングシューズを仕事鞄に押し込んで、代わりに履いてみる選択をしました。最初に目論んでいたとおりに、革靴は私の足のサイズにちゃんとフィットしました。これならある程度の距離なら革靴NGの私でもいけそうな感じです。私は魔法使いの弟子のように、いにしえの海賊の末裔のように、次の駅まで一人で歩いていきました。
おしまい