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だい はちじゅうろく わ ~天使~

 最後に現世で見た光景は、霞む視界の中に映る真っ白な天井と、こちらを覗き込む哀れみの表情の悪魔だった。

「……危篤だというのに誰も看取りに来ないのか。薄情な奴らだ」

 口調が崩れている。契約違反だぞ。

 そう思考すると心を読んだ悪魔──イヴは、くしゃりと顔を歪ませた。

「アタシは悔しいわ……子を産めなかったと言うだけで誰にも認められず、あなたのような魔術師がただ死ぬなんて……!」

 なんで自分の体を治してって願わなかったの、と、イヴは契約の印に与えたうさぎのぬいぐるみを抱きしめた。

 仕方がない。今の世界はそういう仕組みなのだ。もしかしたらあと何十年かしたら変わるかもしれないが、残念ながら「わたし」がそれを見ることは叶わないだろう。

千歳ちとせ……転生しても、アタシは絶対にアンタを見つける。どれだけ時間がかかっても、もう一度アンタを見つけ出してやるんだから」

 魂を回収して、契約を完遂するためかい?

 そう思考すると、イヴは静かに首を横に振った。

「アンタともう一度話すためよ。こんなくそったれな世界じゃなく、もっとアンタみたいな奴にもに優しい世界で……!」

 それは夢があっていい。これからしばらくこの街で人間として暮らすのであれば、夢くらい持っていた方が良いだろう。

 だけど叶わない。

 転生したら、「わたし」は「わたし」でなくなってしまう。これは本当に悲しいことだけど、わたしは彼女のことを覚えていられないだろう。

「だったら……」

 イヴがわたしの額に手のひらをかざす。

 一体何を……? そう考える間もなく、わたしはいよいよ意識が遠のいていくのを感じた。

 これが死というやつか。

 思いの外、静かなものだ。



          * * *



 やれやれ、そういうことか。

 わたしは温かな水の中を漂いながら、未だはっきりとしないしない視界に水かきが残る未熟な手のひらを写す。

 死後四十九日の裁判の後、悪魔の召喚という大罪を犯しながらも情状酌量の余地ありとして地獄送りにはされず、わたしは冥府内勤数十年の死神としての刑期を経て現世へと転生した。

 その際に元の人格と記憶は消されるはずなのだが──どういうわけか、こうして胎内にありながら元の記憶を維持している。

 間違いなく、イヴが何かしたようだ。

 やれやれ、あの子も存外寂しがり屋だな。魂を回収するために目印をつけるだけならばともかく、こんなおまけまでつけなくてもいいだろうに。


 言うなれば、()()()()()といったところか。


 しかしこれは彼女には悪いが、良くないな。

 これでは、本来私の魂に宿るはずだった新たな人格を殺してしまうことになる。上手くいけば二重人格として共存も可能かもしれないが、ここまで意識がはっきりしているとなれば話はそう簡単にはいかないだろう。これは良くない。悪魔とは言え彼女を人殺しにはしたくない。

