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だい はちじゅういち わ ~ベヒモス~

 俺はまだ日が傾き始める前から、居酒屋迷子――迷い家へと足を運んでいた。

 別に今日の夜、もみじと外出する前に一杯引っ掛けようってんじゃない。

 店主で迷い家そのものである舞香(まいか)から「見慣れない男が長時間、大量に食事を注文し続けていて不審だから見に来てくれ」と連絡があったからだ。

 居酒屋迷子は本家のいわゆるシノギの一つでもあるし、ケツモチとして、また個人的にも行き付けであるため連絡があれば動くのはやぶさかではない。しかし何も世間がバレンタインで浮かれてる日に、そんな不審者も現れなくてもいいだろうにと内心毒づく。

「まああの店で食い逃げなんて無理だろうが……」

 問題は、舞香が「見慣れない男」と口にしたことだ。

 あの店は別に敷居が高いわけではないが、迷い家特有のある種の神域に位置しているため偶然辿り着くことはできないはずなのだ。だから自然と、誰かの紹介がない限り存在すら知り得ないのだが。

「邪魔するぜ」

 入り組んだ路地を順序通り通り、「迷子」と書かれた赤提灯がぶら下がる居酒屋にたどり着き扉を開ける。中は少人数腰かけられるだけのカウンダー席と、奥へ奥へとテーブル席が無限に続いている。

 カウンターの中は空っぽ。座席にも人影がない。この時間なら気の早い常連が一人や二人、もういてもいい頃合いなのだが。

「…………」

 妙に嫌な予感がして、俺は迷い家の奥へと足を踏み込む。進むに連れ、テーブルの上に空っぽになった食器がどんどん積み重なっていく。その数は千や二千では足りない。

「……どんだけ食ってんだ。こんなになる前に呼べよ……」

 迷子は高い店ではないが、この量だと話は変わってくる。高級な夜の店を梯子しても釣り合わない金額になるはずだ。

 暴食の主の姿は未だ見えない。皿の森はさらに奥へと続いている。どこの誰かは知らないが、これは食い逃げ云々とかそういう次元ではもうない。ある種の緊急事態と言っていい。

 俺は懐から呪符を取り出し、息を吹き込む。すると鴉の形をした式神に姿を変え、大きく羽ばたいてこのことを本家へ伝達しようと飛び立った――その瞬間。


 ギャアッ!?


 式神が悲鳴を上げ、体の半分を失った。そして床に落ちるまでにバキバキと何かに齧られるように体を失っていき、最後には跡形もなく消滅した。

「……おいおい」

 式神遣いは専門ではないとは言え、相当な強度を吹き込んだはずだぞ。

 しかし分かったことがある。

 舞香はこんな事態になるまで呼ばなかったんじゃない、呼べなかったんだ。恐らくはその「迷惑客」の隙をついてようやっと俺に連絡を寄越したのだろう。

 そして同時に嫌な考えが脳裏を過る――舞香は、無事か?

「鬼が出るか蛇が出るか……」

 少なくとも、もみじとの約束の時間までに片付けないと確定で鬼が出ることとなる。

「――抜刀、【鬼誅(キチュウ)】」

 言霊を紡ぎ、鍔も柄もない妖刀を喚び出す。

 それを片手にだらりとぶら下げながらさらに奥を目指す。

 しばらく歩いて、音が聞こえてきた。


 ガツガツガツ。

 バキバキバキ。

 ゴリゴリゴリ。

 メキメキメキ。


 とても食事をしているとは思えないけたたましい咀嚼音。その不快感に眉を顰めながら歩みを進めて、ようやく姿が見えた。


 象、もしくは河馬。


 それが第一印象だ。

 かろうじてヒトの形はしているが、迷い家の細い通路を塞ぐように胡坐をかく獣の如き巨体は、どう見ても人間ではない。

 そして何より――力の底が窺えない。

 肉の塊を赤子のように手掴みで口に運ぶ肉の塊の正体を、俺の観察眼をして看破できない。一体コレは何だ。

「――ぶぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ……っぷ」

 おぞましい音が地獄の入口のような口から発せられる。それがどうやらゲップだということに気付くのに、少し時間がかかった。

「よう、満腹か?」

「…………」

「好き勝手食うのを止める権利は俺にゃねえけどよ、お前さん、ちゃんと支払い用意してんだろうな?」

「…………」

「おい、何とか言えや」

 妖刀を肩に担いて威圧する。多少の殺気を込めて威圧して、それでようやくこっちに気付いたというように巨体のわりに小さい瞳をこちらに向けた。


「……瀧宮(たつみや)羽黒(はくろ)だな?」


「あ?」

 何で俺の名前を、そういう疑問を挟む余地もなく。

 何かのタレでべったべたの手の平が、俺の上に覆い被さってきた。



          * * *



「ベヒモス」

 月波市はるか上空で、誰かが吐き捨てるように呟いた。

「古の神々が創り出した最高傑作にして、完璧な獣。全ての獣が慕うほど、その性格は温厚ですがそれは平時の時のみ。世界の終焉に際してはその底なしの食欲を以って、対をなすある怪物と死ぬまで喰い合う宿命を背負っている。生き残った方が、世界の終焉を乗り越えた者の食い物として与えられる」

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