だい ご わ ~件~
この月波市に存在する私立月波学園に入学し、わたしはとても驚いた。
みんな例外なく、わたしのような人ならざる力を持っているか、そもそも人ではないかのどちらかなのだ。
「ま、もともとこの町はそういう人外の溜まり場らしいしね」
そう言ってクスクスと笑ったのは、初等部から月波学園に通っているらしい新しい友人だった。
「でも梓ちゃん、わたしはそんなこと知らずに入学してきたんだけど……」
「知らないでこの町に来る人はたくさんいるわよ。でも不思議なことに、まるで何かに導かれたかのように、全員何かしらの意味で普通じゃないのよね」
「何かしらの意味で……?」
「そう。あたしみたいに先祖代々この町に住んでる陰陽師は例外としても、真奈ちゃんみたいに知らないでこの町に来た魔術師みたいにね。この前、地縛霊から守護霊にクラスアップした幽霊さんが取り憑いた大学生の人、覚えてる?」
「あ、うん……。梓ちゃんにこの町での暮らし方を相談しに来た人だよね」
「そーそ。あの人みたいにこっちの世界に全く無知でも、一般人と言って差し支えないほどごく微量な霊媒体質を持ってる人もこの町に来ちゃうんだ」
「へー……。まるで運命みたいだね」
「クスクスっ、運命かー。なるほど、言えてる」
笑って、梓ちゃんは日本人にしては色素の薄い亜麻色の髪をかき上げた。
極端に薄かったり濃かったりする色素は、異能の証。梓ちゃんのように幼い頃から人外の力を使い、鍛えてきた人に現れるそうだ。
梓ちゃんのように髪の色が抜けたり、わたしのように瞳の色が灰色に薄くなったり、実に様々。逆に濃くなったりする人もいるらしい。
こういった異能の証を持つ人がこの学園だけでなく、町全体にたくさんいるというのは驚愕に値する。
不自然なほどに自然な流れで、普通じゃない人たちが集まってくる。
それが、月波市。
「それにしても……」
梓ちゃんはうんざりしたように周囲を見渡した。
わたしもそれにつられて見渡すが、そこにはさっきからずっと変わらない光景が広がるばかりだ。
人、ヒト、ヒト、人、ヒト、ヒト、ヒト、ヒト、人、人……。
見事な人込みの中にわたしたちはいた。
「真奈ちゃんの入る部活を探しに来たのに、これじゃ何の部活紹介かわかったものじゃないわ!」
「そうだね……」
人込みから発せられる熱気でずり落ちてきた眼鏡を持ち上げる。
入学式後の一ヶ月は、異様な数を誇る部活動の勧誘期間である。部員数によって生徒会から支給される部費が決まるため、先輩たちは露店まで開いて必死で新入生を勧誘しているらしい。
ちょっとしたお祭り騒ぎだ。
「体験入部だけでもいいから! 吹奏楽部に来てー!」
「今、我らがラグビー部に入部すれば焼肉を奢るぞ!!」
「この世の不思議を解明しよう! 科学部をよろしく!」
そんな感じの怒号のような勧誘文句が飛び交う中、先輩たちと新入生が学内メインストリートに入り混じっている。
こんなに大勢が集まっているなら新入生など区別ができないんじゃないかと思うのだが、驚くべきことに先輩たちは的確に一年生の赤いネクタイを見つけては自分たちの縄張りに半ば無理やりに拉致していっていた。
な、何か怖い……。
「あ、梓ちゃん……この人込みだから、はぐれないように……」
そう呟きながら梓ちゃんの手を握ろうとして。
「へぶっ!?」
周囲に気を取られて足元がお留守になっていた。わたしは落ちていた野球ボールを踏みつけて盛大に顔から転んでしまった。
「いった~……」
衝撃で落ちた眼鏡をかけなおし、痛みを堪えながら何とか立ち上がる。
そして改めて梓ちゃんの手を取ろうとして、アレっと声を上げた。
「えっ……! あ、梓ちゃん……!?」
そこにいた亜麻色の髪の少女は、どこにもいなかった。
たぶん、この人込みと喧騒でわたしが転んだことに気付かないで先に行っちゃったんだ……。
「い……」
いきなりはぐれちゃった!