 幸いなことに、胎外から聞こえてくる会話からすると両親は魔術師の家系らしい。年の離れた兄も一人いて、未だ若いながらも優秀な術者のようだ。

 言葉を発するだけの体構造が整ったら、折を見て伝えなければ。

 わたしの記憶と人格を封印し、本来育まれるはずだった人格に戻すように。


 ……まあ、この忘却を忘却してしまった「記憶の異能」は残ってしまうかもしれないが。



          * * *



(あずさ)ちゃん!!」

「はっ!?」

 流石というか何というか、意識が戻ってから覚醒、起き上がって身構えるまで一瞬だった彼女に嘆息しつつ、昂る感情を抑えきれずに彼女を抱きしめる。

「梓ちゃん……梓ちゃん……!!」

「え、ええ!? 真奈ちゃんどったん!?」

「梓ちゃん、わたしのこと、どれくらい覚えてる……!?」

「どうしたの突然!?」

「いいから……! 出会いから今日までのこと、出来る限り!」

「ええ……!? えっと、あたしのクラスメイトで友達で、この春に月波学園に入学して……」

「うん、うん……!」

「えっと……その、言いにくいけど……悪魔召喚しちゃって事件の引き金となった魔術師で――」

「梓ちゃん……!」

「ぐえっ!?」

 思わず抱きしめる腕に力がこもる。不意打ちの圧迫に梓ちゃんも変な声が出たが、それでもわたしの言った通りこれまでのことを口にしてくれる。

「が、学園祭ではコスプレ喫茶一緒にやって大盛況、ダンスパーティーに参加できた。夏休みには学習合宿一緒に行って……ああ、子龍の誕生の儀式、綺麗だったね……それと、あと体育祭ではビャクちゃんと組んで裏をかいて、あのもみじ先輩に一杯食わせて……」

「梓ちゃん……!! 良かった、思い出した……!!」

「思い出し……え?」

「梓ちゃん……一カ月と少し前……バレンタインの日のことは覚えてる?」

 梓ちゃんを抱きしめる腕の力を緩め、わたしも冷静になろうと一呼吸置く。じっと、梓ちゃんの鋭い光を宿す瞳を見つめる。

「バレンタイン……? えっと……あれ、何してたっけ……? チョコをクラスの野郎共に配った後、家から連絡が来て……そうだ、兄貴だ。街になんかヤベーのが送り込まれてて兄貴が一人で対処してるって聞いて、あたしはそっちの救援に……あ、あれ?」

 記憶が定かではないのか、首を傾げる梓ちゃん。

 やはり、あの日か。わたしは自分を問い質すように胸に手を当てる梓ちゃんに、そっと確認する。

「……気付いたら翌日自宅で目が覚めて、普通に休日を過ごして、月曜日普通に学園に来た?」

「そ、そう……何事もなかったみたいに街は普通で……兄貴を襲ってたデカブツのことなんて頭からすっぽ抜けてて……ううん、そもそも兄貴のこと自体、記憶に……!?」

「そう……」

 わたしはゆっくりと、この一カ月に起きたことを梓ちゃんに伝える。


「バレンタインの夜に二匹の怪物が月波市に放たれて、翌日街から全ての妖怪と()()()()()が消えた。友人が、知人が、隣人が消えたのに、残った人たち――人間は、そのことに何の疑問を抱かず、まるでそういったことを忘れたみたいに普通に過ごしてたの……忘却することを忘却してしまっている、わたし以外」


「……っ!? よ、妖怪が全員消えた!?」

「……妖怪だけじゃない。あれだけいた半妖も、幽霊も、神様も、世間的に非日常(オカルト)って呼ばれる存在が全て姿を消したし、異能を持っている人たちも自分の力の存在を忘れていた」

 半分に減った生徒と教員数に合わせたクラス替えに粛々と応えて教室を移動し、当たり前のように授業を受けていた。街を行きかう人数が激減しても誰も疑問に思わず、それまで魔導を探求することに人生を掲げてきた人たちは別の物に執着していた。神社やお寺、お墓など、誰もが見えていないかのように素通りしていた。

 調べた限り、この一カ月半の間に亡くなった方は葬儀すら行われず、死神とも違う何者かによって遺体を処理され、魂は冥府ではないどこかへと消えていった。

 みんな、それが当たり前であるかのように受入れ、普通に生活を送っていた。

 頭がおかしくなりそうだった。

 それでも。

羽黒(はくろ)さんに……梓ちゃんたちのこと、頼まれたから……! わたし、頑張って……頑張って……!!」

「うん、うん……! 落ち着いて……ありがとう、ありがとう……一人で辛かったよね。ありがとうね……!」

 いつの間にか、わたしの方が頭を撫でられ、慰められていた。眼鏡のレンズにはいつの間にか涙が溜まって、前が見えなくなっていた。

 わたしはそれから、しばらくまともに声を発することもできずに、梓ちゃんに抱き着いていた。



          * * *



「整理しよう」

 わたしが落ち着くのを待ってから、梓ちゃんはぴんと指を立てた。

「あたしらは街ぐるみで何者かの策略に嵌って、人間とそうじゃない者に分けられた。そして残った人間は彼らと、自分の異能についてすっぱり忘却してしまっていた。完全記憶能力を持つ、真奈ちゃん以外」

