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だい ななじゅうに わ ~古杣~

 一見すると鬱蒼として見えるが、下草や蔦の類が完全に刈り払われた手入れの行き届いた山中。

 俺は最近ラミアが迷い込んだという大樹の洞の周囲を調べていた。

「……やはり、何もなしか」

 しかし調べれば調べるほど何の変哲もない木の洞であることが分かるだけであった。確かに何でもない森の中でも、今回のような魔力溜まりとなりやすい木の洞や、偶発的に等しく並んだ樹間などが門の役割を担ってしまい事故的に別世界と繋がってしまうことは稀にある。だが今回の件は特にそういった要因が見当たらないのだ。もちろん、何者かに隠蔽されたという痕跡もない。

 本当に、何でもない木の洞から世界がつながった。


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 幸いにと言うべきか、迷い出てきたモノで人としての意思があったのは件のラミアのみで、他はこの地の術者によって粛々と対処された。ここまで頻度が多いわけではないがこの地ではよくあることであるためか、術者共は特に疑問に思っていないようだ。

 しかしそのラミアについては、よりにもよって瀧宮(たつみや)羽黒(はくろ)が関わったあの閉じた世界からの迷い人である。この地が特例中の特例の特級神霊指定地域であることを差し引いても不自然な繋がりだ。


「気に入らん」


 ありったけの嫌悪を込めて口にするも、虚しいだけだった。

 そもそも死神の長たるリン様の側近である自分が、あの男に関する死神局不可侵協定について知らされていなかったことが腹立たしい。……いや、あの協定に関しては他の死神ども誰一柱たりとも知らされていなかったため自分が除け者にされていたわけではないから、その点については構わない。だが、側近たる俺が数百年ぶりに地区の担当を任命されてすぐにあの男と出くわしたというのが何だか作為を感じさせ、気に食わない。極めつけに、今度は自分が現世で学を積むという任務の窓口があの男である。

 リン様が何だかんだと理由を並べつつ特別扱いするあの男が、心の底から気に食わない。さらにあの男とリン様が接触したタイミングで、一応は担当するこの地区に異変の兆しが見え始めたというのも、何かの作為を感じて気に障る。

 何とも言い難く、苛立たしい。


「ほぎゃああああああああああっ!?」


 ドスン! と。

 何だか情けない悲鳴と共に背後に巨大な何かが降ってきた。

 確認するのも億劫だが仕方なしに振り返る。

「な、な、な、何者であるか貴様……! こ、この山はせ、せ、せ、拙僧たち山の物の怪の縄張りであるぞ!!」

「…………」

 赤ら顔の僧侶の巨大な生首が唾を飛ばしながら怒鳴ってきた。完全にどもりきってしまい、その声量と異様な姿の効果が半減している。

「タンコロリン――柿の妖か」

「お助けぇっ!? 拙僧食べても美味しくないと――」

「見たところこの山の主のようだが、すまなかった。一言声をかけてから入るべきであった」

「――もっぱらの評判でぇ……! って、え?」

「すまなかった、と言っている。少し前にこの辺りで異界と繋がったようであるため調べていた。何か心当たりはないか」

 ごく当たり前のように謝罪を口にし、ここに来た用件を答えたのだが、タンコロリンはポカンと目と口を開いて呆然としている。何だというのだ。

「おい、どうした」

「い、いえ……なんか、気配と聞いてた話と違って、話が通じる方なのだと……」

「気配?」

「ええ、それはそれは恐ろしい気配が……」

 ああ、と自分でようやく気付いて気配を遮断する。あの男への嫌悪が高まって死神特有の気配が漏れ出していたようだ。

「む……」

 これでは、リン様に学び直して来いと背中を押されるのも仕方がない。

 それはそうと、聞いていた話だと?

