だい ろく わ ~天狗~
昼休みのことである。
俺が愛妻弁当のたこさんウインナーを頬張っていると、職員室の入り口から見覚えのある黒ジャージツインテールのチビが姿を現した。
「あ、いた」
「いた、じゃねーよ」
口の中に残っていたウインナーを飲み込み、俺は箸を置いた。
「何の用だ鍋島先生」
「何の用だ、とはご挨拶ね。風間先生」
端から見れば険悪なやり取りにも捉えられる会話を交わしつつ、鍋島は俺の隣の席に勝手に腰掛けた。鍋島とは彼女が野良猫の時からの知り合いだ。この程度の軽口はもはや挨拶だ。
「で、本当に何の用だよ」
「ちょっとお昼をご一緒に」
「帰れ」
「何で即却下よ!」
突っ込みつつ、鍋島は持参した惣菜パンの袋を開けた。
焼きそばパンかよ。
「お前は学生か」
「失礼な。これでも先生です」
「中学生にしか見えねえ」
「映画とか中学生料金で通れるから便利なのよねー」
「ガキに見られるのがムカついてんのかラッキーに思ってんのかどっちだよ」
ちなみにバレたら年齢詐称で逮捕である。
俺はいっこうに構わないがな。
「どうでもいいけど、お惣菜パンの代表格と言えば、やっぱり焼きそばパンじゃない?」
「その意見に関しては何となく分かる気がするが、それにしても本当にどうでもいい話だな」
何だこいつ、本当に昼飯と雑談をしに来たのか?
「でもコロッケパンも捨てがたいのよねー」
「カレーパンとかもな」
「あ、そう言えばそうね。あとアンパンも!」
「それは菓子パンだろ」
「そっか。じゃあサンドイッチ」
「あれは……惣菜パンか……?」
「やっぱ微妙? あ、それと中等部の林業体験の引率手伝って」
「断る」
「だから何で即却下よ!」
「パントークにさらっと業務の話題を混ぜ込むな」
しかもそれほど上手く混ぜれてなかったし。
「で? 話だけは聞いてやる」
「……話だけなんだ……」
「この俺が話を聞いてやると言っているんだから、言うだけ言ってみたらどうだ」
「妙に堂々と格好いい感じで言ってるけど、絶対褒められたセリフじゃないよね。特にショウヘイちゃんの性格を知っている身としては」
失礼な。
今度下駄箱に鼠でも放り込んでやろうか――って、こいつは猫だった。むしろ喜ぶか。
「はあ……」
鍋島は小さく溜息を吐いた。
「今度、中等部一年の総合学習で林業体験をすることになったの。裏山の間伐とか枝打ち体験みたいなのをやらせたいんだけどね。でもうちの学年、林業経験がある教職員がほとんどいなくて引率が難しいのよ。大学からも呼ぶとしても、ついこの前まで小学生だった子達相手だとどうしても人手が足りなくて。それで高等部から林業経験のある教職員を借りてこようって話になったんだけど」
「ふーん」
俺は気のない返事を返しつつ最後の米粒一つ残さぬよう弁当を平らげた。
うむ、ご馳走様。妻よ、今日の弁当も美味かった。
「そもそも」
俺は弁当をしまいながら鍋島に向き直った。
「何で今まで放っておいて草ボーボーにしておいた裏山を手入れしようと思ったんだ? あそこ、中学生が入るのは少し危険だぞ」
「アタシもそう思ったわよ。でもほら、そっちの学年で、クラスは忘れたけど、オリエンテーリングやって怪我人出たじゃない」
「……………………」
うちのクラスだ。
俺は顔の筋肉が引き攣るのを隠すように頬杖を突いた。
「それでさすがにこれ以上の放置はマズイって事で大学の農学部が本格的に動き出したのよ。でも学生を動員しても人手が足りないってことで、中高等部の一年生に林業体験と言う名目で手伝って欲しいんだって」
「あー、はいはいなるほど」
それで大量の生徒を動員する事になったが、今度は引率が足りなくなったと。
「大学の自業自得じゃねえか」
「それもそうなんだけどさー。ねえ、いいでしょ?」
「……………………」
「ショウヘイちゃーん。いーでしょー」
……はあ。
俺は内心で溜息を吐く。
「オーケー。……やろう」
「やった!」
まあ、そもそもの原因がうちのクラスのあの鬼なわけだから、尻拭い的に俺が直々に出るのが妥当だろう。
思いのほか俺があっさりと引き受けたのが嬉しかったのか、鍋島はニコニコと笑いながらジャージのポケットから四つ折の紙を取り出した。
「当日の詳細はそこに書いてるから。あと何回か打ち合わせするから顔出してね」
「りょーかい」
俺は頷きつつ渡された資料に目を通す。
どうやら中等部の林業体験の舞台となるのは裏山の中でも麓の方のようだ。なるほど、あそこならウロチョロと落ち着きのないガキ共でもそれほど危険はないだろう。そして高等部が中腹付近、大学生が残りの範囲を担当するらしい。
高等部はともかく、学生共、ご苦労!
