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だい はちじゅうなな わ ~ドッペルゲンガー~

「ドッペルゲンガー」

 俺は胎内にいるようなまどろみの中、静かに追憶する。

「もう一人の己自身を幻視する怪異現象、もしくは怪異その物。ドッペルゲンガーを見てしまった者は、少しずつ自己を吸い取られていき、最終的には何者でもなくなってしまい、死に至るという」

 白羽(しらは)がドッペルゲンガーに魅入られたのは、六年前の夏も終わりのことだった。

 違和感に気付いたのは、母上が白羽の朝食の用意を忘れた時だった。その時は母上のうっかりで済まされ、俺と(あずさ)が笑っておかずを分けてやったのだが、それが丸一日三食も続くと何かがおかしいという話になる。

 その日の夕食の後、俺は母上に白羽について問うと――白羽とは誰か、と答えた。

 ぞっとして、すぐに白羽と梓の部屋に行くと、二人が喧嘩をしていた。


 梓曰く、知らない子供が自分の部屋で勝手に自分のぬいぐるみで遊んでいる、と。


 そう泣き喚きながら梓が指さしたのは、梓が家事を手伝って小遣いを貯め、白羽の誕生日に買ってやったくまのぬいぐるみであった。

 俺は白羽を部屋から連れ出し、「何を見た?」と問おうとして――最初に出た言葉は「お前の名前は?」だった。

 その己の問いに、俺は肝が冷えた。俺の中から、目の前の白い少女に関するあらゆるものが消えつつあると。

 梓と言い争い、すでに泣きそうになっていた少女は必死で「白羽」と絞り出すように答えた。

 俺もまた必死に少女の目を見つめ、それ以上俺の中からつながりが吸われないように今度こそ「何を見た?」と問う。すると少女は「昨日、自分とそっくりな子供と公園で遊んだ。今日もその子と遊んだ」と答えた。

 目の前の少女が口にするそんな無機質な口調の回答に焦燥を覚えながら、俺は少女を腕に抱きながらその公園を目指した。


 本来ならば連れて行くべきではなかった。


 少女は既に二度、ドッペルゲンガーを見ている。三度、そのドッペルゲンガーの元に連れて行くなど愚行もいいところだ。しかし腕に抱きながらもどんどん存在感が薄れていく少女のことが恐ろしくて、そばに置いておかないと何故外に飛び出したのかも忘れてしまいそうだった。

 公園に着くと、一人の少女がシーソーに腰かけてこちらを無言で見ていた。

 姿形こそ、腕の中の少女と同一だが――口元には、似ても似つかない下卑た笑みを浮かべていた。

「自ら差し出しに来るとは、酷いお兄様ですわね」

「黙れ。返してもらうぞ」

「返す? 何を、誰から?」

 シーソーが上下した。

 見ればいつの間にか、反対側にもう一人の少女が座っている。

 さっきまで腕に抱いていた少女はいなくなっていた。

「「明日また遊ぶ約束でしたが、少し早まっただけですわね」」

 二人の少女がシーソーを漕ぎながら、俺に問う。

「「さあお兄様。どちらが本物でしょうか?」」

「……っ」

 息を呑んだ。

 さっきまで抱いていたのはどちらか、ほんの瞬きの間、迷った。

 しかしすぐに魔力を練り、名もなき妖刀を作り上げ、片方――濁りのある白い少女の方を斬り、封じた。

 だが。

「……正解ですわ。だからこそ、外れですわ」

「……っ!?」

 もう片方が嗤う。

 ほんの一瞬迷った隙に、ドッペルゲンガーは少女の全てを吸い尽くし、少女自身になっていた。

 俺が斬ったのは、少女に成り代わったドッペルゲンガー。少女の魂は妖刀に吸い尽くされ、後に残ったのは、全てを奪われた空っぽの肉体と、ドッペルゲンガーという抜け殻の怪異。


