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だい ななじゅうきゅう わ ~歳徳神~

「今年もこの季節が来たか……!」

 (きょう)がいつになく意気込んで拳を握り締めている。一体何事かと思いカレンダーを思い出してみて、ああ、と納得して苦笑した。

「そうか、そろそろバレンタ――」

「今日は節分だ!!」

「え、そっちか?」

 拍子抜けというか何というか。

 てっきり経のことだから、目前に迫るバレンタインデーにチョコがもらえるかどうかそわそわしているのかと思ったのだが。

 これでも一応、日本に来る前に一通りの年間行事には目を通してある。日本に伝わって魔改造されたハロウィーンやクリスマス、バレンタインデーなども含めてだ。

「節分か……確か立春――年の変わり目に行われる行事だったか。その変わり目には邪気、つまり鬼が生じるから、それを払うための行事なのだったな」

「何で日本人の俺より詳しいんだよ」

「むしろなんであんたは知らないのよ。鬼本人でしょうが」

 一緒に昼食をとっていた宇井(うい)が呆れ顔で弁当の卵焼きを頬張る。

「そうは言うがな隈武(くまべ)の。俺みたいな月波生まれ月波育ちの人畜無害な鬼からしたら迷惑な行事なんだぞ」

「その話は毎年聞いてるけど、一応今年も聞いてあげる。どうぞ?」

「ガキの頃から鬼というだけでこの時期は謂れのない悪の権化に仕立て上げられ、何故か豆を投げつけられる! 何で豆なんだ、普通にイラっとするわ! 地味に痛てえんだぞ!」

「鬼を『魔』と呼んで、それを滅するから『魔滅(まめ)』、つまり豆なのではなかったか?」

「だから何で俺より詳しいんだ」

「一通り調べたからな」

「と、ともかく、豆だけならともかく、ひでぇ時には柊だの鰯の頭だのも投げつけられるんだぞ! あれは投げるもんじゃなくて飾るもんだろうが!!」

 それは確かに怒っていい。

「俺もたまには豆を投げる方になりたかった!!」

「そっちが本音じゃん」

「……確かに、初等部の頃から鬼役だったな」

「しれっと関係ねえみたいなツラして飯食ってっけど駒野(こまの)よぉ……! おめーと隈武のが毎年俺を推薦してたの知ってんだぞ……!!」

 額に青筋立てて駒野を睨みつけるが、当の本人はどこ吹く風で特大の弁当箱に直接口をつけて豪快に白米を掻き込んでいる。

「つまりは節分で豆を投げたいのか?」

「いや、流石にもう豆投げて『やーいやーい鬼は外ー』って喜ぶ歳じゃねえよ」

「節分の掛け声でも小馬鹿にされていたのか……」

「ただその思い出があるから普通に嫌な気分になる」

 なるほど。

 確かにそれは分からないでもない。

「つーわけで、今日からしばらくは豆を連想させる話題出したら軽くキレるんでよろしく!」

「あ、柿ピー食べる?」

「隈武の!!」

「……ピーナッツもアウトなのか」

「ははは……」



          * * *



「さて……」

 気合を入れるためにぽきぽきと指を鳴らす。本当はあまり手に良くないのだが、たまにはいいだろう。

「とりあえず、作ってみるか」

 厨房には大きな冷蔵庫がいくつか置かれている。食べ盛りの下宿生の胃袋を満たすための食材が常にしまわれ、(みのり)さんが普段から管理しているのだが、いつもは名前さえ書いておけば自由に私用が可能となっている。しかしこの数日、そのうちの一つに「男子触るな!!」と貼り紙がされ、男子は接触すら禁じられている冷蔵庫がある。

 扉を開けると、早くも色とりどりのチョコレートが所狭しと並べられていた。友人に配る用、想い人に気持ちを伝える用、人間関係を円滑に進める用――そこに込められた意味合いは様々だが、その中から私は業務製菓用チョコレートの塊を取り出す。

 経は節分への憎悪に取り憑かれて、あるいはそれを名目にその先のイベントから目を逸らしているのかは分からないが、女性陣からすればそれよりもバレンタインデーの方が重要だ。もちろん私としては男性から贈られる花束の方が馴染みがあるし憧れるが、日本流の女子から男子へのチョコレートというのもまたロマンを感じる。

