魔法の靴のための広告⑯
〈世界一高い雑居ビル〉、それが最近になって東京紳士靴商会の本社の建物に付けられたあだ名です。ちょっと前までは、〈現代のバベルの塔〉とか〈東京のサグラダファミリア〉などの呼び名でとおっていました。
いずれの命名も異国を代表する歴史的な建造物の例えをならべることによって、何パーセントかの皮肉が込められているように感じますけど、たくさんのあだ名が付けられ、それが頻繁に更新される分だけ、人々の関心を集めていると考えればいいでしょうか。
そんなふうに無理矢理自分を納得させるような説明を考えて、それで一件落着としたい気持ちになったりもしますけど、世の中には立場上、「それですべて良し」とはいかない人たちもいるみたいです。
進歩的な人たちの中にはとくに、一時は未来都市を先取りした感のあった東京の街を代表する建造物が、〈世界一の雑居ビル〉では困ってしまう人が大勢いるみたいですし、また現実的に地震に代表される災害への心配があるのも事実です。
東京紳士靴商会の本社ビルである雑居ビルは、上へ上へと増築を重ねて、「このままだと近いうちに東京タワーの高さを超えて、やがてはスカイツリーをも凌駕してしまう高みに達してしまうのではないか」と、心ある都民からも危惧されています。普通の高さであれば気にもされずにスルーされてしまう雑居ビルの影も、それがいくつもの区をまたがる長い影帽子をつくるようだと、問題視されるのです。
「そもそもどうして雑居ビルがあんなに高い必要があるのか」、名のある建築家たちのそんな嘆きが聞こえてきそうです。〈魔法の靴のための広告〉に地下鉄関係者が眉をひそめるように。
人々を驚かす高い建造物は、なによりもまず「近代をのり越えて未来的であらねばならない」というのが、現代人の基本概念であるかのようです。それなのに首都を代表するビルが、イージーな建築計画と安手の鉄筋コンクリートでこしらえたような、昭和の混沌期に建てられた雑居ビルを積み重ねたような代物では、「恥もいいところ」といった感じでしょう。
どうやら東京紳士靴商会のビルは、「都市を代表する最新の建築物はこうあるべき」という人々が持っている概念と真っ向からぶつかるようです。それは進歩的な人々の神経を逆撫でする存在であるようです。しかもファンタジー映画にでてくるような、孤高の魔法使いがその最上階で暮らしている、いかにも魔術的な高い塔ともイメージがかけ離れていて、東京紳士靴商会のビルはどこまでも滑稽であり不恰好です。それは下町の子供たちから「オナラビル」と呼ばれている始末なのです。
どうして東京紳士靴商会のビルが子供たちからオナラビルと呼ばれているかというと、べつに建物から臭ってくるわけでも、滑稽で卑猥な音が聞こえてくるわけでもなく、でたらめに増築に増築を重ねた結果、建物の寸法が途中で微妙にズレて、オナラ好きの子供たちにはちょうど人がお尻を突きだしているように見えるから、というのが有力な説のようです。「見て見て、あのビル、オナラしてる!」といった塩梅です。
世界一高い雑居ビルは、世界一噂を呼ぶビルでもあるようです。少なくともそれが東京一であるのは確実です。その噂は明らかに脱力系のそれであり、科学VS魔法という堅苦しい構図から見事に脱しています。
オナラビルには敵いませけど、大人たちだって噂なら負けてはいません。ただしそれはオナラの臭いが伝染し、いかにも魔法的なものは回避され、まともな社会人には相手にされないような、自ずとトンデモ系なものにならざるを得ないようです。
まともな大人である私たちは、地下鉄の無口な通勤電車の車内で、テレパシーを使って大真面目につぶやき合います。「じつはカンフーマスターたちは、東京紳士靴商会の雑居ビルに寝泊まりしているのではないか」と。一日の靴磨き仕事を終えたカンフーマスターたちは、わざわざ地下鉄に乗って遠回りして東京の下町に帰ってくるのです。カンフーマスターたちがどの駅から乗って、どの駅で降りるのか、私たちは誰も知り得ないのです。
また私たちはテレパシーでこうもつぶやき合います。「東京紳士靴商会のビルは工事中なのではなく、自己増殖しているのではないか」と。私たちは誰も建物に出入りする工事の業者を見ていません。ただ歪に聳えたビルの頂上が、いつも工事中の幕で覆われているだけなのです。
また私たちはテレパシーでこうもつぶやき合います。「いつかビルに四本脚が生えて、プッププップと原動力の音をお尻からだしながら、東京の街を夜な夜な徘徊しはじめるのではないか」などと。
つづく