あの馬鹿馬鹿しい広さの裏山を重い鋸やらチェーンソウやらを持って走り回ってくれ!
* * *
林業体験当日。
運悪くと言おうか、運良くと言おうか、見事な快晴だった。もう雲一つなく清々しい天気なのだが、風もほとんどなく気温も高めだ。
こういう日は例え春先でも熱中症になる場合もあるため、生徒達には水分補給を小まめにするよう呼びかけなければならない。特に今日のように重い物を持って山道を登ったりすると一気に体中の水分が汗となって飛んで行ってしまう。
水分補給が重要なのは、人間はもちろん、俺達妖怪も変わらない。
変わらないのだが……。
「……おい。澤」
「ほい?」
俺の引率する班に配属された、小学生低学年と見間違うほど小柄な中学生女子を呼び止める。
澤はなぜ呼び止められたのかも分からずに、日によく焼けた健康的な肌の顔に満面の笑みを浮かべている。
「何すか風間センセ」
「何だそれは」
「それ、って、これ、っすか?」
「そうだ。お前が背負ってるその無駄にでかいザックは何だ」
「飲み水その他水分が入ってるっす」
「限度があるだろうが限度が」
小柄な澤と同等の大きさのザックを指差しながら、俺は溜息を吐く。
よくもまあここまでそれを背負って来たものだ。
「つか、その他水分って何だよ」
「お皿の水が乾かないようにっす」
「ああ」
その言葉で合点がいった。
「そう言えばお前、河童だったな」
「イエスッ! 頭のお皿の水が乾くと死んじゃいますんで」
人間に化けているためその頭には髪の毛だけがあるように見えるが、元の姿に戻るとそこには水を溜める皿があるそうな。
確かにこのような行事の途中で水分がなくなったら一巻の終わりだ。
だが。
「それでも限度があるだろうが」
何リットル持ってきてんだよ。
何日山にこもる気だ、その水の量。
「そんな巨大な荷物背負って山登る気か?」
「やっぱキツイっすか?」
「キツイどころか無理だっつーの。誰だよそんな馬鹿みたいな荷物持たせたの」
「ボクが下宿してるトコの管理人さんっす」
「どこだ」
「行燈館っす」
あのババアか……。
いや待て。確かあのババアはぎっくり腰で引退して、今年から新しい人が来たって鍋島が言ってたな。
「……………………」
どこの馬鹿だよ。
「山に登るって言ったら心配されたんすよ」
「心配しすぎだろ、それ」
「でも大丈夫っすよ。ボク、コレでも鍛えてるっすから!」
そう言って澤はザックを背負って無駄にその辺を走り回って見せた。
息がほとんど上がっていないため、小柄な体躯に似合わず確かに相当鍛えているようではあるのだが。
ものには限度というものがあろうに。
「にしても」
俺はちらほらと集まりだした中学生共を見る。
いや、正確には集まりだした中の一人を見る。
ワイワイとかしましい中学生の群れに混じらず、一人面倒臭そうに木に寄りかかってボーっとしているガキが一人。
中一にしては長身な、赤ら顔の少年。
「おい、澤」
「ほい?」
「あのガキ、どうしたんだ」
「ん? あ、紅くんっすか」
「紅?」
俺は鍋島から受け取った班の名簿に目を落とす。
一班十人の中の前半の方にその名前はあった。
「猿山紅、か」
「ういっす。この春からうちに入学したんす。でも何でも遠くから来たらしくて、知り合いもいないそうっす。ボクとは行燈館で一緒だから顔馴染みっすけど」
「ん? 奴も行燈館か」
行燈館を始めとする幾つかの下宿には遠い地方から来た生徒が寝泊りしている。それは知り合いもいないだろう生徒達に無理やりにでも声を交わす相手を作らせようという魂胆も入っているのだが。
それでもまだ入学して一ヶ月が経つか経たないかという時期だ。まだ友人ができなくても仕方がないといえば仕方がない。
だが。
「……いつまでも、ってーわけにもいかんわな」
「ほい?」
「何でもねー……いや、やっぱりあるな。おい澤。あのガキつれて来い」
「んん? ま、了解っす」
一度は首を傾げたものの、澤は素直に頷いて猿山の下に駆け寄った。