「とりあえず、ナッツ系はやめておくか」

 チョコレートの塊を包丁で削りながら、心のメモからナッツの項目をそっと消す。昼間に見せたピーナッツであの反応ならば、避けるのが無難だろう。他の面々に配る分は入れてもいいだろうが、まあ試作段階では省いてみようか。バレンタインデー当日までは十日以上あるため、その頃には冷静になっているかもしれないが。

「こんなものかな」

 削ったチョコレートをボウルに移し、用意しておいたお湯で湯煎にかけながら他の材料を確認する。チョコレート菓子を作るのは初めてではないが、プロでもないのに菓子作りに記憶頼りの目分量はご法度であるためきちんとレシピを用意した。

 卵白三個分、取り分けた卵黄三個分、グラニュー糖120g、薄力粉80g、牛乳50㏄、バター30g、ココアパウダー20g、生クリーム200㏄、そして今溶かしているチョコレートが200gだ。

 まずは卵白を良く拭いたボウルに入れ、グラニュー糖を二度に分けてミキサーで混ぜてメレンゲを作る。グラニュー糖を一度に入れてしまうときめ細やかなメレンゲにならないので注意だ。ボウルを綺麗にしておくのも、メレンゲの完成度を高めるために必要な下準備だ。

 メレンゲが角立つようになったら取っておいた卵黄を入れ、全体に馴染むように混ぜる。そこに薄力粉をふるいながらゴムベラでさっくりと混ぜ合わせる。決して練ってはいけない。せっかくのメレンゲが潰れてしまう。

 次に溶かしておいたバターに牛乳とココアパウダーを混ぜ合わせる。ここでもココアパウダーはきちんとふるいにかけておく。面倒だが、これを省くとムラが出来てしまうのだ。

 そしてココアバターを生地に混ぜ込む。ここでも一度に全部入れてしまうと下の方にココアが溜まってしまうので、少しずつ丁寧に混ぜていく。

 生地全体が綺麗なココア色になったらクッキングシートを敷いた型に流し込む。型に薄くサラダ油を塗っておくとシートが浮き上がらなくて便利だ。流し込む際も数度に分けて余分な空気が入らないように気を付ける。ボウルにくっついた生地はふくらみが悪いのでかき集めて肩の淵の方に流しておく。

 それを170度に予熱していたオーブンで30分ほど焼く。焼き上がりは竹串で刺して生地がくっつかなければ完成だ。焼けたらすぐに型ごと30㎝程度の高さから落とし、縮みを防ぐ。菓子作りが得意な母もこうやっていたが、どうしてこれで防ぐことができるのかはよく分からない。しかしこれで防げるのだからやった方がいい。

 型から取り出した生地は固く絞った濡れ布巾で冷やしておく。その間にクリームを作る。

 生クリームに溶かしたチョコレートを入れ、弱火で温める。周りからふつふつと泡が立つくらいが目安だ。温まったらよく混ぜ合わせたのち、少し冷ましておく。スポンジケーキに塗るものだから多少の粘度があった方がやりやすい。

「……よし」

 一通りの作業を一人無言で進め、ようやく一息ついた。生地とクリームを冷ましている間に洗い物を済ませよう。もちろん、頭の中ではどのようにデコレーションするか構想を練る。

 と言っても今回はあくまで試作。デコレーション用のチョコペンも用意していないし、本番では配りやすいように小さいカップ型でいくつか作るつもりだ。

「…………」

 粗熱が取れた生地に水平方向に熱した包丁を入れる。本当は一晩置いた方が綺麗に切れるのだが、今回は省略する。その結果多少ぽろっと崩れてしまったが、それでも綺麗に焼き上がった生地を確認できるとほっこりと笑みがこぼれる。

 生地を三層に切り分けたら間にチョコクリームをたっぷりと塗る。多少硬めに仕上げているため、少し厚めに塗ることもできる。

「……はは」

 少し、いたずら心。

 本当なら一気に塗ると綺麗に仕上がるのだが、パレットナイフの先でこっそりとハートを刻む。もちろんこの上に生地が乗るわけだから見えるわけがない。そもそもこれは試作品。彼が食べるわけじゃない。

