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冷夏懐かし

「『メランコリック症候群』が日本を滅ぼす!!」

メタボリックならぬメランコリック。もしもそれが真実であったなら、ぜいぶんと危険で、なおかつおセンチな見出しが踊った通勤電車の中吊り広告を、僕はいくぶん郷愁の念に近い心持ちを抱きながら見あげていた。

それというのも、その雑誌広告は二週間もまえから電車の天井に吊されたままになっていて、そこに謳われたいかにも遅れてきた終末論者的なお題目がいささか的はずれな結果に終わったことは、もはや誰の目にも明らかな状況にあり、そしてなにより、朝から僕が祭りのあとの懐かしみめいた感情に包まれてしまったのは、じつのところその広告が自分の勤めている会社の出版物であったからだった。


もっとも、所属している部署は違えど、編集部の名誉のために補足しておくならば、たしかにこの国の状況はおかしなことになっていて、例えば、その正確さで有名な鉄道の列車ダイヤは、このところ時刻どおりに到着したためしがないし、宝クジや人気ラーメン店前の長蛇の列は、嵐が過ぎ去ったあとの桜みたいに散ってしまったし、都内のデパートは夜の6時には『蛍の光』を流しだし、テレビ局など、かき入れ時のゴールデンタイムにでさえ昔懐かしい再放送を放映しているしまつなのだ。

外国ならともかく、つねに一時が万事のようなこの国で、はたしてこんな非生産的な事態がかつてあっただろうか。たぶんないはずだ。しかしここにいたってもなお、これをもって「滅んだ」と定義づけるのには、やはりいくらかの抵抗がある。

それというのも、僕にしたところでダイヤの乱れなど大手を振って会社に遅刻できる絶好の口実になっているし、なにも列に並ばなくてすむのであれば、それにこしたことはないのだし、TVの再放送にいたっては、子供の頃に夢中だったアニメ番組にもう一度出会えたりして、それはそれで恩恵をうけているのも事実なのだ。僕みたいな社会人はきっと大勢いるはずだ。


車窓から慣れた視線を灰色の雲に僕はむけた。事故でもないのに、すでに電車は30分も遅れているけども、まだ目的駅へは到着しそうにない。このままのペースだと、どんなにダッシュしても大遅刻はまず避けられない。

もっとも、僕には駅から会社にむかってダッシュするつもりなどハナからなかった。たぶん僕だけではなく、この電車に乗車している勤め人のほとんどが同じ気持ちだろう。携帯片手に会社や取引先に詫びの電話を入れている乗客など一人も見あたらない。

そうなのだ。もはや僕たちサラリーマンは、上司のお説教も、取引先からのクレームも気にすることなく、正々堂々と遅刻ができるのだ。それもこれも、すべてはあの雲たちのおかげだ。

僕はもう一度、窓の外に目をやった。今度は、ほとんど半世紀ぶりといわれるこの夏の異常気象に多少なりとも感謝の念をこめて。


世の管理者と呼ばれるお偉方にしてみれば、これはたしかに思わず「滅んだ」と嘆きたくなる緊急事態かもしれない。でも、僕らみたいな平社員にとっては、むしろ「ゆとり」と定義したくなるようなありがたい側面があったわけだ。

あえて終末論者の向こうをはる言い方をするならば、「我々はいまだかつて実現できたためしのなかった『ゆとりある社会』というものをようやく手にすることができた」とでもなるだろうか。

そんなわけで、大遅刻必至の身の上でありながら、僕は通勤電車のシートでグリーン車並のスペースとファーストクラス以上の精神的余裕を確保していたのだけれど、人間万事塞翁が馬、この「ゆとり」も行き過ぎることがあれば、たしかに「メタボリックな夏」よりは危険なものになりうる可能性があることもまた事実だった。


僕は予定を変更して、会社のあるお茶の水にはいかず、新宿駅で電車を乗りかえることにした。どうせ会社に着いてもすぐに外回りにでなければいけないのだし。

例年であればこの時期、僕が所属している人事部では、就職面接の準備で大忙しであったはずなのだが、今年の夏ばかりはなにより社員各位の『メランコリック症候群』対策が最優先になっていた。そのために僕たち人事部の人間は、社員の個人面談を毎日おこなっているところなのだ。『M症候群』を発症し、会社に出社してこなくなってしまった「迷える子羊」たちをふくめて。

ホームで電車を待っているあいだ、その旨を伝えるべく課長に電話をかけると、我が上司の携帯は留守電になっていた。たぶん氏もゆとり通勤の途中なのであろう。僕はメッセージをのこして、中央線の下り電車に乗りこんだ。


高架線から見あげる灰色した雲は、あいかわらず天空の大河のように頭上をおおっていたけども、ようやく僕は、車内に真新しい中吊り広告を発見することができた。ただ、それは某有名花火大会中止の知らせだった。

こんな夏がくることを誰が予想できたろう。

僕の記憶では、おそらく5月のはじめごろまでは、ほとんどの人がいつものように浴衣姿に団扇の映える夏がくるものと、漠然と考えていたように思う。気象庁もたしかそんな長期予報だしていたはずだ。