どうしよう、わたし、まだこの学園のこと詳しく知らないから、迷っちゃう……!
「ねえ、君」
「はひゃいっ!?」
混乱しているところで、いきなり肩を掴まれた!
奇妙な悲鳴を上げる。
「な、ななななな、何ですか……っ!?」
「君、一年生でしょ?」
「そ、そうですけど……!」
そこには小太りで眼鏡な、ニキビ顔の先輩がいた。しかもどんなつもりなのか、額にハチマキなんかを巻いている。
なにやら息を上げながらまくし立てるように質問してくる。
「き、君、人間の女の子だよね……?」
「は、はい……」
「ま、魔法とか、つ、使える……?」
「は、はい、一応、魔術師ですから……」
「ふぉおおおっ!?」
眼鏡の先輩はいきなり歓喜の声を上げた。
な、何事!?
「おぉーいっ! 皆の衆! ほ、本物の魔女っ娘だあっ! 本物の魔女っ娘一年生が来たぞぉっ!」
「何ですとっ!?」
「そ、それは本当ですかなっ!?」
「おおうっ、本当だとも! しかも眼鏡っ娘でドジっ娘だぁっ!」
「「おおおおおおおおおおっ!」」
「へえええ……っ!?」
何か眼鏡の先輩と似た風貌の先輩方がゾロゾロと現れ、あっという間にわたしは取り囲まれてしまった。
暑苦しい息遣いと若干の汗臭さでわたしはめまいを覚えた。
「おおっ! 本当だ!」
「本当に眼鏡な魔女っ娘だぁ」
「しかも鼻の頭を擦り剥いていますぞ。転んだのですかな?」
「リアルドジっ娘!」
ふおおおおおっ、と再び歓声が上がる。
怖い!
怖い怖い怖い!
「き、君! 良かったら僕たち魔女っ娘愛好会に――」
「し、失礼します……!」
「あ、ちょっと!」
何か言いたげだった先輩をその場に残し、というか振り切り、わたしは全力ダッシュでその場から立ち去った。
途中何度か転びそうになったが、何とか持ち堪えて走り続けた。
それにしても梓ちゃん、どこに行ったのっ!?
* * *
「よっす、梓」
「あ、ユーちゃん」
「その呼び方やめてくれ」
「えー。いいじゃん、裕のユーちゃん。可愛いし」
「高校生にもなってそんな呼び方だと格好がつかない」
「いいじゃん別に。穂姐さんにだってユーくんって呼ばれてるのに」
「ソレとコレとは話は別」
「はいはい分かりましたよーだ。で、ユーちゃん何やってるの?」
「全然分かってない!」
「クスクスっ」
「はあ……射撃部の勧誘だよ。先輩に手伝えって言われてさ」
「そう言えばユーちゃん、中等部から射撃部だったね」
「今はまだ競技用銃も持たせてもらえないけどね。エアガンで模擬練習中だよ」
「そうなんだ」
「と言うわけで模擬練習用エアガンを使った射撃場だ。やってみない? 一年生は無料だよ」
「わっ、面白そう。当たると何かくれるの?」
「基本的にお菓子」
「基本的に?」
「……ここだけの話、高得点を出せば男子なら生徒会長の、女子なら出版委員長の生写真が出る」
「姑息な手ねえ……」
「部長、必死だったから。……あ、おい」
「どしたの?」
「あそこにいたの、朝倉だろ?」
「そーだけど?」
「さっき転んでたよ」
「うっそ! 真奈ちゃんドジっ娘だからなー」
「で、魔女っ娘同好会の連中に取り囲まれて、逃げた」
「げ。あそこの連中、絡まれるとウザいからなあ」
「そりゃもう必死になって逃げてったよ」
「ハア……追いかけなきゃ。きっと今頃道に迷ってるだろうから」
「じゃ、射撃はまた後で」
「うん、じゃーね!」
* * *
「迷いました……」
必死になって怖い先輩方から逃げ回っていたら、いつの間にか見知らぬ場所に出ていた。
部員勧誘の喧騒が後ろから聞こえてくる。どうやら露店が集中していたエリアを抜けてきてしまったようで、どこかだらけた雰囲気の部活動勧誘の皆さんがビラ配りをしている。
「ここ……どこだろう……?」
学内であることは確かなんだけど……。
巨大な校舎等が背後に、ずっと向こうには月波学園の裏山がある。立地的には校舎の裏側らしい。
「道に迷わないためには、やっぱり元来た道を戻ればいいんだけど……」
でもあの人込みの中、目立つとはいえあの亜麻色の髪を見つける自信はない。それにさっきの怖い先輩たちもまだウロついているかもしれない。
正直、先輩たちのほうが原因で人込みに戻る気になれない。
「やっぱり、ここでじっとしてた方がいいかな……?」
でもどうやってここにいるかを伝えよう……。見渡すも、特に目印らしいものはない。
「でも梓ちゃん、ここに初等部の時から通ってるんだよね……」
だったらちょっとした情報を伝えただけで来てくれるかも。
そうとなればどうやって連絡をとるかだけど……。
「あ、ケイタイ……」
こんな時の文明の利器。いまや数少ない存在となった魔術師でも、携帯電話は使う。だって便利だもん。
わたしはスカートのポケットに入れていたケイタイを取り出そうと手を突っ込む。
スカッ。
「……………………」
あれ?
