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だい はちじゅうよん わ ~太極図~

瀧宮(たつみや)羽黒(はくろ)……いい加減、大人じぐ、じろ!!」

「しつけえ!!」

 迷い家の神域に立ち並ぶ架空の家屋の屋根を跳び回りながら巨獣(ベヒモス)の腕を避け続ける。どういう目的か知らないが、奴は俺にしか興味がないらしく、神域を形成する舞香(まいか)には手出ししていないのが幸いだ。さっきからベヒモスが家屋を踏み荒らしているがこの空間から出ない限り、現実の街には被害は出ない。

 この怪物の討伐そのものはとうに諦めた。

 牛鬼を封じた毒々しいほどの切れ味を誇る妖刀も、龍を殺すためだけに作った漆黒の大太刀もこの「完璧な獣」には刃が立たなかった。魂のこもっていない量産品の【無銘(ムメイ)】で封じてやろうとも考えたが、吸っても吸っても魔力の底が見えず、逆に俺が魔力の過剰摂取で魔力酔いになりそうになるだけだった。

 こいつを殺せるとしたら対をなすレヴィアタンか、もしくはこんな迷惑な生き物を創りやがった神とかいう種族か、はたまたそれを超える更なる化物か。

「ちっ!」

 迫る汚い手の平を、手首を蹴り上げることで回避する。普通の妖なら龍鱗の硬度を含めて、それだけで致命傷になるような一撃を込めたはずなのだが、ゴムのように弾力のある肉の鎧に跳ね返されるだけだった。

 よって、誰か救援の手が来るまで延々と時間稼ぎに徹しているのだが、どうにもどこかに現れたらしいもう一体(レヴィアタン)に手を焼いているのか誰も来ない。あっちもあっちで神にしか殺せない最強の生物であるため、当然か。

「相性悪ぃ……!」

 せめて俺の方にレヴィアタンが来てくれりゃ、まだ対処のしようがあったのだが。


「――水陣《揚清激濁》!!」


「ぶひっ!?」

 突如、ベヒモスの頭上に瀑布が発生した。鉄槌の如きその一撃をまともに脳天に喰らったベヒモスは、俺を掴もうと飛び掛かった勢いを削がれて地面に叩きつけられた。

「やっと見つけたわ、クソ兄貴」

(あずさ)!」

 ようやく来た救援――我が愚妹こと梓が、両手に太刀と直刀をぶら下げて屋根の上でふんぞり返っていた。

「今度はどこの誰の恨み買ったのよ」

「知るか。心当たりは多すぎるが、こんなモン送られるほどのことはした覚えねえよ」

「どうだかな……」

 ため息交じりに双刀を構える。地面に貼り付けにされていたベヒモスが、力ずくで起き上がって陣を形作っていた妖刀を吹き飛ばした。


「ふんなあああっ!!」


 気合の入った咆哮が大気を揺らす。ぺろりと梓は唇をなめて湿らせる。

「もう起き上がったか、タフねえ」

「梓、奴は俺だけしか眼中にねえ。囮はやってやるからガンガン攻めろ」

「見た感じ無傷だけど、兄貴も無為に逃げ回ってたわけじゃないっしょ? あたしの刀、通るかね」

「通る。お前の()()()()()()()()()()()()、多少は効くはずだ」

「なるへそ」

 ガキン! と梓が双刀の刃をこする。すると水と炎の相反する二つの属性がぶつかり合い、お互いを喰い合おうと爆発的に神力が上昇した。


「んじゃ、囮よろしく! ヘマすんなよクソ兄貴!」

「そっちこそ、しくんなよ愚妹が!」


 俺が駆け出すのと、再びベヒモスが掴みかかろうと飛び上がったのは同時。体を捻り、丸太のように太い指の間をすり抜けて別の屋根に着地する。

 本当に俺しか見ていない――がら空きの背中に、梓が肉薄する。

「せー、の!!」


 ざしゅっ!!


