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魔法の靴のための広告⑨

〈月曜日よりの使者たち〉。帰ってきたかつてのスリーフィシャーメンをそう呼ぶ人たちがいます。オレンジ色のウインドパーカーをすっぽりかぶった男たちが、駅前に腰を下ろして新しいミッションにとりかかったのがちょうど月曜日の朝だったからです。しかも半年に一度、地下鉄のドアに謎の広告が浮かび上がるのも、仕事はじまりの月曜日と相場が決まっていて、これまで選ばれてきた四人のミスターノーバディはいずれもそうでした。

もしかしたら魔法使いたちは、人間界の月曜日になにかしらのこだわりがあるのかもしれません。七日間ある人間界の曜日制度に前々から意見したいとこがあったとか。あるいは腹に据えかねる面でも多々あったのでしょうか。そのために先ず仕事はじめの曜日から変革を開始したとか。魔法界の月曜日はこんなものではないとでも言いたげに。


私たちの月曜日も嫌われたものです。誰か優れた作家に依頼して私たちの仕事はじめの曜日であるところの月曜日の名誉を回復すべく、「素晴らしき月曜日!」といった作品を書いてもらうべきです。そしてその文面の一部を大量にコピーして、仕事はじめの通勤電車の車内において無料配布するのです。

ただ、その紙切れを快く受け取ってくれる乗客はそう多くはなさそうです。それは致し方ないところではあります。だってそもそも長い間、「月曜日は最悪だ」と私たちみんなが口をそろえて言っていたわけですから。


変革?魔法使い?おかしな話です。話が大袈裟過ぎます。私はどうかしていたようです。私のブログデビューがもう少し早かったなら、きっと〈中の人〉によってイの一番に批判されていたことでしょう。「最初から月曜日はただの月曜日であり、それ以上でもそれ以下でもないはずです」と書かれていたでしょう。

しかしそれはそれとして、考えれば考えるほど月曜日の価値を貶めているのは私たち自身であるように思えてきます。魔法使いたちがいて、なにかしらの理由によって私たちの日常につけ入るチャンスを探していたとしたら、嫌われものの月曜日に目をつけたのは正解だったかもしれません。私たちの月曜日は、一週間の中で、つけ込む隙が一番多い曜日である可能性が大いにありそうだったからです。


かつてのスリーフィシャーメンたちが街にもどってきた記念すべき朝、東京で一番忙しかったのは、そのスリーフィシャーメンたちではなく、彼らのお客になるはずの尖りサラリーマンたちの方でした。

ただしその言い方にはちょっと語弊があるかもしれません。眉唾ぽいところもありそうです。本当に忙しい仕事ならほかにいくらでもありそうだからです。ただ、その「忙しさ」が忙しさの合計であるとすれば、それはまずまず妥当な表現として落ち着くのではないでしょうか。「尖りサラリーマンたち」と言ったら、それは東京中の尖りサラリーマンたちを指すのであり、中にはそれまでの長いサラリーマン生活をともに歩みつづけてきた丸みを持つ非尖り革靴をあっさりと道端に脱ぎ捨てて、それを機にオレンジ色した謎の靴磨き職人がすすめるところの魔法の靴へと、せっせと履き替える輩たちまでいたようですから。


いまも昔も非尖りサラリーマンであり、革靴もどきの、偽革靴の、黒いウォーキングシューズの恩絵をうけつづけている私には、魔法の靴の影響力はとどかなかったようです。ウォーキングシューズの有り難みと、魔法の靴の魅力を天秤にかければ、まだまだウォーキングシューズに分がある私です。

おかげで私は、東京で起きた摩訶不思議な一日の様子を永遠の非尖りサラリーマンとして観察することができ、こうしてブログの形で過去を振り返りながら書き記すことできるのです。言ってみれば、尖りサラリーマンたちがシン尖りサラリーマンになろうとしていた日に、私は魔法の靴をめぐる一連の出来事の語り部になろうとしていたわけです。『奇跡も語る者がいなければ』といったところです。

それを実現したのがこのブログです。過去の文章をスマホで確認してみると、記念すべき初回のブログのタイトルは、『尖りサラリーマンの一番長い日』になっていました。


「やあ、ごきげんよう」

聞き覚えのない声が、普段なら聞き覚えのないセレブもどきの言葉づかいで、ビジネス街の歩道で私に声をかけてきます。それは取引先の部長であり、と同時に尖りサラリーマンでもあるQ氏だったのですが、私がそのおなじみの声を聞き逃しそうになったのは、いつもなら全人類的(それゆえに超個人的)な問題を抱え、取引先の営業マンにジャイアン並みの演説会を語って聞かせる彼が、この朝ばかりはご機嫌で、その声にはあろうことか他者への、とりわけ取引先である営業マンへの、優しい心遣いが含まれているように聞こえたからです。それは『尖りサラリーマンの一番長い日』が、『Q氏はなぜ他者への不寛容をやめ、月曜日の朝を愛するようになったのか』というタイトルになっていてもよさそうなぐらいに意外な出来事でした。

