だい はちじゅうはち わ ~冥府~
「千歳……? ぢどぜえええええぇぇぇぇぇ~~~~~っ!!」
「おっと」
柱から引っ張り出したゴスロリ衣装の少女――イヴさんに肩を貸しながら天使どもを縛り上げたポイントに戻ると、先に到着していたらしい兄貴を連れた真奈ちゃんが見えた。そして彼女が視界に入るや否や、イヴさんはさっきまでぐったりしていたのに急に目を輝かせて真奈ちゃんに抱き着いた。
「こらこら、イヴ」
「むぎゅっ」
飛びついてきたイヴさんの鼻を摘まみ、牽制する真奈ちゃん。なんだかいつもと雰囲気が違うような気がするが、数秒そのまま二人で見つめ合った後、イヴさんが渋々抱きしめる腕を解放させてからはいつもの真奈ちゃんのようだった。
はて、勘違いだっただろうか。
……まあ、それより。
「よう」
「おっす」
バチン!
兄貴が軽く上げた手の平に思いっきり平手を叩きつけてやった。ハイタッチとも言えなくもないが、あたしの手の平は龍鱗による反射ダメージでジンジンする。
「お帰り」
「ま、万全とは言えんがな」
「一カ月半身動き取れなかったくらいで何よ、だらしない」
「そっちこそ、ろくに術使ってねえ期間空いて鈍ってんじゃねえだろうな」
「はっ。そこに転がってる天使見てそういうセリフ吐くんなら目ぇ腐ってんじゃねえの?」
「……なんで久々に会ったのに挑発し合ってるの」
熱烈なハグからは解放されたものの隙あらば腕や肩を絡ませ、猫のように頬ずりしてくるイヴさんになすがままの真奈ちゃんが溜息交じりに呟いた。そうは言うが、あたしらが再会のハグとかする方がよっぽど気味悪いと思う。というかこっちから願い下げである。
「つーか、こっちからすればあんたら二人の方がどうしたって話よ」
イヴさんとは夏休みの学習合宿で何度か話はしたことあるが、こんなキャラではなかったと思う。
「まあその……話すと長いというか」
「アタシらは前世から深い深い仲なのだよ梓ちゃん!!」
「……その通りではあるんだけど、言い方……」
黒目がちな瞳をきらっきらさせるイヴさんに溜息を吐く真奈ちゃん。そして兄貴はそんな二人を見つめ――見定め、ああなるほどと頷いた。
「契約か。魂食わずに冥府に送られるのを黙って見てるとは変な悪魔だ」
「悪魔?」
「この子の前世とアタシは契約関係にあってね。その契約に基づき、アタシは人としてこの街で暮らしてたってわけ」
「真奈の魂を覆ってた封印が剥がれてんな。それで妙に年季入った契約リンクが急に出てきたのか。それも陰陽分離の副作用かね」
で、と兄貴が軽薄に笑いながらイヴさんに問う。
さりげないが、いつでも動けるように身構えている。
「契約対象の魂を見つけた今、お前さんはこれからどうするつもりだ?」
「うふふ、そんな怖い顔しなくてもいいわよぅ」
対するイヴさんは余裕の表情でひらひらと手を振った。
「千歳の願いは『アタシが飽きるまで人として生きること』よ。アタシはまだまだ遊び足りないから……そうね、この子が老いて死んでからどうするか考えることにするわ。それまではせっかく久々に会えたんだし、お喋りしながらゆるりと待つことにしようかしら」
「はっ。死神に目を付けられるわ、悪魔にストーキングされるわ、災難だな」
「ふふ……ええ、そうですね」
頷きながらも、どこか暖かく、真奈ちゃんは笑った。
まあイヴさんが悪魔で、真奈ちゃんと浅からぬ因縁があって、別に今すぐどうこうって話じゃないならあたしは別にいいんだけど……。
と、その時。
ちゅどおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉんっ!!