それが6月になってもいっこうに気温が上がらず、例年なら一足先に梅雨明けするはずの沖縄でも空はぶ厚い琉装をまとったままで、そうこうするうち、今年の夏はどこかおかしいと、マスコミが騒々しくなりはじめたころ、ようやく気象庁がその長期予報を訂正したのだった。


こうして半世紀ぶりとなる冷夏の到来が公のものとなったわけだけど、その時にはもう列島全体がすっぽりと寒気におおわれた状態にあって、全国のビアガーデンはどこも津々浦々、墓地のように静まりかえり、各地の海の家では、その店先で風鈴が北北西からの風雨に身を揺らしているみたいだった。

しかし、そんな冷夏の風景よりも、僕が一番驚いたのは、長期予報が訂正されるやいなや、それを当たり前のようにごく自然と、あるいは粛々と受け入れた人々の振る舞いのほうだった。

思えば、『メランコリック症候群』の兆候はすでにあらゆるところまで及んでいたのだ。花火大会の中止。それはおそらく、観客が集まらないという以前に、まず肝心の花火師が集まらないのではあるまいか。大玉の打ち上げ花火を造ることに飽いた彼らは、きっと今ごろ、かつて近所の軒先を慎ましく彩っていた線香花火をつむぐことに鍛錬している真っ最中なのだ。

小さな秋ならぬ小さな夏。それが半世紀前の冷夏に匹敵する異常気象がもたらした人々への効果だった。それはスーパーに並んだ野菜の高騰以上に僕たちの生活に影響をあたえていた。


もとより自炊をしない僕が、白菜やレタスの正確な値段を把握しているわけではないけれど、今年の夏にはどこか懐かしい、人の記憶を蘇生させるような趣があるのは事実だった。

それは、ちょうど立ちこめる雲たちが幕となって、昼でも夜でもない端境の刻をつくりだし、僕たちはエアーポケットにすっぽり収まってしまったみたいに、静止した時間の中で日々を過ごしているような感覚なのだ。ここでは四角い車窓に走り去るなんでもない風景が、フィルムのコマのように映る僕の瞳に、いつか見た一夏の情景と重なって見えたりする。

それにしても、ちっともらしくない季節に、古いアルバムに仕舞ったまま忘れていたような遠い夏の記憶を蘇らせるのはなんだかおかしな話だ。ほとんど、落ちるリンゴを見て引力を発見するかのような展開だ。

けれど、僕みたいに出版社に勤めながら、もっぱら読書はコンビニで立ち読み専門の輩であるから、まだ懐かしがっているだけですんでいるのかもしれない。多少なりとも敏感な神経をもった人々はそうはいかないようだ。

とくに、想像癖と完璧主義という、おのずと矛盾せざるおえない傾向をあわせ持った人々は。


彼らは懐かしい風景をただ眺めているだけでは気がすまない。そこから失われた時間を再構築しようとする。よせばいいのに、過去をとり戻そうとするのだ。

そしてさらに困ったことに、その遊技に熱中してしまうあまり、会社にこなくなってしまうこともある。どうも、彼らがとり戻そうとしているものは、往々にして仕事とは無関係なようなのだ。

ある精神科医は、こういった症例をひとまとめに『メランコリッ症候群』と名付けた。僕に言わせれば「迷える子羊」たち、あるいは、線香花火造りに入れ込む一夏の花火師。

どちらでもいいけど、あいにく出版業界に身をおく人間には、この手のタイプの人が多いようだ。おかげで、会社がだしている雑誌はこのところ立てつづけに休刊状態におちいっていて、そのあおりもあり、僕はメランコリックな子羊たちとの面談に負われる日々をおくっているわけだ。


目的地の吉祥寺駅に着き、携帯電話のナビシステムを開いていると、ちょうど着信が鳴った。さっき電話した課長の名前が表示されている。僕は3秒考えてから通話ボタンをおした。機種変更でもしたのだろうか、課長の声には妙に艶があった。

入社して5年。僕の知るかぎり、課長という人はギャンブル好きではあるけれど、仕事はいたって真面目な粋なロマンスグレーで、熟年離婚の直後でさえ、会社と競馬通いだけはきっちりこなしていた。その課長が言うのだ。

「悪いがね、君の用件は伝言できないんだ。旅にでるんだよ。今日、まさにこれからね。ありったけの有給休暇を消化することにしたよ。トライアンフを買ったんだ」

「トライ?」

「アンフだよ。知らないかな、イギリス産のオートバイ。それで北海道を一周するんだ。学生のころからの計画をとうとう実行に移すことにしたんだよ」

課長の指摘どおり、僕はそのトライなんとかという乗り物をご存知ないけど、これが典型的な症例であることはまず間違いない。


それにしても、オートバイで夏の北海道とは、我が上司ながらかなりベタな選択だ。しかも、その発端が学生時代まで遡るとなれば、相当「失われた夏を求めて度」は高いはず。つまり、重度の『メランコリック症候群』の疑いがある。

