だい わ ~妖怪のいない街~
「うん、美味しい」
穂波穂は大鍋から一口分のスープをすくい、口に含んだ。
学園の下宿先の管理を任されてからもうすぐ一年。大人数料理を作るのもだいぶ板についてきた。
「ただいまーっと」
「あら、お帰りなさい良樹さん。今日は早いんですね」
「春休みで講義もないし、バイトも休みなんで。一人でテキトーにフラフラと街うろついてただけですよ」
「一人って……恋人かお友達誘えばいいじゃないですか」
「恋人なんていませんよ! ダチも今日は都合がつかなかっただけっすよ」
曽我部良樹は苦笑しながら穂波穂の大鍋を覗き込む。そしてぎょっと目を見開いて苦笑を浮かべた。
「穂さん……こんなに作ってどうすんすか。うちの下宿、こんなに人数いませんよ」
「あら……?」
「まあまだまだ寒いですし、日持ちはしますかね。何日かに分けて食べますか」
言って、曽我部良樹は荷物を置きに自室に向かった。一人残った穂波穂は「確かに……何でこんなにたくさん作ったんでしょう?」と首を傾げた。
* * *
秋晴遊斗は、自宅の地下にある双子の姉、遊利のアトリエに足を運んだ。
「遊利、そろそろご飯だよ」
「んー……」
秋晴遊利は反応薄く、一心不乱にキャンパスに向かって筆を走らせている。普段は食い意地張っているのに、一回集中しだすと食事も睡眠も忘れるのは何とかならないものかと、苦笑を浮かべた。
それでも反応を見せたと言うことは声は届いている。少し待ってキリがいいところまでいけば振り返ってくれるだろう。仕方なく、秋晴遊斗はその辺に転がっていた椅子を起こし、腰掛けて待ちの体勢に入る。
「……あれ?」
ふと、アトリエの壁一面に描かれた絵画を見て首を捻る。
秋晴遊斗が修行に出る前、秋晴遊利と共に描いた作品なのだが──何故、花も葉もつけていない桜の老木をモチーフにしたのだったか。
* * *
「う~む……」
ごろりと天井を見つめながら万年布団に横になり、長谷川直行は「暇だ……」と呟いた。
先日無事に月波学園高等部の卒業式を終えたが、在校生より一足早く与えられた春休みを一人で過ごすのがこんなに暇だとは思わなかった。
月波学園高等部生の半数がそうするように、長谷川直行もまたエスカレーター式に進学できる月波大学を選択した。そのため、このボロいながらも居心地の良い借家から引っ越す作業もない。
よって完全に手持ち無沙汰だった。
「掃除でもすっか……」
一人で住むには広すぎるこの家の掃除は普段は必要最低限しかされていない。以前はもう少しマメに掃除していた気がするが、この一月ほどは目に見えて汚れていった。
「はー、誰か家賃折半して一緒に住むやつでも探すか?」
などと無為に独り言を呟きながら起き上がり、掃除機が閉まってある棚に手をかけた。
* * *
和田光輝は三年間通い詰めた風紀委員室の掃除をしていた。
「うん、よし」
普段は饒舌すぎて後輩たちから苦笑をもらう和田光輝だったが、流石に一人でいる時は言葉少ない。綺麗になった部屋を見て、無言でうんうんと頷いた。
特に理由もなく、推薦されるがまま三年間所属した風紀委員会だったが、それだけいると情も沸くというものだ。これが学園物のドラマや漫画だったら不良生徒の主人公のライバル、もしくは引き立て役としてキャラが立った学園生活を送っただろうが、幸か不幸か波風立たない風紀委員生活だった。それもまたおつなものだろう。
「三年間、お世話になったね」
風紀委員室の扉を閉じ、和田光輝は小さく呟いた。
大学は都心の大きな大学を選んだ……もうこの部屋に戻ってくることもないだろう。
* * *
「宇井ー、帰りどっか寄ってかないー?」
「あー、ごめん。ちょっと今日は帰るわ」
隈武宇井はクラスメイトの誘いを断り、そそくさと帰宅の準備を進める。
「宇井、最近付き合い悪くなーい?」
「ごめんごめん、ちょっと最近修行が本格的になってきてさ」
「修行って、実家の料亭? アンタ、婿とって全部押しつけるって息巻いてたじゃん」
「うーん、その野望は諦めてないけど、まあやっといて損はないし」
苦笑を浮かべながら教室をあとにする隈武宇井。それに苦笑で返したクラスメイトは「でも修行は前からちょくちょくやってたじゃーん。やっば最近付き合い悪いよう……」と呟いた。
* * *
「一本! そこまで!」
綺麗に投げ飛ばされた門下生に対し、兼山美郷は判定を下した。
「何度も言ってるでしょう!? 腰が軽い! 重心を低くしなさい!」
「お、押忍!」
「小休止挟んだらもう一本やるからね! 用意しておきなさい!!」
「押忍!!」
「次の組!!」
号を発して次の組み手を開始させる。礼をして畳の外に出た門下生は、はあ、と兼山美郷に気付かれないように溜息を吐いた。
「お疲れ」
「おう……なあ、最近師範、ピリピリしてね?」
「あ、分かる。俺も思ってた」
門下生同士が小休止がてら言葉を交わす。視界の隅には気迫が極まって殺気立ってすらいる兼山美郷が映る。
「なんつーか、昔を思い出すな」
「昔って?」
「師範がガキの頃……つっても、学園の高等部くらいの頃。あんな感じで苛烈が道着着て歩いてるみたいな感じだった。まあもっとヤバかった気もするけど」
「へー……」
この数年のうちに入門した門下生は、引き攣った笑みを浮かべながら曖昧に頷いた。今のアレよりヤバいとは、それはとんでもない凶器なのでは。
「でも、この数年は丸くなったってか、優しげがあったと思ったんだけど……何があったんだろうな」
考えても分からない事だが、それでも門下生たちの雑談は止まらない。
* * *
「梓、お疲れ」
「ホント疲れたわよ……頭おかしいんじゃないのこの学園。一人しかいない生徒会に終了式全部任せるって」
ゴキゴキと肩を鳴らす瀧宮梓。その腕には「会長」「副会長」「会計」「書記」「庶務」と書かれた腕章がずらりと並んでいる。
「この規模の学園の生徒会をあたし一人にやらせる? 学園側で誰かあと五人くらい工面してくれてもいいじゃん」
「立候補者いなかったからなあ」
「笑ってないで、ユーちゃん手伝いなさいよ。生徒会に入れば評点もらえるわよ」
「このまま月波大学まで行くつもりなので評点は最低限でいいです」
ノーサンキュー、と腕を前でクロスさせる穂波裕。薄情者め、と瀧宮梓は不服たっぷりに毒突く。
「まあ今のところ一人でもなんとか回せてるみたいだし、来年から本当にヤバそうなら手伝うくらいならやるよ。僕も部活があるから約束はできないけど」
「今言ったこと忘れんじゃないわよ? 顎でこき使ってやるんだから」
クスクスと笑う瀧宮梓に、顔を引き攣らせる穂波裕。早まったことを口にしたかと後悔し始めたところで、廊下の奥にクラスメイトの姿を見つけた。
「あ。朝倉」
「ホントだ。おーい、真奈ちゃーん、一緒に帰ろうぜー」
「朝倉は寮生だから一緒には帰れないだろ……」
* * *
朝倉真奈は手を振りながら近寄ってくる二人を見つめ、きゅっと、胸に手を当てた。
「待ってて……もう少し……もう少しだから……!!」