 気付けば、俺はドッペルゲンガーを手にした純白の妖刀で切り刻んでいた。


 元々、嘘と虚言と戯言と、悪意の塊の怪異現象だ。

 あの夜に起きたことで、何が本当で、何が間違いだったのかは今思い返しても釈然とせず、曖昧なままだ。

 それでも確実に言えることは、俺が間違えたということ。

 そして俺は自分の手で少女を――白羽を、この手で殺めたということだ。



          * * *



「送還術に詳しい術者ぁ? 残念ながら連盟(うち)にはいないなあ。少なくとも俺は知らない。逆の召喚だったら俺がある程度教えられるけど――いや、待てよ。一人、心当たりがある。連盟所属じゃないけど、君よりいくらか若いくらいの精霊召喚に特化した術者って話だぁよ。その少年は自在に精霊を精霊界から行き来させてるって話だ。彼と交渉すれば、送還術について一緒に考えてくれるかもね」

 世界的な魔術組織と敵対している魔術犯罪グループを率先して狩りながら半年、ようやく組織の幹部とお目通りが叶った。

 そこで話を聞いた少年術者――藤村(ふじむら)修二(しゅうじ)を訪ねに帰国すると、彼は絶賛お家騒動の真っ最中だった。

 曰く、祖父が院長を務める病院を隠れ蓑に、生贄による悪魔召喚の研究を行っているという。

 その時になってあの狸親父に一杯食わされたと気付いた。人材紹介のついでに、俺にきな臭い動きを見せた魔術師の掃討をやらせようという魂胆だったようだ。

 そして当の修二は祖父は実験材料として拉致された両親と妹を取り返そうと手がいっぱいのようだった。


 見捨てられるはずもなかった。


 荒事には慣れていないだろうに、家族のため、自分なりに手探りで対抗しようとしている少年を放ってはおけなかった。

 だがまあ結果として、全て丸く収まって大団円とはいかず、彼の両親は既に贄にされており、妹――アヤカも半ば、召喚された悪魔の肉片の一部と同化していた。

 肉片の大部分は魔界に叩き返すことに成功したが、妹の魂が同化していた眼玉だけはそうもいかず、修二が右目にアヤカごと封じるしかなかった。

『ありがとう、助けてくれて』

 間に合わなかったことを悔やんだが、肉体を失い、兄の右目に縛られることとなったアヤカは、それでも笑って俺に礼を述べた。

 そして俺自身、不謹慎とは思いつつ、アヤカについて悔やんでばかりもいられなくなった。

 それまで俺を突き動かしていた、白羽を殺めた事実からの逃避欲求の最果て――異世界への送還の目的が変わったのだ。

 悪魔の肉片が口にした『オ前ラ()()食ワセロ!』という言葉――その場にいたのは、俺と修二だけだったはずなのに。

 そこに至り、俺はようやく三人目――妖刀の中に白羽の魂が封じられていることに気が付いた。

 今まで白羽を殺した事実から逃げ続けたツケだろう。その時には当然ながら白羽の肉体は火葬されてこの世に存在しなかったから、魂を戻してやる手段がない。


 ないのなら、創ってやれば良い。

 創る手段がないのなら、探しに行けば良い。


 俺は修二と共に送還術の開発を進めた。

 精霊の召喚送還ならば、その歳で修二の右に出る者はいなかったが、人間の送還となると話は別だ。理論の基礎はあれど、その上に立つ土台はこねくり直さねばならない。しかも、妖刀に封じられた魂に新たな肉体を与える方法なんてピンポイントな技術の存在する世界に行かねばならない。結局、送還術が完成するのにさらに半年がかかった。

 逆に言えば、半年程度で完成したのだ。

 それもこれも、どこかの万物を知る世話焼き神獣が、アーティファクト級の魔導具をいつの間にやら俺の懐に忍ばせていたおかげだった。まったく、俺は修二もそうだが、あのエロ保健教諭にも足を向けて眠れなくなってしまった。