しかし、電話口の課長こそ、社内における『M症候群』対策の陣頭指揮にあたらねばならない人間ではなかったか。

やはり、その点は本人も多少の自覚がのこっているのか、課長は最終レースの馬券を握りしめる勝負師のような声で告げた。

「君たちには悪いと思うんだ。だがね、今行かないと、もう一生行けないような気がするんだよ」

行かせてやればいい。バツイチの中間管理職男が、いかに一夏の心の病とはいえ、好きなギャンブルでも、お得意の色恋でもなく、北の大地を走ることを選んだのだから。

僕は本来の立場を放棄して、我が上司に言った。

「いい旅を」

「ありがとう」

なんだか、半年前にやめた煙草をまた喫いたいような気分だった。


冷夏の中年ライダーと化した課長が、冴えた風を肌に感じはじめたころ、僕は吉祥寺駅そばの井の頭公園にむかっていた。

雨は降っていなかったけども、緑が増えはじめたせいか、あたりは一段とひんやりしていて、いつもの年ならこの時期には邪魔で仕方がないスーツの上着も、昼間から必需品になっていた。

その内ポケットからふたたび僕は携帯電話をとりだして、仕事用のファイルに収めた今日の迷える子羊のプロファイルを開いた。

対象者の名前は「野宮真理」。編集畑の文芸部に所属する三十路間近の女性社員だ。僕より二年先輩になるだろうか。担当は欧米の新進女流作家だそうな。いったい誰がこしらえたプロファイルなのか、ご丁寧に出版された作品名も羅列してある。もちろんコンビニで立ち読み専門の人事部社員たるもの、その中に知ったタイトルなど一つもない。

共通の話題はかなり乏しそうだけど、履歴書に添付されていた顔写真のコピーから判断すれば、なかなかの眼鏡美人だ。もしかしたら、編集部のマドンナ的存在だったりするのかもしれない。あるいは、元ミス・ハーレクイーンとか。どちらにしても、まず人事部にはいないタイプの女性ではある。


それはさておき、その野宮女史、一週間前に3日分の休暇届をだしたまま出社していないらしい。

『M症候群』の症状は人それぞれ千差万別だけど、この野宮女史の場合、眼鏡姿のせいもあるかもしれないが、それはなんだか文学的な香りのするもののような気がしてならない。もっとも、根拠はだいぶ希薄だけど、その実像に触れることはないとして、常に身近にいる分、僕はこと文学的なるものの匂いを嗅ぎ分けることに関しては人一倍敏感なのだ。

よしんば、その嗅覚が見当違いであったとしても、よもや彼女にかぎって、ミス・ハーレクイーンにかぎって、女一人旅ということはまずあるまい。もしあったとしたら、職務の公平上、僕はただいい旅を祈るしかない。


僕たちの訪問面談はアポイントをとらないのが普通だった。なにしろ対象者たちは夢の途上にいるのだ。彼らにしてみれば人事部の人間など、個人経営者にたいする国税局みたいなものだろう。ただ、国税局はアポイントをとるかもしれないけど。

野宮女史のマンションは井の頭公園のすぐそばにあった。はたして彼女は部屋にいるだろうか。いつもはそれを期待しない僕だけど、今日ばかりはこれも祈るような気持ちでいた。たぶん、いや間違いなく、野宮女史の諸々のデータが、僕を仕事熱心な人事部社員へと改心させたのだ。

入社以来ほとんどはじめて自分の読書経験の浅さを後悔しながら、僕は近道をするために公園に足を踏み入れた。


なんだか北欧の森でも一人歩いているような気分だった。淡い影絵のように周りを取り囲んでいるのは木々の緑だ。公園の半分をしめる大きな池には、ボートが湖上の亡霊みたいに浮かんでいる。曇りガラスの閉じた売店小屋はなかば廃家のようだ。

霧がではじめていた。遠くで散歩していた老人も、犬を連れたご婦人の姿もすでに見えない。いや、もしかしたら最初からいなかったのかもしれない。

都心からわずかな距離にいながら、ここはあたかも人里離れたサナトリウムのように静かで、あらゆるものの輪郭が靄の中にぼんやりと霞んでいるかのごとく映った。なにやら僕の存在は、遠い彼岸の国へと、はるばる商談に訪れた若いビジネスマンめいていた。頼りになるのは、履き慣れた革靴と、もし電波が届いていれば、携帯電話だけのような....。



その女性は晴れた日であったなら鮮やかな波光をきらめかせていただろう、公園の池とむかいあったベンチに一人腰掛けていた。

僕は最初、まるで白昼の幽霊かとも思ったけども、裾の長いワンピースにカーデガンを羽織った彼女をめぐる光景には、人に一枚の幻想的な絵画を連想させる雰囲気がたしかにあった。