「おい、俺の話を誰から聞いた」

「う、うむ! そもそも拙僧がここに来たのは其奴から聞いた話をもとに――」


「お、いたいた」


 思い出したかのように山の主らしい尊大な口調に戻ったタンコロリンの背後から軽薄な口調の声音が聞こえてきた。

 条件反射的に眉間に力がこもるが、不要に気配が漏れないよう努めていると件のあの男――瀧宮羽黒がひょいとタンコロリンの影から顔を出した。

「タンコロリンのおっさんに探すの手伝ってもらってたんだが、やっぱここだったか」

「……瀧宮羽黒……!」

「え、何で俺、そんな出会い頭に親の仇と出くわしたみたいな視線向けられてんの」

 ヘラヘラと軽薄に笑いながらタンコロリンの頭をペシペシと叩く瀧宮羽黒。見れば、タンコロリンは白目を剥いて口の脇から白い泡を溢していた。妙に繊細な山の主だ。

「時間になっても来ねえから探しに来たんだよ」

「時間?」

 言われてみれば随分と日が高い。調査に注力しすぎて指定された合流時間を超過してしまっていたようだ。

「そうか、では急ぐとしよう」

 下山するため踵を返す。すると瀧宮羽黒の溜息の気配が背中に伝わってきた。

「……なるほど、こりゃ研修対象にされるわけだ」

「何だと?」

 聞き捨てならない言葉に振り返ると、ひょいと何かを投げて寄越された。危なげなく受け取ると、何やら薄くて黒い板状の何かだった。

「……何だこれは」

「携帯端末も知らんとかマジでヤバいな。電話とメールのやり取り、時計他最低限の機能しかない年寄り向け端末だが、それで十分だな」

「連絡を取る手段というわけか。そんなもの、念話で十分だろう」

「普通の人間がいちいち魔術使って連絡とり合うわけねえだろ。お前さんは人間らしさを学びに来たんだろうが、そこからやり直せ」

「……不便なものだな、人間というのは」

「お前さんも元は人間のはずだろうに……」

 やれやれと首を振る瀧宮羽黒に、俺は一つだけ訂正を入れる。

「何か勘違いをしているようだから言っておくが」

「あ?」


「俺は生まれもっての――生粋の死神だ」



          * * *



 案内されたのは先ほどの山に隣接する学び舎の一角だった。

 以前、件のホムンクルスに取り憑いた守護霊を回収しに来た時は何やら祭りで随分と賑わっていたが、今日は人影もまばらで静かなものだ。

 そんな学び舎の廊下に、荒げた俺の声はよく響いた。

「おい、瀧宮羽黒! 本当にこんなものを着なければならんのか!? 冗談じゃないぞ!」

「おいおい、いきなり風紀を乱すようなこと言うなよ。安心しな、お前さんが人間らしさを学べるうってつけの研修先を紹介してやる」

「ふざけるな! 今からでも変更しろ!」

 抗議の声を上げるが瀧宮羽黒は右から左へ聞き流す。しかも無闇やたらと強い力で俺の腕を掴んでいるため逃げだすこともできない。しかもどうやっているのか異空間への転移も封じられた。本当に何なんだこの男は。

 そうして拉致同然に連れられた先の部屋には、「学園長室」と小さな看板が掲げられていた。

「うーっす、遅れてすまん」

 ノックもなしにガラリと扉を開け中に入る瀧宮羽黒。俺も抵抗虚しく室内に放り込まれ――そこに集まっていた面子に息を呑んだ。

「大丈夫よぅ、遅れるのは『知ってた』からぁ」

 白衣を身に着けた小柄で童顔の女。上手く人化してかなり霊力を抑えているようだが間違いない、この地を守護する家を司る獣とは別に存在する神獣――白澤か。

「羽黒さん、その方が例の? 結構似合ってるじゃないですか」

 色の濃い眼鏡をかけた優男――確か資料で見たことがある。瀧宮羽黒の協力者で右目に悪魔の魔眼を封じている魔術師だ。確か名は藤村(ふじむら)修二(しゅうじ)だったか。

 そしてもう一人。


「うむ! 幾年経ても学ぼうとする心意気や良し!」


 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()俺に近寄り、顔に深いしわを刻み髪の色が抜けて白くなりながらも見上げるほどの偉丈夫――学園の現場総責任者、学園長の大河内(おおこうち)善右衛門博康(ぜんえもんひろやす)が、バンバンと肩を叩く。その剛力に思わず口腔内の空気が弾け飛ぶ。

