私は蝶で、あなたは蜘蛛で
「えぇ。そうね。キス、しましょう?」
「は?え?……今、なんて?」
聞き間違いだよね?
まさか、あの麗香先輩が私に向かってキスしましょうなんて言う訳ないもんね。
「だから、私とキスしましょう?」
どうやら、聞き間違いではなかったみたい……。
え?
…………えええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ?!
ちょっと待ってっ!
えっ?
どういうこと?
キス?
キスってあれだよね?
恋人がするあれだよね?
魚のあれじゃないよね?
だってほら、それを証明するかのように、抜群のスタイルを持ち、顔なんてそれはもう同じ女である私でも見つめられるだけで動悸が治まらなくなる程整っている麗香先輩がこちらに向かって身を乗り出し━━━って、待って待って!!
先輩顔が近いです!
その綺麗な顔を近付けて来ないでぇぇぇぇ!
とりあえず、手に持っていたノートでこれ以上の接近を阻止しつつ、パニックになってから録に働かない頭を働かせよう。
がんばれ!
私!
えっと、今日は、高校1年最後の日だよね?
そうそう、確か━━━
「んーっ!今日で高校1年目も最後かー。次は2年で、後輩もはいってくるんだよね」
朝に登校してきて、そう言いながら、伸びをしていると、隣の席の夕美香が話かけてくる。
「そうだね。後輩かー。部活にどんな子が入ってくるのかは気になるかな」
どうやら、夕美香は部活に入ってくるだろう後輩が気になって仕方がないみたい。
まぁ、かくいう私も部活に後輩が出来るのは楽しみなんだけど。
「ということは、夕美香の鬼畜特訓を後輩の子は受ける訳だ。可哀想に……」
私がしみじみと呟くと、彼女は威嚇でもするかのように唸る。
「ほぅほぅ。つまりは、涼風も私の特訓を受けたいんだね?」
ついでに、夕美香の特訓は超が3つ程付くぐらいスパルタ式。
ようするに。
「絶っっっ対に嫌!」
そんな事を話していると、私が所属している部活、演劇部の部長が教室のドアから顔を覗かせる。
「涼風さん。今、大丈夫かしら?」
天崎麗香先輩、学園1の美人の上、学園1の秀才。
正しく、才色兼備な雲の上の人……なんだけど、なんと、私はなぜかこのお方の連絡先を持っていたりします。
ファンの子達にばれると殺される気がする……。
だって、麗香先輩って連絡先は滅多に教えない事は有名だもん。
それにしても、相変わらず綺麗だな。
なーんて、見惚れていると、私に気付いた麗香先輩がこちらにやってくる。
って、いけない、先輩に来させるなんて……。
慌てて立ち上がるけれど、その時にはもう先輩は私の目の前に来てしまっていた。
「あら、そんなに恐縮しなくていいのに」
先輩が固まっているクラスの皆に向かって言うけれど……。
いやいや、無理です。
麗香先輩と向かい合って平然としていられる人なんていませんから。
「えっと、おはようございます、麗香先輩。どうしたんですか?」
とりあえず、今は早く終わらせよう。
さっきから突き刺さる視線が辛いよ……。
早く終わらせようとしているのに気が付いたのか、一瞬不満そうな顔を見せる先輩。
ごめんなさい、先輩。
いつもは長々とおしゃべりしているけど、今は無理です。
「……ちょっと、手伝ってほしい事があるのよ。だから、放課後は部室に来てくれる?」
お手伝い?
なんだろう?
まぁ、なんにせよ、お手伝いぐらいなら喜んで受けさせてもらいます。
「わかりました。放課後すぐに伺います」
「よろしくね」
そう言って教室から出ていく先輩。
で、終業式も終わって、すぐに部室に来たんだけど、そこにいたのは麗香先輩お一人。
皆は遅れているのかな?って思って、お菓子と紅茶は用意してあったから、それを食べながら麗香先輩に勉強を教えて貰ったり(教えるのすごく上手いです)、お喋りしたり。
皆遅いなー。
「麗香先輩」
「なに?」
麗香先輩は疑問に思わないのだろうか?
「皆遅くありませんか?」
私がそう言うと、先輩はキョトンとして、すぐに納得したらしく、平常時の顔に戻った。
え?
先輩は遅れている理由を知って━━
「今日は私と涼風さんの二人だけよ」
え?
はい?
「涼風さんと話したいことがあったから、皆には遠慮してもらったのよ」
「?話したい事……ですか?」
なんだろう?
「えぇ。そうね。キス、しましょう?」
━━回想終了!
うんっ!
意味がわからない!
話したい事があるっていう話からどうして、キスをしよう、なんていう話になったの?
「ねぇ。涼風さん。このノートは邪魔よ?」
そうでしょうね!
邪魔していますから!
「れ、麗香先輩、落ち着きません?」
「私は落ち着いているわ。落ち着いていないのはあなたね」
ですよねー!
「大丈夫よ。涼風さん。私に身を任せてくれたら。それに、キスならもう、一度したわ」
ちょっ!
急にそんな誘うような甘い声を出さないでください!
顔に血が昇るのがわかる。
こう、ゾクゾクしたものが背中をかけ上がってくるし!
っていうか、キスしたって、それって。
「劇の中での話じゃないですか!」
「劇の中でも、キスはキスよ」
確かにそうですけれど!
