魔法の靴のための広告③
このブログを見て、じつは私こそが東京メトロの〈中の人〉ではないかと疑いを持つ方がよくいます。あまりに内情に詳しすぎるし、〈中の人〉にも肩入れしすぎる、というのがその主な理由のようです。
私はただ公平を期しているだけのつもりですが、しかしそうだとすると私はシン尖りサラリーマンたちにとって宿敵とも呼ぶべき存在となり、勘違いした非尖りの民からは、「いいから、お前は黙ってろ」といった、あまり有り難くないコメントを頂戴したりします。
シン尖りサラリーマンが幻視し、〈中の人〉が先走りし、ついには当ブログのフォロワーまでが妄想しはじめたようです。
でも、もしかしたらそれは一つの進化なのかもしれません。非尖りがシン尖りへと一歩近づいたわけです。誤解を承知で〈中の人〉風に言えば、これが魔法の効果でなくてなんなのでしょう、といったところです。果たして魔法が実在するかどうかは承知していなくとも、とりあえずその言葉が持っている効力は絶大であるようです。あるいは魔法とは、そんな勘違いだらけな集団催眠の別名なのかもしれません。だとしたら、できるかぎり上質な集団催眠を願いたいところです。
最初の頃、あなたは人々の冷やかしの対称でした。どんなジャンルであっても、新人は指をさされて笑われるのが常のようです。それがいつしか車両のアイドルになり、そのあとには通勤電車の誇りとなり、最終的にあなたは日比谷線を利用している乗客たちの最重要人物になりました。
あなたは私たちの深い眠りでした。どこからともなくまどろみの中にあらわれる登場人物でした。誰よりも美しい靴を履いて、伝説の海賊よろしく、私たちの前をゆっくりと優雅に通りすぎていくのです。車窓に映るその姿は、街中の聖人という言葉を思いださせました。私たち地下鉄車両の住人にとっては、天使とは翼ではなく、尖り革靴を生やしているものの代名詞になりました。
自分たちが毎朝利用している通勤電車からミスターノーバディが選ばれるのは、郷土の母校からフィールズ賞を受賞した数学者が輩出されるようなものです。彼は世界の謎を解き明かす稀有な存在でありながら、それゆえに彼自身が一つの大きな謎でもあるのです。
毎朝のように同じ地下鉄で顔をあわせて、口にこそだしては言いませんでしたけど、心の内では、あなたが五人目のミスターノーバディになるのを乗客の誰もが期待してやみませんでした。「いつも乗っている電車からミスターノーバディが選ばれるなんて!そんなことってある?」といった感じでしょうか。
日比谷線、丸の内線、千代田線、銀座線......半年に一度、シン尖りサラリーマンたちにとっての特別な日が近づくにつれ、地下鉄の各路線にはそれぞれのミスターノーバディ候補が乱立する様相を見せはじめます。その中でもとりわけあなたは、各路線のライバルたちを尻目に、ミスターノーバディに最も近いシン尖りサラリーマンと噂されていました。日比谷線はいまだミスターノーバディを輩出したことのないダークホース的な路線の一つであったのですが。
日比谷線一美しいあなたの靴は、同時に日比谷線一歩きづらそうでした。駅の階段で前のめりに転んだりしたら、槍のように尖った先端が鼻の穴に突き刺さりそうでヒヤヒヤでした。そこで私たちはせめてあなたの邪魔にならないよう、『十戒』の海よろしく道を開けるように心がけていたのです。そんな理由もあって、上手くすれば満員電車の車内であっても、あなたの周囲はとても静かで、そこにはどこかしら図書館や教会を思わせる時間が流れていたりもしました。
それでも世間にはなどうにかしてあなたに近づこうとする浅はかな考えをもった人たちがあとを絶たないものです。そういう人たちは、あなたが通勤途中で、これから一日の仕事をはじめようとしているのにも関わらず、どうにかして魔法のおこぼれを頂こうと余念がないのです。でもそんな人たちにはそんな人なりの止むに止まれぬ事情があったのかもしれません。