 ()()()()()()()()()()()()のはずなのに何という男だ。

「おーおー学長殿、相変わらずで何よりだ」

「うむ! 瀧宮君も変りないようだな!」

「へっ、今の俺を指して『変わりない』なんて言うのはあんたくらいだろうな」

「ふふふ、人の本質はそうそう変わらんよ!」

 バチン! と音を立てて大河内学園長が瀧宮羽黒の背中を叩く。確か奴には鉄壁を誇る龍鱗があるはずなのだが、手の平を痛めた様子はない。どれだけ厚い手の皮をしているんだ。

「さて改めて、君が本学園に一時入学することになったキシ君だね」

「……不本意ながら、そういうことになった」

 瀧宮羽黒を睨みながら不服を隠さず吐き捨てる。

 この男が俺の研修先に選んだのは、よりにもよって私立月波学園――学校だった。しかも教員としてではなく、生徒として、だ。

「可能であれば今からでも手続きを取り消してもらえるとありがたいのだが」

「はっはっは! 素直で結構! だが我々は大いに君を歓迎する! 本学園は()()()()()()()()()()学び舎の門扉をいつでも開けている!」

 特定条件――確か、霊感の有無だったか。それさえ満たせば学力によらず入学可能との話だったが、死神たる俺は当然のように条件をクリアしている。今ほどこの目を恨んだことはない。

 いつ終わるのかも明確に示されていない研修期間中、一学童として学び舎に通う――数百年の時を生きた死神たる俺に、リン様はどういう意図でこのような無為なことをさせるのだ。

 と、瀧宮羽黒が何かを思い出したかのように尋ねてきた。

「そう言えばお前さん、名は何てんだ?」

「は?」

 何を言っているんだこいつは。

「名はキシだ。それ以外にない」

「それは死神としての通り名だろ。そうじゃなくて人間としての名前だよ」

「……生粋の死神たる俺に、人の名があると思うのか」

「ああ、そうだっけか。んじゃ、キシって何て字ぃ書くんだ?」

「生涯の『涯』でキシだ」

 と、その時になって違和感に気付く。

 あれほど毛嫌いしていたはずの瀧宮羽黒の問いに、妙に軽々しく答えていた。

 これは――

「じゃあこういう名前はどうだ――野涯(のぎわ)志樹(しき)だ。この学園じゃあ、神獣も通ってるが人間の名を名乗っている》」

「あぁ……特にこだわらんから、それで」

 これは、まずい!

「――《これからよろしくな、志樹》」

「ああ、よろしく頼む」

 俺の意思に反して、口が勝手に動く。そして手を指し伸ばしてきた瀧宮羽黒に応えるように、腕が持ち上がる。

 名を与えられ、縛られた――そう気づいた時にはもう遅かった。

 そして。


 ――バチッ!


「くっ……!?」

 瀧宮羽黒の手を握り返した瞬間、手首に雷が落ちたかのような衝撃が奔った。あまりの激痛に目の前が真っ白になり、みっともなく膝から崩れ落ちる。

 瞼の上から手の平を当て、ゆっくりと回復を待つ。

 瀧宮羽黒の声が頭上から降ってくる。

「騙し討ちみたいにして悪いな。これもリンからの依頼でな」

「なに……?」

 ゆっくりと目を開ける。

 激痛の引いた手首を見ると、ぐるりと一周回るように黒い鋳薔薇のような刺青が浮かび上がっていた。

「お前さんの死神の力を封じる魔術だ。いや……これは呪いに近いか。お前さんは短気でうっかり死神の気配を漏らすってリンが嘆いてたから対処させてもらった」

「ぐ……呪いだと……」

「ああ。リンの協力でそこの修二がお前さんの研修用に術式を一から開発した。なんせ学園にゃ『見える』だけの無力な生徒の方が多いからな、お前さんの気配に中てられてぽっくり逝かれちゃまずいだろ」