 それでも、これくらいの想いは込めても罰は当たるまい。

「よし」

 残りのクリームを周りに塗り、最後にココアパウダーを上から振りかける。後は冷蔵庫で冷やしてチョコレートが固まれば完成だ。

「上手くできて何よりだ」

 パタンと冷蔵庫の扉を閉める。

 しかし少々大きく作りすぎてしまったか? 後で自分で味見するためのものだが、残りは同じ屋根の下で暮らす女性陣にも確認をもらうのもいいだろう。

「ハルさーん、ご飯ですよー」

 使った調理器具を洗い終えたタイミングで、居間の方からあき()さんの声がかかった。

 今日は穂波(ほなみ)家が神事の手伝いのため不在につき夕飯は出前を取るとのことで、普段なら最も忙しい時間帯に厨房を使わせてもらったのだが、どうやら夕飯が届いたらしい。

「今行きます」

 洗った手をハンカチで拭き、私は居間へと向かった。



          * * *



「歳徳神」

 ふふん、と何故か自慢げな表情を浮かべながらあき子さんが大きな太巻き寿司を一本丸まる顔の前まで持ち上げた。

「その年の福徳を司る女神様ですね。カレンダーに女性のイラストが描かれている時はこの女神様を指していることが多いです。この女神様がおられる方角を恵方と呼び、その方角に向かって行事を行えば吉となると言われています。ちなみに、須佐之男命(スサノオノミコト)の奥さんの櫛名田比売(クシナダヒメ)と同一視されることもあります」

「……どうしたんっスか、あき姉」

「この前の正月のバイトの時に色々勉強したんだよ」

 首を傾げる(いずみ)良樹(よしき)さんがそっと耳打ちする。そう言えば二人は穂波家の年末年始の行事を手伝ったのだった。私は両親が来日していて小旅行に出かけていたから手伝えなかったが、来年は参加したいものだ。

「そしてこの恵方巻も、その年に歳徳神がおられる恵方を向いて食べると良いことがあると言われています」

「どうでもいいけど、人を不幸にする系の妖怪である濡女子たるお前が幸福を願う行事に参加して大丈夫なのか?」

「それを言ったら、人魚である私も伝承によっては船を沈めるぞ」

「ボクは尻子玉を抜くっス」

「天狗風を吹かせます」

「死を司る」

「……今更だったな」

 次々と挙手する人外組に苦笑を浮かべる良樹さん。そして自分も太巻きを一本持ち上げ、携帯電話で今年の恵方を確認するとそちらを向いて丸かじりし始めた。

「……そう言えば、何なのだろうな、恵方巻とは」

 と、キシが豪快に太巻きを噛み千切りながら呟く。恵方を向き、無言で一本食べきるまで口を離さないというセオリーは無視するようだ。

「関西発祥の伝統行事だって聞いたことはありますけど……」

 と、同じくセオリー無視組の(くれない)が自分の分の太巻きを包丁で切り分けながら答える。

「少なくともこの百年はここまで普及した行事ではなかったはずだ」

「……ごくん。言われてみや、オレもガキの頃はなかった気がするな。施設の行事でも豆撒いて終わってたはずだ。太巻きなんか食った記憶ねえや」

「んぐ、んぐ、ごくん……んー、ボクが小さい頃にはもうあった気がするっス」

「右に同じく」

「……そう言えば、いつの間にか全国的に普及していた気がします」

 紅と、早くも一本食べ終わった泉が顔を見合わせ、あき子さんが頬に指をあてる。私からすれば日本特有の謎行事の一つだと思っていたのだが、どうも全国的には歴史は浅そうだ。

「いつの間にか広まっていたと言えば、バレンタインデーもそうかじゃないですか?」

 紅の話の振りに、少しだけドキリとする。

 他意はないが、敏感になりすぎているのだろうか。

「あー、アレもそう言えば製菓業界が流行らせたんだったか」

「恵方巻もそんな感じで広がっていったんだろうな」

 うんうんと頷き合う良樹さんとキシ。早速話題が戻ったことに安堵し、私も太巻きに手を伸ばす。

 と、その時――パチン! とキシの右手首から破裂音が聞こえてきた。

「……研修終了も見えてきたが、最後まで基準は理解できそうにないな……」

「まあ、恵方巻ってある意味で一番人間らしい行事の一つなのかもしれねえな。一部地域で流行ってた縁起を担いだ行事が商人の企みで全国的になるっつー」

「人間らしいというか、日本人らしいというか」


 言って、私は苦笑を浮かべながら恵方を向き、なんとか口に太巻きを押し込みながら日本行事を体感した。

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