しかし実際のところ僕の頭をよぎったものは、芸術というよりはむしろ文学的なることで、さらにいえば、それは自分のある嗅覚に関わることだった。つまり、文学的嗅覚だ。

それというのも、霧に霞む中、女性のシルエットが手にしているのはあきらかに文芸書であり、間違っても『月刊EXILE』ではなさそうだったから。ただ、まだ肝心のお顔が拝見できない。それを確認してからでないと、僕の文学的嗅覚の正しさは証明されない。


さて、どうすればいいだろう。ここは一つ無難に天気に因んだ挨拶でもして声をかけるべきか。しかし、冷夏に交わされる一般的な挨拶とはいかなるものだろう。やっぱり「涼しいですね」あたりが妥当な線か。「曇ってますね」は少し変だろう。

そんなことで躊躇しているうち、女性が顔をあげてこちらを見た。もしやマジマジと見つめるサラリーマン風の男を、霧の中からあらわれた変質者の類と思っただろうか。あらぬ疑いをかけられる前に、僕はそそくさと先を急ぐことにした。やはり野宮女史ではないようだ。

すると、すれ違いざま、かの女性から声をかけてきた。それがあまりに意外で、そして同時に狙い澄まされた言葉であったので、僕はつい足をとめてしまった。彼女はイヤリングを外すみたいに耳からipodのイヤホーンをとってこう言ったのだ。

「あなた、恋愛小説はお好き?」


入社して数年、あたりまえだけど野宮女史の容姿も変化していた。履歴書の証明写真にあった長い髪はバッサリ切り落とされ、眼鏡はたぶんコンタクトになり、より溌剌とした印象の女性に変身していた。

もしや同僚の眼鏡好きの男性社員たちにとっては、それが逆に物足りないところではあったかもしれないけど、数年単位のレベルでその変化を眺めることができた彼らはいいとして、それを一瞬で見せられた僕は、最初、他人のそら似とも思わなかったわけだ。

しかし、野宮女史は僕のことを知っていたのだろうか。はじめから知って言葉をかけてきたのだろうか。

悲しいけれどそれはまずあり得ない。だって僕にしたって、同じ社内にいながら彼女みたいな美人社員をずっと認識していなかったのだから、反対の可能性は限りなくゼロに近いはずだ。

たぶん誰でもよかったのだ。

その事実を僕はあとに知った。


さて、霧に漂う中、野宮女史の唐突な質問に、僕はなかなかいい答えが見つからないでいた。人事部という仕事柄、意地悪な質問を考えることには慣れているのだけど、いざ自分が答える側になってみると、これがやっぱり大変だ。マニュアルどおりにはいきはしない。

編集の強者たちにくらべれば古代人なみの読書量しかないであろうこの僕が、どんなふうに答えれば野宮女史の要求を満たすことができるのであろうか。いいや、そもそも、どうして彼女は初対面の男にそんなことを尋ねようとしたのか。真意のほどによっては、これからの面談の内容を左右する問題になりうる。

ヒントを探すべく、僕は時間をかけずに女史の身の周りに探りをいれた。


ワンピースの膝の上に二冊の文庫本がおかれていた。それぞれ赤と緑の、どちらかといえばくすんだ色をしたカバーがかけられている。

なにやら見覚えのある装丁ではあった。僕のスペシャルな嗅覚はふたたび活動をはじめた。

だが、今回にかぎって、スペシャルで文学的な僕のそれは、活躍の場のないまますぐに退場となってしまうのだった。なにしろ、彼女が手にした赤と緑の上下巻からなる小説は、誰もが知っている有名なベストセラーだったのだ。読んでいない僕でさえ、それにまつわる雑学を一つや二つご披露できるぐらいだ。

例えば、「100%の恋愛小説」....出版当時、その本の帯にはそんなキャッチコピーがふられていたそうな。

恋愛?100%?二つのキーワードを人事部的に勝手に言いかえてみれば、想像癖と完璧主義。

どうやら僕は、図らずも問題の核心に近づいていたのかもしれない。


「興味はあります」

たぶんこれが就職面接だったらペケだろう。僕が野宮女史に返した答えは無責任なまでに平凡だった。

しかし、ここ北欧の森めいた公園のベンチでは、そんな曖昧さが逆に有効だったのだ。いいやむしろ、僕はこれ以上ないぐらいにベストな答えをしたのかもしれない。ほとんど偶然に魔法の扉を開く呪文を言い当ててしまったわけだ。さもなくば、まんまと魔女の誘惑に引っかかったか。

「こちらにどうぞ。読んでさしあげます」

彼女は言った。その微笑みは、文学的というより、どちらかといえば今は女性ファッション誌めいていた。

僕はちょうど一人分間を空けて野宮女史の隣に腰をおろした。久しく嗅いでなかった魅惑的な香りがした。女史は僕の心の中を覗くように赤い扉を開いてみせた。


物語は静かに、そして僕が言うのもなんだが、かなり平凡に幕をあけた。あまりに平凡すぎて、あの有名な恋愛小説のでだしはこんな感じだったのかと、少し拍子抜けするぐらいだ。