          * * *



「武具に魂を込め、仮初の肉体を与える術――ええ、昔々、それこそ、私が人間だった頃にそんな方法で技術を相伝する鍛冶師の一族がいたと聞いたことがあります」

 異世界に渡り数年が経った頃、どっかの死霊魔術師(バカ)が復活させた魔王級の吸血鬼がそう頷いた。

 己を一瞬でも操った死霊魔術師に怒り狂い、肉片一つ、魂の一欠けらも残さず喰らい尽くし、そのまま食欲に任せて世界を喰らおうとした吸血鬼をなんとか組み伏し、屈服させ、隷属化させて、ようやく成立した対話がそれだった。

「ですがその頃でさえ既に噂に残る程度の情報しかありませんでした。一時は大半を失ったこの世界に残っているでしょうか?」

 その失われた大半の原因である吸血鬼は、生まれて初めて人間に隷属させられるという快楽に浸りながら、他人事のように首を傾げた。

 このヤロウと悪態を吐きつつ、根気よく「お前は武器まで喰ったのか」と問いただす。吸血鬼は「そう言えば記憶にないですね。硬そうですし」としれっと答えた。

「ならこの世に一振りくらい残ってるだろ。文字通り魂が込められた魔剣だ。そうそう朽ちてたまるか」

「私が人間だったのは500年前……封印されていた年月を含めると5000年以上前ですけど、朽ちずに残っていますかね?」

「…………」

 とにかく、探すしかなかった。



          * * *



「答えとして、一時的に肉体をしつらえてやることは可能だ。だが形状の保持はどれだけ長く見積もっても一日が限界だ。肉体を真っ当な人間の様に成長させ、老いらせることは不可能。そんな技術はこの世界には、いや、俺が知るどこの世界にも存在しない」

 俺が体感で何十年とかけて集めた知識を綴った魔導書の束を返しながら、黒髪黒瞳の魔法士はそう結論付けた。

「不可能である原因は?」

「単純だ。術式に耐えうる素材が存在しない。純度の高い魔石だけで作ったゴーレムならば可能性がなくもないが、そんな石くれ人形をあんたは妹と呼べるのか?」

「…………」

 沈黙。

 俺が異世界で積み上げてきた全てを崩されたような気分だった。

 そんな俺を見かねたのか、魔法士は渋々といった風に口を開いた。

「俺が知る世界の技術では存在しない、と言ったろう」

「……お前さんが知らん技術なんてあるんか?」

「万物を知るなど豪語するほど己惚れていない。……賢者の石」

 魔法士が呟いた。

「あ?」

「俗に賢者の石と呼ばれる魔導具……それがあれば負荷を軽減させるよう術式を組み直し、さらに強度面をクリアした素材配分を見極め、全く新しい肉体(ホムンクルス)を作れるかもしれん」

「賢者の石なんて、俺たちの世界でも口にしたら絵空事扱いされるアーティファクトじゃねえか。魔剣だけでも探すのに何十年とかかったんだ。この世界がいくら時間の進みから取り残されているとは言え、今度は何百年かかる?」


