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だい ななじゅうはち わ ~極楽浄土~


 ――バチッ


 現世の様子を窺う浄玻璃の鏡から破裂音が聞こえてきた。

 すでに七度目となり耳馴染んできたその音に視線を向けると、現世で生者と共に学び舎に通うキシの腕から鋳薔薇の刺青がまた一本、消えていた。

「順調そうで何よりですね」

 (ワタクシ)は目を細め、そっと微笑む。

 どうやら今回は、年末年始の繁忙期に研修を一時中止して呼び戻した際、久方ぶりの日常業務にうつつを抜かした結果、冬期休暇の課題をすっかり忘却して指導室に呼び出されたようだ。死神としては優秀なキシではあったが、一人の人間としてはどこか抜けているのだ。

 ……いや、正確には「ようやく人間らしさが戻ってきた」と言ったところか。少々、急速に人間味を吸収しすぎてややポンコツ気味ではあるが。

「ここまで上手くいくのならもっと早くに実践すべきだったかしら」

 しかし口に出す言葉とは裏腹に、私の心中は複雑だった。

 確かに今のキシは人間性を取り戻しつつある。


 しかし――()()()()()()()()()()()()()()()


「やはり、もう……」

 その先の言葉はぐっと堪える。

 自分で認めてしまうと、これまでの鋳薔薇の道を否定してしまうこととなる。


 ――Prrr! Prrr! Prrr!


「……はい。死神局、局長室です」

 現世の通信機を模して造らせた魔導具が発信音を鳴らす。受話器を取り、耳に当てるとキシの代理として補佐官を任せていた死神の声が耳に届いた。


『補佐代理です、局長――浄土管理室長から呼び出しがありました』


「……すぐに向かうと伝えなさい」

 それだけ返答すると、受話器を置く。そして一つ大きなため息を吐き、右手を顔に当てて魔力を込める。すると、慟哭にも憤怒にも破顔にも捉えられる表情の髑髏を模した仮面が現れた。

「忌々しい」

 端的に吐き捨てる。

 仮面で顔を隠し、私は執務室を出た。



          * * *



「極楽浄土」

 蝶と舞い、花を愛でる亡者の魂たちの間をすり抜けながら独白する。

「一切の苦が存在せず、楽のみで形作られた理想郷。暑からず、寒からず、空気は清浄で聞こえてくる音は妙法の如く心に染み入り、水鳥樹林も共に法音を囀る」

 陰の気で満ちる冥府にありながら、ここは咽返るような澄んだ陽の気で満ちている。陰の権化のような死神である私など、守護の仮面がなければ即座に浄化され、塵芥も残さず消滅してしまうだろう。

 その最奥部に位置する、管理者の趣味で作られた西洋風の庭園のさらに奥。

 アンティークテーブルにケーキスタンドが置かれ、私の到着のタイミングを見計らったかのように、既にティーカップから湯気が立ち上っている。

『やあ、リン様。わざわざご足労頂いて申し訳ありません』

 老人とも幼子とも、男とも女とも取れない声が脳内に響く。

 声の主は隠形したまま、ケーキスタンドから菓子を摘まんで一口齧る。

 視界に捉えるだけで浄化されかねない陽気の塊であることを自覚し、また「室長」という死神局局長である私の肩書よりも格下であることを配慮して姿を消して敬語を口にしてはいるが――この名も分からない怪物のような亡者の魂が一体いつからこの極楽浄土を管理しているのか、冥府にそれを知る者は誰もいない。

 末端の閑職にして頂点組織――浄土管理室。

 その室長は菓子を齧りながら笑う。

『今日は例の計画の進捗を聞きたいと思いましてね。その後、どのような塩梅ですか?』

「……計画は順調ですよ」

 肩書上は格下とは言え、出されたものに手を付けないのも失礼に当たる。私は仮面をずらして口だけを露出し、歯に染みるほど甘い菓子を齧って渋味の強い紅茶をすする。わざわざ私の好みに合わせている当たり、一層苛立つ。

「『柱』の用意は出来ています。あとは室長殿のタイミングにお任せします」

『流石はリン様。仕事が早くて助かりますよ』

 仕事が早い――この計画のためだけに死神局に配属され、それから数百年の時を経ているのだが、この言葉は嫌味の類ではない。この怪物にとって、数百数千の時の流れなど常人にとっての数日程度なのだ。

『情けないことにこっちはもうちょっとだけシナリオを練ろうかと思っていましてね。今しばらく時間を頂きたく』

「……ご自由に。元より室長殿発案の計画なのですから、満足行くまで思料してよろしいかと」

『うん、そうさせてもらいますね』

 にこりと笑う気配がする。

 どうやら話とはそれだけらしく、続く言葉はない。

 私は食べかけの菓子を紅茶で胃に流し込み、席を立つ。

「それでは私はこれで――」

『ああ、そう言えばリン様』

「――?」

 不意に、呼び止められる。


『この前僕が地獄の底から引っ張り上げた彼、今は現世で人間を学んでいるんだっけ?』


「…………」

 息が詰まる。

 大丈夫、動揺は気取られていない。この怪物が自分以外に興味を持つのは珍しいが、相手の変化には恐ろしいほど鈍感だ。

「ええ、まあ。死神も人間についての学があった方が業務がスムーズになると思いまして」

『ふーん、そんなもんですかねえ』

 ピンとこないのか、首を傾げる気配がする。己もかつては血が通い、息を吸う人間であったろうに。

『ま、いっか。すみませんね、忙しいところ呼び止めてしまって』

「構いません」

『それでは、計画決行の時はよろしくお願いしますね。リン様なら、滞りなく計画に当たれると信じていますよ』

 にこりと、浄土管理室長が笑みを浮かべた気配がした。


 全くの悪意を漂わせることもなく、言外に万一のことがあれば彼を再び地獄に底に叩き落とすと、そう言い含めながら。

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