ただ、野宮女史はまさに文面そのものをいとおしむように、一字一句、優しく読みあげた。その潤んだ声は辺りの霧の幕に共鳴して、音楽みたいに消えてゆくのだった。

僕たち二人の千夜一夜は、こうしてお互いの自己紹介もないままにはじめられたのだ....。


冷夏は夕方の時間が長い。西の空がなにかのサインのように淡い紫色にしばらく染まっている。僕は一人、吉祥寺駅のベンチでその名残を眺めながら、膝の上に一冊の文庫本をおいていた。

電車はなかなかやってこない。TVでは『フランダースの犬』の再放送がはじまっている頃だ。ずっと欠かさず見つづけていたのだけど、今となっては美術好きの少年も、それに寄り添う大型犬の運命も、もはやどうでもよかった。

もしかしたら旅にでた課長も、面談の帰りにどこかの駅のベンチに腰掛けて、僕と同じように曇った夕闇を見つめながら、なにやら北の方角に思いをはせていたのかもしれない。あるいは『M症候群』は人から人へと感染するのかもしれない。


数時間前、今とは反対側のプラットホームに足を踏み入れたときには、まさかこんな展開が待っているとは思いもよらなかった。まさかこの僕が小説にはまってしまうとは。

「N」。それが野宮女史が読んで聞かせてくれた小説のイニシャルだ。

ただ、その上巻を読み終えたとき、僕たちの頭上には公園の街灯がすでにともっていたけども、その明かりは、お互いワケありな同僚二人だけでなく、もう一人の男性の姿も照らしだしていた。

次のお客さんだ。

べつに料金をとっているわけではないようだから、お客という呼び方には語弊があるけども、ほかに言いようがない。つまり、野宮女史には数人のお得意さんがいるらしく、どうやら僕はその谷間を埋める格好のカモであったらしい。

「今日はここまでにしておきましょう」

優しい個人教授みたいに野宮女史は言った。僕はベンチを立った。どこかのオーケストラでチューバでも吹いているのか、大きな楽器ケースを背負った小太りの中年男と入れ替えに。


公園では今も二人の朗読会が開かれているかもしれない。小太り風チューバのワルツを伴奏に。これを需要と供給が生んだ一夏の珍事と言ってしまえばそれまでだけど、いったいどのようにしてあの奇妙な朗読会ははじめられたのだろうか。あるいは、野宮女史はどうやって「お客さん」と呼んでいる男たちと知り合いになったのか。

あまり想像したくはない光景ではある。しかしどちらにしても、小太りの楽団員を含めて、彼ら「お客さん」たちが迷える子羊たちである可能性は大だ。そして女史の場合、これは完全に『メランコリック症候群』を発症している。しかも、かなり特殊なケースで。彼女はあたかも小説「N」の中に生きようとしているかのようだ。


朗読会を中断して二人で霧の公園を散歩しているときだった。

「野宮真理さんですよね」

そう問いかけた僕に、彼女はか細い首を横にふり、本気なのか冗談なのか「N」の中に登場するヒロインの名を口にした。

この機に乗じていよいよ自分の正体を告白しようと考えていた僕は、すっかり出鼻をくじかれ、霧の中にそのチャンスを見失ってしまった。白いカーデガンを横目にしながら。揺れるワンピースに惑わされながら。

しかし考えようによっては、そもそも空想の世界に生きる今の彼女にとっては、まっとうな勤め人のほうが、よほどリアリティのない存在であるのかもしれない。もしそうであったなら、僕もありきたりな素性を明かすよりは、「N」の語り手である青年主人公の名を借りたほうが、賢明な選択なのではあるまいか。それでもって、二人で架空のラブストーリーを演じるのだ。

だが、物事にはやはり分相応というものもあるだろう。才色兼備の女性が物語のヒロインの名を語るのは、ある範囲のサークルでなら許されても、僕がそれにならうのは、家族の間でも失笑を買う。

それにこの物語の青年、僕に比べたらかなりの読書家であるようだ。とくに『グレート・ギャツビー』という古い小説が好きらしい。たぶんコンビニでは売られていない種類の本なのだろう。僕は見かけたこともない。

そんな輩が、もし編集者をしている女性のまえで小説中の主人公の名を語ればどんなことになるか。

とりあえず僕は、名もなきお得意さんの一人になるほうを選んだのだった。


電車は何度となくやってきた。でも、僕はそれをすべてやり過ごした。日頃不慣れな縦書き文字を目で追いながら。

明日になれば女史の潤んだ優しい声で、物語のつづきを聞くことができるのは分かっていた。別れ際、僕たちは翌日の約束を交わしていたのだ。でも、とても明日まで待っていられるような気分ではなかった。

僕はほとんど生まれてはじめて、世の中には面白い小説というものが存在することを発見したのだ。コンビニで立ち読み専門の輩には、これは驚くべき短時間での進歩だ。

公園をあとにした僕は、すぐに駅周辺の書店をさがしあて、そこで緑色した「N」の下巻を購入した。そうして駅のベンチに腰掛け、夕闇の空にはやる心を落ち着かせると、一気に読みはじめたのだった。