「ほいっす、紅くん!」
「ん……? あぁ、泉か」
「ちょっとこっち来なよ!」
「何でだよ」
「風間センセが呼んでるっす!」
「……分かった」
渋々、といった風体でこっちに来る猿山。
いや、呼んだのはこっちだが、そんな嫌そうに来られても対処に困るんだが。
「何でしょう、風間先生」
おーおー、直に声を聞けば不機嫌丸出しがよく分かる。
不貞腐れてるっつーより、心底人付き合いが面倒って感じだ。
「いや、別に用があったわけじゃねーんだがな。そろそろ点呼取るから近くにいろと伝えたかったんだ」
「そうですか」
それでは、と猿山は小さく頭を下げて近くの木に寄りかかった。そしてまた気だるい雰囲気を醸し出しながらボーっとする。
「うーん……」
「どうした澤」
その行動を見ていた澤が興味深げに唸った。
大人ぶってあごに手を当てているところとか、何かムカつく。
「似てるっすね」
「誰と誰が」
「風間センセと紅くんっす」
「あぁっ!?」
俺は反射的に嫌そうな表情を浮かべる。
俺と奴が似てる!?
「何で俺があんなヤル気なさげなガキと似てるっつーんだよ」
「自分で言うんすか、それを……」
「あ?」
「だって風間センセ、面倒臭がり屋じゃないっすか」
「馬鹿言え。俺は自分の仕事はちゃんと終わらせてからだらけてんだ。大違いだろうが」
「ははー、そうっすか。面倒臭がり屋の鏡っすね」
「……………………」
「痛いっ!? ぐりぐり! ぐりぐり止めてくださいっす!」
「そんなに痛がるな。ちょっとしか力入れてねーだろ」
「大人の妖怪のちょっとがどれだけの力があると思ってんすか!?」
まあそれもそうなんだが。
「だが子供とは言え妖怪の体がどれだけ丈夫だと思ってるんだ」
「うっ……」
黙りこむ澤。
だがそれは置いておいて。
「おーし、ガキ共。点呼取るぞー」
その辺で談笑している奴らにも聞こえるよう声を張り上げる。するとワラワラと俺の班の中等部の生徒が集まってきた。
……一体何人いやがる。
「よーし、適当に一列に並べ。先頭の奴、点呼一番から名前つきで言ってけ」
「ほーい。一番、澤泉っす!」
「二番――」
一人ずつ名前と並んだ順の番号を口にしていく。
そして最後の一人。
「――十八番。猿山紅」
相変わらずボーっとした声で猿山が名前を述べる。
つーか、おいおい。
「……一班十八人とか」
どんだけ人が足りなかったんだ。
林業体験なんて面倒なことをやるのに教師一人に対して中学生二十人弱とは。
「あーあ……」
面倒臭ぇ。
* * *
男子の班員と俺で重い鋸やら鎌やらの道具を持ち、歩きづらい山道を登っていく。
やはりそろそろ手入れの必要性が出てきていたようで、これ以上荒れると危険であると言えた。杉などの針葉樹が多いとは言え、もはや雑木林と言ってもいい植生に加え、下草は刺々しい茂みで覆われている。
俺は班の先頭を歩きながら手にした鎌でざっくりと道を作りながら進んでいく。
「はー、やっぱ手馴れてるっすねー」
「まーな」
この手の刃物は実に使いやすい。刈った草を脇に退けるにも便利だ。それに入山する前にしっかりと研いでおいたため切れ味もハンパじゃない。
正直、ガキ共には持たせられない切れ味となっている。
「よーし、着いたぞ」
目印となるフラッグが見え、俺は足を止める。
それを見て、これ幸いとばかりに班員のガキ共が汗を拭いながら持ち込んだ飲み物を飲んでいる。
「くはーっ! 生き返るっす!」
ゴッゴッと喉を鳴らしてペットボトルのスポーツ飲料水を一気飲みする澤。
さすがに妖怪とは言え、中一には辛かったか。特に澤は大量の飲み物その他水分を持ち込んでいるし。
つか、麓でこんなことになっているのだから、高等部や大学生が担当するところはどれだけ恐ろしいことになっているのやら。
「ふう……」
ふと気になって猿山の方を見る。すると奴も少なからず疲労の色を浮かべて水を一口飲み込んでいた。
どうやらあまり汗はかいていないようだ。
「水分は十分に摂っておけよー。汗が出なくても意外と失われてるからなー」