「…………………………………………」
スカッ。スカッ。
「………………………………………………………………」
あ。
「ケイタイも……落としました……!」
一体どうしろと!
もう八方塞り!
「ど、どどどどど、どうしよう……」
梓ちゃんと連絡が取れないことも大変だけど、誰かに拾われて悪用されたらどうしよう……! で、電源切ってたかな!? 電源を入れる時に暗証番号を入れなきゃいけないよう設定はしてあるけど……!
「あああああ……どうしよう……」
本格的に頭を抱え、悩みだしたその時。
「ふふ……」
背後から含み笑いが聞こえた。
「四月二十日水曜日、午後二時三十一分。友人と部活動オリエンテーションに参加するもののその友人とはぐれ、さらにしつこい同好会勧誘から逃げ回った末に携帯電話を紛失して途方に暮れる……。ふふ……ワタシの予想通り」
「……?」
振り向けば、そこに一人の女性がいた。
スリーサイズは大きいかというほどダボダボなパーカを、前を閉めずに制服の上から着ていた。そしてそのフードを目深に被り、目元を完全に隠している。
ネクタイをしていないため学年が分からない。それ以前にスカートと、制服のボタンを弾き飛ばさんばかりの巨大なバストがなければ、性別すらも分からなかったのではなかろうか。それほど、声や口元は中性的であると言えた。
その不思議な女性は、口元に含み笑いを浮かべたまま小さなテーブルの前に座っていた。左手で頬杖をつき、右手でテーブルの上の水晶玉をなでている。
テーブルには「占い研究会」の文字がある。
どうやら迷ったと気付いてからも結構な距離をさ迷い歩いていたらしく、周囲に全く人影はなかった。
「あの……どちら様でしょうか……?」
「ワタシ? ふふ……ワタシは九段。人丑九段。見ての通り、占い研究会の者よ」
「はあ……」
占い研究会?
そんな部活、もらった部活動一覧表にあっただろうか? わたしが忘れるということはないから、見落としたのかもしれない。
「ふふ……もっとも、部員はワタシ一人の非公式サークルみたいなものだけど」
わたしの表情を読み取ったのか、九段さんはそう補足した。
非公式サークルって……。
「いいんですか? 非公式サークルって……」
「本当はダメよ。部員が三人以上集まれば公式になれるのだけど。でも大っぴらに勧誘できないからこうしてひっそりと路上占い師の真似事をしているの。でもダメね。今日のお客さんはお嬢ちゃん一人。ふふ……ワタシの予想通り」
「予想通りって……」
そんな悲しいこと、自分で予想しなくても。
いや、予想ではなく占いなのだろうか?