「うん……そしてその方法だけど、この一か月街中を調べつくして分かったんだけど、理論自体はかなりシンプルみたいなの」

 太極図――門外漢のわたしでも知っている、陰陽道の基礎的な考え方だ。

「あたしら人間を陽、それ以外を陰と扱って分離……そうなると、自然と皆がどこに拉致られたかは明白ね」

「うん。現世が陽とするなら……対となる、陰の世界――冥府」

「この街の人外ウン十万を一気に冥府送りにするために複雑な術は使えなかったってところかな。シンプルゆえに威力は絶大だけど、一回見破っちまえば対処は簡単ね」

「術の基点……柱として選ばれたのは六人。陽の柱として、ビャクちゃんともみじさん、白羽ちゃん。陰の柱として、ミオ様と羽黒さん、そして――イヴ」

 わたしは深く息を吸い込む。


 この街が陰陽に分かたれたあの夜、一人の人生の記憶がわたしの奥深くから溢れ出た。


 体が弱く、ようやく授かった子が亡くなりそのまま起き上がれない体となって――嫁いだ家から、追い出された女性の記憶。彼女が病床で唯一友と呼ぶ悪魔により完全記憶能力を与えられ、転生後も生前の記憶を保持していた。

 彼女の魂に新たに宿るべき人格に影響が出ないか憂いたその女性は、言葉を発せられるようになると両親と兄に自分の人格と生前の記憶を封印するよう頼み、術が施された。

 封印は上手くいき、彼女の人格は魂の奥深くに記憶と共に沈んでいったが、悪魔に授けられた記憶力だけは残った。

 その封印が陰陽が分かたれた時に消滅してしまい、彼女――千歳さんがわたしの中に、戻ってきた。


『やれやれ、無粋な真似をする者もいたようだね。まあ下手人のおおよその見当は付くけれど』


 封印が解かれた直後、久方ぶりに魂の表層に浮かび上がってきた千歳さんは深く嘆息し、一つの体に二つの人格という不安定さが肉体に及ぼす負担を考慮してか、『機会が来るまで奥で眠っているよ。この体は君の物だ、自由にしなさい』と言い残し、すぐに自ら深層へと潜っていった。

「イヴって……あの、射撃部のヒトよね? 夏合宿の時に教師役で一緒に来たユーちゃんの部活の先輩」

「うん……それがどうにも、『わたし』と浅からぬ因縁があるみたいなの……」

「へ?」

「それは……うん、今度時間があったら」

 それにしても、柱にされた「あの子(イヴ)」と因縁のある「わたし(千歳さん)」がたまたま同じ街に集まり、陰陽分離の術式を覆す要因となった? 術の主犯である、遠目に見ても異様なあの陽気の塊みたいな人物とは別の陰謀を感じずにはいられないが、それはこの一カ月半、いくら考えても答えは出てこなかったし、途中で無意味だと気付いて考えるのはやめた。そこを突き詰めても皆は戻ってこないし、何者か知らないが分離を邪魔しようとしているのであれば便乗させてもらうだけだ。

 結局のところこの街を元に戻すには、忘却を忘却したわたししか動ける者がいないと気付いてからは覚悟を決めた。

 ――この街に救われた恩を返せる。

「陰の柱にされた三人は、陽中の陰として現世に封印されて隠されてるんだけど……この一カ月半でようやく場所の見当がついたは良いとして、遠くからの解析だったから詳細まではつかめなかったけど封印が強力なうえに、三か所同時に壊さないとすぐに修復されちゃうみたいの」

「で、まずはあたしに掛かってる術を無理やり解除したってことか。どうやったの?」

「……わたしが召喚しちゃった悪魔――あの力を、模倣してみたの」

 あの名もなき下級悪魔は黒い炎を生み出し、人間の魂――生気を喰らっていた。

 その時の感覚は幸か不幸か今でも鮮明に覚えている――この辺りも、わたしが何者かの陰謀を感じずにはいられない点なんだけど、今は無視して――それを応用して、陰陽分離の術式を喰らう炎の術を作り上げた。

