魔法の靴のための広告①
都会で働くサラリーマンたちの革靴がそろって尖っていったのはいつ頃のことだったでしょう。それは人知れず爪先の尖り具合を競い合うかのように、混み合った無言の通勤電車の車内で、春先のつくしにも似て少しずつ少しずつ伸びていったかのようでした。まるで尖りが鋭角なほど見栄えがよくお洒落であり、またナイフの刃みたいにピカピカであるほど仕事ができる男といった、プライベートとビジネスにおける時代遅れの正解めいたルールが、都会の空気を支配しているかのごとく。あたかも過去のバブルの名残りが、サラリーマンの履いた革靴の先端にだけ呪文さながら今なお張り付いていて、そこだけが不景気面して停滞しつづける世相に反抗して。
そんな空気を感じとって、私たちも彼ら都会のサラリーマンたちを尖りサラリーマンと呼び、その足元を見下ろしては、左の尖りは伊達者のイタリア人をあらわし、右の尖りはやり手のニューヨーカーをあらわしているように感じたりもしたものでした。そこにはほんの少量ではありますけど、たしかに停滞を打ち破る希望にも似た光沢が見えるような気もしたのです。
でもそれはすでに遠い過去のお話になりました。サラリーマンたちの靴はさらに尖り度を増してきてはいますけど、その目的はすでにお洒落であるとか、ファッションとしてのビジネスツールとかいった凡庸なそれからはかけ離れたところにあります。
彼ら都会のサラリーマンたちは、いまでは見栄えや虚栄のためではなく、まったく個人的な理由で爪先の尖った革靴を履いているのです。毎晩寝る前には必ず特製ワックスと特製クロスでもって熱心に、そしてウットリと、自分の相棒とも呼ぶべき、かつて人々に「尖り革靴」の名で呼ばれていたアイテムを磨きあげながら。
「アイムフィーリングラッキーな方は次の駅でお降りください」
そんなお馴染みの、しかしじつのところそれはまったくお馴染みではない、広告を見て、あなたは地下鉄の車両から降ります。寝過ごしたせいで都心の通勤ラッシュに紛れ込んでしまった幽霊みたいに。目的の駅ではないのにもかかわらず、むしろフィーリングラッキーとはほど遠い気分で。
たしかにその日はちょうど月曜日で、昔の流行歌にも歌われていたように、しがない勤め人であるあなたの心もまた、ご多聞に漏れず、朝からブルーな気持ちで一杯ではありました。それなのに、あなたは電車を降りたのです。自らの精神状態とは正反対な謎の車内広告に反応して。タイムカードのしがらみなど考えもせず、まるで見えない力に背中を押されたみたいに。あるいは、自分の身の丈に迫りそうなほどのアンテナめいた尖りに誘導されて。
地下鉄の乗客も、プラットホームで電車を待つ朝の通勤客も、大勢の人たちがあなたを見て、あなたを見ていませんでした。地下ターミナルの最重要人物でありながら、あなたはスーツを着たアンダーグラウンドの貴公子であり、同時にミスターノーバディでもありました。
プラットホームへ降りた我らがミスターノーバディの勇姿を目撃すると、地下鉄の乗客はあとを追って一斉に電車を降りていきました。そのせいで通勤ラッシュは嘘のように一時的に解消されましたけど、肝心の電車の方が発車時刻を過ぎてもなかなか動きだそうとはしません。それというのも、運転手も車掌も一目あなたの勇姿を拝もうと車両のドアから身を乗りだしていたからです。地下鉄職員である彼らは、職務中に魔法の靴を履くのを会社から固く禁じられていました。
「〈魔法の靴のための広告〉なんて信じないでください。そんなものはどこにも存在しません。どうか朝の通勤途中に用のない駅で下車するのはおやめください。あなたの大切なタイムカードの存在を忘れないでください。それは運転免許証よりも、クレジットカードよりも、健康保険証よりも、どんな種類のカードよりも、勝るとも劣らない大切なカードなのです。タイムカードこそあなたのアイデンティティであり、その影には常にあなたの家族がいるのです。その現実を忘れないでください」
東京メトロ広告機構がホームページ上で利用客にそう訴えかけます。彼らはある意味当事者でありながら、魔法の靴のための反広告キャンペーンの急先鋒でもあります。鉄道会社にとって〈魔法の靴のための広告〉は眼の上のタンコブのようなのです。彼らは魔法の靴の先端ではなく、世の中の混乱の片棒を担いでいるかのように思われることの方に神経を尖らせているわけです。