「占いと言うよりも、ワタシの場合どちらかと言うと、運命を『観る』かしらね」
「わっ」
ビックリした。
「さっきもそうでしたけど……九段さん、心を読む類の妖怪さんですか?」
「ふふ……そうお嬢ちゃんが疑問を持つことも、予想通り」
含み笑いを浮かべ、九段さんは「違うわ」と首を振った。
「言ったでしょう? ワタシはお嬢ちゃんの心を読んでいるのではなく、お嬢ちゃんの運命を観ているの。お嬢ちゃんとワタシが今日この場所で出会うことは、ワタシはオギャアと生まれた瞬間から知っていた。そしてその次の瞬間には、お嬢ちゃんがワタシを覚か何かの妖怪だと勘違いすることも、もちろん知っていたのよ」
「はあ……」
返答になっているような、なっていないような。
いや、やっぱりなっていない。
「ふふ……でも運命なんて、人やヒトの力で簡単に覆るもの。こうして運命通り巡り合えたことも何かの縁でしょう。お嬢ちゃん、何ならひとつ占いでもどうかしら」
「占い、ですか……」
「そう。運命と観比べつつ、占いましょう」
まあ、ずっとこのままこのヒトと問答をしていても意味がないのは明確だった。
それならいっそ、梓ちゃんと合流するためには何をすべきか占ってもらおう。
「……それじゃあ、お願いします」
「ふふ……こっちにいらっしゃい。別にカードや手相を見るわけじゃないわ。ただ、お嬢ちゃんの運命をほんの少し、より深く観つめるだけ」
九段さんの手招きに応じ、テーブルの前の椅子に腰掛ける。
「さてお嬢ちゃん。目をつむって、右手を水晶の上に乗せて」
「はい……」
「そして心の中でこう思うの。『わたしにいまひつようなものはなあに?』」
「……………………」
小さく頷き、言われた通りに思う。
わたしにいまひつようなものはなあに?
思った瞬間、水晶に当てた右手がほのかに温かくなった。
驚いて手を引っ込めようとするも、九段さんがすかさず手を重ねてきた。
「驚かないで。まだ目を開けてもダメ」
「は、はい……」
「いま水晶には、お嬢ちゃんの運命が映し出されているわ。でもその運命を、お嬢ちゃん自身が見てはいけない。自分の運命は自分で切り開き、自分の心に映すもの。この水晶に映るのは、あくまでワタシが観るためのものだから」
「はい……」
「ワタシはあくまで、お嬢ちゃんの運命の一端を観て、お嬢ちゃんに運命を指し示すだけ」
「……はい」
わたしはしっかりと頷く。
運命。
わたしが九段さんと出会ったのも運命。
梓ちゃんと同じクラスになり仲良くなったのも運命。
わたしがこの月波学園に入学したのもまた運命。
では。
あの事故が起こったのもまた、運命だとでも言うのだろうか。
わたしがあの瞬間、何もできなかったのも、また――
「お嬢ちゃん? もう、目を開けても構わないわよ」
九段さんの声が聞こえ、わたしはハッと我に帰った。
気付けば温かかった水晶も、元のひんやりとした温度に戻っている。
「運命が出たわよ」
「あ、はい……それで」
「うん」
「それで……わたしはどこに行けば梓ちゃんと合流できるんですか?」
そう訊ねると、九段さんは口元だけで困ったような表情を作った。
「さあ」
「さ……」
さあって!
「だから言ったでしょう? ワタシが水晶で観るのはお嬢ちゃんの運命の一端だけよ。具体的にお嬢ちゃんがどこに行けばそのお友達と会えるかなんて、知ってても教えないわよ」
「……でも運命は見えるんですよね」
「観る、ね。見ると観るではずいぶん意味合いが違う。ワタシは運命を観るだけ。観賞するだけ。干渉はしない。口出しも手出しもしないの。助言は与えるけどね」
「はあ……」
「それで、ワタシが観たお嬢ちゃんの運命の一端に対する助言としては――『第三校舎棟五階の第二図書室に向かえ』――というところかしらね」
「第三校舎棟五階第二図書館……」
なぜに?
「そこに梓ちゃんがいるんでしょうか……?」
「さあ? ワタシには言えないわ。でもそうね。ふふ……そこにお嬢ちゃんが今、本当に必要としている何かがあるのは確かね」
「わたしが今……本当に必要にしている何か……」
それは一体何……?