「でも効果重視で理論を一から組み上げたら魔力のコスパが悪くなっちゃって……この後に色々あることも考えると、二人分くらいしか解除できそうにないの」

「なるへそ……でもさ、自分でいうのもアレだけど、貴重な一枠をあたしに使って良かったの? もっと強力な術者なら、この街にはいっぱいいるじゃん。うちの親父とか、ミサちゃんとかショウさん……は、半妖だから冥府(あっち)に送られてんのか。ウッちゃんなら火力はなくても作戦練るのは超人的よ?」

「うん……でも、三か所同時に封印を壊さないといけないから……息が合う人じゃないと、厳しいかもって……」

「あー……強力な術者って、良くも悪くも我が強いから……」

 ポリポリと俯いたまま頭を掻く梓ちゃん。廊下が薄暗くて隠せてるつもりなんだろうけど……なんだか嬉しそうに小さく笑みを浮かべているのが見えている。

「あれ、じゃあ藤村(ふじむら)先生は? あの人なら誰とでも合わせられるでしょ」

「さっき、消えたのは三人って言ったの、覚えてる……?」

「……まさか」

「分離の術とは別に、柱の三人を隠蔽する術式として藤村先生の魔眼が使われてるみたいなの……それも、現世と冥府の狭間で。人でありながら魔を宿すから、陰でも陽でもない、境目の点としての役割のつもりなのかな」

「なるほどね……そういうことなら、あたししかいないわな」

「そして……もう一人選ぶなら」

「言うまでもないわ」

 梓ちゃんはニカッと笑い、携帯電話を取り出して地図アプリを開いた。



          * * *



「ふんぬっ」

「ぎゃあああああっ!?」

「よっしゃ真奈ちゃん今だやったれ!!」

「…………」

 部活帰りの帰宅路を熟知していた梓ちゃんが待ち伏せポイントを指定し、そこに口笛交じりでやってきたユっくんを梓ちゃんが背後からドロップキックで蹴り倒し、そのまま十字固めで拘束した。街を元に戻すという大義がなければ普通に暴漢だよ……。

「ごめんねユっくん……! 大人しくしてて……!!」

「え、何!? は!? ぎゃあああああっ!!??」

 そこに、手の平に黒い炎を浮かべた私が頭部に押し当てる。忘却の術式は脳に直接作用しているからこうするのが一番魔力的にエコなんだけど……パッと見ではわたしも梓ちゃんのことをとやかく言えない。人の顔に火をつける不審者だ。

「……はっ、ここは……!? そうだビャクちゃん!!」

「気が付いたわねユーちゃん。実はかくかくしかじかで――」

 効果てきめんで術が解けたユっくんに、魔力の底が見え始めて息切れをしていたわたしの代わりに梓ちゃんが説明する。やっぱり梓ちゃんの術を最初に解いて正解だった。逆だったらここまでスムーズに行かなかったかもしれない。良くも悪くも梓ちゃんはユっくんに遠慮というものが存在しない。

「くそ……そんなことが……!! 朝倉(あさくら)、ありがとうな」

「ううん……いいの。二人が戻ってきてくれて」

 梓ちゃんから話を聞いて、ユっくんが怒りで拳を震わせながらも真っ先にお礼を口にするユっくん。やっぱりこの二人は温かいなあ……。

「それで、三人が隠されてる場所は?」

「流石ユーちゃん話が早いぜ」

「場所は、月波市で一番陰の気が強()()()場所って言ったら……ユっくんはすぐわかるかな」

「……っ!! 辰帰川の源流部か……」

 前にユっくんから聞いたことがある。

 この街が妖怪が集まるパワースポットとなり得るその理由……延々と瘴気を吹き出す殺生石の欠片が街外れの山中に封じられていて、その瘴気を土地神のホムラ様がこしとり、浄化して土地に流すことで毒気のない妖気が溜まる特異点となっていると。

