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魔法の靴のための広告⑩

オフィスレディーたちのパレードは終了し、ビジネス街のコンビニは昼時であるのにも関わらず人の気配が引いて、これが夜になったらゾンビたちのための都会のオアシスになりそうな勢いでした。普段なら、ちょっと早めの昼食休憩を手に入れた勤め人たちが、商品片手に店内をあちこちうろついているはずなのに、さきほどから客は私一人きりの状態だったのです。

サラリーマンたちは魔法の靴を買いに会社を出払い、呆れてたオフィスレディーたちは仕事を放棄して帰宅の途にありました。期せずしてオフィス街には休日の静けさが舞い降りたわけです。ただ車の騒音だけは普段どおりのままでした。


とある理由によってネットフリックス鑑賞を取りやめた私は、おかげでコンビニの窓際に設けられたイートインコーナーにて、静かで時間制限のない日本語環境を手に入れられました。そこで私は全体論的探偵よろしく一枚の写真に埋め込まれた謎について考察を開始したのです。全体論的探偵と語り部は二つで一つ、つまりセットなのです。

ノートパソコンの画面には、長らくロングノーズとも呼ばれてきた一足の茶色い革靴の写真が映しだされています。いまでは流行によって多くのサラリーマンたちが履くところになった、いわゆる尖り革靴と呼ばれているタイプの紳士靴です。その足元の先端はトラッドスーツに身を固めた英国紳士が自慢しそうな尖り具合です。私の丸みを帯びたウォーキングシューズとはどこまでも対照的で、ノートパソコンの画面を眺めているだけでも、爪先が痛くなってきそうです。


謎めいています。非尖りであることは、いまでは〈懐疑的〉であるのと同義語です。私は思うのです。疑ってかかるのです。果たしてそれは正真正銘の、かつてのスリーフィシャーメンが言っているところの魔法の靴なのかしらん、と。

たしかに東京紳士靴商会のホームページの一番上には「魔法の靴を履きたまえ」と「たまえ口調」の大字のフォントでもって書かれていて、その下には例のミスターノーバディなる人物の格言めいた文章がつづいてはいます。

かつてのスリーフィシャーメンが看板に書きだした文字も〈魔法の靴〉でした。この二つの〈魔法の靴〉は同じものを指しているのでしょうか。確証はありません。東京紳士靴商会のホームページにはリンク先一つないのです。

スリーフィシャーメンの存在も、魔法の靴の存在も、東京紳士靴商会の存在も、全体論的探偵に言わせたなら、それらはあたかも「謎である」ことによってすべてが一つに繋がっているかのようでした。


気の迷いではあったにしろ、一時はミスターノーバディの親衛隊に名乗りでたほどの私です。それがミスターノーバディを知らないはずはないわけですが、その時はまだようやくインターネット上で魔法の靴の存在を知ったばかりで、私だけでなく、そんな人をからかったような名前を持つ者の存在など、東京紳士靴商会の内部の人間以外は知る由もなかったでしょう。

魔法の靴にしても同じです。スリーフィシャーメンが看板に赤マジックで書いたそれと、東京紳士靴商会がホームページ上に載せたそれとが、同じ靴であるのを確認できたのは、もっとあとになってからのことです。


私の心に湧きでた疑惑の感情が、どうして尖りサラリーマンたちには起きなかったのでしょう。むしろ彼らは、自分たちがまったくコントロールできない、謎だらけの状況を楽しんでいるかのようでした。謎が謎であるほど、それを善として受けとめているかのような。

じつはそれこそが私にとっての最大の謎でした。スフィンクスからのクイズに格闘する全体論的探偵よろしく、コンビニのイートインで頭を悩ます最大の難問でした。スリーフィシャーメンたちでも、魔法の靴でも、東京紳士靴商会の存在でもなく、どうして尖りサラリーマンたちだけが、月曜日よりの使者たちの言葉をあっという間に信じ切ることができたのかと。まるで魔法の呪文を信じ込むみたいに。


なるほど最初は「小学生たちのために」という名目が大義名分としてあったかもしれません。その気持ちは私にも分かります。ただし、それだけにしては対象の範囲があまりに広すぎ、尚かつ深すぎる感じです。「いくらなんでも子供たちの精神衛生上の目的だけのために、赤の他人の大人たちが、分単位でスケジュールされている都会の勤め人たちが、そろいもそろって仕事そっちのけに街を疾走するなんて有り得るだろうか、いいやあり得ない」というのが語り部としての冷静さをとり戻した私の見解です。

東京の労働人口は約800万人だそうです。仮にその半数が男性だとして、そしてさらにその半数が尖りサラリーマンだとして、彼らの靴をすべて一日で磨くとしたら、いったい何人の靴磨き職人が必要になるでしょう。ちょっと考えてみれば自ずと無茶苦茶なのが分かりそうなものです。「履きたまえ」どころの話ではないのです。


すべてが「魔法」の二文字で説明できたなら楽だったでしょう。しかしそのときの私の脳みそはいまの地下鉄の〈中の人〉とさして変わり映えしませんでした。私たちの世界ではあらゆる物事が科学的にきっちりと説明できなければならないのです。鉄と時刻表によって。そうです、そのとおりです。「魔法の靴を履きたまえ!」なんてバカバカしいにもほどがあります。あり得ません。


私はほとほと疲れた頭をクリアーにするためにカウンターでコーヒーのブラックを注文して、湯気の立ったカップを手にイートインの席へともどりました。

息を吹きかけてコーヒーの熱を冷まし、席につこうとした私でしたが、どちらの行為もうまくいきませんでした。コーヒーカップの縁は私の唇には届かず、椅子の背もたれを掴もうとした私の片手もそにはとどきませんでした。そのとき私の体は自分が次にとるべき行動をド忘れし、ただテーブルの上に置いたままの自分のノートパソコンを見つめているだけでした。

折り畳んだ新聞が開いたままのノートパソコンの扉に立てかけてありました。そこにはなにやら赤いマジック文字が並んでいます。手にとってみると、「It’s Showtime!カンフーマスター」と書かれてあるのでした。


つづく

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