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魔法の靴のための広告⑭

ユーザーの皆さんは、「カンフー」と聞いてなにを想像するでしょう。ブルース・リーでしょうか、『少林サッカー』でしょうか、それとも『マトリックス』?

古来伝承の中国武術に端を発するカンフーの発明は、武術界はもちろんのこと、アクション映画の世界にも大きな影響を与えつづけているようです。

つまり私たちがカンフーと口にするときに、そこで意味されるのは二種類のカンフーだったのです。武術としてのリアルなカンフーと、物語世界に片足を踏み入れながら、ついにはヴァーチャル世界にまで到達してしまった奇々怪界なアクションとしてのカンフーと。


それから私たちは知ったのです。シン尖りサラリーマンたちの一番長い日に。〈第三のカンフー〉なる、リアルなストリートに出現した次世代のカンフーを。

それは世界的な武術界の第二の革命でした。披露されたのは映画館の暗がりではなく、地下鉄が通っている都会のあらゆる駅前です。

革命の舞いを踊ってみせるのは、かつてはスリーフィシャーマンの名で呼ばれ、また月曜日からの使者の名でも愛されてきた、謎多き三人組の男たちです。

彼らは真っ赤な鉄製の道具箱を手に持ち、深緑色したゴム製の長靴でもって街を闊歩し、ハッとするような鮮やかなオレンジ色のウインドブレーカーを着て、いつも目尻深くまでフードをかぶっています。男たちと目を合わせた者は、三日以内にもう一度目を合わせないと風邪を引くと言われています。それは他愛のない都市伝説の一つです。そして〈三日風邪〉を引けば、「回復した際にはささやかな幸福〈小福〉が訪れる」と口々にささやかられています。ただ彼らと実際に目を合わせた幸運?の持ち主に出会った機会は、これまで私は一度もありません。


かつての名前を捨て、彼らはいまカンフーマスターか、カンフー靴磨きか、靴磨きマスターの名で呼ばれ、都会のビジネス街を行き来する人たちから以前と変わりなく、あるいはそれ以上に、愛されています。

カンフーマスターをめぐる「終わりよければすべてよし」的な都市伝説の一つである三日風邪の出所は確定できませんけど、そこには都会の人々からの適度な距離感のある好意を感じずにはいられません。

それは新政府の組閣ばりに彼らが男ばかりの連中であり、彼らの顧客であるシン尖りサラリーマンもまた男所帯であるという性的な偏りが持った、もつれた感情を緩和させるのに役立っているかもしれません。

その性的な偏りは、Q部長に言わせたなら、「シン尖りサラリーマンである私たち男性には、残念ながら生き物として劣っている部分があるようなんだ」というのが主な理由のようです。どうしてQ部長がそんな裏事情にまで精通しているのか謎ですが、思うところがあったのかもしれません。彼らシン尖りである男性たちは、自分たちの性にたいする再教育の必要性を自ら認めているようなのです。


男性たちは嬉々として自分たちの劣っている部分を受け入れているようです。それは可能化された再教育という名の喜びであり、魔法の靴として結晶化され、それを磨くという行為によって達成されます。

その手助けをし、またその卓越したウエス捌きによって鼓舞もしてくれるのが我らがカンフーマスターたちです。かかる費用も一足につき100円と、缶コーヒーよりも低価格に設定された、安月給の勤め人たちにもいたって良心的なものです。

100円玉を握りしめたシン尖りサラリーマンたちは、昼時のビジネス街を駅に向かって早足で急ぎます。でも決して走ったりはしません。危うく無関係な歩行者にぶつかりそうになったりしたら、これ以上不名誉な行いはありません。いついかなるときも、ビジネス街を大勢でパレードしたシン尖りサラリーマンの長い一日よろしく、Walk Don’t Runが最近になって彼らが身につけた信条です。