たぶん二度目の放心状態に陥っていたとき、目の前を通過していったのが最終電車だった。

何年ぶりだろうか、最終に乗り遅れるなんて。おそらく学生時代にまで遡るだろう。そのとき、きっと僕は酔っ払っていただろうが、今はシラフでも、それよりずっと思考は停止状態にあった。

なんという小説だろう。恋愛小説というから、つい甘酸っぱい展開を予想していたのに、僕は思わずカウンターパンチを喰らってしまった。これがバブル経済真っ只中のベストセラーとは信じがたいものがある。そりゃバブルだって弾けるはずだ。ラストシーンの青年主人公よろしく、僕は激しく動揺していた。


しかしこの際、個人の感想などどうでもよい。問題なのは、野宮女史がこの小説に共感している点だ。それも『メランコリック症候群』を発症するほど深く。

もしも「N」がよくできただけの物語であったなら、僕の人事部社員としての勤労精神にふたたび火が点くことはなかったろう。でも幸か不幸か、これはそういった作品ではなかった。決して大袈裟ではなく、半永久的に野宮女史を公園の住民にしてしまう可能性を秘めている。

そんなことになれば、当然の成り行きとして、彼女は会社を退職するか、解雇されることになるだろう。どんな形であったにせよ、僕たちが出会えた意味もなくなってしまうわけだ。

なんとかしなければならない。早急に解決策を考えださなくては。この僕が、野宮女史を魔の公園から救いだすべく。


目には目を。小説には小説を。僕の頭にひらめいたアイデアはいたってシンプルなものだった。しかし、見た目には簡単そうに思えるものほど実は複雑な構造を持っていたりする。とくに読書経験の浅い輩にとっては。

けれど、僕は自分でも驚くほど軽快に携帯電話のキーを叩いていたのだった。べつに深夜のメールをしたためていたわけではない。携帯を使って人生初となる小説を執筆していたのだ。それも恋愛小説を。

ただ、ライバルは破格のベストセラー小説だ。ふつうにやっては勝算はまるでない。しかも書いてる本人は読書経験に負けないほど恋愛経験も貧しいときてる。

そこで僕は、現実と虚構の入り混じった物語を書くことにした。つまり、僕と野宮女史の希望的観測をふくめたラブストーリー。これなら僕にも書くべきことはたくさんある。現在進行形の現実に空想をシンクロさせることによって、彼女を現実の世界へとつれもどすのだ。そして、小説の神様が味方してくれることがあったなら、僕自身もめでたい結末を迎えることができることになるだろう。

物語の舞台は当然、冷夏の井の頭公園だ。小説を読む女とその声に聞き耳をたてる男。邪魔な楽団員はチラリともでてこない。


夜霧のしじまから聞こえてくる僕の創作用BGMは、アコースティックなレノン=マッカートニーのナンバーだった。なんだか出来すぎのような気もしたけど、きっと『M症候群』のサラリーマンが、シャッターの閉じたアーケード通りでひっそりと演奏しているのだろう。

車はほとんど走っていなかった。タクシーも深夜便トラックの姿もない。交番の赤色灯がぼんやり浮かんで見えていた。

追われるように駅からでてきた僕は、ロータリーのベンチで、ホットの缶コーヒーと襟元を立てた上着を相棒にさっそく執筆活動を開始したのだった。まったくはじめての経験だったから、いったいどこまでできるかわからなかったけども、とりあえず書き上げたところまで野宮女史に朗読してもらうつもりでいた。

「N」のかわりに。


太陽に焼かれる夢で目が覚めた。これは自分がしようとしていることへの無意識レベルでの自己批判のあらわれだろうか。

いや、僕は直射日光を浴びていたのだ。ロータリーのベンチにせもたれながら。

車の騒音、人の足音が聞こえた。それに混じって耳につくのは、季節はずれの蝉の声だ。でも、季節はずれという言い方はもはや正確ではないのか。

それをたしかめようと、長いトンネルをぬけたようにゆっくり瞼をあけてみた。

街はすべて白くまぶしかった。その時、僕は真夏の中にいた。


横断歩道を走ってわたる人々が見えた。忙しそうにしている人たちを間近に見るのはずいぶん久しぶりだ。けれど、彼らはなにをあんなに急いでいるのだろう。まるで時計の針と競争しているかのように。

僕はなんだかわけもなく腹立たしくなって、必要以上にゆっくりと腕の時計を見やった。

すっかり時の流れにとり残されていた。いったい何時間寝ていたのだろう。野宮女史との約束の時間が間近に迫っていた。

それでも僕は冷夏の住人らしく、慌てふためくことなくロータリーのベンチから腰をあげてみせた。すると、一瞬頭がフラつき、目のまえが暗くなった。汗が額から流れ落ちるのが分かった。いいや、額だけではない。体中のあちこちから汗が噴きだしていた。僕は条件反射的に一夜の相棒を脱いで、昨夜ホットコーヒーを買った自動販売機をめざした。