「ほーい」
班員が十分に水分補給を完了したところで、俺は持ってきていた鎌を全員に配った。もちろん、俺が研いだ鎌ほどではないが十分に切れ味は高いので、手渡す時に注意を忘れない。
「じゃあまず下草を刈る。全部は刈らなくていいぞ。枝打ちの時に邪魔にならない程度でなー。棘がある奴もあるから十分気ぃつけるよーに」
そう簡単に説明し、俺も自身の鎌を握って参戦する。
やはり密に雑草やら蔓やらが群生しており、歩きにくいだけでなく作業着代わりのつなぎを枝が容赦なく引っ掻く。いや、引っ掻くだけならまだしも、枝の棘が衣服の生地を突き抜けて肌を切りつける。
俺はそれほど気にならないが、山仕事を舐めてかかっていた女子連中がキャーキャーと悲鳴を上げながら必死でなれない鎌を振っている。さすがに男子は女子ほど騒がなかったが、それでも腕に切り傷を作りながら必死で下草を刈っていっていた。
こりゃ前途多難だ……。
午後三時には全ての作業を終えて山を降りなければならないが、この調子じゃ日が暮れてもまだ下草刈りをやるハメになってしまう。
と思ったが。
「……………………」
ザクザクザク。
「…………………………………………」
ザクザクザクザクザクザク。
「………………………………………………………………」
ザクザクザクザクザクザクザクザクザク。
無言で、無表情で、ひたすらに下草を刈る猿山の姿があった。
えーと……。
何だコイツ?
やけに鎌の扱いに慣れているが……。
いや、この場合は「鎌に慣れている」というより「刃物に慣れている」と言うべきか。
まあ何にせよ、猿山はあっという間に俺達が担当するエリアの四分の一の下草を刈り取ってしまっていた。
「速いっす……」
俺や澤、他の面々がポカンとその手際を見ていると、猿山は不意に顔を上げた。
「ん……?」
「すごーい! 紅くんスゴイっす!」
「え? 何が」
「すっごい手際いいじゃない! いやー、ボクたちそんな風に出来ないっすよ!」
「そ、そうか……?」
「うん!」
元気よく頷く澤。それに対し猿山はどことなく気まずそうに視線を外した。
……ほほう。
何となくだが、この面倒臭がり屋で面倒なガキの扱いが分かったような気がする。
「こいつは驚きだ」
「風間センセ?」
「お前、気だるそうに面倒がってるだけじゃなく、やる時はやるんだな」
「……別に」
猿山は視線を外したまま呟いた。
「さっさと終わらせて、帰りたいだけだし……」
「ま、何にせよ手際がいいことは良いことだ。おら、お前ら! 猿山見習ってさっさと終わらせて下山すっぞ!」
「ほーい!」
元気よく返事をする澤。それを合図に、他のガキ共も各々のペースでどんどんと下草を刈っていった。
結果として、一時間と経たずに歩きやすい程度に下草を刈り終えた。出発前に支給された無線機で鍋島に連絡をとったところ、向こうの班はまだ半分ほど残っているらしい。
「おーし、休憩が終わったら次は枝打ちだ。手本見せるから集まれー」
そう言って俺はここまでえっちらおっちらと運んできた鋸を手前の数人に手渡した。
それは普通の鋸ではなく、柄が長く、さらに伸縮できる特殊なものだった。
「まず低い位置にある枝を鋸で切る。それが終わったらこいつで高い位置の枝を切り落とす。だいたい柄の長さを最大にした高さまで刈ればいいからなー。落ちてくる枝は危ないから鋸持ってる奴からはなるべく離れるよーに」
そう言って俺は近くにあった杉の枝の根元に鋸の刃を当てる。そして二、三回柄を引くとすぐに枝は地面に落ちた。
そして同じことを高い位置の枝でもやってみせる。落ちてくる木屑や枝に数人の女子がやはりキャーキャーと騒いだ。
「こーすると木材にした時節目のないいい木材になるわけだ。別にここの木を木材にするかどうかは知らんが、ま、テキトーにやってくれ。鋸は数に限りがあるから各自代わる代わるにやるよーに」
「ほーい」
最初に鋸を持たせた数人が返事と共に適当に散らばる。その後を仲の良いのだろう数人が群れるように付いて行った。
