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味なんて

作者: みずき

 教室から差し込む夕日を、自分の席に座ったまま恨めしそうに眺めた。

 赤く色づいた少女のツーサイドアップの髪が揺れる。

「……最悪だ」

 やってしまった。

 物事にはタイミングというものがある。今回、森宮(もりみや)千歳(ちとせ)はそれを完全に逃してしまっていた。

 大体、妙な息苦しさが悪いのだ。甘ったるい雰囲気が悪いのだ。そして、最悪の結末を想像してしまう、私の弱さが悪いのだ。

 今日は二月十四日、放課後。対象人物の机を見る。帰宅済み。

 友人には家が隣なのだから、渡しに行けばいいじゃないか……と思われるだろう。じゃあ逆に問いたい。学校ですら渡せなかったのに、本人の家に押しかける勇気が存在するか? 答えはノーだ。

 つい一年前までは勝手に庭から居間に入り、本人の部屋まで押しかけるのに何のためらいもなかったはずなのに、どうしてこうなった。

 ふてくされてシンプルなハート型の箱を突いていると、教室に見慣れた人物が入ってきた。

「あら、まだ帰ってなかったの?」

 腰まである髪に整った顔、どこか余裕のある口調、同じクラスの葛城夕(かつらぎゆう)()だった。

「…………ゆなぁ~」

 近づいてきた彼女を、千歳はまるで獲物を捕らえるかの様にがっちりホールドして離さない。

「はいはい、私の名前を短縮して呼ばないの。どうしたの?」

 まるで子供を慰めるように、頭をゆっくりと撫でる。

 千歳は平均的な数値と見比べて、背が低かった。夕菜も背が高くはないが、二人の身長差は十センチほどになる。

「わふぁへふぁふぁっふぁ(わたせなかった)」

 ブレザーに顔を押し付けたまま、ふごふご言っている。

「駄目だったの?」

「駄目だったの。近づけなかったの。近づけなさ過ぎてなんかバリアーが見えるレベルだったの」

「安藤君、そんなに絡み辛い?」

 夕菜らしからぬ、意地悪な質問だ。

 二人が幼なじみであることも、普通に仲が良くてしょっちゅう絡んでいることも知っているくせに。

 安藤智也というのは、千歳の想い人だ。

 なんでもないただの高校生。成績普通、運動神経普通、顔普通。それでも、千歳が恋心を抱くのには十分な何かがあった。

「そうでもないけど……最近はなんか変」

 今日一日、千歳は智也を付け回していた。

 元々群れるタイプではないため、チャンスはいくらでもあった。しかし、一歩踏み出すことができない。

「家、隣でしょ?」

「無理、入れない」

 上手くいかないと、すぐに頭にきて口調が鋭くなりがちなのは、千歳の悪い癖だ。

 たかがチョコ、されどチョコ。

 バレンタインを笑う者はバレンタインに泣く。

 立ち止まっているだけでは進まない。しかし、それがわかっていてなお動けない自分。

 どこか、芯では本当に好きではないのでは? なんて無駄な事を考えてしまう。

「あーあ、私もゆなみたいな御淑やかさがほしかったなー」

「そう? 千歳みたいな小動物タイプの方が、彼は好きだと思うけど」

 千歳は平均よりも少し背が低い。加えて好きなものは、食べ物・走ること・かっこいい物。嫌いなものは勉強。目は少々つり目で、口より先に手が出る。

 本能の赴くままの生活態度を改める気も無いらしく、教員に呼び出された後でも平然と授業中に寝る。

「いやいや、そんなわけないし……。葉月みたいなこと言わないでよ」

 葉月というのは、同級生で夕菜の幼馴染。

 智也、葉月、千歳、夕菜は仲の良い四人組だった。過去形なのは、二年の 二月も中旬となり、進路に向けてか皆が皆忙しくなったせいだろう。それぞれが同時に時間を取れる機会が減ったのだ。