 ちらりと横目で藤村修二を確認する。俺の視線に気付いて苦笑を浮かべながら小さく手を振ってくるその柔らかな空気からは、悪魔の目玉を宿し、死神を封じる呪術を作り上げられるようにはとても見えない。

「研修の段階が進むとその棘が一本一本消えていく。全部消えたら研修終了だそうだ」

 鋳薔薇の棘は十本――一本当たりの判断基準が不明瞭なうえにリン様も関わっている呪術に下手に障るのは得策ではない。俺はじっと奥歯を噛み締めながらゆっくりと立ち上がる。

「そうだぁ、リンちゃんから伝言があるのぉ」

「……リン様から?」

 白澤が妙に間延びしたイライラする口調で声をかけてきた。

「ん、ん。『研修とは言え気負わなくてもいいですよ。休暇と思って、しばらく学び舎を楽しんできなさい』だってぇ」

「…………」

 無駄に似ている声真似が妙に腹立たしかった。



          * * *



「ここが、君がこれから通う教室だよ」

「…………」

 藤村修二に案内されてやってきた教室には1-Fと表札が掲げられていた。教員到着前で未だざわつく教室の中からは人妖入り混じった混沌とした気配が伝わってきて、中には位の高そうな神獣も一匹混じっていた。

「…………」

 俺はここに人間性を学びに来たのだよな?

 この地の妖は人として息衝いているというのは知ってはいるが、とてもこの環境で「人間」を学べるとは思えないのだが。

「ああ、そうだ」

 教室の扉に手をかけながら、色眼鏡の奥の瞳を細めて藤村修二が微笑む。

「君が死神だってことは一応伏せてるよ。とある学校からの交換留学生ってことにしてあるから、そのつもりでいてくれると嬉しいな」

 言いうだけ言って、藤村修二が扉を開ける。

「さ、皆お待たせー」

 藤村修二に着いてざわつきが一旦落ち着いた教室に入る。事前に言われた通り教卓の隣に立ち、ぐるりと周囲を見渡す。

 教室中の視線が俺に集まるが、俺もまた連中を軽く観察する。

 すぐ目に留まったのは二人。

 亜麻色の髪を短く刈った目つきの鋭い少女。この街を守護する一族の本家の出で、つい最近まで次期当主の座にいたが今は一介の術者に格下げとなった、瀧宮(あずさ)。あの業腹な瀧宮羽黒の実妹だという。その身の丈に余る強大な神刀二振りを魂に封じているのが透けて見える。

 そして一見すると特徴のない中肉中背の少年、穂波(ほなみ)(ゆたか)。こちらも土着の術者一族の出で、こっちは分家の方の次期当主だったか。二人とも事前に資料を確認していたから覚えがある。

 そして次に目に入ったのが、視覚的に異彩を放つ少女。隣に座る穂波裕との机の間隔が妙に近い、雪のような透き通る白髪に蒼い瞳、獣の尾と耳を残す中途半端な人化している神獣。こちらも資料にあった――穂村(ほむら)(びゃく)だったか。穂波裕に憑き守護しており、土地神の身内でもあると聞いている。

 三人ともこのクラスの所属だったのか。クラスの担当も藤村修二であるし、瀧宮羽黒の息のかかった連中の元に俺を放り込む学園の判断は、まあ正しいのだろう。

「えー、前々から話してた通り、今日から交換留学生としてうちのクラスに来ることになった、野涯志樹君です。君たちなら大丈夫だと思うけど、皆、仲良くねー」

 俺の偽りの肩書に対してはーい、と気の抜けるような返事が教室中から戻ってくる。こんな暢気な連中と当分の間机を並べなければならないと思うと眩暈がしてくる。

「さ、自己紹介」

 藤村修二がにこりと笑う。

 俺はフンと鼻を鳴らし、一歩前に出る。


「冥府死神局所属、局長第一補佐官のキシだ」


「え、ちょっ」

「今夏よりこの街の『導き』を兼任していたが、任務によりこのクラスにしばらく所属することとなった。言っておくが交友を深めるつもりはない。この地に住む貴様らならば、死神がどのような存在か当然知っているだろう」

