魔法の靴のための広告⑦
東京メトロの〈中の人〉が言うように、スリーフィシャーメンが魔法世界からの訪問者であったとしたなら、これ幸いです。フード付きのパーカーによって、私たちは世にも不機嫌そうな三つ並んだ顔を覗かなくて済むからです。きっと魔法の杖が釣り竿となり、黒マントがオレンジ色したパーカーに変身したように、魔法学校の組み分け帽子めいたつばの広い黒帽子が、オレンジ色のフードになったのでしょう。
さらに言ったなら、靴磨き職人として街にもどってきた彼らを、客である東京の尖りサラリーマンたちは常に上から見下ろす格好になるので、正確に言ったなら、私たちも、尖りサラリーマンたちも、誰も皆、フードの下に隠されたスリーフィシャーメンたちの人間嫌いに直に触れる機会は永遠にこないのかもしれません。これもまた幸いです。
大袈裟に言ったなら、私たちの行為は、路上の、交差点の、ガード下の、社会的な復讐だったのかもしれません。遅れてきた大人である私たちは、せめて子供たちの仇をとるつもりでいたのでしょうか。いつも葬式みたいなスーツで身を固めていても、心は錦とでもいったような。でも、そんな台詞を口にしたら紳士服店の店員が気を悪くしそうです。
かつて東京メトロの〈中の人〉はブログ上にこんな文章を書き残しました。「もしも魔法使いたちが私たちの世界にやってくるとしたら、それは彼ら自身の世界を守るためかもしれません」と。これはどういう意味なのでしょう。どうも〈中の人〉の文句はいつもトンチ問答めいていていけません。
どうして魔法使いたちが、自分たちの世界を守るために、わざわざ人間たちがたむろする世界へやってこなければならないというのでしょうか。都心の地下鉄を乗り継いで。不機嫌そうな顔をして。月曜の朝専用であるサラリーマンたちの表情に張り付いているような。
もしかしたら魔法使いたちと月曜朝の都会のサラリーマンたちはどこかで血が繋がっているのかもしれません。それこそ複雑な編み目模様の東京の路線図みたいに。この世界の不機嫌さを体現した私たちは、一方の不機嫌さの権化である魔法の兄弟たちに、モリエールの小説よろしく優しくレクチャーしてあげないといけないのかもしれません。私たちの世界特有の「生きづらさ」とやらについて。
〈中の人〉はそれ以上のことは教えてはくれませんでした。そこで彼のトンチ問答めいた〈魔法使い論〉はストップしています。おそらくは自らの置かれた東京メトロ職員という立場が頭をよぎり、書きすぎたと心配したのでしょうか。自分の推理の信憑性に怖気ついてしまったのでしょうか。もしそうであったなら、あとはヒントをもらった私たち自身が考えなければいけないでしょう。自分の頭で想像しなければならないでしょう。属する世界はそれぞれ違ってはいても、それがせめてもの制約ありありな社会人への情けといったものです。
私が真っ先に思いだしたのは、シン尖りサラリーマンになる以前の尖りサラリーマンたちの存在でした。ロングノーズと呼ぶのでしょうか、東京の街にはそのときすでに先の尖った革靴を、自慢そうに履き誇ったサラリーマンたちで溢れていました。彼らはいつの間にか取り憑かれたみたいに、気に入らない相手のお尻を蹴り上げるのに最適な角度を持った、鋭角な二等辺三角形の靴で足もとをそろえていたのです。まるでそんな「下品」ともとらえられそうな見た目の格好が、おのれのなにかを準備万端保証しているかのように。
月曜日の朝には負けず劣らず不機嫌な私が、もしも冴えない中年サラリーマンの姿をしたインベーダーとして人間たちからレクチャーをうけた魔法使いであったなら、その光景を見てこんな報告を魔法省のお偉方に送ったことでしょう。「二等辺三角形が好きな人間のサラリーマンどものあの特性を、利用しない手はありません」と。
サラリーマンとは、多かれ少なかれ利用される生き物のようです。とくに中間管理職以下はそれに該当しやすいみたいです。
ただしサラリーマンたち本人がまったくのカモ状態であるのに気づきもせずに、むしろ自ら積極的に利用されるべき心得をもっていたなら、そんなときの彼らは怖いものなしの百人力で、矢でも鉄砲でも持って来いといった感じなのかもしれません。なにしろ尖りサラリーマンたちは、当初から尖ったロングノーズがお気に入りで、彼らのトレードマークでもあったのですから。
その事実を知ってか知らずか、私たちは地下鉄の駅前にかつてのスリーフィシャーメンと尖りサラリーマンをセットで用意することになったわけです。「ギョギョギョ」の友達である、トラックとタクシーの埃が舞うガード下の三つの呪文によって。
かつてのスリーフィシャーメンたちがどこからともなくやってきて、ふたたび地下鉄のホームに降り立ったのは、小津安二郎のカラー映画みたいに東京の空が見事に澄み渡った秋のことでした。彼らは春の終わりとともに街を去り、秋の訪れとともに街に帰ってきたのです。
ここで一つ注意してほしいのは、私が「かつてのスリーフィシャーメン」という言葉で表現してることです。以前のシンボルマークであったはずの釣り竿を、そのときすでに彼らは肩にのせていなかったのです。いつかガード下で見た春の沈む夕焼けと一緒に、釣り竿は一番星の下に立てかけて置いていったようです。その日かつてのスリーフィシャーメンたちは、片手に赤い道具箱だけを持って地下鉄のエスカレーターを三人一列になって刻々と昇ってきました。