「おはようございます」

私も負けじと不必要なぐらいの陽気さで答えます。私はなんなくそれを実行します。まるでそうなる展開をあらかじめ予期して準備していたみたいに。

それもそのはず、我が社の月曜朝の営業ミーティングは突然中止となり、ふだんより早めに外回りにでたのはよかったのですが、そのときにはすでにフィシャーマンたちの帰還によるスーツ姿のサラリーマンたちの靴屋への、あるいは靴の問屋への、パレードがはじまっていて、Q部長に出会う前に、すでに私は何人もの取引先の人間と通りで鉢合わせになって言葉を交わしていたのです。彼ら取引先の社員たちは皆一様に似たような、つまりその日の朝のQ部長と同じような陽気なセレブみたいな口調で、話しかけてきたのです。


ビジネスネクタイ全盛の時代であったなら、色とりどりの柄がオフィス街の通りに、季節外れの鯉のぼりのごとく何本も揺れていたことでしょう。そのネクタイの上では、靴屋へと向かうスーツ姿のパレードが、カーブを描いた口もとから鼻歌まじりで晴れた秋空に向かって合唱しているように感じられたものでした。みんなが同じ口調でもって。

『尖りサラリーマンの一番長い一日』はとっくにはじまっていたのです。いつもより早い時間に会社をでたつもりが、彼らにすっかり出し抜かれた私は、いつの間にか出遅れていたようです。しかしそれは仕方のないことです。そもそも魔法の靴など欲していない輩にしてみれば。


Q部長は訊いてきます。

「君も魔法の靴を買いにいくのかね?」

「いえいえ。ライバルたちが魔法の靴とやらにうつつを抜かしているうちに、しっかりと営業基盤を固めておく所存です」

私はすでに用意された解をよどみなく答えます。

「いい心がけだね。でも今日のところは、その営業基盤から私は外しておいてくれたまえ。なにしろ忙しくてね。仕事の話をしてる場合じゃないんだ」

Q部長はまるで今日の主役は自分たちとばかり、いつものガラガラ声の乱暴な口調とは程遠い紳士君主の「たまえ」口調で、都会で生きる悦びを体現すべき中年サラリーマンのごとくでした。「きみたちは突然舞い込んだ有給休暇をせいぜい有効に活用してくれたまえ」と、あたかも自分が有給休暇を非尖りサラリーマンたちに与えた紳士君主であると甚だ勘違いして、それを誇っているみたいに。

Q部長の表情を長い間曇らせてきた全人類的な問題とやらはどこかへ消え去ったのでしょうか。気持ちよく晴れ渡った澄み切った秋の空へと風船みたいに昇っていき、そこでいとも容易く吸収され分解されてしまったのでしょうか。だとしたら、私たちが毎月曜日ごとに聞かされた演説会はなんだったのでしょうか。

「しかしこの感じだと、靴屋に到着する前に肝心の魔法の靴が売り切れてしまうのではないですか?」

少々皮肉まじりに私が尋ねると、Q部長は自信たっぷりに答えます。

「今朝になって、魔法の靴を製造販売してる東京紳士靴商会が、大量の在庫品を倉庫から問屋に運びだしたというのが目下の最新情報でね。どうか君も私の幸運を祈ってくれたまえ」

そう言い残すと、Q部長は善は急げとばかり、パレードの列にもどっていきました。


もしも月曜日の使者たちの計画が本当に「人間界の月曜日の朝を変革する」にあったとしたなら、まずは半ば大成功といった、複雑に分断されたちょっとおかしな状況を東京の街中につくりだしていました。いつもはたいてい週末のマスコミに伝えられた時事問題に色濃く影響されたQ部長の月曜日でさえ、ご機嫌な朝へと変えてしまったのは大成功の部類だったでしょう。もしかしたら彼は満員電車の車内で「素晴らしき月曜日!」の文面を読んでいたかもしれません。

それがいいのか悪いのか一日の営業予定がすべてキャンセルされ、Q部長がくれたかもしれない有給休暇もどきを享受すべく、コンビニのイートインで100円コーヒーを啜りながら広いビジネス通りの様子を眺めていた私は、やや悪い状況です。