「ぎゃひぃっ!?」

 首の肉が双刀により削られ、血飛沫と共に宙を舞う。しかし奴の巨体から見れば爪が割れた程度のダメージだろう。

「効いてるぞ! 止まるな!」

「言われなくても!」

 ふっと、梓の姿が消える。

 そして次の瞬間、ベヒモスの全身から血が噴き出す。

「ぶぎゃあああああっ!!??」

 妖刀【陽炎(カゲロウ)】に込められた、ホムラの時間を歪める結界の力――それの応用による超加速。白羽(しらは)の寒戸による時空の歪曲があくまで身体強化であるのに対し、こちらは空間そのものに作用する。刀の力が尽きるまでの制限付きだが、体に負担をかけずに延々とベヒモスの肉を削ぎ落していく。

 さらにもう一本の【澪標(ミオツクシ)】も、瀧宮家の守護神であるミオの神力をごっそりと奪って作り上げているため尋常ではない水気を含んでいる。元々水棲で、巨体故に後にレヴィアタンに陸に追いやられたベヒモス相手に相性は良くないかとも思ったが、【陽炎】と合わせることで力が増して分厚い肉の鎧を切り裂くだけの切れ味を宿しているようだ。

 しかし。

 神が生み出し「完璧な獣」は止まらない。

「瀧宮羽黒おおおおおおおおおおっ!!」

「くっ!!」

 全身の肉を削がれながらも、勢いを増して突っ込んでくるベヒモス。むしろ肉が減って身軽になっているようにすら見える。

「梓! 腱を狙え!」

「やってる! でも硬すぎ――!?」

 その時。


 ふっ、と、梓の両手から双刀が掻き消える。


「「――っ!?」」

 さらに、さっきまで術により身体能力を強化して高く飛び跳ねていたのが、急速に失速し、まるで一般人のようにバランスを崩しながらなんとか屋根の上に降り立つ。しかし着地に失敗し、ぐらりと屋根から地面に向かって頭から落下する。

「くっ……!?」

 高めていた身体能力をさらに極限まで上昇させ、梓を落下地点で受け止める。

「梓!?」

「あ、れ……? なんか、急に力が……?」

 震える手を見つめながら、梓が力なく呟く。

 だが一体何が起きたのかと気にかける余裕はない。ベヒモスはすでにこちらを捕捉し、再生を始めた巨体を揺らしながらこちらにやってくる。

「ちっ!」

 梓を抱えたまま、俺は屋根に跳んでベヒモスの腕を避ける。

「あ、兄貴……!?」

「梓、お前――」

「兄貴、なんなのあんた!? なんでこんな、え、屋根飛び越えてる!?」

「はあ!?」

 何言ってんだこいつは!?

「お前もさっきまで飛んだり跳ねたりしてたろうが!」

「え、え!? あたしが!? それより、あのでかいの何!? なんでこっちくんの、()()()()!?」

「……っ!?」

 何だ、何が起きている?

 しかし疑問に思考を巡らせる暇もなく――パキン、と乾いた音が響いた。

「迷い家が!?」

 周囲を覆っていた神域が崩れ去った。舞香の身に何か起きたのか。


『まったく、何をしているのですかベヒモス』


「ぶひっ!?」

 上空から、合成されたようなくぐもった声が降ってくる。

 見上げると、黒い翼の巨大な猛禽が夜空を旋回しながらこちらを見下ろしていた。

『人間一人捕らえられないとは、同じ創造物として恥を知りなさい。レヴィアタンは早々に作業を完了しましたよ』

「だ、だっでジズ! ごいづ、はやずぎで……!」

 ジズ……!

 神が創りし世界の終焉を司る大鳥――そうか、もう一体いたか。影が薄すぎて忘れていた。

『瀧宮羽黒、御足労願いますよ。着いて来てください』

「はっ、誰がてめえの言うことなんか――」


『腕の中の妹御が苦しそうですが良いのですか?』


「なっ……!?」

 見れば、梓は顔から脂汗を流しながらひゅうひゅうと荒い呼吸を繰り返していた。症状としてはパニック障害に見えるが――これは、魔力酔い。上空で人化もせず飛び回っているジズからあふれる魔力にあてられてしまったようだが、さっきから妙なことが立て続けに起こっている。