 藤村修二がなにやら止めようとしたが構わず続ける。こういうことは最初にはっきりとさせておいた方がいい。


『…………』


 教室中が沈黙する。好奇の視線が畏怖と敬遠の視線に変わる。

 これでいい。

 これが死神と生者の正しい距離感だ。

「え、えーと……」

「…………」

 戸惑いを見せる藤村修二を放置し、気を遣ったつもりなのか教室中央に一つだけある空席に向かって歩き出す。無言で席に着くと、心なしか周囲の席の連中が身を引いた。完全に裏目に出たようで何よりだ。

「…………っ!」

 と、その中でも一人、やけに挙動不審気味に身を縮こませた眼鏡の少女がいた。何かと思いそちらに視線を向けると、これもまた資料で見た顔だった。


 地味すぎて入室直後はすぐに思い出せなかったが、こいつは朝倉(あさくら)真奈(まな)――俺がこの街の担当を兼任するきっかけとなった事件を引き起こした、悪魔の封印を解いた魔術師だった。



          * * *



 昼休み。

 何やら怪しげな半球状の巨大な物体が置かれた屋上のフェンスにもたれながら、俺は現世で流通している保存食のような乾燥菓子を栄養飲料で胃に流し込んでいた。

 結局あの後、瀧宮梓を始めとした勇気ある何人かが声をかけてきたものの、必要最低限の受け答えのみで対応を続けた結果、ついに授業終わりの鐘が鳴る頃には教室中が静まり返ることとなった。

 それでいい。

 下手に俺に関わると、いざというときに面倒ないざこざを生じさせる。

 とは言え。

「…………」

 俺は右手首に刻まれた鋳薔薇の刺青に目をやる。

 この呪術の如き封印を解除するためにはこのくだらない研修をさっさと終わらせる必要がある。そしてこの研修の名目が「人間らしさを学ぶ」である以上、最低限の人間観察はせねばなるまい。

 そのためにこうやって屋上から下界を眺めてみているのだが、有象無象が広大な運動場で各々好き勝手に遊び惚けているのが見えるだけだ。

「……ん?」

 校舎の裏側となっている箇所に、ともすれば死神たる俺ですら見落としかねないほどの矮小な陰の気が溜まっているのに気付く。眼球に魔力を込めて遠見の魔術を発動させると、何故か肩からボロボロの学生服を羽織った少女が、複数の男子生徒に取り囲まれていた。