そしてその場には俺と、やはりどこか面倒臭そうにボーっとしている猿山が残った。
「おい、お前は行かないのか?」
「……鋸、持ってないですし。飽きた奴から適当に借りますよ」
「ふーん」
やはりこいつ、扱いが面倒臭い。
やる気を出せば人並み以上に働くくせに、興味のないことにはとことんやる気を出さない。
「ま、いいけどな」
そう言って俺はおもむろに杉の木を見上げる。
かなり高いところに、切った方がよさそうな枝がいくつもある。だが高すぎてガキ共がどれだけ鋸の柄を伸ばしたところで届きそうにない。
「しゃーねーな……」
そう言って俺は近くでボーっと突っ立っていた猿山に声をかける。
「おい、離れてな」
「え?」
「危ねーから」
「?」
意味が分からないといった表情を浮かべながらも、猿山は一歩下がって俺の様子を窺うように見つめた。
それを確認し、俺は腕を掲げ――
パチン、と。
指を弾いた。
「!」
猿山は驚いて目を見開き、さらに二、三歩後ずさった。
そして俺の足元に、バキバキと途中の枝に引っかかりながら、太めの枝が落下してきた。
切り口は裁断されたように綺麗に木目が浮かんでいる。
「え……? 何を……?」
「んー? いや、上の方の枝は俺達教師陣が刈らなきゃならんのだがなー。いちいち木に登るのも面倒だったから『風』で切り落とすことにした。やることないなら手伝ってくれ」
そう言って、俺は猿山の妖怪としての名前を告げる。
* * *
「天狗」
呟いた声に、猿山は静かに耳を傾けていた。
「赤ら顔に高い鼻、山伏衣装に一本刃の高下駄、手には葉団扇で描かれる姿はあまりにも有名だよな。有名すぎて神格化してる奴もいるし。鞍馬の大天狗とか。まあ俺も大概、『風』を操る妖怪としては有名どころだが、お前ら天狗ほどじゃないな」
「……いつ、気付いたんですか」
「んー? 結構前」
俺は欠伸をしながら歩き出す。他にも切り落とした方がいい枝を探すためだ。
「天狗の纏う『風』は独特だからな。それに妙に刃物の扱いが上手かったし。あれ、鎌じゃなくて俺と同じく『風』で刈ってたろ」
「全てお見通しですか……」
ヤレヤレと猿山は首を振った。
「おれ、小学生の時は普通の人間が通う学校に通っていたんです。でもおれ、なかなか馴染めなくて、クラスでも浮いていて……。自分が妖怪だって気付かれないよう自分から話しかけることもなかったし。それで、当然友人もできないわけですよ。父様が気を遣ってくれて、この学園に入学したんです」
「ふーん」
「でも自分から話しかけるって、すごく面倒だし、そもそも長年の習慣でなかなかできるものでもなくなっていたし。……この妖怪だらけの学園でも、なんか気まずくて馴染めなくて」
「……………………」
なるほど、な。
「おい猿山」
「はい?」
俺は立ち止まって上を指差した。
その先には、生い茂りすぎた葉を付けた枝が生えていた。
「ちょっと上まで登ってあの枝切って来い」
「え? でも……」
「正直俺は面倒だし疲れた。同じ『風』の妖怪が班員にいるって分かったことだし、俺は暢気に見物させてもらうわ」
「え、ちょっと……」
「じゃ、頼むわ」
その手に無理やり予備で持ってきていた俺専用の鋸を手渡し、戸惑う猿山を残して俺はその場を離れた。
そして自分の荷物のところに戻り、水筒の中身を口にする。
魔法瓶に入った麦茶は冷えていて実に美味かった。
猿山の様子を見る。
奴は最初こそどうすべきか戸惑っていたものの、俺が完全に休憩モードに入っていることを確認すると、諦めたように木に登りだした。
木に登りだしたと言っても、それは普通の人間がなにやら器具か何かを使って登るようなものではない。
何てことはない、ただ地面を力強く蹴って一気に幹の高いところまで跳躍するのだ。
「……さすがは」
山の神の一族とも称される天狗である。
そして上空からゴリゴリと鋸を引く音が聞こえ、すぐに太い枝が音を立てながら落ちてきた。
バキバキバキ!