 普段の梓なら、これくらいの魔力でこんなことにはならないはずだ。

「……分かった。移動しよう」

『理解が早くて助かります。ベヒモス、案内なさい』

「うー……わがっだ……」

 すっと、ジズが消える。

 いや、よく見れば、遥か上空に猛禽の翼を背負った人影が浮かんでいる。人化しただけのようだ。

「梓」

「……っぷ、ふ……にい……ちゃん……」

 譫言を口にしながら俺を呼ぶ梓。口のわきの泡を拭いてやり、このまま放置するのも危険と判断し、俺は仕方がなく一緒に連れて行く判断をした。



          * * *



 ベヒモスに案内されたのは、月波市の中央を流れる辰帰川に掛かる鉄橋だった。普段なら帰宅の車でひっきりなしの交通量を誇るインフラ設備だが、今夜は俺たち以外の気配がない。

「……おいおい」

 鉄橋の中央に、六つの光の柱が立っていた。

 そのうちの三つに、人影が浮かんでいる。


 ビャク。

 白銀(しろがね)もみじ。

 そして――瀧宮白羽(しらは)


 ビャクと白羽は気を失っているのか、ぐったりと光の中を漂っている。特にもみじは何か槍のようなもので心臓を貫かれていた。それでも何とか生きているようで、出来うる限りの人化を解いて銀髪紅瞳の姿となって槍を砕こうと決死の表情で柄を握り締めている。

「おい! てめえら何しようってんだ!? 俺が狙いじゃないのか!?」

『あなたも標的です。標的の一人です』

 遥か上空から声だけが降ってくる。見上げても、黒い服を着ているのか夜空に紛れてよく見えない。

『詳しい話はあの方からお聞きなさい』

「……あの方?」

 そしてようやく気付く。

 光の柱の中央に、何かがいる。


『やあ、初めまして。タツミヤ……えっと、ハクロくん、だったね。僕は冥府直轄の浄土管理室――その室長を務めている者だ』


 幼子とも老人とも、男とも女ともとれる声が脳内に響く。隠形していて姿は見えないが、浄土管理室――あの閑職組織が、いったい何の用だ。

『僕のことは好きに呼んでくれて構わないよ。室長、監視者、観察者、策士、聖人――端的に神と呼ばれていたこともあったかな。でもそれは少しこそばゆい……ああ、でも守護者と呼ぶことだけは許さない。アレは別の「役割」だ』

「どうでもいい。俺からの要求はそいつらの解放と、あんたの撤収だ」

『それはダメ。これでも数百年かけてこつこつ積み立てた計画だからね』

「…………」

 俺は無言で【無銘】を錬成し、気配のする辺りに突き立てる。しかし当然と言おうか、効いた様子もなく弾け飛んだ。

『僕はね、ハクロくん』

 まるで気にした様子もなく、それが攻撃であったことにも気付いていないかのように、室長は喋り続ける。

『ずっと気を揉んでいたんだ。この世界の在り方について』

「あぁ……?」

『この世界は曖昧だ。それは君も気付いているだろう?』

「意図が分からんな」

『簡単な話さ』

 室長が大仰に腕を広げる気配がした。


『人は人、魔は魔の世界に住むべきだって』


「……?」

 やはり意図がくみ取れず、俺は眉間に力を籠める。

 こいつは、何が言いたい?


『人は死ぬと冥府に送られる。そこで生前の行いを裁判にかけられ、善き者は浄土でしばしの休息をとり、悪しき者は地獄で刑期を終えた後に再びこの世に生まれ変わる。でもさ――このシステム、面倒じゃない?』


「は……?」

『何で死んだ人間をいちいち冥府に送らないといけないんだい? 浄土と地獄なんて手間を踏まず、そのまま現世で転生させればいいじゃないか。いちいち人が死ぬたびに冥府と現世をつなげるから――この街の様に冥府からあふれた魔の物が勝手に住み着き、美しくない汚点が生まれる』

「……っ!!」

『逆もまた然りだよ。せっかく冥府には汚らわしい魔の物だけが集められていたのに、そこに美しい人間の魂が迷い込んでくる。本来無垢であるはずの人間の魂は少なからず冥府で穢れ、美しい現世に転生し、穢れを移してしまう』

 僕はね、と室長は続ける。


『世界の陰と陽をきっちりと分けたいんだ。そこで陰陽入り混じる汚いこの街には、そのための実験に付き合ってもらうことにしたんだ』


 ドン!