 皆手には鉄パイプやバット、中には小さな刃物を持っている者もいる。

「…………」

 そういえば、霊感さえあれば学歴や過去を問わず入学できるのだったか。

「まったく、人間の限りある短い時間をもっと有用に活用すればいいものを……」

 しかし見つけてしまったものは仕方がない。研修中は別の死神があの半人前の地区担当の指導に当たっているとは言え、このままでは無用な仕事が増えることとなる。

 俺は屋根を伝って移動し、ちょうど連中の隙間に着地するよう飛び降りた。


「があああああああああああああああああああああああああっ!!」


「――っ!?」

 着地の瞬間、魂の根底にある恐怖を呼び起こすような咆哮が鼓膜を劈いた。思わず耳を塞ぎ、歯を食いしばって咆哮の主――取り囲まれていた方の少女を見やる。

「グルルルル……!」

 獣のように牙を剥き、周囲を威圧する少女。それだけで、手に凶器を携えていた男子生徒たちは白目を剥き、一部は股間から異臭を放ちながら気を失った。

「――キマイラ」

「あぁ?」

 正体を見抜き、声をかけると殺気立つ緋色の獣瞳をこちらに向けてきた。

「これ以上の愚行を犯すならば見過ごさん」

「何だアンタ、コイツらの仲間――いや、見覚えがあるな。1年にきた死神の交換留学生だろ」

「…………」

 何故さっきの今で初対面のキマイラに俺のことが知られているんだ。

「女の子がむくつけき野郎共に囲まれてるのをみて助けに来たって感じか? 死神のくせに優しいこって」

「逆だ。貧相な得物で怪物に挑もうとする人間を止めに来た」

「…………」

 ポカンと呆けた表情を浮かべるキマイラ。

「自覚がないようなら言っておく。貴様が少し小突いただけで人間は簡単に死ぬ。俺たちの仕事を無駄に増やす真似をするなら、貴様も冥府送りにする必要がある」

「へ? いや別に、ヤンキーのトップだった先代に変わって生徒会副会長に就任したアタシに絡んできた奴らにお灸据えるだけで、そんな大それたことするつもりはないんだけど……」

 ポリポリと頭を掻くキマイラ。地面に転がる人間たちを指さしながら言い訳を並べるが、怪しいものだ。今回は気絶で済んだが、一歩間違えれば精神崩壊すら起こしかねなかったはずだ。


「はいはいはいお待たせーっと」


 もう一言くらい何か言ってやろうと口を開きかけた瞬間、ガラガラと音を立てながら荷車を引っ張っりながら一人の男子生徒が走ってきた。

「……鬼一口――人喰いの鬼か」

「お? 噂の死神留学生? 一目で鬼一口ってわかるの流石だなー」

「おせーぞきょう、もう終わってんぞー」

 当然のように俺のことを知っていた鬼一口にキマイラが口を尖らせながら文句を言う。そして倒れていた男子生徒のベルトを掴み持ち上げた。

 一体何をするつもりかと身構えると、キマイラは次々と鬼一口が持ってきた荷車に男子生徒を積み重ねていく。

「……何をしている」

「え、ここに置いといたら邪魔じゃん」

 キマイラを手伝いながら、自身も荷車に男子生徒を積んでいく鬼一口。

「よもや一目のつかないところで喰うつもりじゃあるまいな」

「「なわけねーだろ!?」」

 心外とばかりに声を揃えるキマイラと鬼一口。己らが人喰いの人外である自覚はないのか?

「普通に保健室に運ぶんだっつーの」

「ま、そのあと生徒指導室でこってり絞られるだろうから、ある意味死ぬほどおっそろしい目に遭うけどな!」

 ケラケラと大口開けて爆笑する人外二人。死神を前に「死よりも恐ろしい」などと口にするとは大した胆力だ。……いや、今の俺からは死神の気配も威圧感も毛ほども漏れていないのか。それゆえのこの軽薄さか。


「は、針ヶ瀬(はりがせ)先輩! 大丈夫ですか……!?」


 と、再び別の声がした。

 誰かと思って振り向けば――息を切らした朝倉真奈が、胸に手を当てて動悸を抑えながら立っていた。

「はあ、はあ……あれ……? もう、終わってる……?」

「お、マナっち~、お疲れー。うん、もう終わったぜー」

「……はあ、よ、良かったです……。遠くから囲まれてるのが見えて、いてもたってもいられなくて……」

「あははー、さんきゅさんきゅ! アタシは大丈夫だよー」

 男子生徒の最後の一人を放り投げて荷車に積み込み、大型犬にするように朝倉真奈の髪を撫でるキマイラ。「やー……」と不服そうな声を上げながらも、朝倉真奈はどこか照れ臭そうに頬を赤らめている。

「…………」

「あ、えっと……野涯、さん……?」

「キシと呼べ。その名は虫唾が走る」

 俺がいることに気付いたらしい朝倉真奈がおずおずと瀧宮羽黒に押し付けられた名を口にする。即座に死神としての名の方を呼ぶよう訂正を要求すると「すみません!? き、キシさん……!?」と慌てながら言い直した。

 ちょうどいい。

「朝倉真奈。少し付き合え」

「え……?」

「少し話を聞きたい」

「えっと……今ですか?」

「今だ」

「その、やっぱり、込み入った内容の……?」

「それは貴様の回答次第だ」

「「ちょいと待ちな!」」

 横で話を聞いていたキマイラと鬼一口が間に割って入る。

「……何だ貴様ら、まだいたのか。さっさとその不逞の輩どもを保健室とやらに運んでいけ」

「月波高に名高い生徒会の副会長が、質の悪い男に絡まれてる女の子置いてその場を離れられるわけないだろーが! それにその子は寮の後輩だ! 手出しすんなら死神だろうと容赦しないよ!」