しかも、寸止めのはずが、本番で麗香先輩が本当にキスをしてきたっていう。
この時、麗香先輩は男役で男装の麗人になっていたから、心臓が、死んでしまうんじゃないかっていうぐらい早鐘を打っていたのを覚えている。
「っていうか、どうしていきなりキスしようなんて言ったんですか!」
とにかく、どうしてこうなったのか聞かないと!
って、思って言った言葉なんだけど……。
「あなたが、涼風さんのことが好きだからよ」
麗香先輩は、さも当たり前とでも言うようにそう言い切ったので思わず固まってしまう。
「えっ?……んんぅっ」
私が固まった隙を逃さず、先輩はすぐさま私の唇を塞いだ。
もちろん、先輩の唇で、だ。
「んっ、んぅ……ぁ」
私の口の中に先輩の舌が侵入してくる。
って、待って待って待ってください!
手!
先輩、手!
どこ触っているんですか!
先輩をバシバシ叩いて抗議の意を示すと、漸く先輩が離れてくれた。
「涼風さん、痛いわ?」
うっ。
それは、申し訳ありませんけれど……。
「い、いきなり何をするんですか!」
「動きが止まったからチャンスだと思ったのよ」
確かにチャンスでしたね!
「それよりも、もう一度言うわ。私はあなたの事が好きよ。それが、私の言いたかった事」
あー。
やっぱり、聞き間違いではなかったんだ……。
「えっと……。私は女ですよ?」
女の子同士って……。
いや、そういうのがあるっていうのは知っていたし、そういう恋愛もあるんだろうなぁって思っていたから、嫌悪感とかはないけれど……自分がそういう対象になっていたとなると、どうしていいのかわからないし……。
「もちろん、知っているわ。私も女で、あなたも女の子。それでも、好きなのよ」
私を真っ直ぐに見詰める目は真剣だ。
おふざけなんて欠片も入っていないもんね。
「いつから、ですか?」
気になるのは、これ。
いつからなんだろう。
私は、なにか特別な事をした覚えなんてないのに。
「そうね。はっきりと自覚したのは、夏休みに、演劇部の合宿に行った時からかしら?その前から気になってはいたのだけれど」
そ、そんなに前から……。
え、でも、どうして?
私は、特に美人でもなければ、可愛いっていう程でもない、至って平凡な容姿だし、特別優しかったりする訳でもない。
私のどこがいいんだろう?
そう思って聞いてみた。
「私なんかのどこがいいんですか?」
「涼風さんは、私の事を特別扱いしなかったわ。私に普通に話しかけてくれたのは、涼風さんが最初だったのよ?皆、私とはどこか距離を置いているか、下心があって近付いてくる人達ばかりだったから……。それで、興味を持っていろいろ話している内に、いつのまにか惹かれていたのよ」
あー……。
確かに、麗香先輩は綺麗だから、周りの人間は気後れしちゃうんだよね。
その上、立ち居振る舞いに気品があって、頭も良いから余計に。
私のは、演劇部に加入申請を出しに行った時、対応してくれたのが麗香先輩で、でも、それが噂になっている麗香先輩だとは知らなくて、ただ綺麗な人だなーって思いながら話していただけなんだけど……。
私も、麗香先輩だって気付いていたら、恐縮していたと思う。
でも、それだけ?
「そうね。でも、最初は私の事を知らなくて話しかけてくれた人はいたのだけれど、後になって、私が天崎麗香だと知っても今まで通りに接してくれたのはあなただけだったのよ。嬉しかったわ。やっぱり、他人に距離を置かれるのは寂しかったから。それに、涼風さんと一緒にいると楽しいのよ。もし、今私を特別扱いしない理想的な男や女の子が現れても、私は涼風さんを選ぶわ」
途中から甘ったるい声をこちらに飛ばしてくる先輩。
そ、その声は反則です……。
顔が赤くなるのがわかって、恥ずかしくて下を向く。
ゾ、ゾクゾクするー。
いつの間に来たのか麗香先輩は、そんな私のすぐ側に立って、顔に指をかけて強制的に上を向かせる。
私は椅子に座っているから、麗香先輩に見下ろされる立場で、そんな妖艶な先輩の仕草に顔はますます赤くなり、鼓動はどんどん早くなっていく。
麗香先輩にだったら、いいかも……。
そんな思いを抱かせる程に……。
「ふふっ。やっぱり、私は涼風さんが欲しいわ?ねぇ?私のものにならないかしら?」
せ、先輩、えろいです……。
後、やっぱりその声はやめてぇぇぇ!
ど、どんどん落とされていっている気がするっ!
「れ、れいかせんぱい……」
そんな自分から出た声は、驚く程に艶を含んでいて……。
「っ!」
また、私の唇を麗香先輩の唇が塞ぐ。
あぁ……。
私は蜘蛛の糸に掛かった獲物で、先輩はそんな私をじわじわと攻めてくる。
蜘蛛の糸に一度掛かった獲物は逃げられないように、私も、麗香先輩が張り巡らした糸からは逃げられないんだなーって思う。
私の口の中を犯す先輩の舌。
私を逃がさないようにと、先輩は私をしっかりと抱き締めて、私を貪る。
そんな先輩の姿に、私は、この人になら、絡め捕られてもいいかな、なんて思った。
昼過ぎだったはずの空は、いつの間にか夕焼け色に変わろうとしていた。
オレンジ色に染まる部室に、私と先輩の影はずっと一つになっていた。