 その話を覚えていたから、わたしはこの一カ月半の間、休日の昼間は山中を探し回る生活を送っていた。そして先日ようやく、その殺生石が封じられていたと思しき場所を見つけたのだが……。

「どうにも、殺生石も冥府に送られてるみたいなの……それもあって探すのに時間がかかっちゃった」

「ふん、徹底的に陰気を排除してるみたいね」

「で、その跡地に三人がいると。……それ含めて、やっぱなんとかしないと。冥府に連れて行かれた三人と次元の狭間に閉じ込められてる藤村先生はもちろんだけど、アレを取り戻さないと皆が帰ってきても現世に留まれない」

 あの毒気のない妖気のおかげで、妖怪は人を喰わず、幽霊は怨霊化せず、神は荒ぶらず、人に交じって現世に留まっていたのだ。何とかしないといけないことは山積みだ。

「でも差し当っては現世組の解放ね」

「うん……こっちの柱がなくなれば術のバランスが崩れて少しずつ皆思い出していくだろうけど……」

 冥府に連れて行かれた皆をどうやって連れ帰るかは、それが終わってから羽黒さんたちを交えて考えよう。

「行こう。最短距離は僕が案内する」

 言って、ユっくんはわたしたちを連れて歩き出した。



          * * *



「あそこに祠があったはずなんだけど……」

「祠ごと持ってかれてんじゃん。あと、謎の見張りが複数」

 日が暮れて足元もおぼつかない山中をろくに明かりもつけずに歩くこと数時間。ようやくポイントに到着し、木の陰に隠れながら様子を窺うと、白い衣に身を包んだ謎の人物が十人ほど、周囲を警戒するようにたむろしていた。

「もしかしてあたしらの術が解けたのバレた?」

「ううん……あの見張りはわたしがこの場所を見つけた時からいたよ……」

 それに……。


「ふわあ……」

「だっりいなあ……」


「緊張感皆無ね」

「見張りとして失格だな」

 この距離でも聞こえてきた欠伸と呟きに戦闘民族二人がばっさりと切り捨てる。まあでも、敵が来るなんて想定してない、念のために置かれた見張りの士気なんてこんなものだろう。

「でもどうしよう……冥府の遣いであることは間違いないから、下手に動くと――」


「あたしが中央から左方向に向かって突っ込むからユーちゃんは右方面お願い」

「うす。三つ数えたらどうぞ」

「3、2、1、GO!」


「え、は!? ぎゃあああああっ!?」

「なんだ!?」

「こいつらどこから……うわあああああっ!?」


「…………」

 そう言えば、こういう人たちだったね……。

「真奈ちゃーん、もういいよー」

「朝倉ー、手袋して、その辺の木に絡まってる蔦持ってきてくれない?」

 瞬く間に冥府の見張り部隊を制圧してしまった二人が振り向き、手を振る。わたしは、ふうとなんとも言い難い感情を溜息と共に吐き出し、手袋をして言われた通り蔦に手をかける。……これ、ツタウルシじゃない。これで縛るつもりなのかな……えげつないなあ。

「よーし、ふんじばったれ」

「ついでに顔にも擦り付けたろ」

 蔦の束を届けると、手足をわざわざ露出させた上に縛り上げ始めた梓ちゃんとユーちゃん。ついでとばかりに蔦を編んでさるぐつわにして口にも噛ませた。敵ながら同情せざるを得ない。

「うっ……はっ!? な、なんだ貴様ら!? 何故術が使える!?」

「お、もう目覚めたか」

「ちょうどいいから色々聞こうぜ」

 順に縛り上げて言っていたら、最初の方のヒトが意識を取り戻した。そして自分の身動きを封じられていると気付くと、キッと襲撃者二人を睨みつけた。

「くっ……私は決して口を割らんぞ!」

「あ、そう。ユーちゃん、釘と金槌」

「釘と金槌!? 何に使うつもりだ貴様!?」

「はい、梓」

「貴様も平然と取り出すな!?」

「あたしが質問して、一回無視すると一本、二回すると二本打ち込むわ。……足の指の関節に」

「ぎゃああああああああああっ!!??」

「……うーん、やっぱり、かなり強い封印だなあ……」

 後ろから聞こえてくる涙交じりの悲鳴を努めて聞かないようにしながら陰陽分離を隠す封印を調べる。分離の術自体の強度はそれほどでもないのだが、きっちり蓋をされている方が問題だ。やっぱり藤村先生が核にされているだけあって、強度が違う。