それぞれ魔法使いと海賊の血を受け継いだかのようなシン尖りサラリーマンたちは、七つの海から東京湾の陸へと上がり、箒に跨ってビジネス街に舞い降り、スーツに着替えてもなお、世間の約束事などなんのその、常に畏怖堂々としていなければなりません。少し上を向きはじめた、彼らの履いた革靴の爪先がその証です。

「魔法使いなのか海賊なのかはっきりしてほしい」とツッコまれそうなところですが、なにより彼らがわずかではあっても、どこからやって来たのか分からないまれびとたちの血を引く証は、その足元にあります。

深まる秋空に向かってしゃくりはじめた彼らの魔法の靴は、走るのには無理がありますし、あらゆる労働にも不向きです。シン尖りサラリーマンたちによるオリンピックの代表チームが組まれたなら、どんな競技であっても本大会における獲得メダル数はゼロに決定です。


しかしシン尖りサラリーマンのシンボルとも呼ぶべき、槍のごとく上を向いた尖りが、実際にはただの偶然の産物にすぎないのは、都会を行き交う私たち非尖り系やOLたちにとっては預かり知らぬところではありました。

そのからくりに最初から気がついたのは、シン尖りサラリーマン本人たちだけでしたし、私に口添えしてくれたのもQ部長でした。なにしろ自分の履いた魔法の靴が、まさに魔法の靴であるがゆえに、伸びた先端が都会のアスファルトに当たるとき、その姿形が自ずと潰れたようにカーブを描き、当然のように爪先は地面からのバウンドによって上へと変形していくのです。


それは科学でした。木の枝から落ちるリンゴと一緒です。魔法使いでもなく、海賊でもなく、シン尖りサラリーマンこそは私たちよりよほど科学の徒であったわけです。〈中の人〉が聞いたら泣いて喜びそうです。

ただ鉄と数字を信条として胸に誓った勤労者である〈中の人〉にとって、シン尖りサラリーマンたちと和解するのには相当の困難がともないます。それが両者の袂を分けた最大の要因でしょう。なにしろ魔法の靴ほど仕事に不向きなアイテムもそうはないのですから。安全とともに輸送の効率化が最大のテーマである勤労者にとって、それは魔法の靴ではなく、怠惰と喧騒による悪魔の靴に等しいはずです。


私が勝手に永遠の友だと思っている〈中の人〉もまた、東京メトロの制服を着た歩く矛盾であるようです。なぜなら、シン尖りサラリーマンが履いた革靴には一方的に眉をひそめることができても、それを怒涛のごとく次々とストリート上で磨き上げていく、疲れ知らずのカンフーマスターたちの姿には惚れ惚れとしたでしょうから。彼だってシン尖りサラリーマンの一番長い日に見たはずです。ショータイムは、彼の職場のほぼ真上で起きたのです。そのとき負った彼の心の深い魔法的痛手は、三日風邪のようにはすぐには治らず、いまだに完治してはいないのかもしれません。


〈中の人〉にとって悪魔の靴のイメージは、そのままカンフーマスターのそれに付合するのでしょう。怠惰と喧騒が一足になって都会を野蛮に練り歩いているのです。

初日こそ花見の場所取りみたいに朝早くから姿をあらわしたカンフーマスターでしたけど、翌日からはすっかり社長出勤よろしくお昼近くになってようやく駅前に降り立つようになりました。

週に一度は必ずカンフーマスター詣を自ら義務付けているらしいシン尖りたちもマスターたちを見習い、決して急がず、場所取りなど頭の片隅にもなく、あくまでWalk Don’t Runの信条で、各自がそれぞれ適当に仕事をサボりつつ、午後の時間を目一杯かけて同胞たちとともに長い列に加わります。

彼らの足元の靴は、秋の収穫を待つように皆一様に先端だけが極端に伸びはじめ、街中の!マークみたいに中には早くも澄んだ青空に向かってカーブしているものも見うけられます。そんなシン尖りサラリーマンはことさら歩きづらさを表現するかのごとく、尖り部分を周囲に強調しつつ歩きます。それは後々のミスターノーバディの誕生を考えると、初々しくもあり、じつに無邪気な光景ではありました。


つづく

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