結構でかい音が響いた。
それを、それぞれのペースで枝打ちをしていた班員の面々が次々と猿山に気付いた。
「あれ、紅くんじゃないっすか!」
澤がダメ押しに声を上げて指差す。
それを聞きつけた他の連中も一気に木の上の猿山に注目した。
「おーい! 紅くん、何してるんすか?」
「え……別に、枝打ち、してるだけだけど……」
「マジッすか! そんなトコでよくできるっすね! スゴイ! 紅くんスゴイっす!」
「そ、そうか……」
照れたように俯く猿山。
猿山はもう大丈夫だろう。実質的にこの班の中心だった澤に「スゴイスゴイ」と連発されては、他の面子も自然と猿山に近寄ってくる。
後は若い者に任せるとして。
「はあ……面倒臭え」
俺は自身の荷物から連絡用の無線機を取り出す。
「うーっす。こちら風間―」
「はいはーい。こちらはミヤちゃんでーす」
「……定時連絡くらい真面目に受け答えしろ」
「あ、その対応はショウヘイちゃんだね」
「最初に名乗ったろう」
「そーでした。で、そっちはどう?」
「作業及び人間関係、共に順調」
「は?」
「何でもねーよ。そっちはどうだ」
「こっちも順調、と言いたいところなんだけど、ね……」
「あ? どーした」
「何かね、こっち妙に枯れた木が多くてさ。あっても邪魔なだけだからって切り倒すよう言われてね。ぶっちゃけ、中等部だけじゃ手に負えなくて困ってまーす」
「……………………」
「ねー、ショウヘイちゃーん」
「猫撫で声を出すな。気持ち悪ぃ」
「だって猫だもん。にゃおーん」
「あー、うっさい黙れ」
「と言うわけで手の空いた教師はこっち来て手伝ってねー。じゃないと皆帰れないから」
「あ、おい」
大声で無線機に呼びかけるも、ノイズに混じってツーツーと無機質な音が洩れるだけである。
あー……本当に面倒臭え。
班員の作業状況を確認する。
しかし、やはりと言おうか、澤や他の班員に褒め称えられた猿山が妙に張り切って作業を進めているため、もうすぐにでも終わりそうな状況だった。
はあ。
「おい、猿山」
「はい?」
呼びかけると、猿山はすぐに目の前に飛び降りてきた。
それだけで、背後の連中から「おーっ」と歓声が上がる。
「何でしょう?」
「これから鍋島先生の班を手伝いに行く。お前、付いて来い」
「え……」
「面倒、とか言うなよ? そのセリフは俺の専売特許だ」
「……………………」
「つーわけで、澤」
「ほいっす」
「お前、俺の代わりに下山引率しろ。途中少なくとも一回以上休憩を入れること。飲み物がなくなった奴が出たらお前の分を分けてやれ」
「了解っす!」
ビシッと敬礼をする澤。
これでこっちは問題ないだろう。
「よし、行くぞ猿山」
「拒否権は……ないんでしょうね……」
よく分かっている。
俺は猿山の首根っこを引っ掴むようにズンズンと鍋島の班がいる方に歩いていった。
まあその後は面倒な作業がひたすらに続いただけだったから詳細は省くが。
俺を始めとする林業経験者の教師陣と一部生徒が参加して夕暮れ近くまで枯れて中がスカスカになっていた樹木の倒木作業に追われたわけだ。
途中から参加した大学の講師たちも首を傾げながら作業を手伝っていた。
しかし、なぜに鍋島の班が担当した辺り一体だけがこうまでも枯れ木だらけだったのだろうか。
作業終了後、さすがに疲れ切って眠ってしまった猿山と鍋島を抱えながら、俺は疑問を胸に下山した。