 普段隣にいる人がいなくなったから。

 智也に対する千歳の恋心の原因は、案外そんなものかもしれない。

暮人(くれひと)君が? ……あいつ、そんな事に興味あるのかしら」

「……ねぇ、なんで幼なじみなのに葉月の事を苗字で呼ぶの? あいつとか言っちゃう仲なのにさー」

「気が付いたらこうなってたのよ……。それはそうと、まさか渡さないわけじゃないよね?」

「うっ」

 どこか深く触れられたくなくなり、夕菜は話題をすり替える。千歳はとくに気にはしなかった……というよりは気が付いていなかった。

 そういう事には無頓着なのだ。

「土日返上したんだから、結果はともかく、せめて挑戦はしないさいよ?」

「……」

「千歳がそんなに奥手なら、私が智也君に告白しちゃおっかなぁ」

「えっ! それは困る! っていうかゆなも好きだったの? スクープだねこれは!」

「危機感のない台詞はともかく、いやなら早く追いかけなさいよ……」

 暫くだべっていた気はするが、教室に差し込む夕日はちっとも傾いていなかった。

 とはいえ、冬の日入りは急だ。

 その時が来れば、赤と黒の境界線を見せたかと思うと、溶け合うことすらせずに、瞬く間に夜空が夕暮れを支配する。

「まだ間に合うでしょ?」

 夕菜は言葉で千歳の背中を押した。

 単純だからなのか、それとも彼女の声に言霊でも宿っているのか、千歳は諦めたように腰を上げる。

 駄々をこねたって、何にもならない。

 振られるかもしれない。でも、だったら、せめて当たって砕けよう。

 きっと、それが一番森宮千歳(わたし)らしい。

「それとも、まだ味が不安なのかしら?」

「それはない。夕菜と一緒に作ったんだから、間違いなくおいしい。保障する」

 千歳が保障しちゃうんだ……。と、口に出かけたが無粋な真似は止めた。

 夕菜はそれ以上口出しする事は無なかった。ただ笑って、無造作にハート型の箱を掴んだ千歳が、教室から駆け出すのを見送った。


 先ほどまで千歳が座っていた机に腰かけて、手に持っていた鞄を掛ける。

 振り返ると智也の席が見えた。

 ため息を一つ。

 自分は本当にお節介だ。もしかしたらそんな自分に酔い、楽しんでいるだけなのかもしれないが……。

「本当に、嫌になるわね」

 鞄を開け、中から箱を取り出す。

 可愛いリボンで綺麗にラッピングされたそれは、昨晩無駄に長い時間考えて装飾したものだった。

 ……これはもう、私には必要ない。

 首を絞めるのがそんなに楽しいかと聞かれれば、きっとそうじゃないと答えるだろう。ただ、結果として、行動と考えが矛盾しているだけだ。

 あるいは悲劇のヒロインでも演じたいのかもしれない。

「私って駄目ね」

「僕はよくやってる方だと思うけどね」

 気が付くと隣に暮人葉月が立っていた。人が悩んでいるというのに、いつも通りの、少し腑抜けた顔だった。

 第一印象は大抵皆同じ、優男。彼は大抵そう言う風に言われるし、それを拒むこともない。

「……あんた、いつから」

「二人が話してる時からいたよ。忘れ物を取りに来ただけなんだけど……入れる雰囲気じゃあなかったからね」

 照れるように笑うその笑顔が、どこか凶暴な笑顔にも見える。けれど、夕菜には一切心当たりがなかった。

 まぁ、おそらく何か腹が立つことでもあったんだろう。

 彼は優男と評されるが、あくまでそれは遠目で見た時の話だ。

「嘘つくの、下手ね」

「あ、ばれた?」

「ばればれ。……はぁ。あんたはほんと、空気が読めないっていうか、どこか外れてる感じがする」

「これでも、常に周りを幸福にしようと頑張って笑顔してるんだけどねぇ」

 彼はいつもこんなだった。誰かが悩んでいる時ですら、曇った顔は見せない。一番付き合いの長い夕菜ですら見たことがなかった。

「……それで、渡せたのかい?」

「……」

 そんな振る舞いをしておきながら意地悪だ。昔からちっとも変わらない。

 いきなり本題に入られた夕菜は、少々言葉を詰まらせたが、少しだけだった。

「渡せなかった……、これはもう、失恋ね」

 机の上に出した箱を見る。昨日自分で書いた『智也君へ』という文字が痛々しい。

「譲ったのか」

「私の方が弱かったのよ。意志がね」

「本当に、それでよかったのか?」

 いつもはすぐに話題を変えたり、深く突っ込んでこないくせにこういう時だけしつこい。

「……いいわけ、ないでしょ」

 どうしてこいつは私をこんなに責めるように問い詰めるんだろうか?