買うつもりはなかったけど、ここでも僕のもう一方の相棒はやはり用済みになっていた。すべての暖かい飲み物が、一晩のうちに冷たい表示へとかえられていたのだ。誰がやったのだろう。この変わり身のはやさ。

僕は、ほとんど庶民に裏切られた革命リーダーのような気分になりながら、それでも迷うことなくポカリスエットのボタンを押した。


かつて霧によって遮られていた人々の視線を、今は太陽の光が占拠しようとしていた。木々の葉は緑に輝き、滝のような蝉しぐれの奥で小鳥たちがさえずりあっている。彼岸の国への渡り舟めいていた池のボートでは、子供を乗せた家族連れが波光の中で白い歯をのぞかせている。あらゆる生き物が、遅れてきた夏を、生命の季節を謳歌しようとしているようだった。

あるいは、中止になっていた花火大会も復活するかもしれない。花火師たちが現場へともどってくれば。それぞれの線香花火を胸の内に。

森の廃家を思わせた売店小屋からは、かき氷を削る小気味よい音がひっきりなしに聞こえていた。きっと海の家では、これよりさらにパワーアップされた光景が繰り広げられていることだろう。そして、日が暮れるころになれば、墓地然としていたビアガーデンも、仕事を終えたサラリーマンやOLで例年の賑わいをとりもどすのかも。


仕事?そういえばすっかり忘れていた。しかし、いくらなんでも今さら会社に言い訳めいたメールを送るのはさすがに気が引ける。時刻はとっくに昼を過ぎていた。

そして、野宮女史はまだあらわれない。

暑さとベンチに座りつづけた尻の痛さから、手頃な避難所を公園の中に探しはじめたころだった。背後から男の声がした。

「彼女はこないよ」

振りかえると、チューバを背負った中年男が立っていた。今日はかき氷のカップを手に持って。

「冷夏は終わったんだ。同時に『メランコリック症候群』もね。彼女は職場にもどったんだよ。だから、君もそうしたまえ」

男はまるで僕の上司みたいに言った。バカな。僕の上司なら旅の途中のはず。


重たそうな楽器ケースを地面におくと、男は僕の横に腰をおろした。そして、ものを食うときは話をせずにおれない質なのか、かき氷を頬ばりながら一方的に喋りつづけた。

「趣味でジャグバンドをやっていてね。ストレス発散にはなによりこれが一番だよ。休みにはいつもこの公園で練習してるんだ。ちょうど今日まで有給をとっていてね。明日には私も会社にもどるよ。君もそうするといいだろう」

中年男は言った。まるで立場が逆転している。これでは、僕が『M症候群』で会社を欠勤している社員で、向こうが面談にやってきた人事部の人間みたいではないか。

僕の心底にはふたたび腹立たしさがよみがえり、じつのところ、このエセ人事部男には聞きだしたいことが山ほどあったのだけど、やおらベンチから腰をあげると、昨夜のフラッシュバックのように無言のまま公園をあとにした。


本当に冷夏は終わってしまったのだろうか。その予感はたしかにあったが、僕がそれを実感したのは、強い日差しでも蝉しぐれでもなく、エアコンの効いた夜のリビングで目撃したある短い文章だった。

TVで『フランダースの犬』を観ていたときだった。突然、番組終了のテロップが流れたのだ。明日からは通常の番組プログラムにもどるという。なんということだ。最終回のない『フランダースの犬』なんて。

どうも、冷夏の終焉はそのはじまりよりもずっと早いスピードで社会に浸透しているらしかった。

天気予報は観なかった。どうせ一度訂正した長期予報を、ふたたび訂正してるに違いない。


翌朝、目覚めると、窓に映った空はどんより曇っていた。それ見たことかと思ったが、気温はじっとりと高かった。ネクタイをしめて駅までむかうちにもう汗がでてきた。

プラットホームには通勤客の列ができていた。なにもかもが、もとの状態にもどりつつあった。それでも、列の中には、なにかを期待するかのように空を見上げたり、「冷夏はどこにいっちゃったんでしょうねぇ」というふうに、隣人の顔色をうかがったりする人々があとを絶たなかった。

しかし、そんなサラリーマンたちの最後の望みを断ち切るかのように、電車がホームに入ってきたのだ。時間ピッタリに。


新宿駅で電車を乗り換えるころには、すでに太陽が顔をのぞかせていた。ここまでくれば、さすがに冷夏の夢はあきらめていたけど、そこに追い討ちをかけるような出来事が会社で僕を待っていた。

「コラ、昨日はどうしたんだ」

オフィスに着くなり、聞くはずのない声を僕は聞いた。

「すぐに欠勤届けを書いてもってきたまえ」

どうして彼がここにいるのか。声の主はロマンスグレー課長だった。北海道は、トライなんとかはどうなったのか。学生時代からの夢は。僕が無断欠勤したことを知っているところを考えれば、行って帰って、北海道一周どころか、彼は本州もでていないはずだ。いいや、関東地方ですらあやしい。