 上空で待機していたジズが、空いていた光の柱に二人の影を放り込んだ。

 一つは、両腕に漆黒の龍麟を浮かべた半龍状態のミオ。

 そしてもう一つ――見覚えがある。確か夏休みの合宿に参加していた――イヴとかいう、悪魔。


『白き神、白き妖、白き人』


 室長が鼻歌交じりに笑う。


『黒き神、黒き妖――そして、黒き人。つまり君だ。君がその柱に入ることで、術は完成する』



          * * *



『太極図』

 室長が笑う。

『下降する陰の黒と、上昇する陽の白。陰の中には決して穢れない陽があり、逆に陽の中には決して祓えない陰が存在し、これらを軸にぐるぐると世界は回り続ける』

 僕、本当はこの考え方嫌いなんだよね、と。

 室長は肩を竦める。

『陰は陰、陽は陽の中で回り続ければいいのにね。でも僕の計画のためにはこの世界の在り方を利用した方がいいって強いアドバイスをもらったから、とりあえず試してみることにしたんだ。確かに、このやり方なら陰中の陽と陽中の陰を特定してしまえば、あとは勝手に分かれて回りだすからね』

「だから……だから、この街の陰と陽を――人と妖の世界に分けようってのか」

『妖だけじゃないよ。当然、現世に漂う迷える魂も含まれる。でもただでさえ肉体という器を失ってるのに、現世でたっぷりと穢れにさらされてしまった魂はとても純粋な人間とは呼べないから、冥府で管理するよ。神は……うーん、微妙なところだけど、陰の扱いでいいよね。冥府にも神々はたくさんいるし』

「……ふざけんな! そんなこと――」

『これは君たちのためなんだよ? 君だって、汚れた部屋より染み一つない綺麗な部屋の方が落ち着くだろう? 術が完成したら、君たち人間はこれまであった魔に関する一切のことを忘却して、生きていくんだ』

 素晴らしいだろう、と。

 屈託もなく。

 邪気もなく。

 悪意もなく。

 室長はそう言い放った。

「俺たちはそんなこと望んでねえ!」

『……ああ、可哀そうに。君は人の中でもとりわけ陰が強いから、そう考えてしまうんだ。だけどこれは僕が――いや、世界が望んでいることなんだよ?』

「……っ!」

 駄目だ。

 話が通じない。

 こいつにとって人間は隔離してでも保護したい綺麗な存在で、そこに一滴の黒が混じることさえ我慢ならないのだ。そしてそれを、心の底から、俺たち人間がそう望んでいると信じている。

 神──こいつをそう呼んだ奴はセンスがある。確かにこいつは神その物だ。人間の個性を理解できないんだ。


「……ぐっ、く……ぷはあっ! 羽黒!!」


 と、光の中でもがいていたミオが、柱から顔を出しこちらを見て叫ぶ。流石にいつもの口調が崩れ、素が出てきていた。

「俺を殺せ! そいつの話だと、この計画とやらには陰の力がとりわけ強ぇ神である俺の力が必須だ! だから俺が死ねば計画はおじゃんだ!」

「……っ! だが……!」

「遠慮することはねえ! しばらく時間はかかるだろうが、遠くねえうちに冥府から這い出て来てやるよ! そうしたらまたお前らと――」


「そうはいきません」


「「……っ!?」」

 背に猛禽の翼を背負った女にぐいっと首根っこを掴まれ、光の柱の中に戻されるミオ。翼の女――ジズの姿を見て、俺は絶句した。

 仮面とフードを外したことであらわになったウェーブがかった黒髪に、群青色の瞳、表情のない顔――

「り、リン……!?」

「――っ!!??」

 光の中でミオが何か叫ぶ。外にまで届かない怒号を断ち切るように、ジズ、否、死を司る神の長であるリンは鎌を異空間から取り出し、柄で首の後ろを強打した。死神の一撃にさしものミオも意識を失い、他の連中と同じように光の柱の中で力なく漂い始めた。

 どういうことだ。リンがジズ……? いや、リンにジズが混ぜられている?