コンビニのガラスの向こうでは、尖りサラリーマンたちのパレードは消え去り、代わりにOLたちのファッションショー的な華麗なるパレードがつづいています。といっても彼女たちは靴の問屋に向かっていたわけではありません。仕事にならない月曜日に愛想を尽かし、とっととタイムカードを押して帰宅の途にあったところなのです。これは彼女たちにとってあきらかに悪い状況です。本当の有給休暇であれば三連休だったからです。東京婦人靴協会の一日も早い女性版魔法の靴の製造販売が待たれるところです。でもそれはガラスの靴に限ったものではないでしょう。とにかくあれは歩きづらそうですから。


夜中になった地下鉄のプラットホームに、白い預言者めく一人佇んだランブルドアのごとく、高架橋下の交差点に一人で立っているフィシャーマンの幻想を私は見ました。いつもは三人でいる彼は、失くしたはずの釣り竿を肩にのせ、OLたちのパレードの隙間から遠く私のいるコンビニの方向を眺めているようでした。「いるようでした」というのは、もちろんフィシャーマンが正確にはどこを見つめているかは、フィシャーマンにしか分からないからです。

シン尖りサラリーマンが誕生しようとしていた日に、やがてその中から選ばれるであろう一人が地下鉄車両のドア広告を幻視するのと同じように、私もまたあるはずのないものを見たわけです。しかし私がハリー・ポッターだったり、ミスターノーバディであるなら分かるのですけど、冴えない血筋の、冴えない非尖りが、なぜ月曜日よりの使者の幻を見るはめになったのか、今も当時もまったく理由は分かりません。もしかしたら月曜日の使者たちによって感化された尖りサラリーマンたちのパレードが持つエネルギーにすっかり当てられてしまい、特殊な疲れ方をしていたのかもしれません。


そのとき私は地下鉄の駅近くにあるコンビニのイートインで、二杯目の100円コーヒーを呑んでいるところでした。本来なら私だってタイムカードを押してとっとと帰宅してもよかったのですが、あともう少し待てば、尖りサラリーマンの第一陣が街にもどってくる頃だったのです。真新しい魔法の靴を足もとに従えて。そのあとにはさらに第二陣、第三陣と、尖りサラリーマンたちが集まってきて、三人の靴磨き職人の前に、三列の長い行列が、東京中の地下鉄のある駅周辺にできあがることでしょう。尖りサラリーマンたちが、シン尖りサラリーマンになるための重要な儀式のはじまりです。しかしそこから本来の目的の対象であった小学生たちの下校時刻までにはさらに時間がかかります。

「これならいっそのことQ部長のあとについていって、魔法の靴珍道中に付き合っていた方がよほど良かった。出世にもつながったかもしれないし」などと下世話な考えを起こしつつ、時間をつぶすためにネットフリックスでも視聴しようかと思い、仕事鞄からノートパソコンを取りだして扉を開こうとしました。そのとき私は通りのOLたちが行き交うパレードの先にオレンジ色した男の影を見かけ、それは都会の高架橋下の喧騒の中にすぐに消えてしまったのです。


イートインでのネットフリックス鑑賞は取りやめ、その朝大勢の尖りサラリーマンがしたように、グーグルのホームページからようやく私は〈東京紳士靴商会〉という名称を検索してみました。魔法の靴とやらに興味がなく、どちらかといったら懐疑的だった私は、〈東京紳士靴商会〉という団体にも当然のように胡散臭いものを感じて、Q部長の口からその名が飛びだしたときには、ついに月曜日よりの使者たちの長く分厚い化けの皮が剥がれたと思ったものでした。ただ、その信念ははやくも高架橋の下に姿をあらわしたオレンジ色した幻想によって揺らぎはじめてしまったのです。

「ミスターノーバディは言います。『春に咲く桜のように、夏の入道雲のように、秋の夕焼けのように、冬の空をどこまでも高く舞い上がる凧のように、月曜日の朝を祝福したまえ』と」

東京紳士靴商会のホームページの先頭にはそんな紳士君主的なキザな文句が並んでいました。このホームページを閲覧したであろうQ部長を含めた取引先の尖りサラリーマンたちが、さっそくその東京紳士靴商会のホームページから影響をうけているのは明らかでした。

ただ非尖りであるところの私は思うのでした。「まったく大きなお世話ですな」と。そしてこうも思うのです。「ミスターノーバディって誰やねん」と。


つづく

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