「きゃっ……!?」
「な、なに!?」
「この気配は……」
「あっち……ユーちゃんが行った方!」
突如轟いた爆音に全員が身構える。音はユーちゃんが壊しに行った封印……消去法でいって、ミオ様が柱にされていた方から聞こえてきた。
四人でそちらの方に向かって駆け出すと、木々の奥の方からよたよたと疲弊した風体のユーちゃんが一人で歩いてくるのが見えた。
「ユっくん、大丈夫……!?」
「ぼ、僕は大丈夫。ちょっとびっくりしてコケただけだから」
「いったい何があったのよ。ミオ様は?」
「それが……」
ユーちゃんは何とも言えない顔をしながら、背後を指さす。暗くてよく見えないが、尋常ではない陰の気配が肌を刺すように伝わってきた。
ユーちゃんの指さす先には、空間にぽっかりと巨大な穴が開いていた。
* * *
「冥府」
兄貴が穴を調べるのを見ながら、何が楽しいのかイヴさんが笑いながら呟いた。
「死んだ人間が行きつく世界。現世が陽ならば冥府は陰、表裏一体の闇の世界。そこに渡ろうとする人間の魂を食べちゃうアタシたち悪魔は冥府の敵と言っていいでしょうね」
「一説によるとお前さんら悪魔が冥府を管理していて、悪魔を魂に食われることで冥府送りに、それ以外は天国にいけるって言うが?」
「それはあくまで海の向こうの人間が考えた死生観でしょ? 少なくともアタシはこれまで少なくない人間の魂をご馳走様してきたけど、冥府に魂を送ったことはないわよ。この子以外はね」
「お前さんのソレは送ったんじゃなくって見送っただけだがな」
ぱんぱんと手をはたきながら兄貴が立ち上がる。
「うん、まあ間違いなくこの穴は冥府に繋がってる」
「やっぱり」
ユーちゃん曰く。
柱から助けたミオ様は最初気を失ったままで、仕方なく背負って合流地点まで戻ろうとしたそうだ。しかしおぶろうとした瞬間――カッと目を見開いたかと思ったら「リィィィィィィィィィィン!!」とブチギレたように絶叫し、龍に姿を変えて空間をぶち破り大穴を開け、その中に消えたらしい。
ユーちゃんはその時の余波で吹っ飛ばされ、転んだそうだ。
そんな衝撃に巻き込まれて「転んだ」で済ますのもどうかと思うが、ともかく。
「ミオの奴がお冠で助かったぜ。何も考えずに冥府直行の大穴開けてくれたおかげで手間が省けた」
「そうね。陽の柱にされた三人を助けに行くのにどうやって冥府に行くのかが一番の課題だったから」
「ま、問題もあるがな」
大穴を見つめながら、兄貴がやれやれと首を横に振る。
その問題はあたしの目にも見えている。
最初は直径数十メートルはあった大穴が、どんどん小さくなっている。
「不完全とは言え、冥府に柱がある限り陰陽分離の術は作用し続けるらしいな。穴が小さくなってるのはその修復作用だろう」
「だったらこんなところにいないでさっさと突入しちゃいましょ」
「待て馬鹿」
「馬鹿とは何よクソ兄貴」
さっさと穴に入ろうとしたあたしの肩を掴んで兄貴が止める。
言いたいことがあるならさっさと手短に言えっての。
「一つ、この穴はミオが冥府に『行くため』に開けた通路だ。魔力の流れ的に一方通行で、一度入ったら戻ってくることは困難だ」
「それはあっちに着いてから考えたらいいんじゃない? 三人を助けて計画全部ぶっ潰してから、ゆっくりと。天使は普通に現世と冥府を行き来してるみたいだし、その入り口を使えば」
「その天使の親玉が計画の首謀者だって忘れてないか? ついでに、死神も協力体制にあると考えるべきだ。向こうで一暴れすんのはほぼ確定だろうが、その後大人しく俺たちに道を使わせてくれると思うか?」
「あー……」
「死神はもしかしたら何とかなるとしても、天使との戦闘は避けられん。何とか連中から逃げて、一方通行のこの大穴をゴリ押し上等で逆走するとして、その頃にはもう閉まってるだろこの穴、というのが二点目」
「…………」
つまり三人を助けても戻ってくる手段がないと。
「でも向こうにいる妖怪たちをこっちに戻すために、どのみち道は作らないといけないから……」
「そっちについては考えがある」
ユーちゃんが首を捻ると、兄貴は懐から紙切れを取り出すと息を吹き込み、式神とした。
鴉の形に姿を変えた式神は麓に向かって飛んでいく。
「アレは……?」
「冥府の連中が戻ってくるための下準備。これで大丈夫だが……残念ながら、その道で戻ってこれるのは人外だけだ。俺たち人間は通れねえ」
「それなら……一つ案があります」
と、真奈ちゃんが手を上げる。
「わたしがここに残って……穴が閉まらないように維持します」
「……やれるのか?」
兄貴が訝しげに問う。
確かに一見真奈ちゃんは平気そうにしているが、あたしとユーちゃんの忘却の術を解除した段階で魔力の底が見えていたはずだ。そこからさらに封印の破壊のために魔術を使ったはずだから、かなりカツカツのはず。
「大丈夫です……これがあるので」
言いながら真奈ちゃんがポケットから取り出したのは瓶の形をしたキーホルダーだった。中には、無色透明のガラスのような砂粒が半分くらいまで詰まっている。
「藤村先生に、万一の時に備えて、余裕がある時には魔力を結晶化させて保存しておくように、教わっていたので……!」
「……あいつはまた……とんでもねえことを教えるな」
兄貴が珍しく度肝を抜かれたような表情を浮かべる。
あたしにはよく分からないが、どうやら真奈ちゃんが取り出したそれは兄貴から見てもとんでもない代物らしい。うん、それはとんでもないわ。よく分からないけど。
「だったらさらに万が一のために、アタシもここに残るわね」
言いながら、イヴさんが真奈ちゃんの背後に回る。
「イヴさん?」
「アタシは良くも悪くも悪魔だからね。愛着があるもののためにしか動く気はないの。ユッキュンには悪いけどね」
「…………」
「そんな顔しないの。向こうに捕まってる三人はアナタたちの大切な人なんでしょ? だったらアナタたちの手で取り返しなさい」
「……はい!」
ユーちゃんが力強く頷く。
さて、決意が固まったところで。
「んじゃ、さくっと世界を取り戻しに行きますか!」
先陣きって。
あたしは時空の大穴に足を踏み入れた。