「右に同じく、こちとらこれでも風紀委員でね。ダチが困ってんのを見捨てちゃおけねえ!」

「…………」

 何故俺が悪者のように扱われているんだ。本来ならば人食いたるこいつらを俺が牽制する立場のはずなのだが。

 それに本当に話を聞きたいだけだ。

 ひくひくと痙攣するこめかみを指で押さえ、一つ溜息を吐く。

「貴様らこそ、身の程を――」


「あの、キシさん……!」


 弁えろ、と言いかけた俺を遮るように、朝倉真奈が声を張り上げる。こいつ、こんな大声を出せたのか。

「お、お話をさせていただくのは構いません! わ……わたしも、キシさんとお話ししたいと思っていましたし……」

「ほう」

 少しだけ目を見張る。

 地味な見た目の上におどおどとした態度に苛ついていたが、どうやら全くの腑抜けというわけではないらしい。

「場所を移すぞ。貴様も誰かに聞かれたいわけではあるまい」

「あ……待ってください!」

 移動しようと歩き出した俺の背中に朝倉真奈の声がかかる。何だ、この期に及んでまだ何かあるというのか。

 と、その時。


 ―キーン、コーン、カーン、コーン……


「…………」

「あと5分でお昼休み終わるので……」

「…………」

「その、放課後でお願いします……」

「…………」



          * * *



古杣(ふるそま)

 学園が経営しているという小さな茶屋で紅茶を注文し、思いのほか良い香りにほっと息を吐きながら卓上に魔石を置く。

「土佐に伝わる音のみの怪異だ。夜中に山中から伐採や倒木の音が響き、不思議に思って翌朝確認するも、木は一本も倒れていないという」

 魔石に指を置き、そこに込められた怪異を呼び起こす。魔石は薄青い光を煌々と放つ。

「これはその怪異を利用した防音の結界だ。周囲には俺たちの会話は他愛のない世間話にしか聞こえない」

 まあ角席であるし周囲に人影はないが、念のためだ。そこの無駄にでかい観賞植物など、人が隠れるにはちょうどいい。

「……お気遣いありがとうございます」

 にこりと笑い、朝倉真奈が一口紅茶に口をつける。

 熱かったのか少しだけ顔をしかめ、一度カップを置く。


「さて単刀直入に問おう。朝倉真奈、貴様が今こうしてのうのうと学園生活を送っていられているのは我々死神の温情であるという自覚はあるか」


「はい」


 即答だった。

 それに、はっきりとした意思が灰色の瞳から窺える。

「わたしが犯した罪は私が背負います。正直、今でも夢に見ます……犠牲になった方々の怨嗟の声が、耳元で囁かれるんです。ですがわたしは耳を塞ぎ、目を逸らすつもりは毛頭ありません。……きちんと背負って、少しでも報いて、けれど決して責を下ろさず、自身の重みとし、死した後はそのまま審判に臨みます。これだけは、いつか死神の方に伝えたかったんです」