「その賢者の石がごく最近、標準世界ガイア――あんたの生まれ故郷で発見されたと言ったら?」


「…………」

「所有者は年端もいかん幼少の魔術師だ。……だが賢者の石の叡智をフル活用して、ありとあらゆる機関から逃げ果せている」

「……はっ」

 俺は軽薄に笑った。

 この口ぶりでは、この魔法士もそいつに逃げられた経験があるらしい。こいつに無理ならあの世界の誰も捕まえることはできないだろう。

「いいじゃねえか。そそるねえ……!」

「……ふん」

「だが目下、問題がある」

「何だ」

「帰り方が分からん。送還か転移の術式教えてくんねえ?」

「…………」

 魔法士はむっつりと眉を顰めた。



          * * *



 黒髪の魔法士との出会いから体感数年――異世界で築いた諸々の関係の後片付けを済ませ、生まれ落ちた世界に戻ってきた、今年の春。

「お久しぶりですね。こうして会うのは体感では何年ぶりですか?」

「……こっちに帰って見る久々のツラがあんたっていうのはなかなかに辛いんだが?」

 某国の喫茶店で新聞をチェックしながら茶を啜っていた俺の前に現れた冥府の死神局長――リンは、相変わらず能面の方が表情豊かに思える鉄面皮で、俺の茶請けの菓子に勝手に手を伸ばした。

「それで? あんたの仕事はもう終わりだろう? まだちょっかいかけるつもりか?」

「確かに、異世界に迷い出てしまった魂の行く末を管理するのは(ワタクシ)直轄の任務です。貴方がこうして生まれ出た世界に戻ってきたことで、貴方に対する任務は終わりましたが――それまでに築いた関係を無にするというのは無粋ではないでしょうか」

「つまり?」

「貴方に仕事を頼みたく」

「報酬はあんたら死神の、俺と周辺人物への不干渉。プラスで金は言い分だ」

「良いでしょう」

「…………」

「何を条件を口にした方が呆けているのです?」

 菓子が口に合わなかったのか、テーブルに置かれた角砂糖を齧りながらリンは自分で注文した紅茶を口にした。

 まさかこの条件を即断即決で飲まれるとは思わなかった。

 自分で言うのもなんだが、相当無茶な注文だったはずだ。

「貴方が異世界に渡った理由を考えれば自然と辿り着く条件です。そして貴方に頼みたい任務というのはそれくらいは飲んでも問題ないほど重要性が高い。内容は――とある悪魔の捕縛です」

「悪魔の捕縛? そんなもん、死神のトップが一術者ンとこまでわざわざ足運んでまで頼むようなもんじゃねえだろ。下っ端死神が片手間でやれる雑務のはずだ」

「それが少し特殊な事情がありまして。貴方に、ぜひとも頼みたいと思います」

「何故だ」

 尋ねると、リンの眉が少しだけ動いたように見えた。

「その悪魔、どうにも月波市で召喚されたようなのです」

「…………」

 呑まざるを得ない任務だった。



          * * *



 今思うと、あれは俺の拠点をこの街に縛り付けるための任務だったのだろう。陰陽分離の術に必要な陽中の陰の柱として、俺程うってつけの人間はこの街の関係者にはいない。なんなら、あの少女が行った悪魔召喚もリンが炊きつけた可能性すらある。

 しかし妙だ。

 そんな回りくどいやり方で俺をこの街に縫い付けた割には――計画がガバガバだ。

 大元は浄土管理室長が練ったとしても、細かいところはリンが突き詰めたはず。逆転の一手となり得る要素をわざわざ街に呼び、留めておく理由は? そもそも、魔についての記憶の「忘却」なんてあやふやな手段を選んでいる時点で不自然。本気で俺たちを罠にはめるなら記憶の消去をするべきだ。忘却よりは難易度は上がるだろうが、全体からすれば微々たる差だろう。

 ……まあいい。

 何にせよ、リンは俺たちに絵図をぶち壊す一手をあえて残した。

 その理由についてはあとでゆっくりと、茶でも交えながら聞けばいいだけだ。

 白羽を蘇らせるために体感何十年と苦慮したんだ。今更一カ月二カ月待つなんて屁でもねえ。


「――っ!!」


 声がする。

 そうら、来た来た。思ったよりも早かったな。俺の意識が、まどろみの中から引き上げられ、視界が開ける。


羽黒はくろさん!!」

「よくやった。頑張ったな、真奈まな


 封印をぶち破り、灰色の瞳に涙を浮かべながらも柱から俺を引きずり出した勇敢な魔術師を労い、俺はそっと頭を撫でた。

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