陳情者の群れはあなたにお願いします。「もしもミスターノーバディに選ばれたときには、どうか私を贔屓にしてください」と。「私の積年の夢を叶えてください」と。「素敵な恋人を紹介してください」と。「世界から戦争をなくしてください」と。「私の上司をなんとかしてください」と。「革命を起こしてください」と。「私のリボ払いを肩代わりしてください」と。まるで魔法の前借りを迫る腹ペコのハイエナみたいに。
彼らを毛嫌いしていたのは私だけではないようでした。陳情者たちを苦々しく思っていた地下鉄の通勤客は思いのほか大勢いたらしく、ほどなくしてあなたのための親衛隊めいた集団が車両内に自然発生的に結成されました。乗客たちが壁となって、無礼な陳情者からあなたを守るのです。
私たち日比谷線の常連は、サッカーPK時の守備陣よろしく壁を作りあげました。〈中の人〉の忠告を守り、メンバーの誰かがタイムカード目指して下車しなければならないときには、つぎの乗客があらたに壁に加わってその穴を埋めるという二重三重のシステムです。それによっておかしな靴を履いたベビーフェイスのダーク・ジェントリーめいた車両のアイドルが、何事もなく、目的駅まで気持ちを害することなく、到着できるように。いつも上天気に気分良く一日の仕事に取りかかれるように。
こんな私をシン尖りサラリーマンたちの敵のように早合点するなんて、非尖りサラリーマンたちの想像力はまだまだ足りないようです。あるいは、だからこそ彼らは非尖りであるのかもしれません。
ようやくあなたに安息の朝が訪れたと、親衛隊一同、ホッと胸を撫で下ろしたものでした。これで一つ世界が良くなったとでもいうように。ただの自称親衛隊にすぎない私たちが、非尖りサラリーマンである私たちが、まる英雄気取りで。
ミスターノーバディが魔法使いだなんて都市伝説もいいとこです。彼の存在は優れた数学者に等しく、私たちは遠くから眺めているだけでいいのです。どこの誰に利益をもたらしてくれるからという理由で彼の存在が素晴らしいわけではありません。
しかし誤った情報は、〈中の人〉が否定すればするほど広まっていきます。『シン・ゴジラ』に登場する政治家が、ゴジラの存在を否定すればするほどに、スクリーンを見つめる観客は、東京を死滅させるモンスターの存在を信じなければならないのにも似て。
「いいんだ、通してあげて」
その朝、私たちははじめてあなたからの神託をはっきりと耳にしました。車両のドア越しに。その場所が毎朝一人でいるあなたの定位置だったので。しかし悲しいことに私たちが受けとった最初で最後のあなたからのメッセージは、私たち親衛隊の行動を否定するような「忠告」めいたものでした。
親衛隊の他のメンバーについては知りません。私たちはお互いを知るにはまだ日が浅すぎます。ただ、私自身について語るなら、いつだって私は負け組です。気がついたときにはもう手遅れなんです。いい気になってノボせたりしてはダメなんです。いま一度、肝に銘じなければいけません。
親衛隊なんてバカなお話です。いま思いだしても恥ずかしくなります。どうして私が勘違いなクレイマーを責めたりできるでしょう。〈中の人〉に対しても然りです。なにしろ私自身がクレイマーだったわけですから。
それを私に思いださせてくれたのは、あなたでした。完璧だったはずの親衛隊による鉄のカーテンは、考えもしなかった思わぬ場所から穴が空いてしまったのです。
所詮、私たちだってただの非尖りサラリーマンです。非尖りとは近親増悪が得意な人たちの俗称でもあります。尖り革靴も魔法の靴も履くことが叶わず、いつでも丸い通勤靴を履いて安住しているのが私たち非尖りなのです。でもそれには各々に事情があるわけで、致し方ないところとも言えます。ただ、陳情者の多くが非尖りサラリーマンたちであったのに対し、私たち親衛隊もまた、なぜだか全員が非尖りサラリーマンだったという、どこまでもループする間の抜けた事実があるだけです。