「……なるほど」

 紅茶を口に含む。

 香りだけでなく、いい舌当たりだ。

「なるほど」

 再度、頷く。

 魔石は蒼く輝いたままだ。

「そこまで自覚があるのであれば俺からとやかく言うつもりはない。貴様は死後、間違いなく死神となり懲役を背負うこととなるだろう。その時を待ち、残りの生を全うせよ」

 魔石に指を置き、防音と――真偽を図る結界が解かれる。魔石が少しでも赤みを帯びたらこの場で冥府送りにしてやろうとも思ったのだが、なかなか思い通りにいかないものだ。

「まあ、そうだな」

 紅茶を啜る。

「何もなかろうが、何かあれが多少は便宜を図ってやらんでもない。俺からは以上だ。……ふん、なんだ、すぐに終わったな。昼休みのうちに対話を終えられたではないか」

「ふふ……そうですね」

「だから――そこに隠れてる者共と茶でも飲んでから帰るといい」


「げっ」

「やっぱバレてたねー」

「そりゃそうだ」


 俺たちの座る席の後ろの観賞植物の陰に冷気の陽炎が浮かび、三人の影が零れ出る。

 瀧宮梓、穂波裕、穂村白の三人――朝倉真奈のクラスメイトだった。

「み、皆いたの……!?」

「ふん! 死神のあんたがうちの真奈ちゃんに酷いことしようとしたらとっちめてやろうと思ってね!」

「お前はよく死神に喧嘩売ろうとか考えるな……ま、朝倉だったら僕もやぶさかではないけど、何事もなくて安心」

「ねー。穏やかに終わったみたいで良かったね!」

 各々が注文したらしい飲み物を携えてどやどやと俺たちのテーブルに座る。結界のおかげで会話の内容までは把握しきれていないようだが……何を思ったのか、穂波裕と穂村白が俺を卓の隅に追い込むように隣に腰かけた。

「……おい、俺は帰る。そこをどけ」

「え、帰すわけないじゃん」

 答えたのは、朝倉真奈の隣に腰かけた瀧宮梓。

「あたしもこの街長いけどさー、死神のクラスメイトは流石に初なわけよ」

「……だから何だというのだ」


「年頃JKの好奇心は神をも押しのけんのよ」


 パチン! と、瀧宮梓と穂村白が同時に手を叩く。

「んな!?」

 先ほどまでまばらだった店内が、見覚えのある顔で一瞬で埋まった。

 こいつら、全員1-Fの……!

「最初から皆待機して、梓の妖刀とビャクちゃんの力で隠れてたんだ。キシさんの歓迎会でね」

「なに!? 待て、この店を指定したのは――」

「ごめんなさい、わたしですね……えへへ、誘導成功です」

「――――っ!!」

 クソ! 死神の力を封じられてからどうにも調子が悪い! このような浅はかな罠に引っかかるとは何たる屈辱!

「さーて、じゃあホームルームで聞けなかったアレコレ一気に聞くわよー。真奈ちゃん、自白魔法の用意を!」

「おい瀧宮梓、貴様!?」

「ごめんなさい……これも、キシさんがクラスに馴染むためです」

「くっ……いくら何でも強硬すぎ――おいやめろ、魔術を構築するな! よもやこれも瀧宮羽黒の策か!?」

「ま、羽黒さんによろしくするように言われたのは否定しないですけど」

「基本的に私たちって自分たちで何かやるの好きだから、強いて言うなら私たちが主犯だよね」

「ええい、兄も兄なら妹とその取り巻きも大概か! おい朝倉真奈やめろ! 分かった、任務に差し障る内容でなければ答えてやるからその自白魔術をしまえ!」

「っしゃあ! それじゃあ、まず趣味と好みの女性のタイプは? てか付き合ってる人いんの?」

「ふざけるな! そんな質問答えられるか!」

「真奈ちゃん」

「はーい……ん、しょ」

「やめろ! 趣味は苔テラリウム作り、好みはクール系、最後は想像に任せる! これでいいか!?」

 ひゅーっ! と店内で囃し立てる声が上がる。クソ! 焦って喋りすぎた、これでは自白魔術をかけられるのと何ら変わらん!

「もうこうなったら何でも答えてやる! 次は何だ!?」

 ヤケクソ気味にそう叫んでやると、バチッと小さな痛みが手首に奔る。

 何事かと思いみてみれば、手首の棘の刺青が一本消えていた。

「こんなことで一段階進むというのか!? 今後もこんな心労を味わうことになると!? 勘弁してくれ!!」

「その刺青何? なんかさっきバチッつったけど」

「これは――」


 次々と降りかかるクラスメイト達の質問に一つずつ対処していく。

 俺はこの日初めて、リン様に文句の一つでも言ってやろうという気持ちになったのだった。


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