歴史上、人が大地に立つとき、人と地面の間には大抵の場合、なにかしらの靴がありましたし、シンデレラのガラスの靴の時代からは、靴は人々とある特定の社会階層とを結びつける媒体としての役割も担ってきました。言ってみれば、靴とは、サラリーマンたちの尖った革靴が登場する遥か以前から人と大地を繋げるだけでなく、人とそれ相応の社会とを繋びつける社会的アイテムでもあったのです。かのシャーロック・ホームズなどは人を見るとき、顔よりも先に足もとから観察するのが常だったとか。
人が身につける服飾品の中で、長い間、手袋と靴だけが二つで一組のアイテムでした。それはあたかもこの二つの服飾品が、実用性と社会性という二つの対照的な特徴をことさら兼ね備えているのを表しているかのようでした。
ただここにきて靴は手袋を置き去りにして、あらたな特徴を兼ね備えようとしていたようです。人々は過大な熱狂と共に新しい時代に生きているという確信を持って、「私たちを幸福にするのは仮想通貨でもコンピューターでもなく、じつはそれよりも遥か以前から存在する靴なのではないか」と疑いを持つようになりました。終いには多くの人々が「コンピューターよりも先に人工知能を持つのは靴なのではないか。だって靴はコンピューターよりもよっぽど私たち人間に近い存在だったのだから。ペットの犬みたいに」と考えはじめる始末でした。
「人類はもう一度足もとから進化する」
そんなコピーを打って、それまでの尖り革靴に〈魔法の靴〉という別の名を付け売りだしたのは、東京は下町にある雑居ビルに昭和の時代から本社を置く老舗、東京紳士靴商会でした。
コピーにある「もう一度」という文句は、すでに都会のサラリーマンたちの間で広く流行していた「尖り革靴の便乗品です」という意味ではもちろんなく、遙かなる太古の昔に人類が二足歩行をはじめた歴史に因んでいるのだとか。
そんな二匹目のドジョウ的な製品ではありますが、東京紳士靴商会が保持している新しさは、尖り革靴の他に、特製ワックスと特製クロスを付けた三点セットとして魔法の靴を売りだしたところにありました。
その特製ワックスには特殊な動物性タンパク質が含まれていて、それをもって日々熱心に磨きあげると、革靴の爪先が伸び、さらに角度まで微調整できるようになるのです。
これによってもともと尖り革靴を愛用していた都会のお洒落で有能なサラリーマンたちは、必ず自分の足もとを魔法の靴へと次々に乗り換えるはず......というのが、東京紳士靴商会の目論みであったのでしょう。なにしろ自分だけの、世界に一つしかない、オリジナルな尖り革靴が手に入るわけですから。これが魔法でなくてなんなのでしょう。
しかしその計画は見事に挫折し、魔法の靴は発売して間もなく在庫の山を都会の外れの倉庫に築きあげる結果を招きました。一時は老舗である東京紳士靴商会の株価が急降下し、その存続までが危ぶまれる始末でした。
尖り革靴を履いたお洒落でやり手である都会のサラリーマンたちは、べつにオリジナルな尖り革靴など必要としていなかったのです。この時点ではまだ彼らは口をそろえて言っていたはずです。「靴に魔法など」と。
程なく魔法の靴をめぐる状況が劇的に変化し、その売り上げが右肩上がりで急上昇していくと、かつては在庫の山を築いていた商品を独占販売している東京は下町に本社を置く、昭和40年男が見たら泣いて喜びそうな、東京紳士靴商会の入ったノスタルジックな雑居ビルは、天へと高く伸びていきました。それはいまではサグラダ・ファミリアめいて、あと100年先まで常に工事中のようであり、しかも増築された部分までがわざと昭和の雑居ビル感を演出するようにデザインされているので、このままでは東京を代表する建築物が昭和レトロなだけの凡庸な代物にとって代わってしまうと、進歩的で新しもの好きな建築家たちからは危惧されながらも、ついには東京紳士靴商会雑居ビルは「下町のサグラダ・ファミリア」やら「現代のバベルの塔」などと呼ばれるようになり、新しい東京観光名所の一つとなりました。