「羽黒。分かっているとは思いますが、澪ノ守(ミオノカミ)を殺しても何の解決になりません。誰よりも黒い神である(ワタクシ)が代わりに柱になるだけ――」


 ズダン!!


 銃声。

 振り向くと――鉄橋の上、少し離れた所で死神のキシに肩を借りながら、ユウが拳銃をリンへと向けていた。キシの右腕には、鋳薔薇の棘が一本だけ刻まれている。

穂波ほなみ家の次期当主……それにキシですか」

 しかし銃弾は掠りもせず、遠くの鉄橋の柱にぶつかって虚しく甲高い音を生み出しただけだった。

「リン様! これは一体!」

 キシが叫ぶ。

 どうやら側近のキシも知らされていない計画だったらしい。

「リン様!!」

「……キシ。こちらに」

「……っ!」

「キシ」

「…………。すまない、穂波(ゆたか)

 キシがそっとユウに貸していた肩から腕を剥がし、地面に横たえる。見ればユウは着ている物もボロボロの満身創痍であった。レヴィアタンに挑んで、返り討ちに遭ったのか。

 しかしそれでも手にした拳銃だけは放さず、震える腕を持ち上げ――隠形している室長に向ける。

『あれ? もう結構術自体は進行していて柱以外は異能の使い方も忘れてるはずなんだけどなあ?』

 室長が不思議そうに首を傾げる気配がした。

 そうか、それで梓も戦闘中に急に何も知らない一般人の様に取り乱したのか。

 室長がユウと柱の間を何度か眺め、気付く。

『……ああ、そうか。柱にした白き神と繋がっているのか。ふーん、こういう不具合もあるのか』

「許さない……絶対に……! ビャクちゃんは……皆は、僕の大切な人たちだ……指一本触れるんじゃねえ!!」


 ズダン!


 ユウが引き金を引く。しかし銃弾は棒立ちして思考する室長に弾かれる。そして。


『ちょきん』


「……!!」

 室長が、指で作った鋏で糸を切る素振りをする。するとユウはぱたりと白目を剝いて倒れた。

 手にしていた銃が、溶けるように消え去った。

 ユウとビャクの間にあったあれほど強い繋がりが、たったそれだけで断ち切られた。俺は心臓がどくんと高鳴り、体温が高くなっていくのを感じた。

『さ、どうする? まだ足掻く? こっちとしては魂さえ無事なら力ずくでもいいんだけど』

「…………」

 激情を必死で堪え、無言で思考を巡らせる。

 考えろ。

 この状況を打開する方法がきっとあるはず。

 そもそもリンがこんなことに協力するメリットがねえ。ジズを無理矢理混ぜられて逆らえなかった? それならば分からないでもない。だってあいつは──いや。今ここでリンの動機を想像する意味は薄い。

 室長をどうにかする? 無理だ。あんな怪物、どうしようもない。

 俺だけでも逃げ延びる? 確かに術は成らず、計画は失敗するだろうが、世界の終焉を司る獣が三体揃ってしまっている。報復として何をされるか分からない。

 駄目だ……これ以上は──


「……っ!!」


 その時、遠くから声が聞こえた。

 薄暗くてよく見えないが、アレは……。

『どうする?』

 室長が尋ねる。目の前のことにしか興味が無いのか、その声には気付いていない。リンはあくまで無表情で、キシを背後に従えたまま鎌を握っている。

 ……そういや、室長はさっき何て言った?

 奴の発言を、一字一句思い出す。

 そして。


「はっは……!」


 俺は軽薄に笑った。

 なんだ、あんじゃねえか。

 賭けではあるが、悪くない。

「仕方ねえ」

 俺は抱えたままだった梓をそっとユウの隣に寝かせた。ジズの魔力にあてられたまま意識を失っているが、今は呼吸も穏やかだ。


「こいつらと――街のこと、頼んだぞ」


 聞こえるはずもないが、遠くに見える声の主にそう呟き、俺は自ら柱の中に足を踏み入れた。

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