今、目の前の必要な何かと言えば梓ちゃんとの合流なのだが。
「それじゃあ……行ってみますね」
「そう。でもお嬢ちゃん、道に迷ってたんじゃなかったかしら」
「……あ」
「ふふ……お嬢ちゃんは本当にワタシの予想通りの行動に出るわね」
含み笑いを浮かべる九段さん。
わたしは無意識に口を尖らせた。
「場所、教えてあげましょうか」
「……お願いします」
「ふふ……でも結構複雑な場所にあるから、一度の説明で覚えられるかしら」
「あ。それなら大丈夫です。わたし、一度見聞きしたものなら忘れませんので……」
「ああ、そう言えばそうだったわね」
運命のいたずらか、と九段さんは呟いた。
「はい……?」
「こっちの話よ。気にしないで」
ヒラヒラと手を振る九段さん。
そしてワタシは第三校舎棟の位置と第二図書室の場所を聞き、お礼を言って九段さんと別れた。
「お嬢ちゃん」
後ろから九段さんが呼ぶ声が聞こえた。
「これからの運命は変えられるけど、決まってしまった運命は変えられない。これだけは覚えておいてね」
「はあ……」
「ふふ……お嬢ちゃんには、まだ早かったかな? ……占い研究会もよろしくね」
わたしはもう一度頭を下げ、第三校舎棟に向かった。
* * *
「あ、明良先輩に経先輩!」
「ん? おぉ、瀧宮の」
「……よう」
「先輩たちは部員勧誘に参加しないんですか?」
「それがよー、風紀委員と体育委員は総出でメインストリートの警備なんだよ。うちの軽音部はメンバーが少ないから、少しでも勧誘していきたいと思ってたのにさ。最近はアニメ効果で体験入部は増えてるけど」
「……我慢しろ」
「へいへい」
「クスクスっ。大変ですねー」
「と言うわけで瀧宮の。軽音部入ろうぜ!」
「すみません。生徒会が忙しいので」
「……即答」
「くうぅっ……!」
「あ、そうだ明良先輩」
「……何だ」
「ちょっと人探し、お願いできますか?」
「何、瀧宮の、はぐれたのか?」
「はい。背は高めで長い黒髪にメガネ、あと灰色の瞳の女の子なんですけど。見ませんでしたか?」
「……いや。見ていない」
「ケータイ通じないのか?」
「さっき彼女のケータイを拾いました。ほら」
「ん? ああ、それなら大丈夫だな」
「……ああ。物があるなら嗅覚で辿れる」
「助かります!」
「……貸してくれ」
「はい」
「……………………なるほど。どうやら第三校舎に向かったようだな」
「え? 第三校舎、ですか?」
「……ああ。中の様子は分からんが、第三校舎のどこかにいることは確かだ」
「あそこじゃ部活の勧誘もしてないんだけどな……。その娘、方向音痴か?」
「方向音痴かどうかは分かりませんが、ドジっ娘です」
「あーあ……」
「とりあえず、第三校舎に入ったら式神を飛ばして探しますよ」
「……そうすればいい」
「はい。それじゃあ、ありがとうございました!」
「人込みに気をつけろよー」
「はーい」
* * *
さて。
九段さんの助言に従って第二図書室に来てみたはいいものの。
「やっぱり梓ちゃんはいないですね……」
梓ちゃんどころか人っ子一人いない。鍵が開いていたから入ったものの、図書委員会の人や司書の先生もいない。
みんな部員勧誘に出払っているのだろうか。
「まあ……いっか」
本は好き。これからここに梓ちゃんが来るのかもしれないし、気ままに待とう。
そうと決まれば……。
「物色物色……♪」
わたしは大量の本棚に飛びつくように背表紙を眺めだした。
どうやらこの図書室にあるのは古くなってあまり読まれなくなった本を集めているらしい。第一校舎棟の第一図書室のよく読みこまれた本にはない、独特の古紙の匂いが充満している。
本に囲まれて育ったわたしにしてみたら、こっちの方が落ち着く空間なのかもしれない。
「あれ……?」
辞書のような厚さの外国文学集が並べられた棚で、わたしは足を止めた。
何か違和感があった。
シリーズモノらしい分厚い外国文学集。その中のロシア文学の本だけ三冊もある。他のドイツ文学やフランス文学などは上下巻のセットなのに。
ロシア文学だけ、上中下の三冊セット。
いや、ひょっとしたら広大な面積を誇るロシアなのだから、集めた文学が二冊に収まらなかっただけかもしれない。
だけどわたしは気になってその中巻を手に取った。
ずっしりとした重量が腕に伝わる。
「別に変わったところは……あ」
あった。
表紙のデザインが微妙に違う。タイトルの下の線が他は二本線なのに、これだけは三本だった。でもそれ以外は全く同じで、一見すれば見間違い程度の差だった。
「配架ミスかな……でもわざわざこんなややこしい表紙の作りなんておかしいし……」
とりあえず開いてみる。
そこには翻訳家の挨拶や目次といったごく普通の書き出しから始まり、そしていくつものロシアに伝わる童話や文学が書き連ねてあったのだが。
「えっ……!?」
その文章の書き方や挿絵の位置に、わたしの目が引き寄せられた。
「これ……暗号化されてるけど、魔道書だ……!」
なんでこんなところに魔道書が!?