 腹の奥で何かが煮えだして、語尾に怒気がこもる。

 今から走って渡しにいけば……。そうなると、もう一人とも会う事になるだろう。

 考えれば考えるほど頭が痛くなってくる。

 原因はなんだ。この箱の中身か。

「……っ!」

 綺麗なラッピングに、鋭い爪が付き立てられて、悲鳴のような音を上げながら破れていく。可愛いリボンは無理やり引きはがされ、よれよれになった。

 箱を開けると先日、思いを込めて作ったチョコがいくつか、丁寧に並べられている。それに手を伸ばして、少しためらった。

 しかし、結局はそれを口に含むに至る。

「……おいしい?」

 小さい声だった。

 小さくて、優しい。

 その声音だけでも涙が出そうだった。その上自分が哀れで、惨めで、もう我慢はできなかった。

「……わかんないよ」

 目じりから頬へと、大粒のそれを滑らせて、まるで同情を請う様に言う。

「味なんて、わかんない」

 夕日の差し込む静かな教室で、気が付けば泣いていた。

 口の中で味のしないチョコを転がしながら、いくら拭き取ってもあふれ出る涙にうんざりした。

 味もしないのに舌が焼けそうで、腹が立った。

 諦めの悪い、馬鹿な女だと自分で自身を評価する。

 一つ食べ終わったあたりで、少しだけ気が楽になった。恋心と一緒に溶けてしまったんだろう。だったら、全部溶かしてしまえ。

 そう思って次に手を伸ばす。

 だが、恋の欠片は夕菜が摘み取る前に葉月によって摘み取られた。

 そして、なんのためらいもなく、葉月はそれを食べ始める。

「甘くて美味いよ。普通に」

 慰めのつもりなんだろうか。意図は読めない。

 例えそうでなくても、今の夕菜には読み取れないだろう。

 葉月の感想を聞いて、また一つ口に含む。相変わらず、目から落ちるそれは止まることを知らない。

「……やっぱりわかんないよ」

 弱々しく吐き出すと、夕菜から席を立ちあがろうとして、バランスを崩す。慌てて葉月が支えに入ったので、何ともなかったがかなりまいっているらしい。

「大丈夫……じゃないよな」

 夕菜は葉月の腕から離れて、教室の床にしゃがみこむ。

「ごめん」

 何のことかわからず、力を抜いていた葉月を無理やり引っ張って、夕菜は強引に胸を借りる。

 そうして、声を上げて泣き出した。智也に抱きつきたかった思いをぶつけるように、思い切り葉月に身を寄せた。

「……はぁ、生殺しだね、こりゃ」

 何か言っているようだったが、聞こえなかった。今は泣くことに忙しい。

 普段は大人なのに、自分の胸の中で子供のように泣き散らす彼女を、葉月は暫くそのままにしていた。




 窓から空を覗くと、まだ少し赤いにも関わらず既に星が出ていた。

「ごめん」

「いや、いいって」

 一晩校内で寝泊まりは勘弁だ。二人で下駄箱へと歩く。

 ついたころにはあたりは暗闇になっていた。

 冬の日入りは急だ。

「あのさ」

「ん?」

 涙はとうに止まっていたが、夕菜の声は少し掠れ、目もまだ赤い。

 失恋状態に付け入るようだったが、気にはしなかった。葉月はなんらためらいなく、実にあっさりと言った。

「こんな時に言うのもあれだけど、僕、夕菜のこと好きなんだよね。勿論一人の女の子として」

「……え?」

 下駄箱から靴を取り出そうとした状態で、夕菜は硬直する。

 葉月にとって大体予想通りの反応だった。

 面倒見が良くて、周りの事はしっかり見ているくせに、その根元はがら空きというか……。

「だから、考えておいてほしいんだ。答えは急いでないから」

「え、あ……」

 口をぱくぱくさせて、夕菜は何か言いたそうにしていた。気が付いた葉月が微笑むと、夕菜の顔は一気に赤くなる。

 告白される、なんて経験が初めてなのだから仕方ないだろう。

 すたすたと葉月が一人で歩いていくと、校門の方がなにやら騒がしい。よく見ると智也と千歳が夫婦漫才のようなものをしていた。

 どうやら千歳は勝ち取ったらしい。

「ちょ、ちょっと、葉月、どういうことなの……かしら……?」

「あ、久しぶりに名前で呼んでくれたね」

 慌てて走ってきた夕菜が、息を荒げるのを無視して満足そうに頷く。

 そして、追い討ちと言わんばかりに校門の二人がこちらに気が付き、とうとう夕菜が追求する暇はなくなってしまった。

「……もうっ!」

 一言だけ、可愛い悪態をついて、それ以降は何もなかった。

 夕菜の目の腫れを適当にごまかし、それからはいつも通りだった。久しぶりのいつも通りだ。

 四人で下校するのは数か月ぶりである。


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