 先日遠目から解析した分と答え合わせをしながら作業を進めていると、背後から尋問を終えたらしい二人から声がかかった。

「真奈ちゃん」

「色々分かったぞー」

「そ、そう……」

 二人に尋問された白衣のヒトはさめざめと涙を流していた。足の指は……無事みたい。早々に口を割ったらしく助かったようだ。



          * * *



「天使」

 改めてツタウルシの猿轡を噛ませられた白いヒトを見下ろしながら、梓ちゃんが吐き捨てる。

「神が現世に遣わせる霊的な存在の総称ね。基本的には神からの伝令役だけど、他にも人の行く先を示したり、天罰を与えたり、悪魔と戦ったり……まあ要するに、神の雑用係ね」

「まあこの天使はあくまで役職としての『天使』であって……キシさんが『死神』であると同じく、冥府での役職の一部らしいぞ」

「天使……」

 よみがえった千歳さんの記憶を追う。彼女は死後、冥府で数十年ほど死神として魂の管理を行っていたそうだけど、その時に「天使」と呼ばれる役職を与えられた人間の魂と何度かやり取りをしていた。「死神」が要観察処分者の兵役であると同じく、「天使」もまた何らかの基準により選ばれた存在だ。その詳細な部分は千歳さんは興味が薄かったのか聞き及んでいなかったようだが、その天使を統括する組織が――

「浄土管理室……」

「え?」

「なに?」

 聞きなれない単語に梓ちゃんたちが首を傾げる。死神から魂の送還の任務を受託している一族でも聞かない言葉のようだ。

「冥府の機関の一つだよ。名前通り、極楽浄土の維持管理を仕事にしてるんだけど……そもそも浄土には地獄とは違って問題起こすような魂は送られないから、閑職扱いされてるの。でも、そんなでも冥府でもトップクラスの厳重態勢が置かれた異端な組織になってるみたい」

「朝倉、何でそんなこと知ってんの?」

「……ちょっと、訳ありで」

「あそ。今度教えて頂戴ね」

 前世の記憶を色々あって思い出したと言えば簡単に片付くが、ちょっとユっくんの前では言いにくい。だって千歳さんって……ユっくんのお祖父さんの最初の奥さんだよね……?

 そう言えば白羽ちゃんが戻ってきたとき、羽黒さんを探して迷い家に行ったけど、その時たまたま居合わせたユっくんの義理のお祖母さんたちが酔ってわたしのことを「千歳」と呼んでいた。アレは姿かたちではなく魂の本質を覗く妖怪としての習性から、封印の上からわたしの正体がうっすら見えたんだろうなあ。

 そうそう機会があるとは思えないが、なんだかユっくんのお祖父さんと顔を合わせにくい……。お祖父さんは千歳さんを本当に大切にしていたし、千歳さんが亡くなってからはやけっぱちの様に軍隊に入隊したらしい。それは千歳さんが唯一、死神として調べた現世の光景だった。

 ともかく。

「天使が見張りをしているってことは、その浄土ナンチャラってとこがボスってことでいいの? そいつぶっ飛ばせばいい感じ?」

「認識自体はそれで間違いじゃないけど……でも、そこの室長は倒すとか倒せないとか、そういう次元にいるような存在じゃないから……」

「具体的には?」

「……うーん、ホムラ様を何百人と集めても釣り合わない、って考えれば……」

「「何でそんなのに目をつけられたし」」

 顔を青くしながら率直な感想を述べる。まあ、そうだよね……。

「天使の話だと、その室長とやらは月波市みたいに人魔入り混じってる世界の在り方が気に食わなくて、世界を陰陽に二分したくて、その実験場としてこの街が選ばれたみたい」

「死神もそれに協力してるっていうのが妙に分からんところだよな。キシって、冥府じゃアレで相当偉いんだろ? その実験計画についてまったく聞かされてなかったみたいだった」