そう思ったが、よく考えればそれほど驚くべきことではないかもしれない。
なにせここは人外の集まる町、月波市だ。そこの私立校の図書館に魔道書が混じっていても不思議ではない。
「なんて書いてあるんだろう……?」
それは、魔術師としての好奇心だった。
たいていの魔術師は自分の魔道書を複雑に暗号化させて記す。そうすることで自身の研究の流出を抑え、かつ悪用されるのを防ぐのだ。
だが他人の魔道書を解明してこそ一人前の魔術師であるとも言われる。
「……読んでみよ」
わたしはページを繰った。
時折魔力を注がなければ開けないページも混じっていたが、比較的するすると読み進めることができた。だがそれはあくまでロシア文学として読み進めることができたと言うだけで、暗号はほとんど解読できなかった。
だけど、それで十分。
たかだか六百ページ程度の内容の文章は、一度見ただけで暗記できるのだから。
図書委員会の人も司書の先生もいない以上、この魔道書を無断で借りることは憚られる。だったらこの場で暗記し、家に帰ってからじっくりと解読すればいいのだ。
わたしは無心でページをめくり続けた。
そして最後のページまで一通り目を通し終えた後、わたしは深く溜息をついた。
「覚えた……けど、複雑な暗号ね……」
魔道書を元に戻し、長時間重いものを持ってプルプルと震える手を静かに揉んだ。
同時に、覚えたばかりの魔道書の内容を組み立て、暗号解読の切り口を探す。
「あぁっ!! 見つけたぁっ!!」
誰もいないはずの図書室に、甲高い少女の声がこだました。
「えっ……あ、梓ちゃん!?」
声や口調は梓ちゃんのものだった気がするが、その亜麻色の髪はどこにも見当たらない。
「ここよ、ここっ!」
声は足元から聞こえた。
見下ろすと――身長三十センチにも満たない、梓ちゃんを三頭身にデフォルメしたような何かがいた。
「えっと……?」
「これはあたしの式神よ。もうっ! 散々探したのよ、どこ行ってたのさ!」
「あ、ごめんなさい……道に迷ってて……」
「どう道に迷えばこんなところに出るのよっ!?」
ペシペシと、式神梓ちゃんはわたしの足を叩いた。
それが全然痛くなくて、わたしは思わず笑みをこぼした。
「笑って誤魔化すなーっ!」
式神梓ちゃんの不機嫌な叫び声が図書室に響いた。
* * *
「件」
一通り部員勧誘露店を見て回り、梓ちゃんがお祭帰りのご機嫌なお子様状態になったのを見計らって九段さんのことを伝えると、そう返してきた。
「人に牛と書いて件。その名の通り本性は人面牛の姿をした妖怪ね。人語を話し、作物の豊凶を予言するとか、雄の件が凶事を予言し、雌の件がそれを回避する方法を教えるとか、まあそんな感じの伝承は日本全国各地に古くから伝わってるわ。未来予知や予言をする妖怪は結構いるけど、件の予言の的中率はずば抜けて高いわ。高いどころか、百パーセントと言っていいわね」
「うん……それは分かってるよ」
こうして合流できたのだから、結果として九段さんの占い……もと言い予言は当たったのだ。
だが梓ちゃんはどこか不機嫌そうに買った焼きとうもろこしをかじった。
「でもねー、あたし個人的に件っていう妖怪は好きじゃないなー」
「え? ……どうして?」
「予言が当たりすぎるのよ。しかもたいていは不吉な予言ばかりする妖怪だからね。もうここまでくれば、自分の予言したことを自分でそうなるように仕組んでるんじゃないかと思えてくるもん」
「でも、九段さんは優しいヒトだったよ……? それに自分では、運命に口出しも手出しもしない、って言ってたし」