結果的に尖りサラリーマンとかつてのスリーフィシャーメンをそろえたのは、私たち東京の大人たちだったかもしれません。けれどもその光景を見て一番喜んだのは誰よりも近所の学校に通う子供たちだったでしょう。かつてのスリーフィシャーメンの釣り仲間であるガード下の小学生たちはそれによって胸をなでおろし、子供なりに心の引っかかりを解くことができたのかもしれません。
かつてのスリーフィシャーメンたちの帰還が遅くならずになによりです。もしも子供たちが先に学校を卒業してしまったりしたら、彼らはランドセルよりも重たい心の負担を背負ったまま小学校の校門をあとにしていかなければならない事態になっていたもしれません。
三名からなるかつてのスリーフィシャーメンたちが駅前のターミナルや昇降口へと次々に降り立ったのは、まだ周囲に立ち並んだオフィスの仕事がはじまったばかりの時間帯でしたけど、その噂はあたかもカラスの群れが伝書鳩の群れに色を変えたかのようにあっという間に東京中の建物の窓から窓へと駆け巡って、中の勤め人たちがお昼休みをむかえたときには、すでにご自慢の尖り革靴をロッカーかデスクの引き出しに仕舞い、魔法の靴に履き替えた、まるで江戸っ子めいた、気が早いにもほどがある尖りサラリーマンたちが、駅前にスーツ姿の行列をつくりはじめていました。
なにしろ善は急げです。事は小学生たちの下校前に準備ができていなければなりません。尖りサラリーマンたちは一瞬のうちにそのミッションを理解し、あるいは理解しないままに本能のみで行動へと移したのでした。具体的に言ったなら、会議も得意先まわりもあとにして、急いで魔法の靴を購入するべく靴屋へと、またある者は知恵を絞って直接問屋へと、直行したのです。くどいようですが、尖りサラリーマンたちはもとから尖り革靴が好きなたちなのです。
ここで尖りサラリーマンたちの性質について考えなければいけません。〈中の人〉よろしく問わないといけません。そうしないと、いくら尖り好きとはいえ、かつてのスリーフィシャーメンたちの帰還を知るなりいきなり行動に移った彼らの華麗なるフットワークの意味を理解できないと思うのです。彼ら尖りサラリーマンたちの尖り革靴にたいする執着はいったいいつごろからはじまったものだったろうかと。
結論から言って、尖りサラリーマンたちがこぞって先端の尖った魔法使いめいた革靴を履くようになったのは、わずかここ数年の間の出来事だったと思います。それで彼らは尖りサラリーマンと呼ばれるようになったわけで、昔から尖り革靴を履いていたなら、逆に名前は付かなかったはずです。
もとから嗜好品の流行には移り変わりがあるでしょうけど、私の記憶では勤め人たちはそれ以前では皆一様に丸味を帯びた靴を履くのが主流であり、新人サラリーマンにいたっては、「丸み」こそが、長い間その足元の身だしなみにおける必要十分条件であったと思うのです。
ちなみに私も都会のサラリーマンですが、個人的な理由で革靴はまったく履きません。それでも男性の嗜好品における流行の移り変わりのスピードがひどくゆっくりしていて、とくにビジネス面においてはその傾向が顕著であるのは知っています。たとえば私たちビジネスマンが堅苦しく息苦しいネクタイから解放されるまでに、いったい何年の年月が必要だったでしょう。いったい何億本のネクタイが私たちの首を苦しめてきたことでしょう。こんな書き方をしたら紳士服店の店員がふたたび気を悪くしそうです。
しかしネクタイに比べると、紳士靴の形の変化は短期間の間に起きた感があります。なおかつそれはとりわけ地域限定であり、シンプル化とはほど遠い外見の激烈な変化という点においても特化しています。
一言で表現したなら、それはビジネス的には「下品」なのです。いつもならなるべく目立たないように自らの存在を消してきたはずの地下鉄の通勤サラリーマンたちが、まるで魔法使いの真似をしたみたいに足元だけ突然変異のごとく下品に進化をとげたのが、我ら尖りサラリーマンたちだったのです。
帰ってきたかつてのスリーフィシャーメンたちは、見るからにゴツそうな赤い道具箱を椅子代わりに尻の下に引いて、それぞれ東京23区の駅前に腰をおろしていました。どうやらその道具箱が釣り竿にとって代わる、彼らの主な商売道具のようでした。
三人は近すぎず遠すぎず一定の間隔をおいて座り、これから日が高くなろうとする場所ではじめてのお客であるサラリーマンたちを待っていました。
三段式になっている道具箱の一段目には、特製ワックスにブラシと特製クロスが入っていて、二段目のケースには客が足をのせるための折りたたみ式の台が入っています。三段目には彼らの職業を周囲に理解させるべく、小さな木製の立て看板が入っていて、駅の売店で買ってきた朝刊の一面をきれいにかまぼこの板みたいに切りとり、そこにポケットに忍ばせた赤マジックの目立つ文字で彼らのモットーを書きだしては画鋲で貼り付けます。
これで準備は完了です。あとは尖りサラリーマンから更なる進化をとげたシン尖りサラリーマンの誕生を待つだけです。かつて朝刊の一面だった看板の貼り紙には、「魔法の靴磨きます。一足百円也」とだけ書かれてありました。
つづく