「ボーッとしてないで、はやく仕事にとりかかりたまえ。すぐに会議だぞ」

「『メランコリック症候群』対策ですか?」

僕の問いかけに、課長はやっとデスクトップからチラリとだけ視線をあげた。

「新しい採用策だよ。各部署の代表が集まって最初から練り直しだ。今回から君も出席するんだ。私と一緒にな」


この僕が代表とは。ぜんぜん嬉しくなかったけど、これは課長の僕にたいするある種の恩返しであったのかもしれない。そうでなければただの口封じか。どちらにしても、僕にはトライなんとかの夢話を他言するつもりはさらさらなかったし、代表者会議にしたって、長く退屈なものになるのは分かっているわけで、まったく有り難迷惑な話ではあった。

しかし、当初の予想に反して、会議はあっという間に終わったのだった。たしかに時間はかかった。ただ、それを僕はまったく長いとは感じなかったのだ。むしろ、これなら毎日会議だっていいくらいに。


それというのも、誰であろう、その円卓の席に、あの野宮女史が参加していたのだ。今日は紺色のスーツに身を包んで。

これはどう考えても、会議がはじまるまえに、こちらから挨拶に参上すべき絶好のシチュエーションだ。

だがしかし、僕がそれを躊躇してしまったのは、彼女の横によからぬ人物の姿を発見してしまったからだった。

社長や専務の顔もロクに見分けられない輩が、その男の面だけはハッキリと覚えていた。奴は本来ならチューバを背負って、かき氷を手に持っているはずだが、今日のところは書類の束らしきものを抱えていた。そして、まるで保護者みたいに野宮女史の横にピッタリはりついていたのだ。


どうも、かき氷男の正体とは、音楽業界ではまったくの無名であっても、出版業界では少しは有名な文芸部のお偉いさんだったらしい。この業界でよく耳にする名物編集長というやつだ。

もっとも、よく耳にするとは言っても、実際にそう呼ばれている人物を会社で見るのはこれがはじめてであったのだけど、そんな肩書きはいいとして、重要なのは、かき氷男と野宮女史の関係のほうだった。そもそもあの二人は、ただの上司と部下なのか。本を読む女とただのお得意さんだったのか。

それをつきとめようと、会議の間中、ずっと向かいの野宮女史の様子をうかがっていたのだけど、しだいに二人の関係より、肝心である僕と女史の関係そのものの存在自体があやしいことになってきた。


はたして僕は野宮女史と本当に出会っていたのだろうか。僕が見ていたワンピースとカーデガンは彼女が着ていたものだったのだろうか。それを疑ってしまうほどに、女史の僕にたいする態度は素っ気ないものだった。

長い会議の間、彼女のほうから僕の顔を見たことは一度としてなかった。霧の公園を二人で散歩したのに。冗談を言って僕を困らせたのに。あの優しさにみちた女性はどこにいってしまったのか。同じ会社にいながら、今ではもう挨拶すらためらわれるほどだ。まして「僕が携帯電話で書いた小説、読んでくれませんか」などと。


いよいよ会議がはけると、野宮女史は誰よりもはやく席を立って部屋からでていってしまった。まるで、かき氷の食べ過ぎでトイレをずっと我慢していたみたいな早業だった。

僕はそのうしろ姿を置き去りにされた亀のように見送っていた。すると、かき氷男がやおら席を立ち、あたかも慰めるかのように僕にウインクしてみせたのだ。

「編集長と知り合いなのか?」

ロマンスグレー課長が嫉妬心半分、僕に耳打ちしてきた。

「まさか。僕は本なんて読みやしませんから」

部下はそう答えた。ほとんど心の携帯電話を握りしめながら。


うだるような暑い日々がつづいた。太陽に焼かれる悪夢は正夢となった。人事部の先鋭である僕は会議の決定にもとづき、優秀な学生を求めて電車を乗り継ぎながら、毎日のように大学から大学へと長い道のりをわたり歩いていた。

ちょっと前まで霧の中に霞んで映っていた人々の姿は、今はアスファルトの陽炎にゆらゆらと揺れて見えた。もう誰も冷夏のことなど覚えていないかのようだ。強い日差しと蝉しぐれが、僕たちの神経を麻痺させ、記憶は汗に溶けて体外へと流れでてしまう。遠い夏の思い出も、いつの間にか古いアルバムの中にふたたび仕舞い込まれた。

人も街も、雲も空も、いつもの季節どおりのたたずまいをとりもどしていた。


ただ一つ、以前と様変わりしたことがあるとするなら、それは僕が本を読むようになったことだった。通勤電車の車内で、夜のソファで、休日の公園のベンチで、僕はよく紙の扉を開くようになった。まるでつぎの冷夏を静かに待っているかのように。あるいは、恋人との再会を夢想しているかのように。

でも、本当はそうではないのかもしれない。僕は昔からよく本を読む男だったのかもしれない。ただ、冷夏の間だけそのことをどういうわけかすっかり忘れていたのだ。

たぶん、誰かと一つの物語を分かちあうために。誰かにそれを読んで聞かせてもらうために。

それが僕の『メランコリック症候群』だったのかもしれない。そんなふうに今では思う。


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