「……じゃあ、キシさんのさらに上……死神局長さんの独断協力? そんなことをするメリットはあるのかな?」

「死神の仕事はなくなるだろうね。そういう世界になったら、死神って役職自体が不要になるから」

「でもそれは局長さんが独断専行する理由にはならないよな。それこそ、死神局全体で検討しないといけないことだ」

「ってなると……脅しかな」

「確かに……浄土管理室長くらいの化物なら、それも可能かも……」

 千歳さんの記憶にある死神局長――リンさんは、とても脅しに屈するようなタイプには見えない。けれど相手が浄土管理室となると話は別だ。何らかの弱みを握られてしまったのだろう。

「……いや、今はそんなこと話してる場合じゃないな」

 と、ユっくんが思い出したように呟いた。

 そうだ、今は街がこうなってしまった理由よりも、元に戻す手順を考えないと。

「朝倉の言う通り、藤村先生を次元の狭間に据えて現世と冥府に置かれた柱を隠しつつ封印しているみたいだ。でもそれ自体は元々の計画にはなくて、後付けで、ちょうど良さそうな『素材』があったから室長が急遽作った封印術式らしい」

「陰陽分離の理論がシンプルなのもそうだけど、結構大雑把な性格みたいね。複雑な術式なんてない力押し上等のゴリ押し封印よ」

 ……なるほど。神様からみた人間の印象をビャクちゃんが口にしていたことがあったけど、室長も基本的に細かいことはできない……というか、認識できないのだ。きっと、柱にされた六人がこの街に都合よく集められたのも、リンさんが計画の細々とした部分を詰めていった成果なのだろう。

「じゃあ封印の見た目の強度に対して、そんなに解除自体は難しくない……?」

「めちゃくちゃ分厚いゴム風船に水をパンパンに詰めて、その中に宝物を隠してる感じ。爪楊枝じゃ無理でも、錐で一突きすりゃパァン! って感じよ」

「つーわけで、さっそく配置に着こう。柱の三人のポイントも聞き出せた」

 よっぽど二人の詰問が怖かったのか、単に口が軽かったのか、見張りの天使はそこまで口にしたらしい。閑職とは言え組織に所属しているのにそんなんで大丈夫なのかな。

 ともかく、二人が天使から聞き出したポイントに三人それぞれ向かうことにする。

「柱の場所はこの封印を中点にした一辺500mの正三角形の頂点にあるらしいわ。地図でいうと……ここ。歩いて行くとそこそこかかるから、今から30分ジャストで行動開始」

「了解」

「よろしくね、二人とも……!」

 携帯電話のタイマーを合わせて、三人同時に動き出す。

 一人で歩く夜の山道はとても怖いが、不思議と、不安にはならなかった。

 あの二人が一緒にいてくれている――その安心感が、心に浸透する。この一カ月半、挫けずに、わたしなりに戦ってきてよかったと思える。

「地図の場所は……ここ……!」

 たっぷり20分以上かけて山道を歩き、ようやくポイントに到着した。

 封印が強く、目の前に立っても誰がそこで柱にされているのかは分からないが――封印が強すぎるがゆえに、そこに何かがあるのが察せられる。

 わたしはその封印に手を当てる。

 梓ちゃんの言う通り、直に触れてみると術式に複雑さは感じられない。とにかく分厚い袋にしまってあるという感じだ。

「残り時間は……あと5分30秒……!」

 わたしは急いで魔術を構築する。

 構造はシンプルとは言え、その分かなり分厚いこの封印を破るには相当な火力が必要だ。あの二人ならば即座に出せる大火力も、わたしだと一つ一つ手順を汲んで構築していかないといけない。時間としてはギリギリだが――


『大丈夫だ。君はわたしでもある――どれ。一つ、手順を任せてもらおうか』


「……っ! はい……!」

 わたしの中から声が聞こえる。

 術の構築の一端を「彼女」に任せ、わたしは時計の針を数えながら同時進行で魔術を組んでいった。

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