そんなわけで私たち親衛隊は、結成はしたものの、あっという間に主人の手によって解散させられるという憂き目にあい、親衛隊のメンバーは気まずさから車両を換え、またあるメンバーなどは羞恥心から利用する電車そのものを換える事態となりました。主人であるあなたはあなたで、平民たちによるさらに増加した陳情詣の毎朝へと逆戻りするはめになり、持ち合わせの羞恥心以上に言葉の多い理屈屋である私だけが、そのあとも以前と同じように車両の離れた場所から相変わらず日課のごとくあなたの姿を眺めていたのです。「ミスターノーバディとなるシン尖りサラリーマンは、そもそも私たち非尖りサラリーマンなどとは人としての度量が違うのだ」などとと感心しつつ。「彼らミスターノーバディ候補は、他人のわがままな願い事に耳を傾けるぐらいの些細なものごとなど躊躇したりはしないのだ」と。「だからこそ彼らの履いた革靴の先端は天に向かって伸びていき、私のそれはいつまでも地べたを這ったままなのだ」と。
しかし決して広いとは言えない電車の車両内で、毎朝あなたの様子を眺めるという行為は、当然ながら毎朝陳情者である我らがノン尖りの群れを眺めつづける行為にもなります。そしてじつはそれこそが、わずかばかりの恥を忍んで、私が親衛隊解散後もあなたの側に残った隠れた理由であったように思うのです。その光景には謎と謎を解き明かすヒントがセットで内在されていて、そこから導かれるかもしれない答えが、私の固定観念をコペルニクス的な展開でもって逆転させる予感がしたような。
朝の陳情詣が復活すると、非尖りの群れは以前よりもさらに忙しげに目の前通り過ぎていくようになりました。それは予想したとおりの展開でしたけど、一つだけ意外だったのは、親衛隊結成時にはあれほど近親増悪に満ちていた私の彼らへの視線が、そのときにはすでに嘘みたいに消えて穏やかになっていた件です。
彼らは街灯に集まる夏の虫めいていました。人の背丈を越えるほどに成長した伝説の海賊の尖りが、彼ら陳情者たちの目印です。それは海岸に建つ灯台のごとく迷える者たちを長く遠い永遠の道のりへと導きます。
あなたはドア越しの定位置で、陳情者たちの言葉一つ一つに耳を傾けながら、嫌な顔などまったくみせずに頷いているところです。「万事心得てます」とでもいうように。涼しい顔したベビーフェイスで。
それもまたあなたの神託による影響だったかもしれません。親衛隊のメンバーとしてPK戦の壁の一員となり、ひどく熱を帯びていた私の視線は、その解散をめぐる一件によって急冷却されました。それは〈中の人〉よろしく魔法という言葉にいささかアレルギー症状をみせていた私の思考回路に変更を加え、東京は下町にある東京紳士靴商会方向に舵を切りながら、いつもなら見慣れたはずの光景が、まるで旅先の道中ではじめて出会った奇妙なお祭りのように映りだしたのです。
地下鉄に乗り込んだ春のつくしがスクスクと成長して、怪しげな二本の赤茶げた茎となり、貴重な栄養源でもある車両に漂う換気の流れに、熱帯雨林の植物よろしくゆらゆらと揺れていました。お馴染みとなった朝の陳情者たちの群れが、自らの欲を満たすべく、ドア越しのあなたに向かってぞろぞろと近寄っていきます。でもそれは今、二本の赤茶げた植物の茎がゆらゆらと、あたかも自らの意志によって陳情者たちを招き寄せているようにも見え、彼ら老若男女の勤め人たちが私たちのベビーフェイスの耳元で囁くのは、「どうか私の夢を叶えてください」でも、「革命を起こしてください」でも、「私を贔屓にしてください」でもなく、それは「エロイムエッサイム、エロイムエッサイム」であり、「テクマクマヤコン、テクマクマヤコン」であり、たった一言「バルス」であったりもするのです。
そうして毎朝、乗客たちの呪文の数々を浴びせられた二本の茎はますます上へ上へと伸びていきました。
つづく