魔法の靴は基本的に紳士用ではありながら、それを買い求めたのは男性にかぎった話ではありません。ご婦人方は夫や父親そして子息に、若い女性はボーイフレンドに、それぞれ巷で話題の革靴を買い求めるようになり、中には小さなサイズのものを自分用に買っていく女性まであらわれはじめる勢いでした。
「重要なのは私たちが〈魔法の靴のための広告〉といった名の広告商品を取り扱っていないという事実です。それを理解していただきたいと思います。そして東京を走る地下鉄車両および地下鉄構内の広告はすべて私たちが管理しているのです。例外はありません。もしも今後もこのような混乱がつづくようであれば、地下鉄車内および地下鉄構内におけるすべての広告を撤去しなければならない状況が発生するもしれません。ご存知のように地下鉄には窓の外の風景というものは存在しません。想像してみてください、広告の一つもない地下鉄の駅や車内を。それはひどく寂しい光景ではありませんか?広告こそは地下鉄の華なのではないでしょうか?」
東京メトロ広告機構はふたたび訴えかけます。魔法の靴をめぐる攻防は、まるで尖りサラリーマンと、どうにかしてそれをべつの想像力によって打ち消そうとする鉄道会社との妄想合戦めいた様相を見せはじめています。
東西線で〈魔法の靴のための広告〉を見たという男性がいます。丸の内線で〈魔法の靴のための広告〉を見たという男性もいます。さらには日比谷線で〈魔法の靴のための広告〉を見たという男性もいます。彼らはそういった発言をおもにSNS上で行っているようです。
残念ですが、これらの情報は一つ残らずすべてガセである可能性が高いです。というのは、これまで本当に〈魔法の靴のための広告〉を見たことがあるのは、四名の都会のサラリーマンに限られていて、彼らは今では四人とも俗世間から逃れるように生き、SNSなどからは遠く離れた生活を送っているからです。
彼ら四人は、大気圏の外から地球を眺めたあとに英雄として地上に帰還しながら、真空の闇の中で神秘的な体験をしたのか、俗世間と折り合いをつけられずに遂には行方をくらましてしまった宇宙飛行士を思わせます。一度は魔法を行使する権利を得たのにも関わらず、その権利を放棄してしまった世捨て人にして、最強の尖りサラリーマンなのです。それこそ彼らをしてミスターノーバディと呼ばれる所以です。
もしもあなたが「いいや、俗世間だってそんなに捨てたもんじゃない」と本気で思い、五人目のミスターノーバディに選ばれて、今度こそ与えられた魔法を行使したなら、晴れてあなたは一般大衆からミスターノーバディとはべつの名前で呼ばれるかもしれません。
謎に包まれた〈魔法の靴のための広告〉ですが、いくつか確実視されている事実があります。ただ魔法の靴を独占販売している東京紳士靴商会は、それに関しては自社との関係を含めて一切口を固く閉ざしているのが現状です。
それでは〈魔法の靴のための広告〉の情報はどこから流れてくるのかというと、皮肉なことにそれは東京メトロ広告機構が発信しているSNSなのです。つまりアカウントの〈中の人〉が、コーヒー豆の品質を一粒一粒吟味するコーヒー豆鑑定士のごとく、噂に含まれる言葉の一つ一つを取り上げては精査し、それを否定するたびに、逆に噂が拡散されて広まってしまうという状況です。
そのために東京紳士靴商会と東京メトロはじつはグルで、二社は本当は裏で繋がっているのではないかという憶測が常にSNS上でくすぶっている有様です。
東京メトロ広告機構は地下鉄におけるすべての広告を管理していて、〈魔法の靴のための広告〉については存在自体を否定しているわけですが、それは存在しないはずの広告の神話性をさらに強化する結果を招いています。その行為はまるで東京中の尖りサラリーマンたちが常々唱えている「〈魔法の靴のための広告〉は存在しない。〈魔法の靴のための広告〉は誕生する」という呪文めいた決まり文句に相応しているからです。
尖りサラリーマンたちは幻視する者たちです。反逆の映写技師タイラー・ダーデンが上映中のフィルムに忍び込ませたサブミナル効果よろしく、誤った場所で誤った広告を発見してしまう者たちなのです。
つづく