「……そもそも、真奈ちゃんが会ったって言うその件の九段さん……ややこしいわね……まあ、その件自体が結構な眉唾物なのよね」
「え……?」
「人丑九段。彼女はこの学園の七不思議の一つよ」
「……この学園にも、七不思議とかあるんだ……」
「そりゃ、あるわよ。実際は七じゃ足りないくらい不思議はあるけど、それでも七不思議と呼ばれる不思議は他の不思議とは比べ物にならないくらい異質な不思議なのよ」
「はあ……」
「まず学年が不明。いつからこの学園にいるのかも不明。OBが初等部にいた頃から彼女は占い研究会の勧誘をやっていたと言う噂もあるし、新入生の名簿に彼女の名前が毎年あるとも言われてるし。そもそも巨乳にスカートってだけで、性別すら怪しいもん」
「ちょっと……梓ちゃん……!」
こんな人が一杯いる中で、女の子が平気で巨乳とか……。
「大丈夫よ。こんな喧騒の中、誰もあたしたちの話なんて聞いてないわよ」
そう言うと梓ちゃんは綿菓子をハムッと口に含んだ。
どうでもいいけど、今回の部員勧誘イベントをお祭としてかなり満喫している様子。
「まあ何にせよ、彼女は不思議というか、謎だらけなのよね」
「うん、それはよく分かったよ……」
少し話をしただけなのに、九段さんが不思議な、というか普通じゃないということはよく分かった。それこそ、普通じゃないわたしたちから見ても、普通じゃない。
「でも真奈ちゃん、気を付けたほうがいいわよ」
「え……?」
「九段さんが七不思議として語り継がれてる理由があるの」
「な、何……?」
「毎年彼女に出遭って予言だか助言だかをもらう人は何人かいるの。たいていはたかが占いと思って気にしないんだけど、それでも少しは気になって言われた通りの行動を取るの。で、その人たちにほぼ例外なく、何かしらの不幸が起こってるのよ」
「……………………」
その七不思議、もっと早く聞きたかった!
「もうわたし、九段さんの言った通りにしちゃったよ……!?」
「だから気を付けてって言ったのよ。まあでも、不幸ごとと言っても大したことはないらしいわよ。クスクスっ。せいぜい小テストの範囲を間違えて勉強しちゃったり、シャー芯が連続で折れちゃったり、なくしたと思った消しゴムが買い換えた途端出てきたり、って程度だから」
「地味に嫌……!」
確かに不幸だけど!
でも……。
「図書室に向かえ、っていう予言から、どう不幸につながるんだろう……? こうして梓ちゃんとも合流できたわけだし」
「う~ん……気になるんだったら、もう一度九段さんのトコに行ってみたら? 彼女も件なら、不幸や凶事を回避する方法を教えてくれるでしょ」
「うん……そうだね。部員勧誘はまだ続くんだよね? 明日にでも行ってみるよ」
わたしは小さく頷いた。
「じゃあ、今日はお祭りを楽しみましょうか!」
「お祭じゃなくて部員勧誘なんじゃ……」
「まずはユーちゃんトコの射撃部行こう! 射撃でお菓子くれるんだって!」
「ま、まだ食べるの……?」
もうすでに、出店の食べ物をたっぷり買い食いしてるのに……!
「クスクスっ。あたしは太りにくいの。運動してるしね! ほら、行こう真奈ちゃん!」
「あっ、待ってよ梓ちゃん……!」
梓ちゃんに手を引かれ、わたしたちは人込み込み合うメインストリートに溶け込んでいった。
翌日。
部員勧誘の人込みで込み合うメインストリートを掻き分け、わたしは九段さんを探した。
だけど再会どころか、彼女が昨日路上占いを開いていた場所に辿り着くことすらできなかった。