魔法の靴のための広告⑬
幸いにも、魔法の靴がシン尖りサラリーマンたちに与えたのは、加算式の幸福感の方でした。それは増すことはあっても、決して減ることのない幸福です。尖り革靴の形をしたそれを、毎日の手入れに余念なく過ごし、まるで家宝の壺を磨くかのように愛おしく、万年補欠の高校球児がグローブを輝かせるかのように一生懸命に、特製ウエスに特製ワックスを付けて磨き上げるのです。
そうすると、サラリーマンたちを乗せた朝の通勤電車が加算式の幸福をたくさん乗せた朝の列車へと生まれ変わり、それはカボチャが舞踏会への馬車へと変身するほどではないにしても、通勤電車内の沈んだ空気に少しだけでもフワフワ感を一緒に乗車させるのに成功します。
大切なのはそれが日課よろしく毎日つづくことです。そうしたならいつの日か、東京を走る朝の通勤電車が、かつて公式ビデオが存在しなかった、ABBAが歌う『チキチータ』のミュージックビデオに採用される日がくるかもしれません。それはウォーキングシューズを履いた無関係な私にですら、少なからず喜びを与えるかもしれません。
悲願の尖り革靴をついに手に入れ、オフィスのデスクでそれを磨くマイメンことQ部長は、『ファンタジア』で魔法使いの弟子を演じるミッキーを思わせます。師匠はスリーフィシャーメンこと我らがカンフーマスターです。
尖りサラリーマンの一番長い日以降、Q部長がご熱心だった陰謀論から魔法使い論へとシフトしたのは、いい結果だったと思います。それによって取引先の営業や、部長の部下たちや、そして誰より彼自身が、彼の語る興味薄い陰謀論から解放されたからです。部長が熱心に説く陰謀論には無関心で、ビジネスライクにただ頷いていた外回りの私でしたけど、おかげで魔法使い論の方は得意分野の一にもなりました。まさに「瓢箪から駒」めいた展開です。
Q部長が説く『魔法使い論』は、東京メトロの〈中の人〉が説くそれとともに、立場はまったく対照的に真逆でありながら、それゆえに、私の精神にとっては地下鉄車両の左右の車輪のごとく、魔法の馬車の左右の大車輪のごとく、働いてくれました。
私たちは売り買いする製品の話題はそっちのけに、ありもしない空飛ぶ絨毯について言葉を交わします。Q部長は尋ねます。
「君は考えたことがあるかね?どうやったらこの世に魔法が成立できるかって。魔法なんて本当は存在しないかもしれない。それはそれでいいさ。でも考えるだけなら誰にだってできるじゃないか」
「つまりそれは、現実的には魔法は存在しなくとも、その存在理由を考えるだけで、私たちの世界は少しずつ魔法の世界に近づける、という意味ですか?」
「まったくそのとおりさ」
「それではまるで南無阿弥陀ではないですか」
東京紳士靴商会のホームページが、歳末商戦のタイミングに合わせるかのようにはじめて更新されたのは、秋だった〈尖りサラリーマンの一番長い日〉から、季節が一つ変わった頃でした。
そこには東京の靴磨き職人たちであるところのカンフーマスターの投票によって、ミスターノーバディが選ばれる、〈魔法の靴のための広告〉の日がはじめて開催される趣旨が発表されていました。
はじめての更新だったにもかかわらず、そしてその内容の奇怪さ、あるいは情報量の少なさにもかかわらず、私たちはそのニュースをしごく当然のように、「待ってました」とばかりに、受けとめました。私たち(というのは主にシン尖りサラリーマンたちですが)をめぐる環境は、秋以降、季節以上に劇的な変化をとげて、私たちは誰か事情をよく知る人物からの助言を待ちわびていたところでした。
しかしカンフーマスターはひどく無口ですし、それにちょっと怖そうです。彼らの生の声をじかに耳にしたという貴重な経験の持ち主はいないと言われています。いたとしても、おそらくはランドセルを背負ったお友達だけなのではないでしょうか。
Q部長にとって門戸外の私は話しやすい相手であるのと同時に、話し甲斐のある相手でもあったかもしれません。理由は分かりませんが、その根拠として、彼の理論をめぐる展開の速さがあげられます。それはフォロワー10万人を数える〈中の人〉がブログで発表した『魔法使い論』に酷似しています。Q部長が〈中の人〉のブログを読んだのか、それとも真逆の二人の思考が異なった道筋をたどりながら、結果的に同じ地点へとたどり着いたのか、それは分かりません。ただQ部長は言うのです。
「もしも魔法使いたちが私たちの世界にやってくるとしたらね、それは私たち人間の世界を救うためなんだ。なぜなら物事には、光と影のように必ず表と裏があるものだからね。存在とはそういうものなんだ。そして私たち人間の世界は、たぶんいまとても危うい状況にあるんだな。しかも私たちの世界が危ういということは、同時に彼ら魔法の世界も危うい状況下になってしまう。二つの世界はコインの裏と表だからね。彼らはなんとしても人間の世界を救わねばならないというわけさ」
私はQ部長版である『魔法使い論』に耳を傾けながら、彼の手もとに目をやります。部長はデスクの椅子に腰掛けながら熱心に一方の魔法の靴を磨いているところです。注意して見れば分かるのですが、すでに先端が伸びはじめたそのお気に入りは、つま先部分が上に向かってカーブしています。それはまさに魔法の靴が魔法の靴である証しであり、どんな細部よりもQ部長の御自慢の部分であるはずです。
取引先の外回りの営業である私は、そのカーブした部分をあれやこれやと褒め称える(ちょうど盆栽のど素人が、幹の太さや枝ぶりに適当に感心してみせるみたいに)のですが、もちろん頭の中ではまったくべつの事例を考えています。「そのつま先はまるで二本のアンテナのようだ」と。「シン尖りサラリーマンたちは、あのアンテナを使ってなにかを受信しているのではないかしらん」と。
つづく