魔法の靴のための広告⑧
私たちはいま一度思いださないといけないかもしれません。都会で働くサラリーマンたちがこぞって先の尖った革靴を履きはじめたのはいつ頃のことだったろうかと。
時間が経ちすぎて、もはや誰も思いだせなくなっていそうです。かつての尖りサラリーマン自身でさえ。いいえ尖りサラリーマンだからこそ。
そんな忘れ屋さんの彼らですが、自分たちが尖りサラリーマンから晴れてシン尖りサラリーマンへと、会社員的に例えるなら見事に「出世」した日の出来事は、きっと忘れることはないでしょう。もっとも彼らにしてみれば、「出世」などするつもりは毛頭なく、ただ単に「同じ街の小学校に通う子供たちをがっかりさせるわけにはいかない」という気持ちだけだったのに違いありません。
世間にはスリーフィッシャーメン研究家と呼ばれる人々がおります。その説によると、かつてのスリーフィシャーメンが街にもどってくるのに半年近い時間がかかったのは、靴磨きをするための路上使用許可をとるのにそれだけの手間暇が必要だったからと言われています。さすがのスリーフィシャーメンでも、人間界のお役所を動かすのは一苦労だったようです。
あるいはそこには月曜の朝めいた魔法使いたちの不機嫌さが影を落としていたのかもしれません。区役所まで出向いておきながら、愚かな人間たちをフードの先から見下ろすかのような態度で、説明らしい説明もせず、窓口の職員を困らせたのかもしれません。ガード下に集まった子供たちへの優しいやり取りとは真逆の態度で。
たとえどんな相手でも、どんな世界でも、愛嬌と博愛精神は必要です。もしかしたら世渡り上手なサラリーマンによる、世間慣れしていない魔法使いへの世渡りレクチャーなるものが本当に必要になってくるかもしれません。
もしも人間界を訪れる魔法使いたちが、男性でなく女性の魔法使いだけだったらどうなっていたでしょう。本来もっと良いはずの区役所職員の反応が見られ、スリーフィシャーウィメンたちの復帰もはやくなっていたでしょうか。
これは難問です。俗に言う「仮定の質問には答えられない」というやつです。その場合には、それはそれでべつの問題が発生しそうだからです。
たとえば魔女が持つ特殊な魔性に区役所職員の男性たちがメロメロになってしまい、男所帯であるスリーフィシャーメンのときとは対照的にマタタビを嗅いだ猫みたいになって、区役所機能が半ば麻痺した状態に陥り、公共サービスがストップしてしまうとか。しかも区役所職員のラブコールが実ったのはいいとして、なにしろ相手は魔女であるがゆえに国際問題以上に複雑な法律の問題が浮上して、というより法律が存在しないが故の諸問題が発生して、ついには双方の親族から法曹やら政府関係者にいたるまでが、どうにかして二人の婚姻を思いとどませようと粘り強い説得をはじめるとか。しかし当人たちの気持ちはあくまでも石のように固く、真冬の焼き芋のように熱く...。
女性版の魔法使いの不在、あるいは率直に魔女の不在は、魔法使いの存在を否定する人々の有力な根拠の一つになっているようです。私もいまだに女性のスリーフィシャーウィメンにお目にかかった経験がありません。もしも私たちの世界と魔法の世界がコインの裏と表のごとく対になっているのなら、女性たちのスリーフィシャーウィメンがいてもおかしくないですし、魔法の靴に女性用が最初から存在していないのはむしろ解せない話です。
どうしてシンデレラのガラスの靴はシンデレラにしかサイズが合わなかったのでしょう。それはもちろんシンデレラが本当は魔女だったからです。
ようやくかつてのスリーフィシャーメンが駅前にもどってきた日、東京の尖りサラリーマンたちははやくも仕事はじめから仕事以外の案件で大急ぎになりました。
彼らに共通するテーマは、かつてのスリーフィシャーメンたちがその日はじめて地下鉄の駅前で提示した「魔法の靴磨きます」なる、朝刊にサインペンで書かれた広告でした。それを直接目撃した、あるいは間接的に耳にした彼ら尖りサラリーマンたちは、そろって首をかしげました。「はて、魔法の靴とはなんぞや?」と。
おぼろげな記憶を頼りに会社でインターネットに続々とアクセスした尖りサラリーマンたちは、そこに灯台下暗し的な発見をしました。魔法の靴とは、ここ東京は下町に存在する東京紳士靴商会なる団体が販売している紳士用の革靴であり、見た目には彼らがすでに履いている尖り革靴と瓜二つの代物だったからです。
つづく